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トンこま!  作者: 根谷司
7/16

出会ってはいけない噂のあの人

「なんだか今日はどっと疲れました……」


 家に帰った私は、着替えもせず畳の上に寝転がりました。鞄さえも手元に放り投げたままで、です。


 学校が終わった後、寄り道せずすぐに帰路に着いたはずなのですが、何故か結構な時間がかかってしましました。いつもの倍近い時間、下校に使ってしまったようです。友香さんとの会話が楽しすぎて時間を忘れてしまったのだとしたら疲れているのも納得ですが、それにしては印象に残っている話題がありません。


 さらに言えば昨日からずっと、視線らしきものを感じたままだというのもあります。まさかストーカーでしょうか、とも思ったのですが、如何せん私の容姿ではありえないでしょう。


 気休めにでもなればと思いテレビを付けると、陽気なテンションのテレフォンショッピングがやっていました。


『痴漢悪漢悪寒等々。か弱い女性の天敵ですねー。進級進学就職定年で心機一転した生活は、期待と一緒に不安も煽るもの。そこで、不安だけでも少しでも、解消(かいしょう)抹消(まっしょう)霧散霧消(むさんむしょう)、きれいさっぱりするためのアイテム! 政府公認承認確認の防犯グッズ! 今ならなんと掃除機も付いてこのお値段!』


 これほど調度良いものがあるのでしょうか、と思ったものの、別に直接出会った変態は先週の鳩人間くらいなのですから、そこまで警戒しなくても大丈夫でしょう。私が当事者になるなんて、ほんの僅かな可能性しかありません。


 そういば、家電製品は祖父から貰った冷蔵庫とテレビくらいしかないのでした。そろそろ箒ではなく掃除機が欲しいところです。友達と談笑しながら帰宅しただけでこの疲労なのですから、これから授業がもっと本格化すれば、疲労はさらに悪化するでしょう。それを思うと、電化製品のありがたみがよく解ります。


 そんな無駄な思考をしばらく続けた後、なんとかシャワーを浴びて、晩御飯は食べる気になれなかったため省き、就寝しました。






 数日が経ちましたが、視線はやはり感じたままでした。ちなみに電化製品の新規購入はしていません。仕送りにも限りがあるのですから、当然です。授業もしっかりとテストへ向けられた内容になったこともあり、私は休み時間、どこへ行くあても体力もなく自分の机で待機していました。


 そこへ、いつものように友香さんが来ました。


「いやー、疲れてるねー小町ちゃん」


「そういう友香さんは元気そうですね」


 ここ最近は私と同様疲れていたように見えたのですが、気のせいだったのでしょうか。


 友香さんはにゃははと笑い「ちょっと良いことがあってねー」と頭を掻きました。そして「そういえば」と付けたし、身を乗り出します。


「こないだペンの落し物あったよね。あれ、まだある?」


 ああ、あの機械っぽい油性ペンですか。


 私は頷いて、筆箱からそれを取り出しました。


「結局持ち主が解らずじまいでして……どこで拾ったかも解らないので、交番に届けるべきか学校の落し物届けに出すべきかも解らないんですよね」


 もう一週間以上が経つのですが、持ち主不明のまま。いっそのこと捨ててしまおうかとさえ思っていたところです。


「それさ、あたし貰っていい?」


「え? でも、落し物ですよ?」


「だいじょうぶだいじょうぶ。実は油性ペンのインクが切れちゃって困ってたんだ。新しいの買うのもなんだからって思って」


「んー」


 少し考えます。このペンの落とし主は、おそらくもう新しいペンを買っていることでしょう。でなければここ一週間はどうやって過ごしていたのかという話になってしまいます。といっても、無くても生活はできるのですが。


 ともすればこのペンは持ち主不在ともいえるわけで、新しいペンを求めている友香さんとの愛称はばっちりだと思うのです。


「持ち主が見つかっても私のせいにはしないで下さいね?」


「わかってるよー。あんがとー」


 少し大げさに思えるくらい表情を綻ばせた友香さんは、私からペンをひったくるようにしてそれを我が物にしました。そして後生大事にすべき親の形見を仕舞うかのように抱きかかえてからワイシャツの胸ポケットへ入れると、一息ついてから、「お礼ってわけじゃないんだけどさ」と、話を続けました。


「小町ちゃん、一人暮らしだよね。なんかさ、生活するのに必要なものとかない?」


「生活必需品ならば山ほどあると思いますが……?」


「そうじゃなくて、ほら、これがあったらいいなーとか、そういうの」


「沢山あると言えばあります。でも、それは自分でそろえないといけないものですし」


「そんな綺麗事はあとあと」


 綺麗事のつもりはなかったのですが、今のは綺麗事になってしまうのでしょうか。


 友香さんは続けます。


「余計に持っちゃってる人から貰ってあげるっていうのもひとつの手だよ? 今あたしんちさ、トースターを新しくしたのと、使ってないラジオを捨てようとしてるのと、掃除機が余っちゃって困ってるんだよね。どれか欲しくない?」


 確かに、捨ててしまうくらいなら貰うが吉とは思います。古くなったトースターでもパンは焼けますし、ラジオにも使い道はあります。それに、掃除機は調度欲しいと思っていたところです。


「えっと……正直に言ってしまうと、全部欲しいです」


 言いながら自分の図々しさに驚きました。こういうのを世渡りが上手いと言うべきなのか図々しいと言うべきなのかは、私には解りません。


「なら決まり。今度あたしのお母さんに運んでもらうから、家、教えて」


「え、もらい物だけじゃなくて運んでもらうまでしてしまうと、私がいたたまれなくなってしまうのですが……」


「いーのいーの。ほら、あーいう粗大ゴミって、捨てるだけでもお金掛かるらしいから。貰い手を捜してきなさーいってお母さんに言われてたところだから、あたしんちとしても助かってるんだ」


 なるほど、そういうことならお言葉に甘えさせておこうと思いました。


「えっと、じゃあ、いつにしますか?」


「遊ぶついでで小町ちゃんちに行きたいから、できれば土日。もしかしたら今日すぐに欲しかったりする?」


「いえ、今まで無くてもそこまで困ってはいなかったので、私はいつでも大丈夫です。勿論、あったらとても助かりますが、私も遊びたいので、土日で」


「おっし決定」


「よろしくお願いします」


 他愛ないやりとりだと思います。といっても、私が得る物はすごく大きいですが。


 言い方はおかしいですが、そこで宴もたけなわな雰囲気になりました。もう少しお話をしていたいのですが、如何せん話す内容がありません。しかし、話題は作るものではなく、突然やってきてしまうものなのだと、次の瞬間に悟りました。


「おい!」


 教室の入り口から、慌しい声が響きました。見るとそこには例のイケ面こと黒槻さんが居て、その後ろで取り巻きの女性達が心配そうな顔をしています。


 何事でしょうか、と首を傾げたら、黒槻さんは真っ直ぐ私を睨みながら、ずかずかとこちらに歩み寄ってきます。


「お前っ、よくもぬけぬけと……!」


 黒槻さんの整った顔が目と鼻の先に迫ります。


 私は混乱しているせいか、状況を理解出来ませんでした。


「私が、何かしました、か……?」


 怒られるような事をした覚えはありません。そもそも、黒槻さんとはなんの関わりも無かったはずです。


「しらばっくれるな!」


 がっし、と、胸倉まで掴んできた彼の表情は、怒り、というよりも、焦り、と表現したほうが近いものに思いました。


 ふと、黒槻さんはざわついている辺りを一瞥してから小さく舌打ちをし、私にだけ聞える声で言います。


「……よくもまぁ俺が居る学校に顔を出せたじゃないか……」


 悪意、敵意、等々様々な感情がごちゃ混ぜになった、不自然に震えた声でした。


「ななな……なんのことですか……?」


 私、超混乱です。なんなら今すぐにでも取り乱しそうなくらいでした。


 何がどうなっているのか解らずにあたふたしていると、黒槻さんの裾の影に、青痣が出来ている事に気付きました。制服で隠しているようですが、折れているのでは、と思う程、腫れているように見えます。


「……その怪我……。だ、大丈夫、ですか……?」


 とても痛そうだったため今の話を放棄してしまいましたが、どうせ続けていたところで理解は出来なかったでしょう。関係ない話へもっていってはぐらかそうという目論みが無かったわけではありません。ですが、何かが彼の中で繋がったのでしょう。彼は驚いたような表情を浮かべ、


「覚えてない、のか……? そんなばかな……」


 と、呟いていました。覚えていないもなにも、黒槻さんに関係のあるイベントは一切起きていないと思うのですが……。


 ふと、彼はもう一度、さらに小さい声で何かを呟きます。ですが、それは私にも聞えませんでした。なんとか唇でおおまかな言葉を読んだ限りでは「ソナー」と言った気がします。


 そして沈黙する事数秒。彼は再び、いえさらに、驚き過ぎて青ざめた表情を浮かべました。黒槻さんは掴んでいた私の胸倉を乱暴に突き放すと、ぐしゃぐしゃと頭を掻き毟ります。ワックスまで使ってセットしたのであろうお洒落なヘアースタイルが台無しです。


「わけが解らない……なにがどうなってるんだ……」


 その呟きこそ、私にとってはわけが解りませんでした。


「ねぇ、どうしたのさ蓮君? 珍しく取り乱しちゃって」


 ようやく訪れた、友香さんという助け船。しかし事態は既に、私の知らぬ間に決着していたようで、黒槻さんは「なんでもない」と、私達に背中を向けました。


「何かの間違いだったらしい。俺の勘違いで掴みかかっちまってすまなかった。今のは忘れてくれ」


 そう言いながら、取り巻きを引き連れて教室から出ていく黒槻さん。残念ですが、今のことは忘れたくても忘れられないと思います。


「ご乱心でしたね」


「そだねー」


 独り言のつもりで呟いたのですが、友香さんが答えてくれました。


「何か身に覚えとかないの? 黒槻蓮は変態だとかって書いたメモが見つかっちゃったとか」


「あれは私ではないので冤罪です。本当に身に覚えがありません」


 本当のことなので正直に答えると、友香さんは黒槻さんが出て行った扉を眺めながら、


「ま、後になればわかることか」


 と、呟いていました。


 どういう意味か気になりはしたものの、なんにせよ私には関係のないことです。あまり気にしないことにしました。






 土曜日に友香さんと遊んだ後、友香さんのお母さんに車まで出して頂いて、荷物の運び込みが終わりました。運び込まれたのは約束通り掃除機とトースターとラジオです。


 ひとつのダンボールに入る程にどれもコンパクトサイズなものだったので、部屋に置く事にも苦労はしませんでした。ラジオも動くようでしたので、テレビの横に置いてあります。それでも、一日中遊びまわった後にこの作業は流石に汗をかきます。疲れも溜まっているようで、シャワーでは物足りないだろうな、と思いながらユニットバスのほうを眺めていました。


 行こう行こうとは思っていた銭湯に、今日こそ行ってみようと思います。


 都会の銭湯は、人々の憩いの場なのだと祖父が言っていましたし、なにより広いお風呂というのが楽しみです。


 何が必要なのか解らなかったので、とりあえず入浴で必要になりそうなものを一式持って銭湯へ向かいます。スキップしそうになる足をなんとか堪えて、落ち着いてる風を装い、以前から目をつけていた銭湯へたどり着きました。


 初めて入る店というのは、どんなお店であっても緊張するものです。私は逸る心臓を落ち着かせるために一度だけ深呼吸して、戸を開きます。正面にはお年寄りが番頭を勤めているカウンター。左手側には年季の入ったマッサージチェアーと、ビンジュースの自動販売機。その隣に『殿』と書かれた暖簾と、扉がありました。


 『姫』と書かれた暖簾があるのは反対側です。私は「よし」と拳を握り、姫の暖簾を見つめながらカウンターへ向かいます。


「学生一人お願いします」


 言いながら。表の看板に出ていた通りの金額を差し出しました。すると番頭さんはにこやかに笑いながら


「おやおや、娘さん、これは高校生料き……」と何かを言いかけて、不自然に硬直しました。当然です。私は小銭と一緒に生徒手帳も差し出したのですから。「あー、そうだったそうだった。ごめんねー、最近は物覚えが悪くってねー。そういえばあんたは学生さんだったねー」


 ここに来るのは初めてなのですが、誰かと間違えているのでしょう、番頭さんは苦笑します。


 私は一秒でも早くお風呂に浸かりたかったため、大丈夫ですよ、と冗談めかして笑ってから、姫の暖簾をくぐりました。


 脱衣所に入ると、私以外にも五人か六人程度の利用客が居るようです。これが多いのか少ないのか解りませんが、チャンスがあれば親しくなるために声を掛けてみようと思います。でも、ちゃんとお話することが出来るでしょうか。いくらかの不安はあるものの、それでも気持ちは高まっていきます。


 ふと、籠の中に放られた荷物の中に、とても素敵なリュックサックがある事に気付きました。ピンク主体で、青のアクセントが着いたリュックサックです。


 ……か、かわいい……。これの持ち主と是非、お話をしてみたい……!


 ああ走り出したい。という衝動を堪えながら服を脱ぎ、そして、湯気で曇ったガラスの扉を開け放ちました。


 そこで私は出会いました。


「……あ」


 と、私は口を半開きにして声を漏らします。


「……ふへ?」


 その様子を見て、私は首を傾げました。


 カポーンと、誰かが落としたのであろう桶の小気味良い音がこだまします。


 その音が消えても、銭湯から音は消えません。誰かが流したのであろうお湯が流れる音。排水溝が水を吸う音。色々な音が閉鎖空間の中でこだまして、時間を止めまいとしているようでした。


 それでも私の思考回路は動いてくれず、まるで世界から隔離されてしまったかのような感覚に陥りました。


「おんやまぁ、姉妹ちゃんかえ? そっくりじゃのう」


 近くで体を洗っていたお婆ちゃんが笑いながら言いますが、これは笑っていられる事態ではないように思います。




 ――私の目の前に私が居るわけですが、これはいったどうしたら良いのでしょうか。




 私の目の前に居る私は放心状態から一変、にこやかに微笑むと、背筋をぴんと伸ばし、礼節を意識しているのであろう身振りでもって腰を折りました。


「はじめまして。私の名前はミノレーヌ・コマネチです」


「…………」


「稔小町とは全くの別人ですので、お気になさらず」


 言って、落ち着き払った『私』は、取り乱して身動きひとつ取れない私の横を通り抜けて、銭湯から出て行こうとしました。


 私は『私』の腕を掴み、軽く引っ張ってこっちを向かせました。


 大きな目。子供みたいにぷにっとしそうな肌。身長との比率もありとても長く見える黒髪。


 冷静になってみても、どこからどう見ても。


「――私ですよね?」


 稔小町そのものにしか見えません。もしや俗に言うドッペルゲンガーとやらでしょうか。だとしたら私は、今日で死んでしまうのでしょうか。


 『私』は露骨に顔を逸らして、


「違います。私の名前はミノラーノ・コマンドです。稔小町ではありません」


「さっきは、ミノレーヌ・コマネチさんではありませんでしたか?」


「うぐっ」


「それに私じゃないなら、どうして私の名前を知っているのですか?」


「それは…………」


 目前の私があまりにも辛そうに涙を浮かべるものですから、途端に居心地が悪くなってしまいました。私は別に、『私』を捕まえて「ゆーたいりだつー」とやりたいわけではないのです。この明らかにおかしな状況を説明出来るのならしてほしいだけなのです。なので少しでも目前の『私』から不安を取り除いてあげようと、微笑を浮かべて顔を近付けました。


「事情を説明してくれないと、夜も怖くて眠れずノイローゼで死んでしまうかもしれません」


「…………」


 だんまりを決め込む『私』へ、さらに顔を近付けます。


「そもそも私達、出会ってしまって平気なんですか? ほら、ドッペルゲンガーに出会ったら死ぬ、といった迷信がありますよね」


 それが事実である実証は無いものの虚言である実証もありません。万が一の可能性があります。


「そ、それはまぁ、大丈夫なんですが、そろそろチャージした心力が無くなるというか、魔法が使えなくなるので、結構ピンチかなー、といいますか……」


 焦った様子で絵空事を吐く『私』の目は泳いでいました。


「? なにを言っているのですか? もっと解りやすく言って下さい」


 言及しても『私』の態度は変わりません。相変わらず焦ったままで、やはりわけの解らない事を言い出しました。


「結局のところそちらにはなんら問題は無いのですが、私側としては問題があるといいますか、これから戦えないなーといいますか、どうやって想魔を駆除しようかなーと言いますか」


 どうやら『私』は言葉のキャッチボールとやらをするつもりがないようです。やはり何を言っているか解らない、といいますか、台詞の節々に悪電波が混じっているせいか、耳に痛かったです。


 ふと、何かを思い立ったかのようにハッとした『私』は態度を一変。再びにこやかに笑うと、人差し指を立てました。


「とにかくですね、そちらにはこれからも危害は加えないようにしますので、ご安心下さい」


 その人差し指をへし折ってやろうか、とも思いましたが、私が『私』に物理的攻撃をしたところでなんの解決にもなりません。少しでも、この状況を理解するための情報が欲しいところです。


「あなたには、今のことを忘れてもらいます」


 と『私』は言いました。


「……え?」


 忘れる? 自分自身と出会ってしまった事を忘れるほど、私は器用ではありません。


 しかし、突然真剣な表情を浮かべ、何かに祈るような目でこちらを見つめてきた『私』からは、冗談を言っている様子は感じませんでした。


「初めての銭湯。その経験は、貴女とってとても素敵な思い出になるはずだったことでしょう。しかし、運命とは悪戯を起こすものです。こうなってしまったら仕方ありません。だってそうでしょう? 寝床もシャワールームもトイレもある貴女と違って、私にはそれらが無いんですもの。生活必需品の一切が無い生活なんて、誰も皆、想像もしたくないはずです。その生活を強いられている私から、銭湯に来る権利まで奪わないで下さい。ここでの安らぎが、今の私を支える唯一の癒しなのですから」


 どうでも良いのですが、いきなり饒舌になったこの小学生もどきはどう対処すれば良いのでしょうか。


「貴女はまだ、平和の中に生きています。引き返す事は可能なのです。……銭湯に来たという記憶と引き換えに、ですが」


「ちょ、ちょっと待って下さい! どういう事ですか! 私はここに来るのをとても楽しみにしていたのです! 簡単に忘れられるはずがありません! そんなこと……忘れるなんてこと、出来ません!」


「出来るんです!」


 悲しそうな声色で『私』は叫びました。


 まるで悲劇を歌う歌手のように、感情の篭った声でした。


「忘れたくない思い出も、背負わなければならない過去も全て……たったひとつの魔法で、消す事が出来てしまうのです……」


 消え入りそうな想いを乗せた『私』の言葉が、私の心を満たして支配しました。


「さよなら、もう一人の私」


 言いながら『私』は、私の額に小さな指をくっつけます。


「……次に貴女が銭湯に来る時は、こんな悲しい結末にならない事を祈っています」


 どうして『私』は、これほどまでに銭湯を神格扱いしているのでしょうか。


 そんな疑問を最期に、私の意識は突然、黒に塗りつぶされました。

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