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トンこま!  作者: 根谷司
2/16

早速ですが私の心は捻じ曲がりました

 高校に進学に伴い、私は一人暮らしを始めることになりました。


 実家と学校は隣接した県にあるため通う事も出来るのですが、現実問題、社会に出る時に備え、一人暮らしというものに慣れておかなければなりません。


 荷物は既に引越しの会社に頼んであるため、これから私が過ごす新居へと先に到着していることでしょう。私はそんな荷物達を追うような心持ちで、電車を降りました。田畑の香りが当たり前で改札も無人だった実家とは違い、リノリウムの足元と溢れかえった人の流れがそこにはありました。私は揉みくちゃにされながらも雑踏には流されまいと抗い、最低限の手荷物を詰め込んだリュックサックを守るために肩を抱きながら、なんとかそこに留まります。


 人だかりを避ける最善の方法は、人だかりの最後尾に立つ事です。しかし、いつまで堪えても最後尾が来ません。私が乗っていた電車も去っていく頃合だというのに、一向に人が減らないのです。


 何事でしょう、と思い後ろを確認すると、とんでもない事に気付きました。なんとこのホーム、二車線あるのです。ホームを挟んで登り電車と下り電車が交互に流れるようになっているようで、今は調度、その二つが同時に来てしまったようでした。


 さらに掲示板を見つけたので見てみると、ホームは全部で六つあるそうです。私の住んでいた地域では、始発駅でもそんなに無かったというのに。


 信じられません。これが都会というものですか。こんなにも違うのなら事前に確認しておくべきでした。実は受験の時も高校が別口で用意した試験会場に行ってしまったものですから、このような場所に足を運ぶのは初めてなのです。今更になって緊張してきました。


 人の流れに逆らうのは止そう。そう判断して人の流れに乗り、そのまま改札に向かおうとしたのですが、どうしたことでしょう、さながら山頂に流れる小川のように、人の流れが分離していくではありませんか。


「え、え? あれ……?」


 皆さん電車から降りたばかりなのですから、当然この後は改札から駅を出るものだと思っていました。しかし、二つ三つ四つと別れていく人の流れはどれも同じに見えて、私は混乱しました。どれに着いていけば駅から出られるのでしょう。


「あの、えっと、すみません。あの……」


 道行く人に尋ねようと、しきりに声をかけます。声が小さかったせいか最初の二人には無視されてしまったのですが、三人目の男性が歩みを止めてくれました。無精ひげを生やした、壮年の男性です。


「ん、どうかしたのかな、お嬢さん」


 優しい微笑みと共に向けられる優しい眼差し。それこそ自分の孫でも愛でるかのような、そんな慈愛に満ちているように思えました。


「改札口は、どこに向かえば良いのですか?」


「南口かい? 北口かい?」


「えっと、南口です」


 確か、これから住む事になる場所への道を示した地図にそう書いてありました。


「なら調度良い。僕も南口に向かうところだから、ついておいで」


「ありがとうございます」


 なんと優しい方なのでしょう。道案内までしてくださるなんて、感激です。私はその男性に着いて行き、そしてすぐに改札へたどり着きました。改札は五つあるようですがそれでも間に合っていないらしく、どれも列が出来ていました。


「ところで、親御さんは居ないのかな?」


 おじさんに聞かれ、ふと戸惑います。やはりこれほどの場所に高校生が単身で挑むのは、無茶だったのかもしれません。


「はい。これからこっちで暮らすことになったのですが……」


 この場所に至る経緯を説明しようとしたところで、改札のほうから警告音のようなものが響き渡りました。あと二人が通れば私も通れる、というところまで来て、なんらかの不具合が生じたのでしょう、私が居る列は立ち往生します。


「おっと、やってしまったかな」


 おじさんは顎をしゃくってみせ、すぐに踵を返し、


「お嬢さんもこっち来るといいよ」


 と、窓口のほうへ向かって行きました。機械が不調だから人の手で通ろう、と考えたようです。流石は都会人。対応が迅速です。


 おじさんに続いて窓口へ向かい、おじさんと同じように、窓口の中に居る青年男性へと切符を渡すとしかし、何故か私は呼び止められてしまいました。


「君、ちょっといいかな」


「え、えっと、なんですか?」


 立ち止まって振り向くと、駅員の男性は困ったような苦笑いを浮かべて言いました。


「間違えて買っちゃったのかな? これ、大人の切符なんだ」


 私には彼が何を言いたいのか解りませんでした。


「子供は切符が半分の値段になるんだよ。今お金返すから、次からは気をつけてね」


 どうやら私は、駅員さんに勘違いをされているようです。


「いえ、私はれっきとした高校生ですよ?」


「わかるわかる。ちょっと背伸びしたいお年頃なんだよね。でも、ご両親のお金で買った切符でしょ? 大事に使わないとね」


 駅員さんの優しい気遣いが、私の心をえぐります。


「確かにそれは親のお金で買いましたが、私は本当に高校生なんです。この春から私立小海坂高等学校に通う、立派な大人です」


 高校生を大人と呼ぶかはさておき、少なくとも電車賃においては大人扱いされるでしょう。ならばここは、私は大人だと言い切ったほうが良いと思いました。


 しかし駅員さんは余計に表情を綻ばせながら言います。


「おお、よく噛まないで言えたね。もしかして漢字が得意なのかな? 漢字が得意なのは偉いけど、お金の無駄遣いは関心しないなー」


 あまりにも理解が無いため、私はついに証拠を見せることにしました。小海坂高校の入学証明書を突きつけると、駅員さんの表情は一変、どんどん青ざめていきます。


「……嘘、でしょ……?」


 まるで都市伝説にでも出くわしたかのような反応でした。そんなに信じられませんか、そうですか。


「解っていただけましたか? 私は正真正銘、高校生になるのです」


「ご、ごめ……失礼しました……?」


 未だ半信半疑ながらも、駅員さんはようやく私を解放してくれました。


 前へと歩き出したすぐのところに、先程のおじさんが待っていてくれました。


「どうしたんだい?」


 聞かれた私は、先程使った入学証明書を見ながら、おじさんに聞きます。


「私は、そんなに幼く見えますか?」


 入学証明書には『稔小町みのりこまち』という私の名前と、十五歳という年齢と、そして顔写真が貼られています。これが証明している通り、私は高校生以外の何者でもありません。


「なにを言ってるんだい、お嬢さん」


 おじさんは豪快に笑いました。


「一人でこんなところに来れるような偉い子が、幼く見えるわけが無いだろう? 君は立派な大人だよ」


 子をあやすような落ち着く言い方でした。こんなに優しいおじさんが言ってくれるのですから、きっとそうなのでしょう。私はそこまで幼くない。小学生なんかに見えるのはおかしい。さっきの駅員さんがおかしかったのです。さっきのことは忘れましょう。


 リュックサックを片方の肩だけ外して、入学証明書を中に仕舞います。ちなみにこのピンク色のリュックサックは実家のお父さんが「もう高校生になるんだから、自分に合ったお洒落をしないと駄目だぞ」と言って買ってくれたものです。ピンク色に白いレースが着いたデザインはとてもお洒落で、私もこれを気に入っています。


「可愛いリュックサックだね」


 私が大事そうに愛でたからでしょうか、おじさんもそう言ってくれました。私は嬉しくなってつい破顔(はがん)し、頭を掻きます。すぐにお礼を言っていない事を思い出して口を開こうとしたら、おじさんに先を越されました。


「お嬢さんはこれからどこに向かうんだい? おじさんはあまり時間が無いのだけれど、バス停までなら案内するよ?」


「いえ、大丈夫です。土地勘を得るためにもここからは歩いて行くつもりですし、これ以上の迷惑はかけられません」


 リュックサックを褒めてくれた事に対するお礼を言うタイミングは、完全に失われてしまいました。ああ、私の馬鹿。


「解った。本当に偉いね。じゃあ、頑張ってね」


「はい。ありがとうございます」


 去っていくおじさんの背中に一礼してから、ホットパンツのポケットに入れていた地図を取り出します。私の家は、駅から徒歩十五分程のところにあります。電車の中では身動きひとつ取れなかったので、調度良いお散歩です。


 背の高いビル達を眺めながら都会の街を進みます。流石は都会とでも言うべきでしょうか、お洒落な外装のお店は勿論のことながら、ビジネスビルさえも綺麗でした。感動します。


 ふと、通り過ぎる人達がちらちらと私を見ている事に気付きました。もしかして、田舎者の空気が私から零れているのでは? という不安に駆られ、鏡のように磨かれた喫茶店の窓を見ました。


 身長は百四十センチと少し低めですが、髪の毛は真っ直ぐ伸ばして大人っぽくしています。お手入れにも気を遣った腰まであるこの黒髪を見て、田舎者だ、もしくは、小学生だ、と思う方は居ないでしょう。


 服装だって気をつけています。最近では春先であろうと露出度高めなのが大人の嗜みであると雑誌から教わったため、少し恥ずかしいですが、下はデニムの短パンにしています。上はラフな雰囲気を出すためにシンプルなTシャツをチョイスしているのですが、カジュアル過ぎるのは私の外観にそぐわない事を自覚しているため、淡い水色のフリースで中和しています。


 ……田舎者には、きっと見えないはずです。


 見られているのは気のせいなのです。今まででは考えられない程の人だかりに居るせいで、神経が過敏になっているのかもしれません。だとしたら、こういうキョロキョロとした態度こそが田舎者の証になります。気をつけなければなりません。


 背筋をピンと伸ばして、意識を高めつつ歩くこと十分。景色は人の溢れる都会から、閑静な住宅街へと姿を変えていました。アパートや古い雑居ビル。肩幅をすぼめているように建った一軒家。こういう景色なら、地元に無かったわけではありません。夕日が差し込み空気も柔らかくなったということもあってか、少しだけ気が楽になりました。


 ふと、どこからともなく鳩の鳴き声が聞えてきました。それも、ひとつやふたつではありません。十羽。二十羽分の鳩の鳴き声です。


 どこかに群れが居るのでしょうか、と思い辺りを見回すものの、それらしい姿は見当たりませんでした。


 動物は良いものです。心を癒してくれます。


 人ごみに飲まれて疲れていた私は、その癒しがどうしても欲しくなり、鳩を探しました。


 鳴き声がするほうへ。より多いほうへ。まさしくそれに誘われるようにして、住宅街を進みます。


 そして私は、人の形をした鳩の群れと出会いました。


 わけが解りませんね。はい、私もわけがわかりません。中に人が居るのでしょう。その人に大量の鳩が集っているのだと思います。


 しかしそれにしたって多すぎやしないでしょうか。中に人が居るとしても、人の姿が見えないほどの鳩、鳩、鳩。夕日を背景に、まるで切り取られた芸術画のように、摩訶不思議な状態で硬直する時間。


 あれはいったなんなのでしょう。とても気になります。しかし、近付いたら駄目な気がするのです。そういえば、ここに来る前に祖母から言われていました。変な人には近付くなと。


 鳩は可愛いのですが、如何せんあれは多すぎです。多分三十羽くらい居ます。三十六計逃げるに敷かずとの言葉があるように、ここは逃げるべきだと思い至った私は踵を返しました。


 すると、その足音が聞かれてしまったのでしょう、鳩人間は即座にこちらを向きました。多分、こちらを向いたのだと思います。顔が見えないので目がどっちにあるのか解らないのですが、おそらくこっちを見たのだと思います。


 自分の失態に気付き、足がすくんでしまいました。これでは動けません。


「……足りない」


 声がしました。鳩の中から、中途半端に高い女の子の声です。


「……足りない」


 鳩人間は呟きながら、一歩ずつ私に近付いてきます。私は後ずさって距離を取ろうとはするものの、その距離は開くどころか、少しずつ近づいていきました。


 逃げなければ。本能が叫ぶのに、体は言うことを聞きません。


 そして、鳩人間は歩を早め、飛ぶように駆け出しながら叫びます。


「――鳩が、足りないぃいいいいいいいい!」


「――いやぁあああああ!」


 どうしてですか!? なんであんなに叫んで走ってるのに鳩が逃げないのですか!?


 必死になればなんとやら、というやつで、ようやく走り出せた私は恐怖で滲んだ涙を精一杯堪えながら逃げます。当然ながら土地勘はありません。後で迷う事になるのは目に見えています。でも、今はとにかく、あの鳩人間から逃げ出す事が先決だと思いました。


「鳩……ハトを……小動物をもっと!」


 奇声を上げる鳩人間。あれはきっと、変人と呼ばれるものの類なのでしょう。なら関わってはいけない。なんとしてでも逃げないといけない。


「小動物ぅううううう!」


「とかって叫びながら私を追って来ないで下さい!」


 私は小動物ではありません、立派な高校生です!


 助けを求めなければ。そう思って辺りを見回しても、先刻までの人通りが嘘だったかのように人影はありません。


「鳩、ハト、ハトオオオオオオオオぎゃあ!」


 突如色を変えた奇声。何事かと思い振り返ると――鳩人間が消えていました。


「……え?」


 立ち止まってはみるものの、鳩人間はおろか集っていた鳩さえも一羽も居ないという状況。柔らかかったはずの夕日が途端に、恐怖を煽る演出のように思えてきました。


 数分立ち尽くしましたが、結局状況は変わりませんでした。少なくとも田舎ではこんな事一度もなかったので、こういう時どうすれば良いのかなど知りません。


 よって私は、勝手に定理を作りました。


「……都会の変態って、消えるんだ……」


 きっとそうです。そうに違いありません。


 そうと解ればもう怖くないです。私は地図を確認して、自分がしっかり迷子になっている事に気付きながらも、自分の新居を探しました。

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