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白雪姫と7人の王子様+αⅡ  作者: 夜月猫人
第一章・サン=フレイアの策動 前編
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第四話 始動(4)


 イアルンヴィズの森は、最小国家イザヴェルをすっぽり収めて、まだ余りある程の、広大な面積を持つ大森林地帯だ。

 

 同じ森の中でもいくつかの気候が混在し、多種多様な植物が群生している。

 エリアによって全く違う顔を見せるのが、この森の特徴だ。


 とはいえ、馬を駆らない限り、日常的に森の家の住人たちが赴く場所は、おのずと決まってくる。

 それは、少し足を延ばした先の、滝のある湖であったり、森の外まで続く川の上流であったり、この辺りでは珍しい種類の巨木が枝を広げる広場であったり、様々だ。


 そして人によっては、よく行く場所、というものがあるらしい。


 天に向かって真っ直ぐに伸びる、背の高い樹木が林立するその場所で、ジークは唐突に足を止めた。


 目の前の木を見上げる。

 そこには太い枝に腰をかけ、幹に背をもたれさせた弟の姿があった。


 片膝を立て、薄曇りの空を見上げるその姿は、気まぐれな猫のようだ。


 城でも、彼はよくこんな風に、仕事を両手に追いかけ回してくる部下の目をくらまし、窓際に腰掛けて外の景色を眺めていた。


 その姿を、憂いがある、色気があるなどと宮廷の高貴な女性たちは騒いでいたが、怠惰をよしとしない軍部の将校からは、すこぶる評判が悪かった。


 枝上の人物は景色を眺めたまま、ジークの登場を予期していたように口を開いた。


「……キミも、『やっぱりここにいたのか』くらい言えばいいのに」

「必要がない」

「……ま、そうだけどネ」


 ようやく視線が降りてくる。目が合い、ジークは口を開いた。


「いつまで続けるつもりだ」

「この何の不満もない生活を? それとも、この茶番を?」

「…………」


 茶化すような質問に、ジークは沈黙で応えた。すると、ユーリが話題を変えた。


「それにしても彼女、我慢強いよねェ。普通、そろそろ『お前はドコの誰だ』って聞きたくなると思わない?」


 この家に一番新しく来た少女に、2人が直接素性を明かしたことはない。


「別に言ったところで、ヴァンみたいに殺しにかかってくることはないでしょ」


 当時の出会いを思い出したのか、眼を細め、ユーリが喉で小さく笑う。


「ま、ちょっと微妙な立場だけど」

「……薄々気付いているだろう。自分から問い質し、予想通りの答えが返ってきたところで、反応に困るから聞かないだけだ」

「ナルホド。確かにそういうトコあるねェ、彼女。先回りしちゃうっていうか。そういうの、損だと思うケド」

「……知らなくて済むことならば、それに越したことはない。俺たちが消えればいいだけだ」

「正気?」


 そこで初めて、ユーリが背をもたれていた幹から身を起こし、ジークを見下ろした。


「…………」


 目が合い、鏡を見るような見つめ合いの後、彼は肩の力を抜いて、再び幹に身体を預けた。


「まぁ、キミからすればそろそろ、ってところなんだろうねェ」

「利害に相違があるのならば、無理に行動を共にする必要はない。初めからそういう契約だったはずだ」

「契約ねェ……」


 ユーリが皮肉めいた口調で呟く。だが、否定することはしない。

 事実、国を追われた2人がここまで行動を共にしているのは、成り行きと、一種の利害の一致だった。


「キミの願いを叶えてやる義理もないけど、積極的にここに留まる理由もないかな」


 そう言って、ユーリが体重を感じさせない軽さで、器用に木から飛び降りた。


「居心地は悪くないけど……冬眠好きのモグラには、ちょっとばかりここは眩しすぎる」


 隣に立ち、眩しげに見上げた方向をジークが目で追うと、薄曇りの雲が割れ、幾筋もの光の帯を差しながら、太陽が輝いていた。


 春の日差しを受け、イアルンヴィズの森の緑が、嬉しげに天に腕を伸ばす。

 優しく頬を撫でるような風が吹き、その風に乗って、柔らかな声が2人の名を呼んだ。


「ジーク、ユーリ?」


 声に引っ張られるようにして、黒髪の少女が木々の合間から姿を見せる。


「やっぱりここにいたのね。カミュが、もうすぐ夕食の準備が出来るから、日が暮れる前に帰ってこいって」

「オヤ、もうそんな時間か。まだこんなに明るいのに」


 ユーリが、城にいた頃には見せなかった従順さで、家に足を向けた。

 その様子から、もうすっかり慣れたこの日常を、彼が心地よく受け入れていることが分かる。


「ほんとね。やっぱり聖日祭が終わってから、急に日が長くなったみたい。リッドが、遊べる時間が増えるって喜んでたわ」

「完全にお子サマの感想だねェ」


 並び歩く2人の後ろを、ジークは一歩遅れて追随した。


「あの子ね、なんとか一命は取り留めたみたい」


 隣のユーリを見上げながら、フィオナが仔鹿の容態を嬉しそうに報告する。


「これからどうするんだろうねェ」

「え……?」

「飼うの? この家で」

「それは……せめて治るまでは」


 ユーリの突き放した言い方に、フィオナが自信なさげに答える。


「……一度人の手に慣れた動物を、野生に返すのは容易ではない」

「ジーク……」


 呟くような忠告を背中に受け、振り返った少女が、複雑な表情で押し黙る。


 今の住人たちが、ずっとこの森にいるとは限らない――そう暗にほのめかす兄弟に、彼女がどんな感情を抱いたかは定かではない。


 思案に暮れているらしい少女の沈黙を見守り、2人も口を閉ざして『森の家』へと帰った。



「オレが育てる」


 3人が家に戻ると、リビングの片隅、空いたスペースに仔鹿用の簡易の寝床が設えてあった。


 その中央に丸まっている茶色い生き物は、今は眠っているらしい。小さな顔を隠すように、前足の間に挟み、規則正しい寝息を立てていた。短い明栗毛の胴と細い足には、真新しい包帯が巻かれている。


 この突然の客の処遇について、誰ともなしに水を向けると、リッドが一番に口を開いた。誰に取られるわけでもないのに、我先にと飛び出すような口調だった。


「いいんじゃない」


 すぐにそう言ったのは、ウィルだ。皆の視線が集まり、車椅子の青年は、それを一つずつ受け止めるようにして首を巡らせる。


「どっちにしろ、この状態では森に戻せないし、少なくとも怪我が癒えるまではここで面倒をみる事になる。この子の命を助けたのはリッドだ。この子が元気になった時にどうするかは、リッドの判断に任せてやればいい」


 誰も異論を唱える必要のない意見は、ダイニングに妙な静けさを呼んだ。


 そのうちの何人かは、ちょっとした懸念や疑問を胸に抱きながらも、彼の寛大で公平な決断に、わざわざ口を尖らせて異議を申し立てることはなかった。


 そこには、この男が言うならば、それが最善の選択なのだろう。という、ある意味では無根拠な選択基準があることは否定できない。


 彼――ウィリアム=コンスタンティン=バルドル=アイザック=サン=フレイアは、つまりはそんな男だった。


 天上の島サン=フレイア王国の正統なる後継者。7つの海を支配する史上最強の海軍を擁し、あるいは大陸をも手中にできると噂される西の眠れる獅子を、その一声で目覚めさせられる男は、誰よりも広い視野と思慮深さを持つ、明晰で高潔な人物だ。


 ――だが人はそれを、彼の儚げで物静かな容貌から、『優しい』と表現する。




※※※ 




 エルドラド王国との国境沿いの町、トロイ。


 アースガルダ大陸中央部を東西に貫く街道が通るその町は、1年中、国境を行き交う旅人や行商人で賑わっている。


 王都ほどの規模や華やかさはないが、交通の要所として栄える、アルファザード王国を代表する商業都市の一つだ。


 ヒトもモノも情報も、全てはこの街を通り過ぎ、拡散していく。


「いやに物々しいな……」


 トロイの市門をくぐり、馬上から町並みを見下ろしたヴァンは、一目見てそう感想を抱いた。


 大通りをメインに、見回りと思しき王立騎士団の赤い制服がちらほらと見える。


 王城や主要施設を中心に、王都ファザーンの守りに専任している王国近衛隊とは違い、王立騎士団の管轄はアルファザード王国全域だ。


 エルドラドを窓口として、東大陸諸国家と繋がる数少ない交易都市であるトロイは、当然、優先的に中央の管理下に置かれているため、駐在兵の数が多いこと自体に不思議はない。


 ヴァンが物々しいと評したのは、彼らの間を通り過ぎていく、道行く人々の表情や雰囲気だ。


 緊張感がある、と言った方が正しいかもしれない。


 これまで何度かこの町に立ち寄った時に感じた、商業都市らしい解放感と活力が、今は少しばかり影を潜めていた。


 何か、そこはかとない怯えや不安がわだかまったような空気を肌で感じながら、ヴァンは道を折れ、裏通りにクンツァイトを留めた。

 馬止めに預け、ひとりトロイの町を歩く。


 空はまだ明るかったが、薄紫色と黄色、赤のグラデーションが薄く引き延ばされたように広がり、徐々に夕暮れ時の気配を呼び込んでいた。


 人が集う場所には、当然、その欲求に応えるための娯楽も集う。 


 その裏通りには、酒場や、賭場、娼館――そういったものが軒を連ねていた。


 1人でそんな場所を歩いていると、客引きの女たちにいくらでも声を掛けられるが、その全てを素通りして、記憶にある店へと向かう。


 通り過ぎる飲み屋の店先から、仕事を終えた男たちが酒を酌み交わす賑やかな声が、裏通りまで響いてくる。


 このような場所は彼が好むところではないが、やはり、情報が出入りする場としては無視できない。

 ヴァンは一軒のバーの入口をくぐった。


「あら、ヴァン、お久しぶり」


 店に入るとすぐに、酔客の相手をしていた女が1人、顔を上げて声をかけてきた。

 この店には、数度しか来たことがないはずだが、1度見た客の顔は全て覚えているのだろう。


 店内には、テーブル席が5つと、L字型のカウンター席。小さな飲食店が所狭しと立ち並ぶこの界隈では、比較的広い方だ。


 カウンターの中に立つ初老のバーテンは、この店のオーナーだ。その他の店に出ている従業員は、全て女性だった。


 胸ぐりのあいた衣装に身を包んだ華やかな女性が数人、テーブルからテーブルへと蝶のように渡っている。


 カウンターの一番奥の席が空いていることを確認し、ヴァンは案内も待たずに足を進めた。


 すれ違いざま絡みついてくる見知らぬ女の腕をいなし、席に座る。少しうらみがましい視線を向けられるが、ヴァンは特に感じ入ることもなく、バーテンに酒を1杯頼んだ。


「いらっしゃい……おや」


 グラスを磨いていたバーテンが顔を上げ、ヴァンを見て白髪の混じった眉毛を持ち上げる。


「随分と久しぶりじゃないか、兄さん」

「少し家を離れられなくてな」

「おや、兄さんは家庭持ちだったかい? さては、浮気がばれてコレに怒られたんだろう」

「…………」


 左手の小指を立てて、耳の上で角を作る。冗談のつもりだったのだろうが、冗談の通じない客の眉間の皺が深まり、男は肩をすくめて話を変えた。


 口髭をそろえた恰幅のいい初老のバーテンは、先程の女に目をやりながら、ヴァンに耳打ちした。


「どうだ? このあたりで一番って評判の美女だ。別嬪だろ」

「そうか?」


 淡白なヴァンの反応に、店主は大げさに嘆いて見せた。


「兄さん、いくら格好良いからって、理想が高すぎじゃないのかい」

「別に、興味がないだけだ」

「どんな美女に誘われても食指を動かそうとしないしさ。隣に女を座らせもしない。いったい何のためにここに来ているんだい?」

「酒を飲むためだろう」


 その面白みのない回答に、オーナーは口のへの字に曲げて、肩をすくめた。そこで新しい客がカウンターに座ったため、そちらに接客に向かう。繁盛しているらしい。


 酒を飲むだけなら、もっと安い店も、落ち着いた店もある。だがここは、それなりに話術の立つ綺麗どころをはべらせ、男が酒を酌み交わす場所だ。


 そんな店をヴァンがわざわざ選んでいるのは、こういったところに来るのは、町でも中ランク以上の富裕層が多いからだ。女がいる分、知識をひけらかそうとした男たちが、弁舌軽やかに、それなりに実のある情報を垂れ流すことがある。


 ヴァンは情報収集のための場をいくつか持っているが、エルドラドとの国境になるこの街は少しばかり遠いため、頻繁に訪れることはない。


 今回、わざわざここまで足を運んだのは、気になることがあったからだ。


「どうぞ」


 差し出されたグラスを取り顔を上げると、淡く微笑んだ藍色の瞳と目が合った。20歳にも届かぬほどの、年若い青年だった。


 明るい栗色の髪は、覚束ないキャンドルライトより、陽光の下の方が色鮮やかに映るのだろう。艶やかな夜の蝶が舞うこの街角には、随分と場違いな印象を受けた。


「おーい、ちょっと」

「はい、ただいま」


 奥の席の客に呼ばれ、歳に似合わぬ上品な物腰で、青年が去っていく。

 なんとはなしに目で追うと、やはり場違い、という印象は余計に強まった。


 こんな下町の飲み屋で働いている男にしては、彼の所作事は洗練されていて、身のこなしは、然るべき場所で指導を受けた者のそれに近い。


「マスター、新入りか?」


 声をかけると、店主が視線の先の青年を見て頷いた。


「ああ、大した別嬪だろう? 男だけどな」


 この店に、男の接客係は彼一人だった。


「ここ2週間くらいかねぇ。朝っぱらに急にうちの裏口を叩いて、死にそうな顔で雇ってくれって縋ってきたんだよ」


 酔客に控えめな微笑を見せる若い横顔は、少し中性的で、どこか影があった。


「うちは基本男は雑用と力仕事でしか使ってないんで、人は足りてたんだが……まぁ仕方がねぇ、少し置いてやることにしてな。訳ありっぽかったんで深くは聞いてないが、まじめで、どこで覚えたのかえらく礼儀正しいし、力仕事も頼める。おまけにあの顔だから、試しに店に出してみたら意外に客の評判もいいし、ウチとしちゃあいい拾いもんだ。もしかしたら前も、こういう仕事で暮らしてたのかもしれねぇなぁ」

「そうか」


 短い相槌を打つ。

 だがそれ以上、ヴァンがその青年に対して興味を抱くことはなかった。





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