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白雪姫と7人の王子様+αⅡ  作者: 夜月猫人
第一章・サン=フレイアの策動 前編
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第三話 始動(3)


 2階建てのその家は、開放的な造りのログハウスだった。


 玄関を入ってすぐにリビングとダイニングが続きになっており、その向こうには、カウンターを挟んでキッチンがある。

 2階の手前部分は吹き抜けになっていて、高い天井が見上げられる。左手の階段を上った先の、渡り廊下に並ぶ部屋が、それぞれ住人たちとフィオナの部屋だ。


 フィオナ以外は2人部屋、もしくは3人部屋で暮らしており、車椅子のウィルと弟のヴァンは、一階右手奥の部屋を使用していた。


 ヴァンの招集を受け、同居人たちがリビングに集まった時、その場に、最年少の少年の姿だけがなかった。


「リッドは?」

「軽く呼んでみたんだが、近くにはいなかった」

「どっかで鳥の巣でも見つけて遊んでんじゃねぇ?」


 ヴァンの問いに、ラウとカミュが答える。


「そうか……」

「ヴァン? 何かあったのかい?」


 声が沈んだヴァンに、目ざとく気付いた兄のウィルが眉をひそめた。


「今日、オルフェンで聞いた話なんだが」


 話を切り出したヴァンの声は、いつも通り落ち着いていたが、やはり普段とは違う種類の固さがあった。


「法王陛下が、聖日祭の式典をご欠席されたらしい」


 続く言葉は、その緊張感を部屋全体に伝搬するには、十分の衝撃を備えていた。


「体調が思わしくなく、止むにやまれぬ判断、とのことだ」

「法王陛下が……? そんな……」


 呟いたウィルの、それでなくとも白い貌が青ざめる。 


 法王──イザヴェル皇国の君主を兼務する、アース教の最高指導者が欠席したという式典が執り行われた祭日は、今日から8日前だ。


 イザヴェル皇国は、オルフェンのあるアルファザード王国から見て、広大なイアルンヴィズの森を挟んで真反対にある。


 情報も、物流も、深遠なる迷いの森に遮られるため、必然的に、それらは間に横たわるグレイス共和国、ヴァルク王国の国境を越えて、アルファザードに届く。


 しかも、国境付近の辺境の町ともなれば、1週間でイザヴェル皇国の情報が届いたのは、相当に早い方だった。


 それだけ、これはイザヴェル皇国以外の民にとっても、ショッキングなニュースであるということだ。


「えーっと……それって、どういうことだ?」


 アース教とは縁のないラウにはピンと来ないらしく、今一つ深刻さに欠ける様子で首をひねった。


 彼とカミュは、この大陸の人間ではない。もっと南の、異大陸からはるばる海を越えて、ここアースガルダ大陸に渡った異邦人だ。


「ここ数年、法王陛下が深刻な病を患われているという噂は、国内外に流れている。ただ、教皇庁は否定していたし、これまで公の場に出る聖務を、陛下がご欠席なされたことはない」

「それが、ここに来てご不調を明らかにされたというのは……それだけ、法王陛下のご容態が思わしくないということだろうね」


 ヴァンの説明に、ウィルが静かな声で補足する。


「聖日祭は、大陸国家にとって、1年で最も大切な行事の一つだ。特に、今年はエマーヌエル法王ご生誕500年の区切りの年。この晴れの日に、法王陛下がお顔をお見せにならないというのは……」

「床から起き上がれないほどの重篤なのか、と……市民は不安がるだろうネ」


 深刻そうな面持ちで語るウィルの台詞を、ユーリがどこか含みを持った言葉で継いだ。


「もしさ、その、イザヴェル皇国の王様に万が一のことがあったら、どうなるんだ?」


 話を聞いていたカミュが、興味本位に尋ねてくる。


 この大陸の事情に明るくない彼らからすれば、遠く離れた国の王が病床にあるかもしれない、という程度の認識だろう。


 だが、ことは一国の事情には収まらない。


 イアルンヴィズの森の南にあるイザヴェル皇国は、大陸でもっとも国土の小さい国だ。


 マーレ海に突き出すように伸びる半島の先には3つの岬があり、その形が王冠に似ていることから『聖者の王冠』とも呼ばれている。


 その歴史は古く、建国をアース歴25年に遡る。神聖ディーア帝国が大陸統一を成した際、唯一独立を認められた大陸国家であり、この統一帝国崩壊後に分裂を起こし、国の形を成した現在の他の大陸諸国家とは、成り立ちそのものが違う。


 さらに法王の系譜は、聖女エレアノーアから生まれた、神の子エマーヌエルから始まる。


 エマーヌエルは荒れ果てた世で数々の奇跡を起こし、迷える民衆を導いた。


 彼が説いた教えが今日のアース教の原典であり、彼を初代国王とする、聖地イリアを擁する国が現在のイザヴェルである。


「そりゃあ、新しい陛下が立つよ。ただ、今の法王陛下には、お世継ぎがいない……ことになっている」


 ユーリが答える。相変わらず言葉尻に含みがあるが、それが普段通りの彼の話し方だと言ってしまえばそれまでだ。


 今の法王陛下は、聖者コンスタンティンの直系だ。


 500年続くイザヴェル皇室の系譜の中で、120年前にコンスタンティン法王が起こした奇跡は、神の子の血統の証として、非常に重要な位置を占めている。


 法王の健康状態が思わしくないという噂がまことしやかに囁かれ出してから、もう数年が経つが、イザヴェル皇国を中心に、度々話題に上るのは、次の教皇――つまり法王陛下は誰になるのか、という点だった。


「なっている?」


 カミュは敏感にその言葉を拾い上げたらしい。ユーリがその視線を受け取って、薄い唇を開いた。


「現法王は種ナシじゃないかって言われてたんだけど、晩年になって隠し子が見つかった。まぁ、つい最近。ここ2年程のことだヨ」

「えっ……」


 絶句したのはフィオナだ。それは、初耳だった。


 一瞬、フィオナに集まった視線は、場の違和感に気付かなかったらしいラウの発言で霧散した。


「へぇ、それはいいことなんじゃないのか?」

「大混乱だよ」


 楽観的なラウの発言に、ウィルが苦笑する。


 宗教国家であるイザヴェル皇国は、アースガルダ大陸の精神世界を支配する、アース教の総本山だ。


 イザヴェル皇国の玉座は、アース教の始祖、神の子エマーヌエルの血統が連綿と受け継いでおり、彼らは戴冠と同時に、教皇庁の枢機卿団によって教皇選挙――コンクラーベで教皇位の選出を受け、これを継承する。


 すなわち、イザヴェルの王は、同時に、神の代弁者としてアース教の頂点に立つ存在なのだ。


 当然、その長い歴史の中で、幾度も皇室断絶の危機は訪れたが、その都度、かなりの時間をかけて議論が重ねられ、血統を遡り、遠縁を調べつくし、相応しい人物を探し出して、次の教皇に迎え入れてきた。


「今代の法王陛下も、いっこうに世継ぎに恵まれる兆しがないことを受けて、教皇庁は早い段階で準備を進めてきたはずだ。教会内での動きは極秘だが、おそらく、複数の候補が立てられている。教皇位の選出は、全枢機卿の賛同を得ることが条件だ。コンクラーベが始まる前に意見を一致させておかなければいけない。当時の段階で、どこまでその話し合いが進んでいたかは分からないが……突然現れた法王の実子に、混乱しないことはない」

「ふぅん……なんかきな臭ぇなぁ」


 ヴァンの説明に、カミュがおもしろくなさそうに鼻を鳴らす。


「でも、隠し子ってことは、どうせ母親は平民とかいうオチなんだろ? それは問題ないわけ?」

「アース教では、信仰の前には身分による貴賤はないとされているから、建前上は、法王の子である以上、母親の身分は関係ないよ」


 建前上、と付け加えつつ、カミュの疑問にウィルが答える。そこまで聞いて、カミュが納得したように結論を出した。


「なるほど、国のお偉方で、自分らに都合のいい王様を決めようとしていた矢先に、いきなり優先順位第1位、文句なしの隠し球が飛び出したってわけだ」

「随分乱暴な言い方だね」

「俺、そういうの大キラーイ」


 苦笑するウィルに、カミュが舌を出す。


「……この場合重要なのは、真相ではない。法王陛下が式典をご欠席されたと言う事実の方だ」


 脱線した話を、ジークが静かな声で元に戻した。ヴァンが頷く。


「オルフェンまで噂が流れているということは、各国は既に情報を得ているだろう」


 その言葉を最後に訪れた沈黙の意味は、正直なところ、フィオナには分からなかった。


 ラウもカミュも、深刻そうな雰囲気は察しているが、フィオナと同じような心境が表情に表れている。


「……動き出しているのか」

「……そりゃ、もうとっくにね……」


 ヴァンの呟きに答えたのは、ユーリだ。


「…………」


 その傍らで、ウィルが視線を落したまま、どこか遠くを見るような眼差しを床に投げかけている。


「何が……?」


 そこはかとない不安を覚え、フィオナは問いかけた。ユーリの視線が、こちらを向く。

 翡翠の瞳が、珍しく真剣な色で答えた。


「――時代が」

「……時の流れが」


 同時に、呟いたウィルの声が重なる。


 その時、乱暴に玄関のドアが叩かれた。


 その音に、フィオナは驚いて顔を上げるが、それ以上に、他の住人たちに動揺が走ったように見えた。


 ジークと視線を交わしたヴァンが大股に戸口に近づき、ドアを開ける。すると、長身の彼は見下ろすように視線を落とし――眉間の皺を深めた。


「リッド……」


 この場にいなかった唯一の住人の名を呟く声は、低い。心無しか、口もへの字に曲がっているように見える。


 カミュがすぐに戸口に駆け寄った。


「リッド! お前、朝からどこに……って、なんだそれ!?」


 入ってきた少年は、両腕で生き物を抱えていた。仔鹿だ。


「崖から落ちて、鳴いてた。親は近くにいなかった」

「崖って……おまえ、川の下流まで行ってたのか?」


 短い言葉で説明するリッドに、ラウが驚いたように聞き返す。徒歩で行くには、かなりの距離だ。


 服を泥と血で汚しながら、強張った顔で立ちつくす少年に、車椅子のウィルが素早く近づく。フィオナも、後を追うように仔鹿の傍に寄った。


「足の骨が折れているね。胴の切り傷も、深い……岩場で切ったのかな。かわいそうに」

「すぐに、手当てしてあげないと……!」


 診断するウィルの隣で焦るフィオナを落ち着けるように、車椅子の青年は力強く頷いた。


「出来るだけのことはしてみよう。やれるかい? リッド」


 仔鹿を抱える少年の肩に手を置き、顔を覗きこむ。


「君が助けるんだ」


 力強い言葉に押されるように、肩が揺れた。彼らしからぬ固い表情で、床を睨みつけていたリッドの黄金の眼に、強い光が蘇る。


「……うん!」

「じゃあまず、この子を俺の部屋に運んで。それから、井戸の水を汲んで来てもらえるかい? あと、清潔な布を」

「分かった!」


 バタバタと騒がしい足音を立てながら、リッドはテキパキと指示を出すウィルに従って走り出す。


 一旦、奥の部屋に姿を消した少年を見送るウィルの背後で、ユーリが小さく息をついた。


「今この森で、死にかけている動物なんて山ほどいますヨ……命数、ってヤツじゃないですか?」

「目の前で傷ついている命を助けたいって思うのも、自然な感情の流れだと思うけど?」

「……まァ、そうかもしれませんネ」

「ウィル! 布! 布どこにあんだ?!」


 ウィルに対し、ユーリが他人事のような相槌を打つと、慌ただしく奥の廊下からリッドが戻ってくる。


 再び少年が竜巻のようにリビングから姿を消すと、ようやく静かになった。


「仔鹿一匹助けてる場合なのかねぇ、あの子は」

「……?」


 どこか呆れたように呟くユーリを、フィオナは疑問符を浮かべて見上げた。


 その声を背中で聞きながら、ウィルが静かな笑みを湛える。


「手が届く場所にある命を慈しむ心がなければ、100年先の未来を憂う資格などないよ……本当はね」


 まるで現実はそうではないかのように付け足し、ウィルも仔鹿の待つ奥の部屋へと消えた。


「…………」


 そんな中、一人渋い顔で腕を組み、二人が消えた廊下を睨みつけていたヴァンが、唐突に口を開いた。


「少し、出てくる」

「また? さっき帰ってきたばっかじゃん」


 カミュの突っ込みには答えず、ヴァンはラウを振り返った。


「今日は遅くなるかもしれない」

「ああ、分かった。ウィルにはそう言っとくよ」


 ヴァンまでが出ていくと、リビングは妙な静けさに包まれた。


 患者を待つような気持ちで、フィオナは1人掛けのソファに座った。習うようにカミュとラウも、テーブルを挟んで向かいの長ソファに座る。ユーリとジークは、立ったままだ。 


「……あの子、大丈夫かしら」

「どうだろうな……見た感じ、かなり重症だったけど」


 フィオナの呟きに、カミュが赤毛を掻き上げて答える。


「助かって欲しいな……」

「ああ」


 両手を前に組み、祈る気持ちで呟いたフィオナの願いに、カミュが優しく微笑んだ。


「――魔法使いがいたら、一瞬で治してくれるんだけどねェ」

「……!」


 急にそんなことを言い出したユーリに、フィオナはハッと顔を上げた。


「魔法使い……?」


 聞き返したのはラウだ。


「東の魔法使い。知らない?」

「シュヴァルト帝国のバルドゥル王が寵愛してるっていう噂の?」

「そそ」


 フィオナが問い返すと、ユーリが軽い調子で頷いた。


 東の魔法使いの話は、確かに聞いたことがある。


 ……実は、敵対国であるアルファザードも、本物の魔法使いを抱えていることをフィオナは知っていたのだが――それは、この場では言わないことにした。


「その魔法使いは、大将軍の失われた右目を元に戻した。そんな奇跡を見せつけられては、さしもの牙狼王も魅了されぬわけにはいかない――不死身の将ほど、頼もしいものはないからネ」

「…………」

「それって……!」


 珍しく顔を曇らせて黙るラウの隣で、カミュがソファから身を乗り出した。


「そいつなら、もしかしたら、ウィルの足も治せるんじゃ……!」

「あっ……」


 その言葉に、フィオナは思わず立ち上がりかけた。慌てて座り直し、口元を押さえて気を落ち着かせる。


「治せるかもしれないネ。まァ、タダで直してくれるかは別として」


 カミュは、ますます身を乗り出した。猫目がちの紅い瞳が、希望に輝いている。


「なぁ、1回さ。シュヴァルトに行ってみたらいいんじゃねぇの?」

「そう簡単なものではない」


 その提案を一蹴したのはジークだ。


 大陸の東半分を支配するシュヴァルト帝国は、遥か遠い。また、情勢的にも西大陸側との緊張感が高まっている中では、外国人が観光気分で行ける場所ではないはずだ。


 彼らの会話が、右から左へと通り過ぎていく。それよりもフィオナは、見つけた可能性について考えることで、頭がいっぱいだった。


 この森に棲む、不思議な青年の顔を思い出す。


 そうと決まれば、明日にでも行動を起こそうと――フィオナの気は逸っていた。




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