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五話

 秋葉は腕を縛られ、学校の体育倉庫へと押し込まれていた。眼を覚ました秋葉は周囲のモノからここが体育倉庫である事に気付いた。

 足は縛られてはいなかったので、なんとか立ち上がる事は出来た。が、戸は鍵が掛けられているのか、固く閉ざされており開くことは無い。なんとか外に出ようと思って辺りを見回すが、あるのは微かな光が差し込む小窓のみ。月明りが差し込み、埃臭い倉庫を照らしている。すでに、外は夜になっているようだ。

 秋葉は、マットの上に体を預け寝転んだ。固く、ひんやりとしたマットは寝るのには幾分適していなかった。それでも、秋葉はマットから体を起そうとはしない。

 日々の生活から来る疲労がここに来てピークに達したのかもしれない。瞼を自然と閉じてしまう。

 そして、意識は夢の中へと落ちていく。

 瞼の裏に映るのは小さかった時のことだ。

 まず、最初に浮かんだのは子供の時の記憶だった。

 幼少時代、秋葉は親の仕事の都合で引っ越す事が多く、なかなか友達が出来なかった。自身が人見知りなこともあり、自分から話しかけようとする勇気もなかった。

 放課後、苦手だった図工の課題がなかなか終わらずに一人学校に残っていた時だ。

 課題の内容は絵だった。友達と遊んだ時のことを絵に描くというもので、友達と遊んだ経験の少ない秋葉には凄く難解な内容だった。更に言えば、友達がいたのは何年も前の話であり、今の秋葉には友人と呼べるものは存在していなかった。

 想像で描いてみようとしたが、なかなか筆が進まない。悔しさからか、自然と目尻から涙が溢れ、画用紙に雫の跡が二点、三点と増えていく。

 心の叫びにも似た嗚咽が口から漏れた。

 その時だった。一人の少年が教室に掛け込んできたのは。

 少年には見覚えがあった。

 自分とは違い、いつもクラスの中心人物で、男女共に人気の高い人物だ。

 誰にでも優しく、彼のことを嫌いな者はいない。暖かな雰囲気を少年は持っていた。

 秋葉は慌てて眼に浮かぶ涙を拭うが、一度溢れだした激流はそう簡単には止まらない。

 少年が秋葉に気付いて「どうして泣いてるの?」と言って駆け寄ってきた。

 秋葉は「なんでもない」と言って慌てる少年を制すが、涙は一向に止まる気配を見せない。

 すると少年が、秋葉の画用紙へと視線を向けていた。何かに気付いた少年は秋葉に手を差し出した。

「遊ぼう!」

 一瞬、秋葉には何を言っているか分からなかった。何故少年は、自分に手を差し伸べてくれたのだろう……と。

 少年は、いつまでも差し伸べた手を取ろうとしない秋葉にじれったさと気恥ずかしさを感じたのか、少年は秋葉の手を強引に引っ張った。

 強引に立ち上げられ、その拍子に机の角がふくらはぎにぶつかり鈍痛を感じさせた。

 しかし、その痛みを感じる暇もなく少年は秋葉の手を引いて、教室の外へと飛び出した。

 少年が向かう先は玄関。パタパタと千鳥足で付いていく秋葉。

 玄関に着くと、少年は勢いよく自分の内履きを脱ぎ捨て、スニーカーを下駄箱から取り出し履き替えた。

 あっという間の出来事に、呆気にとられていた秋葉の思考は追い付かない。

「何してるの!? 早く!」

 そんな秋葉に少年の声が響く。

 思考を回復させた秋葉も慌てて靴を履き替え少年のもとへと駆け寄る。

 すると少年は、

「ん」

 左手を差し出してきた。

 秋葉は少年の手を、今度は自分からとった。

 しっかりと、強く。

 それは、秋葉にとって無意識に起こした行動だった。

 今度は自分から手を握った秋葉に、少年はにっこりと笑って走り出した。秋葉も繋いだ手に引っ張られながら必死に付いていく。

 二人が向かったのはグラウンドのブランコだった。

 青い塗装を施されたブランコは、ところどころ錆びて塗装が剥げてしまっている。

 少年はそのブランコに座り、助走をつけると高く伸びあがった。

 大きな振子は、徐々に振り幅を大きくし、秋葉の遥か高くへと位置していた。

 秋葉はその振子の軌道を、首を振って追いかけるしかなかった。

 それを見かねた少年が、振子をやめ静止する。

「どうしたの、遊ばないの?」

 声を向けられた秋葉は俯いてもじもじと指遊びをしている。

 少年の隣に開いている席がある。だが秋葉は自分からそれに座ろうとはしなかった。

 秋葉は、ブランコで遊んだことがなかったのだ。

 転校を繰り返した経緯から、たくさんの学校を見てきた秋葉だが、どの学校でもブランコは人気の遊具だった。

 まずブランコは上級生が支配し、下級生は遊ぶことが出来ない。

 ほとんどの下級生は、高く伸びあがる上級生を見て最初は羨望の眼差しを向けているが、やがて自分の番が来ないことを悟ると、近くの砂場や他の遊具の方へと遊びの趣を変える。

 そして秋葉は、それを教室の窓から独り見ているのだ。

 だから、秋葉はブランコで遊ぶのは初めてで、乗り方が解らないのだった。

 いつまでも、指遊びをして俯いている秋葉に少年は言った。

「俺が支えてあげるよ!」

 少年は、流石に慣れた手付きで秋葉の手をとりブランコへ座らせる。

 そして「しっかり摑まって」と秋葉の耳元に囁くと、ブランコの傾斜角度を徐々に上げていく。

「うわ、わわわ」

 足が徐々に爪先立ちになり、地面に着くか着かないかのところでストップがかかる。

 なんとか足を着けようと、限界まで爪先を伸ばす秋葉。その際に足が攣りそうになるが、何とか堪えた。

「よし、行くよ?」

 少年が、秋葉の合図を待つ。

「……うん」

 短く秋葉が頷く。

 それを合図に、少年が勢いよく秋葉の背中を押した。

「ひゃっ」

 秋葉が予想した速度の斜め上で押し出されたブランコが、勢いよく振り子運動を開始する。

 さっきまで支えてくれていた手が離され、思った以上のスピードで振り子運動するブランコに、秋葉はパニックに陥りそうになる。

「そのまま! 全身使って、上にいくように! 足を延ばして!」

 少年の叫ぶ声が背中側から聞こえる。

 少年の言葉を頭の中で反芻しながら無我夢中で足を伸ばす。

「上に! 上に!」

 秋葉が今まで出した事の無いくらいの声で叫ぶ。

 そして少年もその声に合わせるように、

「上に! 上に!」

 全身を使って足を延ばす。上に、上にと伸ばし続ける。

 空に着いてしまうかのように高く、高く足を上げる、そして――

「わぁ……」

 秋葉は、無我夢中で足を延ばしていたために瞑っていた目を見開いた。

 視界に広がるのは茜色に染まったグラウンド。

 真っ赤に輝く太陽が、目の前で燦々と輝いていた。

 秋葉は今までに見たことのない光景に思わず声を漏らした。

 振り子が揺れる。

 茜色のグラウンドが遠ざかっていく。

 もう一度、もっと高い位置からこの光景を見たい――

 足を先ほどよりも伸ばす秋葉。

 そして、

「あははは!」

 腹の底から笑っていた。

 こんなに大きな声が出るのかと自身驚きだった。

 本当に久しぶりの事だ。

 最後に笑ったのはいつだっただろうか。

 親の都合で転校を繰り返し、やっと仲良くなれた友人との別れ、それが何度も続き、やがて友達を作るのをやめた。

 家では、父と母が喧嘩を繰り返す日々が続く。

 母は父に付いていき、各地を転々とする生活に嫌気が差していたのだ。

 そこには秋葉のことなど欠片も無い。母はただ自身の為に、怒りを露わにしていたのだ。

 秋葉にとって家は帰る場所でも、安らぐ場所でもなくなっていた。

 やがて五回目の転校が決まった時だろうか、ついに母と父が離婚した。

 秋葉は父に引き取られた。

 母は、全ての事に疲れていた。

 後で聞いた話だが、母は、慣れない土地を転々とする生活で体を壊し、病気を患っていたらしい。

 母がいなくなったからといって、生活に変化はない。

 いつも、家に一人だ。

 そして、今日、学校に居残りで課題を片付ける事は、家に帰る時間が遅くなって逆に良いぐらいに思っていた。

 しかし、課題がいつまで経っても終わらない。

 何故よりによって友達と遊んだ時のことなのだろう。担任の嫌がらせなのではないかと思った。

 秋葉は、いつしか涙を溢していた。

 仲の良かった友達との別れの時も、母と父が離婚する時も泣かなかったのに、その時だけは泣いてしまっていた。

 秋葉も疲れていたのだ。

 日々に。

 しかし、今日久しぶりに思いっきり遊び、今までに見たことのない美しい光景を眼にして、いつの間にか涙ではなく、笑いが零れていた。

 先程までの暗い印象を与える少女はもういない。

 そこには夢中で遊ぶ、年相応な無邪気さを感じさせる少女がいた。

 少年は、その少女を見て同じように声を張り上げて笑った。

 笑い声を上げる二人の人影が、茜色に染まったグラウンドと一つになっていた。



 その後課題を言い渡した担任に見つかって、二人は一緒に怒られた。

 どうやら担任は、教室に残っているだろう秋葉の様子を見に来たところ、その姿は無いのにランドセルが残っていることから不審に思い、学校中を探し回っていたところ、二人の笑い声を聞き付け、飛ぶ鳥を落とす勢いで来たのだという。

 担任は課題の期限を明日まで伸ばすことを約束し、とりあえず今日はもう帰るように言った。

 翌日、朝一で教員室に入り、家でやった課題を無事に担任に提出して、秋葉は事なきを得た。

 しかし、楽しかったのは昨日で終わりだと思うと、寂しさが胸をチクリと刺した。

 昨日あの少年と少しの間でも遊ぶことが出来て、凄く楽しかった。

 久しぶりにあんなに大声で笑うことも出来た。

 ただ、今思い返すとあの少年が自分を誘ってくれたのは、課題がいつまでも終わらないで泣いている自分を見かねて、可愛そうに思ったからではないか? と秋葉は思っていた。今の自分はそういう訳でないことは分かっているが、当時の自分はそんなことを考えてしまっていた。

 彼はいつもクラスの中心にいて、周りにはたくさんの友達が彼を囲んでいる。

 きっと、彼は誰にでも好かれる優しい少年なのだろう。だから、自分の様ないつも一人で居る奴を放っておけないのだ。

 彼に関わってはいけない。もう彼と一緒に遊んだりしてはいけない。彼は自分とは正反対の人間なのだ。

 そんな彼が自分と関わることで今の友人関係に支障をきたしてしまったら、どうやって責任を償えばいい?

 彼はきっと、自分が困っていたら手を差し伸べてくれるだろう。

 仮に彼と友人関係になれたとして、それでどうする。いつ転校するかも分からないのに友人になんてなってしまったら、また悲しい思いをするだけじゃないか。

 そう決めたから、いつも一人で他人に壁を作って生活をしてきた。

 今までも、そしてこれからも。

「――!」

 すると、友人たちに囲まれていた少年と目が合った。

 しまったと思った。いつの間にか彼の方に視線を向けていたのだ。

 少年が秋葉を呼ぶ。

「おーい、秋葉ちゃんもこっちきなよ」

 少年が、自分の名前を呼んだ。

 昨日は、お互い名前では呼んでいなかったはずなのにどうして?

 秋葉は狼狽した。

 転校を繰り返し友達のいなかった秋葉は、久しく友人に名前を呼ばれることは無かった。名前を呼ばれる時は事務的な「凍山さん」がデフォルトだった。女子にすらそれなのに、ましてや男子に名前で呼ばれることがあろうとは。

「あ……えっと」

 何を言っていいか分からない。

 昨日自分に手を差し伸べてくれた彼に、名前を呼ばれて平静を保っていられるはずがない。

 彼の周りの友人達も、不思議そうな眼で秋葉を見てくる。

 こんな大勢の視線に慣れていない秋葉は、さらに動揺せざるを得ない。

 秋葉はついにその視線に耐えきれず、踵を返して教室を飛び出した

 後ろからは、もう一度名前を呼ぶあの少年の声が聞こえる。

 そして――

 ドン!

 秋葉は、何かにぶつかった。

 よろけそうになる体を、たった今ぶつかったはずの何かが支えてくれた。

 顔を上げると、そこにいたのは、眼鏡をかけた妙齢の女性担任だった。

「何してるの? 朝の会、始まるわよ?」

 担任は、秋葉の背中を押すと、教室の中に入るよう促した。

 担任が入ってくるのを確認すると、クラスの生徒達は、自分の席へと着いていく。

 秋葉も同様に、窓際の一番後ろの自分の席に座った。

 それを確認すると担任は、

「皆さんおはようございます」

 ぐるりと教室を見回して、挨拶を言った。

 それに続くように、クラスの生徒全員が挨拶を返す。

 秋葉も小さく「おはようございます」と呟く。

 担任はいつも通り朝の会を始める。出席を取り、連絡事項を確認する。

 そして、担任が笑顔を作ると突然、

「今日は、皆さんに見せたいものがあります」

 なに? と、生徒たちは期待の眼差しを担任へ向けている。

 秋葉も、担任の方へと視線をやる。

「昨日、皆さんの図工の課題を見せてもらいました。見ているだけでこっちも楽しくなってしまうような絵ばかりでした。でもその中から一枚、皆さんに見てもらいたい絵があります」

 生徒達は、息を呑む。自分の絵が紹介されるかもしれないという期待と、それに伴う馬鹿にされるかもしれないという不安。

 秋葉は、自分の絵ではないだろうと思っていた。一夜漬けで描いた上に、出したのは今日の朝だ。昨日出していれば違ったかもしれないが、忙しい朝には流し見程度で済まされているだろう。

 そんな秋葉の考えを余所に、担任は一枚の絵を出した。

 そこに描かれていたのは、ブランコで遊ぶ少年と少女。そして、茜色に染め上げられたグラウンドと、大きな夕日。

(私の絵だ……)

 秋葉は驚いた。自分の絵が紹介されている。

 でも一体どうして?

 驚いていたのは秋葉だけではない。教室の誰もが、その絵に見蕩れていた。

 凄い、綺麗と洩らす者までいる。

 やがて生徒たちは、きょろきょろと辺りを見回し、

「誰の絵?」「私じゃないよ」「おまえのだろ?」「ちがうよー」

などと、絵の主を探している。

 すると担任が口を開いた。

「皆さんの絵はどれも素晴らしいものでした。でも、朝この絵を見た瞬間、特にみんなにも見てもらいたいなって思ったの。ホントに素晴らしいわよ、秋葉さん」

 担任が秋葉の方を見て、にこりと微笑んだ。

 教室の生徒たちも秋葉の方へと一斉に視線を向けた。

 そして、端々から

「すごい!」「どうやったらあんな絵を描けるの?」「天才!」「画家になれるよー」

 一斉に感嘆の言葉が上がった。

 秋葉は、今の光景に眼を丸くした。

 こんなにもたくさんの人から褒められたことはなかった。

 みんなの羨望の眼差しに思わず俯きそうになるが、少年の視線を感じ、何とか堪える。

 そちらを見ると、にっこりと笑って少年が拍手をし始めた。

 少年が拍手をし始めると、周りのみんなも釣られる様に手の平を打ちつけていく。

 大喝采に包まれた。

 あの絵は、帰ってからすぐに描き上げたものだった。

 あの楽しかったことを忘れたくない。形として残したい。そう思って描き上げたのだ。

 そんな思いがあの絵を完成させた。

 少年が微笑むと、口パクで何かを伝えようとしている。

 ……大丈夫、君はもう一人じゃないよ。

 それは、秋葉が一番言って欲しかった言葉だった。

 転校を繰り返し、友達のいない秋葉はいつも一人だった。

 どうせ転校してしまうのだったら、どうせ、友達はいなくなってしまうのなら、傷付きたくないから。 そうやって自ら壁を作って生活してきた。

 家に帰っても、誰もいない。

 父は帰りが遅く、何時に帰ってくるのか分からない。

 母は自分を置いてどこかへ行ってしまった。

 家でも一人。

 学校でも一人。

 常に一人。

 それが当たり前だった。

 でも、それは違うのだ。

 彼は言った。もう一人じゃないと。

 周りを見る。

 みんなが自分を見ている。

 そこには、侮蔑の感情は一切見受けられない。

 それは一人の仲間の凄さを認める、友達を見る目だ。

(……ああ、私はもう一人じゃないんだ)

 秋葉の目にはいつしか大粒の涙が零れ落ちていた。

 しかし、彼女の作る表情はとびきりの笑顔だった。


      ●


 そして、秋葉は目を覚ました。

 どれくらいの時間が経っただろうか。両手を縛られている今、携帯を確認することも出来ない。

 目尻からは、涙の雫が零れている。

 昔のことを思い出して泣いてしまったようだ。

 久しぶりに良い夢を見ることが出来た、と秋葉は思った。

 小学4年生の五月。

 あの絵のおかげで、秋葉はクラスの一員になることが出来た。

 友人も出来、学校では一人でいることは無くなっていた。

 しかもそれだけではなかった。

 家に帰ると、いつもはいないはずの父が家にいたのだ。

 父は前々から転勤生活のことを気にしていたらしく、秋葉の為に意を決して退職したのだという。また、退職してから次の職を見つけるまでの間のことを考えて、貯金を貯めるために頑張っていたらしい。

 しかも、別れた母とは今でも連絡を取っていたらしく、仕事を辞めたという話をしたら今度家に戻ってくるのだとか。

 父は泣いて謝った。

 秋葉も本日二度目の涙を流していた。

 秋葉はその日のうちに、失ったものを取り戻したのだ。



 秋葉の転校の日々は終わった。

 暫くして母は家に戻り、父はすぐに新しい仕事に就いた。

 母は別に離婚したというわけではなく、体を治す為に療養をしていただけだったらしい。

 恥ずかしながら、秋葉は、そのことを離婚と勘違いしていただけだった。(実際喧嘩別れのような形だったのと、別居=離婚だと間違った知識で覚えていた)

 秋葉は、今の生活があるのはあの少年のおかげだと思っている。

 あの少年がいなければ、あの少年が手を差し伸べてくれなければ、自分の屈折した思いで自分を歪めたまま生活し、やがて潰れていただろうと思う。

 彼には、感謝してもしきれない。

 たとえそれが、少年の自分に対する憐みの気持ちでもいい。

 親とのことは、なるべくしてなったのだという事は分かっているが、どうしても少年のおかげに思えてならないのだ。

 彼への想いはいつしか、感謝の気持ちから恋愛感情へと発展していった。

 中学校へと進学し、彼への思いは日に日に強くなっていった。

 三年間同じクラスで過ごし、彼の知らない面も一つ一つ増えていった。

 その中で一番興味深かったのは、彼が小説を書く事を密かな趣味にしていることだった。

 偶然それを目にしてから、彼の小説の読者になった。

 彼の書く物語はどれも独創的で面白く、秋葉を楽しい気持ちにさせた。

 辛いことがあったとしても彼の物語を読めばそれもどこかへ吹き飛んだ。

 そのことを彼に話したら、彼は照れ臭そうに頭を掻きながら「ありがとう」と言ってくれた。

 その笑顔を見た瞬間、秋葉の想いが溢れ出した。

 ずっと彼の物語を読んでいたい。彼とずっと一緒にいたい。

 心のダムに溜まった、想いという名の水が限界を超えてしまったのだ。

 彼に思いをぶつけた。

 支離滅裂に、泣きながら、綺麗な言葉ではなく、それでも伝えた。

 そして彼は、優しく微笑んでその想いを受け入れてくれた。

 ただの友人から恋人へと、二人の仲は進展したのだ。

 そして同じ高校へ進学し――あのゲームに出会ってしまった。

 『裏生徒会』

 二人は、ゲームの虜になってしまった。

 今でも後悔している。あのゲームが無ければ、あのゲームに彼を誘わなければ……。

 自分のミスを悔やんでも悔やみきれない。

 なんでも願いを叶えてくれる。そんな甘美な響きに誘われて、面白半分に参加して、

 ――失ってしまった。

 秋葉は思い出した。

 自分がどうしてもう一度、このゲームに参加したのか。

 それは、とても醜く、とてもあざとい。

 自分の為でしかない行い。自己満足。

(でも、それでもいい)

 取り返したいものがある。

 その為には、このゲームにもう一度縋るしかない。

 今の自分の状況を見やる。

 手にはロープ。足は自由だ。

 彼をゲームに巻き込まないと決めたのに、もう一度巻き込んでしまった。

(なら、私に出来ることは一つ。彼を守ること)

 そのためならば、壁の一つや二つ、突破できないでどうする。奮い立たせろ、自分を。

 今どれくらいの時間が経ったか分からない。もう試合が始まっているかもしれない。

 それでも。

 自分に手を差し伸べてくれた彼を、自らの欲の為に失った彼を、自らの欲の為に取り返そう。

(真斗君を、守る――――)

 秋葉の目には先程のような諦めは感じられない。 

 今の秋葉には強い意志しか宿っていない。

 秋葉は助走をつけるために、扉から出来る限り離れる。

 そして、扉めがけて突っ込んだ。

 ドンッ!

 何度も、

 ドンッ!

 何度も、

 ドンッ!

 叩く、

 叩き続ける。

 いつか、ブランコに揺られ上へ上へと目指したように。

 何度も、何度も、

 叩く。

 そして、

 ドサッと、外で何かが倒れる様な音がした。

「!?」

 秋葉は、叩きつけようとする体を静止させ、外の様子に耳を澄ます。

 すると、

 ガチャリ

 鍵の開く音がした。

 そして、扉が開かれる。

「大丈夫か?」

 そこにいたのは、軽薄そうな見た目とは裏腹に、思いの外身体つきのしっかりした男。短めな黒髪が印象的な彼は、

「中村……君!?」

「須藤が待ってるぜ?」

 中村は、ニヤリと笑って言った。

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