先輩の告白を手伝ったら、自分が一番後悔した件
初投稿です!(^^)/
放課後の図書室。窓から差し込む夕日が埃っぽい空気を金色に染める中、俺——神崎蓮は、隣の席で本を読んでいた後輩の名前を呼んだ。
「羽山」
「……なんですか、先輩」
顔も上げずに答えたのは、羽山唯だった。
うちの高校の一年生で、俺の一個下。出会いは半年前、進路のことで頭がぐちゃぐちゃになって、図書室に逃げ込んだ俺に、羽山は初対面から躊躇なく言い放った。
「先輩って、迷子の犬みたいな顔してますね」
——最初の一言がそれだった。けれど、突き刺す言葉の後ろに、妙に落ち着いた温度が残った。
その慇懃無礼な態度がどこか心地よく、たまに話すようになって、今では週に三回は顔を合わせている。何かあるとここへ来て、羽山に話す。そういう関係だ。
放課後の図書室は人も少なく、時間がゆっくりと流れるように感じる。
「ちょっと、相談があって」
「ちょっと、じゃないでしょうどうせ」
ようやく本から目を上げた羽山は、眼鏡の奥の黒い瞳で俺をじっと見た。
夕日が斜めに差し込んで、眼鏡の縁に薄い光が走った。視線に合わせてロングの髪が肩から背中へすとんと落ちて、ページを押さえていた指先が動くたび、艶だけを残して静かに揺れる。
——容姿端麗って、たぶんこういうのを言う。そう思った瞬間に自分の負けを認めたみたいで、ちょっと癪だった。
整った顔立ち。ちょっと冷たそうな印象。でも口を開けば毒ばかり出てくる、不思議な後輩。
「で、今度は何ですか。また進路ですか。それとも友人関係のもつれ系ですか。先輩の悩みはいつもワンパターンで、せめて捻ってくれると私も飽きないんですが」
「恋愛相談」
「——は?」
羽山が、珍しく固まった。
本当に珍しかった。どんな話を持ち込んでも涼しい顔で受け流すこの後輩が、「は?」の一言だけで止まった。
俺はそれを横目で確認しながら、机の上で手を組んで続ける。
「三年の深瀬先輩のことが、好きなんだ」
しばらくの沈黙。
「……深瀬、陽菜先輩ですか」
「そう」
「文化祭実行委員の」
「そう」
「いつも笑ってて、誰にでも優しくて、学年問わず人気のある」
「そう」
「……つまり、先輩は絵に描いたような王道ヒロインに恋をしたと、そういうことですか」
「そういうこと」
羽山はため息をついた。それも、深くて長い、どこか重たいため息を。
「先輩って、ほんとうに」
「ほんとうに?」
「……いえ。何でもないです」
羽山は眼鏡を一度外して、レンズを拭いた。そうやって間を作るのが、羽山の癖だ。俺はもう知っている。考えたいとき、言葉を選びたいとき、羽山は必ずあれをする。
「それで、私に何を相談したいんですか」
「告白の仕方」
「はあ」
「どう思う?」
「どう思う、って聞かれましても」
羽山は再び眼鏡をかけ、今度はしっかりと俺の目を見た。
「——先輩は、本気なんですか」
「本気じゃなかったら相談しない」
「そうですね」
一瞬だけ、羽山の表情が揺れた気がした。でも次の瞬間にはもういつもの顔に戻っていて、少しだけ俺の方に体を向ける。
「わかりました。聞きましょう。どういう経緯で好きになったか、最初から全部話してください。感情論はいらないです、事実ベースで」
「……後輩に恋愛を事実ベースで話せって言われる日が来るとは思わなかった」
「先輩みたいな感情優先型の人間は、自分でも気づいてないポイントに本質が隠れてることが多いんです。だから聞く。私が整理してあげます」
「……なんか、ありがとう」
「感謝は結果が出てからどうぞ」
そうして、羽山は本を閉じた。
俺のために、栞を丁寧に挟みながら。
◆◆◆
——なんで私が、お礼を言われてるんだろう。
こんな相談、受けたくなかったのに。
先輩の話を聞きながら、私は心の底でひっそりとそれだけを思っていた。
深瀬陽菜先輩。知っている。もちろん知っている。
——先輩が最近よく視線を向けていた方向も。廊下で足を止める場所も。私はとっくに、気づいていた。
ただ、違う答えを期待していた。
馬鹿みたいだけれど。
◆◆◆
それから二週間、俺たちの図書室会議は続いた。
「深瀬先輩の趣味はガーデニングと映画鑑賞。苦手なものは虫と数学。好きな食べ物はショートケーキ。——先輩、よく調べましたね」
「羽山に言われたんだろ、リサーチしろって」
「言いました。でも三日でここまで揃えてくるとは思わなかったです」
羽山は丸い角の、やけに可愛いメモ帳に視線を落として、ペンを走らせる。
「告白の場所は、校内より校外の方がいいです。学校だと逃げ場がなくて相手が圧迫感を覚えやすい。先輩の誠実そうな見た目を活かすなら、公園か、カフェの落ち着いた時間帯」
「誠実そうな見た目って、お世辞?」
「お世辞は言いません。事実です」
そう断言されると、なんだか照れる。
「先輩は顔の作りが穏やかなので、告白という行為に向いています。——あとは言葉ですね」
「言葉」
「緊張すると人は頭が真っ白になります。だから言いたいことを一文に絞っておくべきです。先輩が深瀬先輩に一番伝えたいことは何ですか」
俺は少し考えた。
「……笑ってるのを見てると、こっちまで嬉しくなる。そういう人だって思って、もっとそばにいたいと思った」
羽山のペンが、止まった。
その沈黙が妙に長く感じて、俺は思わず言い足しそうになる。
「……変かな」
「変じゃないです」
羽山は視線を落としたまま、静かに言った。
「そのまま言えばいいです。飾らなくていいです。それで十分です」
「そんなもんかな」
「そんなもんです」
羽山はメモ帳を閉じて、窓の外を見た。夕日。オレンジ色の光が視界を染めていく。
「……応援してますよ、先輩」
ぽつりと、羽山が言った。
「ありがとう」
「勘違いしないでください。先輩にうまくいってほしいんじゃなくて、ぐずぐずしてる先輩を見てるのが面倒くさいだけです」
「毒舌だな」
「これが私の普通です」
それでも、羽山は窓の外を向いたまま振り返らなかった。
俺はその横顔を見ながら、なぜか胸の奥が少しだけざわついて、理由がわからないまま話を切り上げた。
◆◆◆
胸の奥で、何かが静かに落ちた音がした。
——あ。
私は知っている。今、先輩が言った気持ちを、私は知っている。
先輩が図書室の扉を開けるたびに、少しだけ背筋が伸びる。先輩が声をかけるたびに、本の続きを読む気がなくなる。先輩が笑うたびに、なぜか自分まで口元が緩みそうになって、それを悟られないように視線を落とす。
それは全部、今の言葉と同じだ。
「そのまま言えばいいです」って、私は言った。
——本当は。その言葉を、私が言う側だったかもしれないのに。
帰り道、誰もいない廊下で、私はこっそりと手の甲で口元を押さえた。
みっともない、と自分でも思った。
でも足は止まった。少しだけ。本当に少しだけ。
そうしてまた歩き出した。それだけの話だ。
◆◆◆
金曜日の放課後、近所の公園。
羽山に言われた通り、学校の外で、人の少ない時間。逃げ場があって、圧迫感がない場所。
その日の昼休み、俺は深瀬先輩にメッセージを送った。
――「今日、放課後に少しだけ時間もらえませんか。文化祭のことで聞きたいことがあって」
嘘じゃない。文化祭実行委員で一緒になったとき、俺は何度も深瀬先輩に助けられた。だから理由は作れた。作れたけど、送信ボタンを押す指はやけに重かった。
公園のベンチで待っている間も、心臓が落ち着く気配はない。
深瀬先輩は、約束の時間ぴったりに来た。
「神崎くん。ごめん、待った?」
「いえ、今来たところです」
本当は十五分前からいた。でも、それを言うと緊張がバレそうで言えなかった。
深瀬先輩はベンチに腰掛けると、俺の顔を覗き込むみたいに少しだけ首を傾げた。
「文化祭のこと、って……なに?」
俺は一度、息を吸った。
頭の中には、羽山と詰めたメモがぐるぐる回っている。
――場所。時間。言葉は一文。
「先輩、俺の話、ちゃんと最後まで聞いてください」
「うん」
返事が柔らかかった。
それが逆に怖い。優しさに甘えてしまいそうで。
「文化祭のとき、覚えてますか。準備が遅れてて、俺が焦って、ミスして……」
「ああ。机の配置、二回変えたやつ」
「そうです。あのとき先輩、怒らずに『大丈夫、やり直せるよ』って言ってくれた。俺、あれで……救われたんです」
俺は言いながら、今更みたいに気づく。
好きになった理由って、特別なイベントじゃない。
あの人が当たり前みたいに人に向ける優しさに、たまたま俺が助けられて、勝手に惹かれただけだ。
でも、それで十分だった。
俺は、羽山が選んでくれた一文を、ちゃんと口に出した。
「笑ってるあなたを見てると、こっちまで嬉しくなる。もっとそばにいたいと思って——好きです」
言い終えた瞬間、耳の奥が熱くなった。
深瀬先輩は少しだけ目を丸くして、言葉を探すみたいに瞬きをした。
沈黙。
その数秒が、やけに長い。
――やっぱり、無理だったか。
そう思いかけたところで、深瀬先輩がふっと息を吐いて、笑った。
「……嬉しい」
それから、俺の方を見て、まっすぐに言った。
「まさか告白されると思ってなかったけど、私も……神崎くんのことが気になってた」
「え」
「文化祭のときね。神崎くんって、焦ってても人のこと見てるんだなって思った。私が転びそうになったとき、さりげなく支えてくれたでしょ」
言われて、思い出す。
搬入で荷物が多かった日。深瀬先輩が段差でよろけて、俺が反射的に腕を出した。
あれは、ほんの一瞬だった。
「それに、みんながわーって盛り上がってるときも、神崎くんは誰かが置いていかれないように声かけてた。……そういうの、私、好き」
俺は何も返せなくなって、ただ頷いた。
胸の奥が、ぐるりと回って、足元の地面が少し浮いたみたいだった。
「……じゃあ」
「うん」
深瀬先輩は少し照れたみたいに笑って、言葉を紡いでいく。
世界がぐるりと回った気がした。
◆◆◆
私は図書室の窓際にいた。
いつもの席に座って本を開いたのに、ページを一枚もめくらないまま時間だけが過ぎていった。
夕方になっても、私はそこにいた。
本を閉じた。栞は挟まなかった。
◆◆◆
翌週の月曜日。
俺は図書室に行って、いつもの席に座っていた羽山に告げた。
「うまくいった」
「……そうですか」
羽山は本から目を上げなかった。
「羽山のおかげだよ。ありがとう」
「別に」
「いや、本当に。あの一文を一緒に選んでくれただろ」
「先輩が考えたことを整理しただけです」
「羽山」
「……なんですか」
「顔、上げてくれないか」
沈黙。
それからゆっくりと、羽山は顔を上げた。
いつもと変わらない表情。眼鏡の奥の黒い瞳。
「おめでとうございます」
静かな声だった。
俺は「ありがとう」と返して、机の上のメモ帳に一瞬だけ視線を落とした。
あれだけ俺のために時間を使わせたのに、感謝の重さを言葉にした途端、急に照れくさくなる。
何か言いかけて、結局何も言えずに図書室を出た。
扉を閉める直前、俺は一度だけ振り返りそうになって、結局やめた。
◆◆◆
しばらく、私は何もしなかった。
ただ机の上で手を組んで、夕日が傾くのを見ていた。
窓の外の空が橙から藍色に変わっていくのを、ぼんやりと。
——何が、嫌なんだろう。
先輩は幸せになった。それは本当によかった、と思う。深瀬先輩は素敵な人だ。先輩のそばで笑っていてくれる人として、文句のつけようがない。
それは全部、本当のことだ。
なのに。
私は机の端に置いたメモ帳を引き寄せた。告白作戦のために作った、あのメモ帳。もう必要のなくなった。
パラパラとめくると、自分の字で書いた言葉たちが並んでいる。
深瀬先輩について。好きな食べ物。苦手なこと。告白の場所の候補。言葉の選び方。
最後のページに、走り書きが一行だけあった。
先輩がそのまま言えばいい、と私が選んだ一文。
「笑ってるのを見てると、こっちまで嬉しくなる」
——それは、私自身が毎週この図書室で感じていたことと、同じ言葉だった。
先輩が扉を開けるたびに、気づかれないように顔を本に向けていた。先輩が笑うたびに、なぜか自分まで笑いそうになるのを堪えていた。先輩が「相談がある」と来るたびに、少しだけ嬉しかった。
全部、ずっとそうだった。
なら、なぜ言わなかったのか。
私は静かに、自分に問う。
言えなかった。それだけだ。
自分と先輩の関係の心地よさを壊すのが怖かったのか。先輩には釣り合わないと思っていたのか。それとも、単純に、タイミングを逃し続けたのか。
多分、全部だ。
でもどの理由も今となってはただの言い訳で、結果だけが残っている。
先輩は、誰かのものになった。
私が選んだ言葉で、告白して。
メモ帳を閉じ、隣の空席を見た。
——また先輩来てくれるかな。
そう思った瞬間、目の奥が熱くなった。
私は眼鏡を外した。レンズを拭く。いつもの癖。でも今日は、両手が微かに震えていた。ガラスの向こうに何も見えない状態で、ただじっとしていた。
拭き終わっても、かけ直さなかった。
ぼやけた視界の中、夕日が図書室を橙に溶かしていく。
「……馬鹿みたい」
声にならない声で、私は言った。
私はゆっくりと眼鏡をかけ直して、本を開いた。活字が目に入らなかった。それでも、ページをめくった。
先輩はもう、別の誰かと笑っている。それでいい。それが正解だ。先輩が幸せなら、それでいいはずなんだ。
——いいはずなんだ。
何度繰り返しても、夕日は沈んでいく。
図書室の時計が、五時を告げた。
私は本を鞄にしまって、椅子を引いて立ち上がった。
帰り際、私は隣の空席の背もたれに触れた。
一瞬だけ。
それからさっさと手を離して、扉へと歩いた。
振り返らなかった。
振り返る理由が、もうどこにもなかったから。
——好きって言えばよかった、なんて。
今更すぎる話だ。
——でも、もう少しだけ。もう少しだけ早く気づいていたら。
図書室の扉が静かに閉まる。
春の夕暮れが、誰もいない廊下を長く伸びて、やがて消えた。




