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◆ 春・第1話「桜の下で、止まっていた時間が動き出す」

桜の季節。

止まっていた時間が再び動き出す――そんな再会が、彼女とおじさんを新しい運命へ導いていく。

まだ誰も知らない。

この平和な春の日差しが、やがて世界を揺るがす“東京大震災”と“ダンジョン時代”の前触れであることを。

三月の終わり、東京の空気はまだ冷たいのに、どこか柔らかさを帯び始めていた。

桜のつぼみがほころび、街全体が新しい季節に肩を押されるように動き出している――そんな気配の朝だった。


私はその春、二十代半ばに差し掛かっていた。

高校卒業後から続いていた事務職の毎日は、もう数年が経っていたけれど、慣れた仕事は淡々としていて、自分が成長しているのかどうかも分からなかった。


母と暮らす古いアパートの窓から差し込む光は、季節の変化を告げるには十分だったけれど、胸の奥にある重いものはずっとそのままだった。


――彼氏と別れて戻ってきた日から、ずっと。


「……また、あの人に振り回されてたんだって?」


母はそう言ったけれど、責める口調ではなかった。ただ淡々と、何年も見てきた私への“理解”だった。


そして、その春。

久しぶりに、おじさん――“あの人”にメールを送った。


『ただいま戻りました。色々あって、家に。』


送って数分で、


『戻ったのね。よかった。まずは落ち着こう。桜でも見に行く?』


という短い返事が来た。


その優しさが胸に沁みた。



翌週末、上野駅で待ち合わせした。

私は鏡の前で何度も服を見直した。

娘として? 友達として? それとも――ただの昔からの人として?


答えは出ないままだった。


改札を抜けると、まだ少し肌寒い春風が吹き付けた。

その向こうに、変わらない姿のおじさんが立っていた。


黒いジャケットにチェックのシャツ。

昔と同じ、どこか“おじさんくささ”があるけれど、安心する雰囲気。


「久しぶりだね。元気そうでよかった」


その言葉だけで、何かが解けるように胸がゆるんだ。


おじさんは特別なことをしない。

いつも通り。他人の心の距離を無理に詰めない。

その安定感が懐かしくて、温かくて、涙が出そうだった。


「桜、そろそろ見頃だって。行こうか?」


上野公園は人で溢れていた。

家族連れ、カップル、外国人観光客。

春の景色が誰にでも等しく開かれているように、にぎやかで明るい。


桜並木を歩くと、風に乗って花弁がいくつも舞い落ちてきた。


「ねぇ、おじさん。私、ほんとに帰ってきちゃったよ」


ぽつりと漏らすと、おじさんは少しだけ間を置き、


「帰ってくる場所があってよかったって思おう。そういうときもあるよ」


と言った。


責めるでもなく、慰めるでもなく、ただ寄り添うように。


その空気が、昔と同じだった。


中学の頃――家庭がごたごたしていた時期。

お金がなく、友達にも言えない悩みがあった頃。


母のメル友が、私のメル友になって、

やがて一緒にディズニーに行って、

アニメの話をして、

秋葉原を歩き回って――


気が付けば、十年も続いていた。


時間は経ったけど、こうして隣に立つとあの頃の私がふと顔を出す。


桜の木の下で、おじさんは小さな折りたたみ椅子を広げた。


「座ろう。花見弁当でも食べようか」


「……相変わらずだね、おじさんって」


「変わったら困るでしょ?」


ふふっと小さく笑い合った。


広げた弁当は、コンビニで買ったものや簡単な手作りのものだったけど、どれも気取っていなくて、むしろ落ち着いた。


私はふいに言った。


「おじさんさ、もし私があのまま彼氏と続いてたら、どう思ってた?」


おじさんは箸を置き、少し考えるように空を見上げた。


「そうだなぁ……君が幸せなら良かった。でもね、君は自分を大事にしない癖があるから」


その言葉に胸が刺さる。


「だから、戻ってきたのは正解だったと思うよ」


「……甘やかしすぎじゃない?」


「甘やかしてるんじゃなくて、君が自分に厳しすぎるだけ」


私は言葉を失った。

ああ、この人はいつでも、私の気づかない部分を見ている。

ただ優しいだけじゃない。

見守り続けてきた“時間”が言葉の底にある。


桜吹雪の中で、時間がほんの少し巻き戻ったような気がした。


けれど、前とは違う。

私はもう大人で、おじさんだって歳を重ねている。

戻っただけでなく、また“ここから”歩ける気がした。


春の陽光に揺れる桜の下で、私はぽつりと言った。


「ねぇ、おじさん。また、遊んでくれる?」


「もちろん。君が呼んでくれる限り、いつでも」


そう言ったおじさんの横顔が、やけに頼もしく見えた。

この春の再会は、私の人生の第二幕の幕開けだった。


そしてこのあと、私たちは“あの秋葉原”で再び運命に出会うことになる。

大地を揺らす大震災へ――

そして無数の“ダンジョン”が現れる新時代へとつながる、最初の季節だった。

春の第一話では、主人公とおじさんの再会を、ゆっくりと丁寧に描きました。

「帰ってきた場所」に対する安心と、過去の自分と向き合う痛み――その両方が混じり合う季節です。

ここで二人の関係が“原点に戻りながらも新しく始まる”ことが重要なポイントになります。

穏やかな日常の描写を大切にしたのは、この後に訪れる激変との対比のためです。

次回は、春・第二話。

秋葉原での“宝くじ”の伏線へとつながる物語になります。

どうぞ続きもお楽しみに。

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