◆第17話 揺れる空気、迫る気配 ― 夏の終わりに感じた違和感 ―
東京の空気が揺れていた。
夏の湿気の裏で静かに広がる、不吉な“前触れ”。
彼女とおじさんはまだ知らない。
この数週間後に訪れる地震が、
現代を“ダンジョン元年”へと変えることを。
日常の中に潜む違和感は、近づく運命の影だった。
六月の終わり。梅雨が明けた東京は、一気に蒸し暑さを増していた。
私は仕事帰りの電車の中で、半分寝落ちしながらスマホを握っていた。
画面には、おじさんとのLINE。
「土曜日、池袋のサンシャインで新しい漫画イベントあるけど、行く?」
“漫画イベント”という単語を見るだけで、胸が少し軽くなる。
社会人になってから、仕事に追われる日々が続き、季節の変化すら感じる余裕がなかった。
でも、こうやって誘ってくれる存在がいるだけで、毎日が救われていた。
「行く!サンシャイン久しぶりだし、グッズも見たい!」
そう返すと、おじさんからはすぐに返事が来た。
「OK。あ、軽くでいいから動きやすい靴で来てね」
「どうしたの?」と送ると、
「いや、何となく。最近ちょっと地震多いでしょ? 気のせいならいいんだけど」
──そのメッセージが、少し胸の奥に残った。
***
イベント当日。
昼過ぎの池袋は、観光客と学生でごった返していた。
湿った夏の風が吹き抜ける中、私はおじさんと合流した。
「ごめん、お待たせ!」
「大丈夫。ほら、これ飲む?」
渡されたのは冷えた麦茶。
ペットボトルは結露で濡れていて、おじさんらしさに思わず笑ってしまった。
「優しいね、ありがとう」
「君はすぐ具合悪くなるから、夏はちゃんと水分とらないと」
昔から変わらない“父親みたいな優しさ”。
それが、懐かしくも心地よかった。
***
イベント会場は予想以上に混んでいた。
私とおじさんは、相変わらず趣味の合う漫画やアニメのグッズを見つけては笑い合った。
「見て!これ私が好きだったシリーズの新作じゃん!」
「ほんとだ。買っていく?」
「いいの?いつも買ってもらってるよ」
「いいからいいから。せっかく来たんだから、楽しむのが一番」
そんな会話をしていた時。
──グラ……ッ。
足元がわずかに揺れた。
「え?」
「今の……地震か?」
周りの人はざわついたが、揺れは一瞬で収まった。
アナウンスが流れ、会場も「大丈夫そうだね」という空気に戻っていった。
だけど、おじさんだけが妙に静かだった。
「おじさん?」
「……いや、嫌な揺れ方だなって思って」
「いつもの小さいやつじゃないの?」
「うーん……違う。“先”がある揺れっていうか……」
不安を和らげるような言い方だったけど、その目は真剣だった。
***
帰りのエスカレーターを降りた時、おじさんがふと口を開いた。
「実はさ。最近、変な夢をよく見るんだよ」
「夢?」
「洞窟みたいな場所に、青い光の柱が立ってて……
その周りで、スライムみたいなものが蠢いてる、そんな夢」
「こわ……何それ」
「だよね。たぶん疲れてるだけなんだけど」
そんな話を聞いていると、胸の奥が少しざわつく。
それは、まるで“何かが近づいている”ような不気味さだった。
***
サンシャインからの帰り道、風がいきなりひんやりと変わった。
蒸し暑さの中で不自然なその冷気に、思わず腕をさすった。
「……急に寒くなった?」
「季節が変わるのが早いなぁ。夏なのに秋みたいだ」
おじさんが空を見上げる。
私も続いて見上げた空には、薄く白い影のような筋がいくつも走っていた。
高層ビルの光がにじんで見えるほど、空気はぼんやりと揺らいでいる。
「……地震の前って、空が変になるって言わない?」
「うん。だからこそ、今日は早めに帰ろう」
おじさんはいつもより歩く速度が早かった。
まるで、急いで何かから逃げているみたいに。
私はその背中を見ながら、言いようのない不安を覚えていた。
その夜。
私は眠れずにスマホを握っていた。
──不思議な胸騒ぎは、音もなく忍び寄っていた。
夏編では、地震前の微妙な空気の変化と、おじさんの鋭い感覚を描きました。大きな災害の前には、現実でも「体調が変になる」「空が妙に白く霞む」などの報告が多く、それを物語に落とし込んでいます。おじさんが夢で見た“洞窟”は、この先のダンジョン出現の伏線として配置しています。二人の日常の穏やかさと、迫る異変のコントラストを楽しんでもらえたら嬉しいです。次はいよいよ地震発生の回に入ります。




