◆春・第二話「静かな休日、揺れる未来の予感」
春は静かで優しい季節だった。
だけど、その穏やかさの中で、確かに“変化”は動き出していた。
未来の気配に胸をざわつかせながらも、二人はまだ日常に寄りかかっていた。
夏に待ち受ける激変を知らないまま――。
桜が散り始め、街がやわらかな緑色に包まれる季節。
年度が変わったばかりの四月は、仕事も少し慌ただしく、私は毎日残業でくたくたになっていた。
そんなある日の夜、おじさんから短いメッセージが届いた。
《土曜、空いてる?》
少し疲れていたけれど、この人に会うと不思議と気持ちが軽くなる。
私は迷わず返した。
《空いてるよ》
土曜、正午。
駅前で待ち合わせると、おじさんはコンビニ袋を下げて、春用の薄手のジャケットを着ていた。
「おつかれ。無理してないか?」
「ちょっと疲れてるけど……大丈夫」
「じゃあ、のんびりするか」
その言葉にほっとして、私は自然と笑顔になった。
おじさんが選んだ行き先は、近所にある大きな公園。
広い芝生と新緑の木々が鮮やかで、都会にいることを忘れそうになるほど静かだった。
「はい、これ」
差し出されたのは、コンビニで買ったおにぎりとサンドイッチ、そして少し高めのアイスコーヒー。
「今日は何も考えないで食べて休めばいい」
「ありがとう……」
私はベンチに腰を下ろし、温かい春の風に目を細めた。
なんでもない昼下がり。
それなのに、この時間がすごく贅沢に感じる。
「おじさんは疲れてないの?」
「まぁな。でも、お前と会えば元気になるよ」
「……そういうの、ずるい」
思わず小さく笑ってしまう。
おじさんはいつも、あっさりと胸に刺さることを言ってくる。
しばらく二人でぼーっとしてから、公園内の遊歩道を散歩した。
菜の花が咲く小さな花壇、子どもたちの声、風に揺れる若葉の匂い。
季節のすべてが、心の疲れを少しずつ溶かしていく。
「最近どうなんだ?仕事」
おじさんが自然に聞いてくれる。
「うーん……人が足りなくて、やることが増えてて。なんか、自信なくす時がある」
「そういう時はさ、ちゃんとサボれ」
「サボれって……おじさん」
「真面目なやつほど壊れるんだよ。俺が言うんだから間違いない」
「……うん」
本気で言っているのだと分かる口調だった。
公園を一周し終わる頃、おじさんがぽつりとつぶやいた。
「……どこ行きたい?」
「え?」
「海外でも、国内でも。行ってみたいところあるだろ」
「そんな……簡単に言わないでよ」
「行けるだろ。お前なら」
その一言に、思わず足が止まった。
(おじさんは、どんなつもりで私を誘ってるんだろう……)
けれど聞けない。
関係が壊れたら、取り返しがつかない気がして。
おじさんのほうは、私の沈黙に気づきながらも追及しない。
そのやさしさが、逆に胸を締めつけた。
夕方になり、駅へ戻る道すがら。
公園の出口付近にスイーツのキッチンカーが出ていて、私は思わず立ち止まった。
「わ……いちごのクレープだ」
「食べたいなら買うぞ」
「自分で買うよ!おじさん、いつも払おうとするんだから」
「癖なんだよ」
笑いながら二つのクレープを買い、並んで歩きながら食べた。
春風の中、ほの甘いいちごの香りが広がる。
(こういう時間、大好きだな……)
でも同時に、胸の奥がざわざわと波立つ。
(私はこの関係の“意味”を、ちゃんと考えるべきなのかもしれない)
宝くじも、日常の変化も。
今の関係を曖昧なままにしておくには、もう限界が来ていた。
駅の改札前。
別れ際、おじさんが言った。
「夏になったら……ちょっと遠くに出かけようか」
「え?」
「行きたいところ、考えとけよ」
穏やかで、でもどこか決意を含んだ声。
その瞬間、胸に不安と期待が同時に走った。
(夏……あの“地震”の前触れだったなんて、この時はまだ知らなかった)
あの日、穏やかな春の時間の中で、私は人生が大きく変わる前兆に気づいていなかった。
春イベント第2話では「静かな幸せ」と「揺れる感情」を丁寧に積み重ねました。宝くじの影響で生活に余裕が出たものの、二人の関係が“どこに向かうのか”が見え始めた重要な回です。季節の描写を通して、心の変化を自然に表現し、夏の大震災の衝撃を際立たせるための静けさを意識しました。次はいよいよ夏編。地震発生前の最終日常と、巨大な転換点へと物語が踏み込んでいきます。




