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名前を決めた日

 村を出た怜と獅音。怜は自分が『祈り手』として特別扱いされた理由を考え続けていたが、獅音は深く気にしていない様子だった。

 怜は、自分の装いに似た『祈り手の衣装』が信仰の源ではないかと気づく。人々の感謝が『衣装を着た自分の姿』に向けられていると感じた怜は、自分の存在意義に疑念を抱き始める。

やがて二人は都市にたどり着き、いくつかのやり取りの末に、無事中へと迎え入れられる。

彼らは、この世界において『異世界からの来訪者』とされる者たち──『リンキシア』だと告げられるのだった。

 城門の詰め所でリンキシアについて説明された二人。獅音は兵士から紹介状を受け取り、街の中へと進んだ。怜はその後ろを追った。なかなか前を歩いてくれなかった獅音が、いつもの調子を取り戻して、自分を引っ張ってくれている。それだけで怜は嬉しかった。そこに加えて、目の前に広がった光景に、怜は思わず呟いた。


「ヨーロッパみたいだ……日本語、通じるのに……」


 石積みの建物に、街灯が立ち並ぶ石畳の道。三角屋根が理路整然と並び、近くの市場では、露店がひしめき合っている。その光景は、映画の撮影セットの中に入ってしまったようだった。現代日本ではまず見られない活気に、怜は思わず目を見張り、感嘆の声を漏らす。獅音は何も言わないが、目を見開いてあたりを見渡し、怜と同じく圧倒されていた。


「すごいね、獅音くん」

「おう……すげぇな」


 しかし、獅音が驚いていたのは、怜と全く違うところを見てのものだった。


「めっちゃレベル高ぇぞ。可愛い子ばっかじゃん」

「えぇ、そこ?」


 もっと見るべき場所があるでしょ、と言いたげに、怜は不満を口に出した。獅音は気ままに通りを歩く人々を眺めている。その熱っぽい視線は、服の下まで見通そうとしているようだった。男の頃なら軽く流せていたのかもしれないが、『女の子に向けられる視線』を知った怜は、共感よりも先に、やめてあげて欲しいという感情の方が出てきた。


(結構、向けられる側は気になるもんだからなぁ)


 そんなことを考えて、『……なに、女の子になったみたいなことを考えてるんだろ』と、怜は落ち込んだ。体が変わっただけで、自分の心まで変わったつもりなのだろうか。随分調子のいい自分の思考に、蹴りを一つ入れてやりたい気分だった。知ったような口を利くな。お前は男だろう。そう自分に言い聞かせた。


 怜はやめて欲しいと思うものの、獅音が言っていることも理解できた。確かにどの男女も容姿が整っていて、怜にとってみても、驚きを隠せない光景だったのだ。


(女の人は、可愛い系とか、美人系とか、方向性はあるけど、みんなキレイだ。男だってそう。だらしない体系の人はいるけど、何となくキャラが立ってる。汚い感じがしない)


 それはまるで、創作物の世界のよう。遠くからは鍛冶屋が槌をつく音も聞こえてきて、異世界情緒に溢れている。この光景は、元々居た世界にあると思えなかった。怜は間違った世界に迷い込んでしまったみたいで、どこか肩身の狭い思いをしたが、その不安をほぐしたのも、やっぱり獅音の声だった。


「そんなに緊張すんなって。俺もいるんだからさ。それに、ここに行けば仲間が待ってるぞ」


 獅音は、詰め所で受け取った紹介状を怜に見せるように掲げて、にやりと笑った。そこには、この街にあるリンキシアの集会場までの地図も一緒に載っている。


(リンキシアの人たち、どんな人なんだろう……。怖かったり、しないよね……?)


 この世界ではない、他の世界からやってきたという共通項がある、リンキシア同士。そうは言っても、他人と関わることを半ば強制されるのは不安が募ったが、獅音が一緒に居るというだけでずっと安心した。怜は獅音の横にピッタリと寄り添うようにして、並んで歩いた。


 ──◇──◇──◇──


 リンキシアの集会場は、街並みと同じく石造りの、二階建ての建物だった。二人の目の前に広がっている一階は、まるで役所のようなフロア。たくさんの長椅子に、壁際に並んだ三つの受付。それぞれに女性の職員が座り、窓口の前に立ったリンキシアと会話していた。その前には掲示板が並び、ハガキ大の紙が無数に張り付けられている。


「これ、仕事の掲示板かな。色々あるんだね」

「ふーん……なんだ。魔物退治とかは無いのか」

「無いんだ……良かった」


 つまらなそうな声を上げる獅音と、胸をなでおろしている怜。対極的な反応だった。獅音は、自分を心躍らせる何かを欲しているようだった。その一方で、怜はできるだけトラブルのおきそうな物から距離をとりたかった。


(荷物運び、レストランの店員さん、害虫駆除……たしかに、魔物退治は無いみたいだ)


 これだけ『異世界』然としているのだから、魔物が居てもおかしくない。怜は頭のどこかで怖がっていたが、少なくとも一般人の目に触れるところには居ないらしかった。


 掲示板も見飽きた二人は、どこへともなくフロアをぶらついた。建物の角には、二階に向かう階段。横にかかっている看板いわく、上はレストランのフロアらしい。何となく、おいしそうな料理の匂いが漂ってきている気がする。


「役所って、大抵食堂が付いてるよね。しかも、意外とおいしいところまでがセットじゃない?」

「んー、まあ、そうか? そうかもな」


 暇を埋めるための、本当にどうでもいい雑談。つまらない内容でも、相手がちゃんと反応してくれるという信頼のもので行われる会話。獅音が自分を信頼してくれていると確認できるから、怜にとっては、獅音との雑談がお気に入りの時間の一つだった。


「さ、そろそろ本題に向かっとくか。怜、行くぞ」

「え? あ、そっか。そうだね」


 獅音は怜の手を引いてカウンターへ向かい、兵士から貰った紹介状を差し出した。怜はその後ろで隠れるようにしながら、様子をうかがう。思ったより受付の机が高くて、少しだけ背伸びをしながら覗き込んだ。


「これ、門のところでもらったんだけど。今日来たんだ」


 獅音のぶっきらぼうな口調にも嫌な顔一つせず、窓口のお姉さんは笑顔で対応する。


「ようこそお越しくださいました。旅の疲れは出ていませんか? こちらで住民登録の手続きをしますね」


 お姉さんから渡されたのは、数枚の書類。それを持たされた流れで集会場の片隅に案内されると、顔写真と体全体の写真を撮られた。


 知っている現代のカメラとは違えども、大まかな造りは同じように見える。大きなレンズに、それが装着されている機械。レンズが被写体に向けられ、カシャリと音が鳴った。


 獅音はジーンズとパーカーという見慣れた服装で。一方の怜は、ブラウスにスカートという、全く気慣れない服装で。撮った画像はカメラの撮影者側に表示されて確認でき、撮ったものは住民証に使われるらしい。


 獅音はあっという間に済ませ、続いて怜の番になった。しかし、これがなかなかうまくいかない。レンズを向けられると途端に緊張し、撮るにはあまりにも可愛そうなくらいだった。ただ、一度発行すればそう簡単に更新できないものなだけあって、ましてやその相手が女の子だから、職員さんも気を遣ってくれた。


「えっと……レイさん。ちょっと一回落ち着きましょうか」

「……すみません」


 苦笑いしている職員のお姉さんと、横でニヤニヤしている獅音。写真を撮るだけだというのに、時間を撮らせてしまっているのが、怜の肩身を狭くした。


 肌を晒している脚を見せるのが気恥ずかしくて、スカートの裾を無意識に引っ張ってしまう怜。それに獅音がヤジを飛ばし、怜の姿勢をシャキッとさせる──そんなやり取りが、二人の間で幾度となく繰り返された。


 言い訳になるが、怜にとっては、写真を撮ってもらうだけでも、難しいものがあった。怜の身体は、つい昨日までとはまるで違う、女の子のものなのだ。カメラを向けられると自分の体に意識が向かい、胸の存在感や腰の括れのラインを意識してしまう。それが写真として残されると考えると、怜は首筋がカッと熱くなった。


(これ、思った以上に恥ずかしいな。昔の人が『魂吸われる』って言ったのも分かるかも)


 レンズに映る、自分の姿。アジサイ色の長い髪に、青い瞳。小柄な体躯。白いブラウスに、紅いプリーツスカート。何とか撮れた、住民証への使用に耐えうる写真は、頬を赤く染めたものだった。


 ──◇──◇──◇──


 写真を撮り終えた二人は、窓口に戻ってきた。怜は気力を振り絞ってクタクタ、獅音はそんな怜に付き合って、あまりの暇さにあくび混じりだった。それでも住民証の発行にはまだ作業が残っているようで、目の前では職員のお姉さんが書類に向かっている。その作業を邪魔しない程度に、獅音があれこれ質問した。


「顔写真は分かるけどさ、全身の写真って使うの?」

「リンキシアは何かしらの能力を持つ者も多いですから。過去には悪事に手を染める人もいました。そうなった時、迅速に対応するために、写真を撮ると決まっているんです」


『もちろん、あなたたちはそんなことしないと思うけど』と付け加えて、荒々しい獅音の質問に答えたお姉さん。きっと、リンキシアが来るたびに同じ質問をされているんだろうと、怜は内心気の毒に思った。獅音は『まぁそんなもんか』と、聞いておいて軽く流した。


 お姉さんは大して気にすることもなく書類を書き進め、数枚を手元に残し、怜と獅音にそれぞれ一枚ずつ返した。


「そこに、この世界で使う名前を書いてください。元の名前と同じでも良いし、変えても大丈夫です。この世界にきて容姿が変わったリンキシアから『西洋風の見た目なのに、東洋の名前じゃ嫌だ』という申し出がありまして」


 それは怜の心を震わせるものだった。姿が変わってしまったのは自分だけじゃない。そう知っただけでも、勇気づけられた。今の自分はアジサイ色をしている髪の毛といい、青い瞳の色といい、日本人離れしている容姿。ここで思い切って、名前を変えるのも一つの選択なのかもしれない。


 ただ、そんな重要なことは簡単に答えを出せず、ペンを掴んだ手が書類の上で止まった。今の自分は女の子なのだから、女の子らしい名前にした方がいいかもしれない。見た目が女の子なのに、名前が男の名前のままだったら、会う人会う人に怪訝な目をされてしまうだろう。もしかしなくても、『え、中身、男?』なんて言われるのが目に見えた。


(──でも、『レイ』って名前は、男でも女でも使えるよね)


 今の自分がどちらなのか決められない怜にとっては、ちょうどよかった。自分の中では決まったが、それだけでは不安になってしまい、いつもの流れで獅音に伺いを立てる。


「ね、名前、変えたほうが良いのかな。見た目も変わったし……」


 そう呟いた、獅音に向けての言葉を、お姉さんは目ざとく拾い上げた。

 

「あら、もしかして、あなたも姿が変わったんですか?」

「あ、はい。実は……」

 

 それに驚いた怜は、あまり深く考えずに答えようとして――獅音が無理やり遮った。


「この子、目立つでしょ? 色も派手だし」


 獅音の手が、無造作に怜の髪を撫でた。子供相手みたいな扱いに対して、怜は文句の一つでも言ってやりたかったが、撫でられる感触が心地よくて、黙った。獅音の手で黙らされた自分が恥ずかしくなって、怜は首筋を赤くした。お姉さんには、その姿が兄と妹のやり取りのように映った。


「なるほど。確かに、お嬢さんの髪色はこの世界でも珍しいですね。ただ、赤や青といった、もっと派手な髪色の人もいますから、ご安心を。……とはいえ、お嬢さん、大変でしたね」


 職員から優しい視線を向けられ、怜は目を背けた。獅音がわざわざ上から声を被せてまで話したストーリーなのだから、何か意図があるのだとは分かる。反発しようとは思わない。しかし、相手に嘘をつくことになったのは、どうしても心苦しかった。


 一方で、獅音は、内心ヒヤヒヤしていた。怜が元々男だったとバレれば、売り込み方にも工夫が必要になってくる。ただの少女じゃなくなると、売り込み方を変えないといけない。そうなると、余計な手間が増える。嘘はつきたくないが、それよりも保身の方がよっぽど大切だ。気まずさを誤魔化すように、わざと明るく振る舞いながら、決心を新たにする。


(怜は、俺が持ってる、唯一の切り札。絶対に手放したりしねぇ)


 もし怜が潰れたら、自分まで終わる気がした。


 ──◇──◇──◇──


 お姉さんからは、街の雰囲気と同じく、名前が先で苗字が後なのが基本と教えてもらった二人。結局、怜は元の世界のまま、『レイ=アサギリ』として登録した。獅音も同じく、『シオン=アマツ』として登録した。


 お姉さんは書類を受け取ると、すぐ近くに置かれている機械に通す。するとその機械の下から、名刺ほどの大きさの、金属のカードが出てきた。お姉さんの手が、一瞬宙に浮いて止まった。カードに触れることをためらっているようだった。


 いくらか時間が経って、二枚のカードが怜と獅音の前に差し出される。


「はい……こちらがお二人の住民証です」


 怜の板は真鍮のように柔らかな金色、獅音のは鈍い銀色の鉄。材質の違いが、目に見えない『評価』のようで、怜は言葉を失った。そこにはどんな差があるのかと聞きたかったが、聞けなかった。


(もしも、普通リンキシアは一度に一人しか来ないこととか、あのとき僕が獅音を呼んだこととか、そのせいだったら……)


 そうだったら、何だというのだろう。獅音に許しを乞うのだろうか。今の自分に何ができるのだろうか。


 今の自分にあるものと言えば、新しい女の子の体と、理解の追いつかない不思議な力。獅音を元の世界に戻してあげて、と祈ったら、どうなるのだろう。


(もしかしたら、出来るのかもしれない。でも、そうしたら──僕は、また一人になる)


 この世界に獅音を縛り付けて苦しませることと、自分が一人ぼっちになって苦しむこと、それを天秤にかけるなんて、したくなかった。きっと、獅音を返すことはそもそもできない、そう勝手に結論づけて、秤から降ろした。


 怜は獅音の顔をちらりと見上げた。怜の住民証を見た獅音の目が、細くなっていた。それを見た怜は、言葉を飲み込んだ。その答えが、自分と獅音の関係性を崩す予感がした。獅音も、何も質問しない。絶対に、色の違いには気付いているのに。


 無言で交わされる、怜と獅音のやり取り。お互いに触れない、不可侵条約を結んだ。お姉さんも口には出さなかったが、視線はどこか哀れみを孕んでいた。


「街での身分証になります。大切にお持ちくださいね」


 説明されながら差し出されたそれを、怜は受け取ってまじまじと眺める。そこには自分の名前と顔写真、全身の写真、それから発行日などの細かい情報が載っていた。


 怜はそれを無くさないように、大切に握りこんだ。まるで、それだけがこの世界の生命線であるかのように。獅音は黙ったまま、無意識の下で、その銀の板を手のひらで覆った。


 ──◇──◇──◇──


 これで面倒な作業は一通り完了したはず。この集会場に来た理由も済んだはずだったが、お姉さんはまだ言葉を続けた。


「最後に、お二人にはそれぞれ指導役をつけます。すぐ呼びますので、そちらにかけてお待ちください」


 職員がそこまで言うと、奥の事務エリアに振り返って、職員仲間に『今、誰があいてるっけ?』などと声を掛けた。既に怜と獅音のことは意識の外にあるようだった。指導役が何なのかとか、怜は色々聞きたかったが、やめておいた。


 言われた通り、怜と獅音は窓口の前にある長椅子へ腰かけたが、二人の間には人ひとり分の隙間があいていた。見た目以上の距離が、二人の間に生まれていた。それは明確に、あの住民証の色が生み出したものだった。


 待っている間も、お互いに言葉を交わせなかった。何をしゃべっても、今の怜と獅音の関係では、ケンカの火種になる気がした。


 暫くして、いびつな二人組が集会場に入ってきた。片方は中年の男性。そしてもう片方は、今の怜と同い年くらいの女の子。長い銀色の髪をした少女だ。男は冒険者風の服を着て、女は上品なワンピースを着ている。普通であれば、お互い釣り合いの取れない組み合わせに見えた。しかし、二人の立ち位置なのか、表情なのか、二人一組として見た時に、不思議と『似合っている』感じがした。


 とはいえ、それはそれとして、男と女の見た目はまるで真逆。年齢もそうだが、男は日焼けした肌に短く刈った黒髪、大柄で引き締まった体に鋭い眼もと、どう考えても体資本の仕事をしている人だ。一方で女は透き通るような白い肌に銀髪、小柄で柔らかそうな体に優しく落ち着いた目つき、木陰で本でも読んでいそうな雰囲気。

 

 どう見ても、それぞれ獅音と怜に宛がわれた指導役なのだが、指導役の間のギャップが余りにも大きかった。男はいかにも頼りがいがありそうだが、女の子はちょっと走っただけでも息を切らしそうで、頼りがいがなさそう。


(あの子が、僕の指導役……。だ、大丈夫なのかな……?)


 見た目で判断するのは良くないとはいえ、怜は途端に不安になった。


 指導役の二人組が集会場にやってきたのを見て、窓口の奥に居たお姉さんがフロアまで出てきた。指導役二人が怜と獅音の元にやってきたところで、お姉さんが指導役たちを二人に紹介する。


「こちらが、シオンさんの指導役になるガイトさん。こちらが、レイさんの指導役になるセレナさんです」


 ガイトとセレナ、二人の視線が、自分に突き刺さった気がした。どちらも新米リンキシアを緊張させないためか、柔らかい表情をしているのに。特にセレナは、自分の着ている服――紅白の、法衣とか呼ばれていた服に注がれているようだった。しかし、ガイトはそう長く視線を向けず、すぐに獅音へその先を変えた。


 やがて獅音とガイトさんがお互いに挨拶しているのが耳に入ってくる。それに背中を押されるようにして、怜もセレナに向きなおった。目の前には、やはり精々高校生にしか見えない女の子。少女と言って良い。今の自分が同じくらいの歳頃のせいで、目線はさほど変わらないが、それが逆に違和感を生んでいた。


(やっぱり、どうみても子供……だよね?)


 しかし、雰囲気や立ち振る舞いはなぜか、大人の女性を思わせるほどに落ち着いている。その理由を探っていると、声を掛けられた。


「こんにちは、君がレイくんだね」

「──は、はい。アサギリレイです」


 あどけなさの残る顔立ちと声色、それに対する静かなトーンのギャップが、どこか現実感を揺さぶってきた。不思議な魅力が怜の心をつかんだ。


 前の世界では、こんなに心揺さぶられる経験なんて無かった。それなのに、この世界に来てからは何度も初恋を繰り返しているよう。怜が視線を合わせた瞬間、彼女から何かを見透かされたような気がして、思わず目を逸らした。


(やばっ……子供とか思ってるの、バレた……?)


 ちょっとだけ、女の子からじっとりとした目線を向けられている気がした。気まずい。これからリンキシアとしてのあれこれを教えてもらう立場だというのに。


 それから、女の子は深く息を吸って、怜に柔らかく微笑んでから、口を開いた。


「よろしく。私はセレナ。こう見えてもれっきとした大人だから、頼ってくれていい」

「セレナは、この世界に来るときに見た目が変わったリンキシアなの」


 職員の補足説明に、怜は思わず、セレナを上から下までじっくり眺めた。どこからどう見ても、やっぱり子供。その中身が大人なのだというのだから、この世界の人は、特にリンキシアは、分からないものだ。


(もしかして、男の人だったり──しないよね?)


「言っとくけど、元々女だから。……臨床心理士をしてたんだ。元々はもう少し落ち着いた見た目だったんだけどね。今じゃこの体にもだいぶ慣れたよ」

「……臨床心理士って、人の心が読めるんですか?」

「うーん、まぁ、それを仕事にしてるんだけど――レイくんは特にわかりやすいかな。全部表情に出てるし」


 怜は思わず、頬を手で覆った。笑って返すしかなかった。


(すみません……ほんと……。自分がそうなもので、つい……)


 謝りながら、怜は少しだけ残念に思った。もしも彼女が元々男だったら、自分の秘密を打ち明けられる人が、怜以外にもできたのに、と。


 この世界で、自分を偽り続けるのはつらい。せめてもう一人だけでも、悩みを話せる人が居たらいいのに。怜は、勝手にセレナに期待して、期待を裏切られたと残念がった自分がひどく醜く見えた。


「最初は随分と苦労したよ。見た目と所作がまるで合っていないからね」

「大変だったんですね」

「あぁ。でも、しばらくしたら吹っ切れたんだ。結局、飾らずに『素の自分』で過ごすのが一番だってね」


(素の……自分。そんなの、この世界じゃ無理だよ。体に見合った身の振り方をしなきゃ)


 怜は、心の中でセレナを突き放した。そんなのは理想論だ。無理なことをしようと努力したって、無駄だ。そう言って諦めた。その心の声を聞いたのか。セレナはそこまで言うと、ひと呼吸を置いて、怜に顔をグッと近づけてから小声で続けた。


「だから、君も気負うことはない。性差の悩みは私が聞いてあげよう」

「なっ……!」


 一体どうしてバレたのかと、怜は飛び上がった。何かあったのかと怪訝な顔をした獅音だったが、ガイトとの会話を優先し、すぐに視線を戻した。その一方で、セレナは人差し指で自分の目元を指しながら、にやりと笑った。


「視線の落とし方とか、立ち方とか──ね。最初はみんな、どうしても出ちゃうんだ。きみ、スカートをはいたことが無いだろう?」

「は、はい。その、ズボンの方が楽かなって。でも、たまにはスカートも良いかな、みたいな」


 まだ元々男だったとはバレていないかもしれない。そう考えて、怜は適当な理由をでっち上げた。しかし、セレナは完全に見抜いているようで、それを微笑ましそうに見ていた。


「うんうん、好きな服を着ればいいよ。女の子はいろんな種類の服があるからね。新しい体で楽しむといい」

(か、完全にバレてる……!)


 柔らかい視線を向けて微笑んだセレナは、怜がこくりと無言で頷くのを見て、満足げに頷き返した。それから、落ち着いた口調で続けた。


「……レイ、少し話があるんだ。来てくれるよね?」


 表情はそのままだったが、その口調には拒否できる余地があると思わせないだけの、強制力があった。

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