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この世界で必要とされる“僕”

 森の家を出た怜と獅音は、小さな村を見つける。食べ物を求めて中に入った二人を、村人たちはなぜか拝み始めた。戸惑う怜だったが、自分の着ている服が「祈り手」の法衣であると知らされる。

 村長に勧められるまま食事を取り、そのお礼として祈りを捧げた怜。するとその祈りは、人々を跪かせるほどの力を発揮する。自分の中にある“何か”の存在に、怜は気づき始めていた。

 怜が祈りから帰ってきて、あたりを見渡すと、村人の幾人かが跪いて祈りを捧げていた。それを終わらせたのは、怜の声だった。

 

「あ、あの……」

「ありがとうございました。心行くまでお休みになってください」


 怜が声を掛けると、村長が顔を上げた。その表情は、神から救いを得たような、恍惚としたものだった。何かを変えてしまったと、怜は背筋が冷えた。それを表に出すわけにもいかず、怜は無理に笑った。


「いえ、流石にそろそろ向かわないといけないので。ご飯、ありがとうございました」


 怜は村長からの誘いを心苦しいながら断り、席から立ち上がった。怜の申し訳なさそうな表情を見て、村長はそれ以上引き留めなかった。何を言われても嬉しそうにしていて、怜はそれがかえって怖かった。


「獅音くん、行こ?」


 いつまでも村に居たくなくて、怜は獅音に声をかけた。この村は、自分をおかしな存在に押し上げようとしているように思えて、胸騒ぎがした。しかし、獅音から何の声も返ってこない。どうしたのかと思って隣の席の獅音を見ると、彼の顔は能面のようにのっぺりとしていた。


(なんて顔、してるんだよ、獅音くん……。俺の、せいなのか?)


 獅音は、怜に見られていることに気付くと、おもむろに笑みを浮かべた。うっすら歪んでいた。むき出しになった歯が、食いしばられているようにも見えた。


(お前が仕切ってるんじゃ、ねぇよ)


 その心の声を、あえて押し殺すことで、獅音はまだ『怜を隣に置く資格がある』と思いたかった。獅音の内心は、黒く燃えていた。


 部屋を出ようとする怜の背を見ながら、獅音は何度も言葉を飲み込んだ。怜がこの世界にどんどん溶け込んでいっている、自分は異質なままなのに。気安く声をかければ、もう戻ってこないような気がした。


 ──◇──◇──◇──


 村人たちから聞いた話では、やはりこの近くに大きな街があるそうで、向かっている方向は間違っていないらしい。獅音はその言葉に勇気づけられ、力強い足取りで歩みを進めていた。そうすることで、見たくないものから目を逸らした。


 一方、怜は先ほどの出来事がずっと気になっていた。


「さっきの村の人たち、何だったんだろうね」

「さぁな。ま、飯をくれたんだから良い奴だったんだろ。怜が居れば、食うには困らねぇな」


 自分が理解できないことはどうでもいいと言わんばかりの、そっけない獅音の態度に、怜は若干の苛立ちすら覚えていた。


 もっと、自分ごととして考えて欲しかった。明らかにおかしなことが起きたのに、不思議がりもしないなんて。それは、獅音が目の前にある超現実的な出来事から、意図して顔を背けているとしか思えなかった。


(どう考えても、あれは異常だ。もしも僕が信仰対象だったとして、それはどこからくる? やっぱりこの服?)


 怜は自分の体に視線を落とした。白いブラウスに紅いプリーツスカート。前の世界ではなんてことのないものだが、この世界では法衣などと言われるらしい。


 無意識のうちに選んでいた、この服。まるで服の方が自分を選んだような、そんな気すらしていた。これが『祈り手様』の衣装なのであれば。そしてこの服を着るために、この少女の姿で呼び出されたのであれば。


(それが、僕がここに来た理由? じゃあ、あの家は──)


 もしかして森にあったあの家は、昔から『祈り手様』が住んでいた家なのではないか。そんな考えが、怜の中で、妙に腑に落ちた。


 その時、身に覚えのない記憶が頭をよぎった。今、怜が着ているものと同じ服、紅白の服を身にまとい、見覚えのある部屋の中、森の家の中で、何かに祈っている女の子の姿。


 髪の色は白く長く、怜とはまるで異なる。しかしその真摯に祈る様子は、食堂で祈った自分の姿と被った。


(鏡の中で見た、あの女の子。――やっぱり、あれは『祈り手様』の家だったんだ)


 怜は天啓にも似た確信を得ていた。村を出るときに、村長をはじめとした村の大人たちが総出で見送ってくれたこと。口々に感謝を述べてくれていたこと。それらが、怜の脳裏に強く焼き付いている。きっと、あの女の子は、あの村でよく祈っていたのだろう。


(祈りが誰かのためになるなら、僕しかできないなら、やらないと。でも、それって僕じゃないとだめ? この服を着ていたら、だれでもいいの?)


 人に感謝してもらえることは率直に嬉しかったが、どこか空虚だった。人から貰う感謝全てが、着ている服のおかげなのかもしれない。


(もしこの服が祈りの力を持っていて、誰が着ても『祈れる』のなら──)

 

 他人の目に映る『女の子の僕』が、自分の全てを決めていく、そんな予感がして怖くなった。


 ──◇──◇──◇──


 土が踏み固められただけの獣道は、やがて石で舗装された街道になった。硬い地面はくたびれた足に堪えるが、でこぼこが少ないのは歩きやすかった。


 見晴らしの良い丘の向こうには灰色の石壁がそびえ立ち、そこにあるだけで人を退けるような圧力を放っている。上部には小さな見張り塔が等間隔に並んでいた。


「うわ……なんか、すごいね」

「要塞都市か。結構物騒な世界みたいだな」


 外を歩くことが気分転換になったのか、獅音はいつも通りの調子を取り戻していたように見えて、怜はほっと胸を撫で下ろした。


「巨人とか攻めてこないよね?」

「この壁のごっつさ見て言えんのかよ。そういう世界ってことだろ」

「そこは『そんなわけない』って言ってよ」

「なんでもあるだろ。見た目が変わっちまった奴もいるってのに」

「そりゃ、そうだけどさ……」


 この世界は何でもあり、そう考えると、自分の想像の範疇を超えたことが起こりそうで、少し怖い。しかし、隣に獅音が立っていれば、きっと何とかなる。怜はそんな根拠のない信頼を感じていた。


 ──◇──◇──◇──


 城門には鉄の甲冑を着た中世風の兵士が数人立っており、荷物を抱えた人たちが列を作っていた。怜には行商人のように見えた。


 獅音は怜の手を引いて、その列の後ろに並ぶ。引かれた怜の手は汗ばんでおり、緊張を隠せていなかった。この見知らぬ世界で、身分を問われる。その想像だけで、怜の胸はどくんと脈打った。


「さっさと出て行け!」

「おい、待ってくれよ! このまま帰るなんて無理だ!」

「知るか! 出直してこい!」


 何か不備があったのか、兵士に追い返されている人がいた。中に通してくれと叫んだが、二人の兵士に掴まれ、どこかへ引きずられていった。自分はこの世界において選別される側の存在なのだと、忠告されているようだった。


(大丈夫かな、僕たち。身分を表すようなものなんて、何も持ってないけど)


 怜は心細かった。隣に立っている獅音は堂々としていて、それだけが頼りだった。


 列に並んで待つ間も、周りの人々から視線を集めた怜は、獅音の背中へ隠れるようにしてじっと耐えた。しかし、思ったのと違って、怜を『祈り手様』と呼ぶ声はない。


(もしかして、あの村だけで信仰されている何かなのかな)


 褒められるのは嫌いじゃない。しかし、あの村でされた『崇拝』は、ただただ苦しかった。周りにいる誰もが、自分を通じて、何かほかの存在を見ているようだった。だから、祈り手様と呼ばれることがなくなった今の方が、怜は嬉しかった。


 順番が来ると、怜より頭二つ背の高い、甲冑を着た兵士が言った。


「住民証を。来訪者なら理由を」


 鋭い目だった。怪しいやつを絶対に入れない、使命感が宿っていた。


「あっちの森から来た。その前どこにいたかは──分からん」

(そんな適当な言い方で、どうにかなるのか!?)


 獅音にもっと何か考えがあると思っていた怜は、その言い振りに唖然とした。兵士は獅音の言葉に目を細めると、眉を跳ね上げて獅音を見た。


「……おまえ、男だよな?」

「女に見えるかよ」


 妙な質問だった。この世界で出会った人々は、怜が見慣れた人間と変わらない。性別に差があるとは思えなかった。獅音の顔は、女顔から程遠い。


 兵士は何やら話し合い、結論が出ると、獅音を門の中へと通した。


「キミが今回のリンキシアか。よく来たな」


『リンキシア』という聞き慣れない単語が、胸に刺さるようだった。聞き返したい気持ちをこらえて、怜は唇を噛んだ。


 獅音はその場の流れに乗り、兵士について行く。それにくっついて怜も進み入ろうとすると、兵士が二人の間に割り込んだ。その勢いが強くて、怜はタタラを踏んだ。


 目の前に立ちはだかった兵士は、今の怜にとって壁のようだった。その威圧感は凄まじく、脂汗すらかきそうなほど。


「まて、お前はダメだ。住民証か、来訪者なら理由を」

「なっ……お、同じです。向こうにあった森から来ました」

「リンキシアが二人? ……お前ら、嘘をついていないだろうな」


 動揺してたどたどしく答える怜と、門の向こうで引き留められている獅音を、兵士が鋭い視線で睨みつけた。まるで、罪人を見るような目つきだった。それに反発するように、獅音も強い口調で言い返す。


「そいつも一緒にここまで来た仲間だ。嘘はついてねぇよ」


 二人揃って同じことを言い出したのがよほどおかしなことなのか、兵士たちは何か相談を小声でしていた。聞き取れるギリギリのところだったが、二人の耳に入る。


「同時に二人?」

「そう言ってます。どうします? 通しますか?」

「まぁ……確かに、リンキシアが相方を連れてきたことがある、って昔聞いたことがある。それなんじゃないか?」

「へぇ、どっちが呼んだんですかね」

「そりゃ兄ちゃんの方だろ。嬢ちゃんがオッサンを呼ぶ理由なんて無くないか?」

「でも、リンキシアは女が多いっすけどね。実は兄妹とか」

「いやぁ、あの見た目で兄妹はないだろ。……とりあえず、この件は上に伝えておけよ」


 怜は、『どうか獅音には聞こえていないでくれ』と願った。その場を、そよ風が吹いた。


 リン──と、鈴の音が響いた。


 怜は微かなふらつきを感じた。それに気づいたとき、怜の背筋に冷たいものが走った。


(もしかして、今のも『祈った』のか──?)


 怜は獅音の様子をちらりと伺った。獅音が今の話を聞きとっているかなんて、分かるはずもなかった。ただ、妙な自信があるのか、どっしりと構えていた。


 兵士たちの話し合いが終わって結論が出ると、二人を数人の兵士が取り囲み、真ん中の兵士がふんぞり返って言った。


「よし。案内する。ついて来い。説明は中でしよう」


 ──◇──◇──◇──


 二人は門を通され、見張り塔の裏にある詰所のような場所へ案内された。中には年配の兵士がおり、机の向こうに座っている。机を挟んだ手前には、椅子が二脚並べられていた。


 座る間も惜しいのか、到着するやいなや獅音が切り出した。


「さっきから聞こうと思ってたけど……リンキシアって何?」

「まぁ焦らないで。そこに座って」


 回答を引き延ばされて苛立った獅音が、乱暴に椅子を引いて座った。それを見て怜もおずおずと椅子に座ったが、座った瞬間、スカートの裾がめくれる。


 お尻が隠れるくらいには長いはずなのに、座った時にお尻に感じた座面の冷たさ。服を着ているのに、まるで下着しか着ていないような感覚。それに驚いて飛び上がり、ガタンと大きな音を立てた。


「あ、す……すみません……」


 獅音や目の前の兵士だけではなく、その場にいた職員たち全員に視線を向けられた。怜は耳から頬、首まで真っ赤にして、スカートを手で押さえながらゆっくり座った。


 隣の獅音が怜のことを肘で小突き、『何やってんだよ』とからかう。そのせいで、怜の頬がさらに熱くなった。そうして、ようやく二人が座ったのを見て、兵士は説明を始めた。


「君らのように、他の世界から突然現れる者たちを、我々は『リンキシア』と呼んでいる」

「俺ら以外にもいるってこと?」


 獅音の質問に対し、兵士はまさに立板に水のように答えた。


「ああ、他にも同じような奴はいるよ。年に数人くらい来るんだ。お前たちみたいな迷い人を迎えるのも、俺たちの仕事さ。ただ、普通は一回につき一人だから、おかしいと騒いでたんだ。君たちが気にすることはない。とりあえず、ここに行って登録を済ませるといい。詳しいことはそこで聞いてくれ」


 兵士はどこからか地図を取り出し、獅音の前に置いた。そこには今いる門の場所、街の全体像(市場や住宅街が書いてあった)、そしてリンキシア集会場と書かれた建物が描かれ、丸で囲まれていた。


「そこで登録してくれればこの街にずっと住めるし、身分証も発行してもらえる。まぁ、元からここに居たやつとは違う、リンキシアの身分証なんだが。それを持ってれば、いろいろ支援も受けられるぞ」

「その、支援って?」


 いちばん気になるところなだけあって、怜は間髪入れずに深掘った。


「働き口の支援がメインだな。まぁ、君たちなら何とかなるだろう。リンキシアは優秀だからな」

「優秀って、そんな」

「俺が今まで会ったリンキシアは、みんな何かしらの秀でた特技なり、能力を持っていたからな。君たちがどんな素質を持っているか、いずれ分かるだろう。焦ることはない」


 一瞬、期待に胸が弾んだが、「特技」や「能力」の言葉に、怜の心は急速にしぼんでいった。自分にそんなものがあるとは到底思えなかった。男の頃はもとより、女の子の姿となった今では、見た目くらいしか取り柄がない気がした。そこまで考えて、村での出来事を思い出す。


「そうだ。『祈り手様』って、聞いたことありますか?」

「祈り手様? ……聞いたことはないが、似た噂を聞いたことはあるな。昔はそういう力を持った娘がいたとか、いないとか」

「本当ですか? ここに来る途中、村に寄ったんです。そこで僕……私が、『祈り手様』って呼ばれて……」

「あぁ、あの村か。あそこはちょっと変わっているというか、言ってしまえば古風なところでな。古い信仰が残っているらしい。中央ではとうに廃れたが、辺境ではいまだ信じる者もいるとか」

「そう、ですか……」


 もしかしたら、自分も役に立てるかもしれない。怜はそう考えて少し気持ちが上向いたものの、あの村特有なのであれば、それも、あまり意味がないのかもしれない。怜は思わず黙り込んだ。


(パソコン仕事なんて、この世界じゃ存在もしないだろうし……何ができるのかな)


 得意だった仕事が、この世界では何の意味も持たない。その事実が、ただ重くのしかかった。一方で獅音は何か思い当たる節がある様子で、自信ありげに、兵士に向かって身を乗り出した。


「つまり、面倒を見てくれんだな?」

「制度の範囲内でな。あまり勝手なことをすれば、その時は自己責任だ」


 こうして怜と獅音は、異世界での新しい立場を手に入れた。要塞都市の片隅で、怜の新しい日々が始まった。何が待っているのかもわからない。それでも、怜は確かに、この世界の地を踏みしめていた。

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