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“祈り手様”と呼ばれて

 目覚めた森の家で、怜は不思議な光景を目にする。読んだことのない本の記憶、見覚えのない紅白の服を着た女の姿――それはどこか懐かしく、胸を刺す感覚を伴っていた。やがて獅音がクローゼットを見つけ、中にはその服とよく似た紅白の衣装を含む、女の子の服が並んでいた。

 外に出るため、怜は慣れない女の子の服に着替える。新しい体と下着に戸惑いながらも、無意識に選んだのは、あの紅白の服だった。やがて二人は、家の前に続く轍を見つけ、街へ向かって歩き出す。

 木々の隙間からのぞく空は、まるでどこまでも続く道のようだった。


 怜と獅音は、轍の付いた土の道を歩いていた。踏み固められた道には人の往来の跡が残っていたが、周囲には誰の姿もない。耳に入るのは、風でざわめく葉擦れの音だけ。その静けさが、かえって不気味だった。


 怜はその道を、慣れない靴でそろそろと歩いていた。森の家にあった唯一の靴は、低いヒールが付いていたのだ。わずかながらつま先に重心が寄り、気をつけないと今にも躓きそう。


 道の起伏に足をとられないようにと足元を見ながら歩みを進めたかったが、上手くいかない。膝の上で揺れる、スカートのせいだ。視界の端でひらひらと舞い、注意がそがれる。地面に食い込んだ小石につま先が引っ掛かり、たたらを踏む。

 

「……っと、あぶな。はぁ……」


 少しでも歩きやすくしようと、スカートをぎこちなくつまみ、気まずそうに目を伏せる。まるで足元の石を数えているかのようだった。


 気になるのはスカートだけではない。風が吹くたびに足元から吹き込み、素肌を晒している脚や、下着に包まれた股間が空気に触れて落ち着かない。倒れないようにと強く足を踏み出すと、その衝撃で胸元が揺れる。今の自分の体を思い出して、怜は耳を赤くした。


(……こうなるなら、最初からちゃんとした下着を付けておけばよかった)


 薄手の生地で出来たキャミソールと、肌が透けそうなブラウスだと、胸の守りが十分ではなかったらしい。歩くたびに揺れ、服にこすれて、どうしても意識が向かってしまう。


 そうしてトボトボと歩いていると、先を行く獅音が、ちらりと怜を振り返って言った。


「姿勢が悪いと、余計に目立つぞ? 中身が男なんて誰も気付かないって。堂々と歩いてりゃいいんだ」

「そ、そんなこと言ったって……歩きにくいんだよ、この靴……」


 怜は今にも途切れそうな声で返す。足に合わない華奢な靴のせいで細い足は擦れて赤くなっていたが、弱音を吐いて立ち止まろうとはしなかった。獅音に心配をかけたいわけではなく、むしろお荷物になりたくなかった。だからこそ、羞恥に震えながらも、歯を食いしばって、必死に歩みを進めていた。


 しかし、獅音はそんな怜の内心を、その身のこなし方から何となく察していた。


「ったく……。おい、村が見えたぞ。飯にありつけるかもだな」


 怜はその言葉に小さく頷いた。心配をかけた負い目と、それでも気遣ってくれた温もりが、胸にじんと染みた。


 ──◇──◇──◇──


 森を抜けて暫し歩みを進めると、低い柵に囲まれた小さな村が見えてきた。門番はおらず、家々は木と藁葺きで質素なもの。現代に残っていたら、保護を受けていそうなくらいに見慣れない。


 遠目に見た村人たちは素朴で機能的な服装をしており、どこか儀式めいた刺繍が目に留まった。現代の街中では見かけることのない、別の文化の気配がそこにはあった。


(どこかで見たことがあるような……あっ、アイヌ民族の服って、こんな感じだっけ)


 怜が見ているのと同様に、村人たちもまた、作業の手を止めて、二人をじっと見つめていた。見慣れない姿だったのだろう、警戒とも猜疑ともつかぬ視線が二人に注がれていた。そして、その中の視線のいくらかは、怜の着ている服、紅白の服に向けられていた。


 怜はその視線を受けて及び腰になったが、獅音は『そんなものは知らん』と言わんばかりに、村の中へずんずん進んでいく。怜はその後ろにぴったりくっついて、おずおずと村の中へ入った。すると、あたりから聞こえてくるのは村人たちの声。


 ヒソヒソと小声で会話しているのが聞こえてくる。中には両手を合わせて拝んでくる人もいた。まるで信仰の対象にでもなったようで、怜は背筋を伸ばした。


(もしかしてこの服、何か変なのかな)


 思い出したのは、森の家の中、鏡の奥に見た、儀式服を着ていた女の子の姿。今の自分は、その子と同じ格好だと言ってもいいくらいに重なった。


 もし、この服に何か意味があるのなら、それが何なのか早く知っておきたかった。


 それはきっと自分だけでなく、獅音のためにもなるはず。そう考えて、怜は獅音に声をかけた。


「ねえ、その……村の人たちに、僕の服のこと、聞いてみたいんだけど」

「は? なんで?」

「なんか、僕の服を見てヒソヒソ話してるんだ。もしかしたら、この世界では意味がある服なのかも」

「お前が可愛いからじゃねぇの?」

「いや、多分……ううん、絶対違うよ」


 妙にしつこい怜の言葉が、獅音はだんだん苛立たしく感じてくる。今まではこんなに自我を出す性格じゃなかった。獅音の知っている怜は、自分の後ろを黙ってついてくるような、控えめな性格だったはず。知らないうちに自立し始めていたのか──そんな錯覚が獅音の心を揺さぶり、何とかマウントをとらなければと焦らせた。


「お前な、俺は今、お前のためを思ってあれこれ考えてんの。余計なこと喋ってる暇があったら――」


 そこまで言って、獅音は周囲の村人から向けられている視線に気づいた。それはうるさくしたことに対する怒りではなく、もっと恐れ多いものに対する、畏怖のようだった。獅音はなぜそんな視線を向けられているのか理解できなかったが、流石に風向きが悪いと感じて押し黙った。


「いいさ、好きにしろよ」


 ぷいとそっぽを向いて捨て台詞を吐く獅音は、自分が悪いと認めたくない、いじっぱりな少年のようだった。


(なんだってんだ、急にしゃしゃり出てきて。お前は俺の後ろについていりゃ、それでいいのに)


 獅音は自分から離れていく怜を横目で見て歯噛みした。


 ──◇──◇──◇──


 怜は、近くにいたお爺さんの元に向かった。それは消去法で、村の若者からは、獅音からも向けられたことのある、女を品定めする男の視線を感じたから。それに対してお爺さんからは、何かを怜に重ねているような視線。二つを比べれば、まだお爺さんの方がマシだった。


「あの、すみません。……旅のものなんですが、この服装、この辺りだと何か意味があったりするんですか?」


 下手に回りくどく言うと曲解されるかもしれないと考えて、怜はあえて直球で質問した。話しかけられた、立派な白いひげを蓄えたお爺さんは、怜の声に感激しながら答えた。

 

「ああ、祈り手様。それはまさに祈り手様の法衣でございます。祈り手様以外はお召しになれないのです」

「祈り手様、って、なんでしょうか」

「我ら下々の民を救ってくださる、尊いお方です」

「ぼ……私がその、『祈り手様』なんですか?」

「法衣を召されているのであれば、祈り手様に間違いありません」


 お爺さんの肩越し見ると、その背後にいる村人が両手を合わせていた。子供たちは、周りの大人たちの反応を不思議そうな目で見ていた。怜は周りの人にも聞いてみたが、返ってきた答えは同じもので、困惑しながらも、それ以上は諦めた。


 獅音の元に戻った怜が、村人から聞いたことを伝えた。獅音は少し考え込んでから、怜のことを頭の先からつま先まで眺める。紅白の服を着た、女の子にしか見えなかった。しいて言えば、表情が不安げで、臆病そうで、昔の怜を彷彿とさせる気配があるくらい。『祈り手様』だなんて、村人が戯言を言っているとしか思えない。


(でも、なんだろうな。雰囲気がちげぇってか……服のせいか?)


 紅白の服で連想されるのは、神社の巫女さんくらい。しかも、獅音の頭の中に浮かんだのは、コスプレチックなものばかりだった。しかし、そのおかげで、怜の服から何かがにじみ出ているような、ただの服ではない気がどんどんしてくる。そんなものがあった森の家は何なのか、そこに居た怜は何者なのか、気になることは次々出てきたが、そのうち、考えるのが面倒になった。


「なんか知らんが、お前は特別ってことかよ」


 獅音は、その一言で終わらせた。怜を視界に入れないように、背中を向けた。怜の視界が揺れた。ただでさえ追いつけなかった獅音が、また一歩離れてしまった感覚があった。獅音の吐き捨てた声が、怜を突き飛ばした。それなのにその声は、怜を手放したくないとも言っていた。


 「……別に、特別になんてなりたくないよ」


 怜は、かすれた声で呟いた。獅音からそんな声を向けられるくらいなら、再会は妄想の中だけで留めておいた方が良かった。せめて、他の服を選べばよかった。なりたいのは獅音にとっての特別であって、知らない人から特別扱いされたって嬉しくなかった。


 ──◇──◇──◇──


 互いに言葉を交わさないまま、二人は村の中心にある広場へ進んだ。すると、どこからか立派な髭を蓄えたおじいさんが、にこやかな笑みを浮かべてやってきた。


「これはこれは。祈り手様とその従者様ですかな。ようこそお越しくださいました。旅の途中とのこと、お疲れでしょう。休まれて行ってはいかがですかな。こんな僻地ですが、よろしければおもてなしを」


 従者と呼ばれた獅音は、当然面白い顔をしない。大きな声ではなかったが、『は? 俺が従者ぁ? 勝手に決めんなよ』と零しているのが、怜の耳に届いた。獅音の口角はヒクついており、手を震えるほどに握りしめていた。


 あまりに気まずくて、空気のように気配を消したくて、怜は視線を明後日の方に向けた。しかし、獅音は黙ってそこに立っているだけ。村長は何も語らず、怜が話を進めろと、二人から言外に伝えられる。自分では決めたくないのに、それを強要されるのは、怜にとって胃が痛い話だった。


「……せっかくだから、お願いしようよ」

「あぁ、そうだな」


 獅音が口を開かなかったのは、何もしたくてしたわけじゃない。獅音に対する村長の一瞥が、『お前には聞いていないからな』と言わんばかりのものだったからだ。ここは相手の領域。下手なことは出来なかった。


 まるで自分が怜の背景になったみたいで、獅音は唇を横一文字に結び、黙った。


 面白くない。この世界に来た時の扱いだってそうだ。自分は森の中に放り出され、どこに行けばいいかもわからず、しばらく迷ったのに、怜は立派な家の中にあるふかふかのベッドの上で目を覚ました。


(この世界の主人公は、お前なんだな。俺は――この世界に居るのか?)


 胸の中でそう吐き捨てでもしないと、獅音はやってられなかった。


 ──◇──◇──◇──


 二人が案内された家は村の中心にあり、一番大きかった。宴会が催されることもあるのだろう、大きな広間に並べられたテーブルについた二人。太陽の高さからしてまだ昼前だというのに、二人で食事をとるというのは、怜にとって居心地悪いものだった。


 部屋には二人と村人一人だけ。その村人は二人を遠くから眺めるように──捉え様によっては監視するように──静かに待っていて、二人が会話しなければあまりにも静か。


 その静寂に耐えかねた怜が雑談として『すっかりお腹が減った』と口に出すと、部屋に居た村人がゆっくりどこかへ消え、にわかに家の奥が騒がしくなる。もしかすると聞かれてしまったのではないか、おいしいご飯をねだったように聞こえたか、と怜は恥ずかしくなった。


 しばらくすると、随分豪勢な食事が出てきた。内陸にある地域なのだろう、肉を中心とした料理は食欲をそそられ、ムスッとしていた獅音もゴクリとつばを飲み込んだ。


 村長もテーブルの向かいに座り、『さ、どうぞ召し上がってくだされ』と言ったので、二人は遠慮なく、次々に食事を口へ運んだ。見たことのない料理に、深く考えず口をつける危うさは、怜が一口食べた後に気付いた。


(もし、この中に毒が入ってたら、一発だな。あと、『よもつへぐい』とか。そんなこと言ってられないけど)


 怜は他人事のようにそんな考えを頭によぎらせた。料理を口に運ぶ手は止まらなかった。


 どの料理も素朴な味付けながら、体に染み渡る。空腹が何よりのスパイスだった。怜は小さくなった口で、獅音は野性味あふれる仕草で、一言も喋らずに食べ進めた。


 ──◇──◇──◇──


 すっかり満腹になった怜は、村長へ深く頭を下げた。


「ご馳走様でした。急に来たのに、こんなに豪華な料理を出してもらって……ありがとうございます」

「いやいや、とんでもございません。ただ、祈っていただけるのであれば、料理を作った者達も報われるかと」

「祈る? 何をですか?」

「聞き入れてくださるのか。では、村の安寧を」


 怜は純粋に質問しただけのつもりだったが、村長はその言葉に感激を受けると、僅かに声を震わせて答えた。


(やっぱり、この世界は『祈り』というものが重要なんだ)


 『祈り手様』という単語には心当たりがなかったが、『祈り』というキーワードには心当たりがあった。


 あの森の家で読んだ本から感じた、祈りの気配。なぜあの気配が『祈り』と結びついているのか言語化できなかったが、なぜか確信を持てるほどだった。


 パズルを解いていくような感覚を覚えながらも、怜は村の安寧を祈った。目を閉じ、祠のようなものをイメージをしながら、手を合わせる。


 その瞬間、部屋の空気が震え、水面のように空間が揺らいだ。まるで世界が一瞬だけ呼吸を止め、誰かの声を聞こうとしているかのようだった。


 村人たちの何人かは身をかがめ、息をひそめて、祈りの姿勢を取った。獅音は何が起きているのか理解できず、ただ怪訝な表情であたりを見渡した。


(どうか、この村の人たちが、健やかに暮らせますように)


 怜が胸の中で呟くと、余韻が体中に広がった。なにかに繋がったかのような感覚。意識が自分の体を抜け出し、ぐんぐんと上昇して、どこか遠いところから世界を見下ろしているようだった。自分の身体がどこにあるのかわからなくなった。


 リン──と、どこかで鈴の音が鳴った。


 そしてその直後、怜は軽いめまいを覚えた。座ったまま立ち眩みをしているようだった。ぐらりとふらつき、咄嗟に目を開いて、椅子のひじ掛けを掴んだ。静寂に包まれた部屋の中で、ガタンと大きく音が響いた。


 視界の焦点が合った怜は、荒ぶる鼓動と詰まる息に、目を見開く。


(なに、今の。……もしかして、祈ったから?)


 恥ずかしいところを見せてしまった、と怜があたりをそっと見渡すと、村長をはじめとした周囲の村人たちの数人が、地面の上で祈っていた。


 怜は『ぅ……』と思わず声を漏らした。まるで自分が神様にでもなったような——そんな浮ついた錯覚が、むしろ恐ろしかった。


「──お前、今、なんかしたのか?」


 隣から、獅音に話しかけられた。獅音の顔を見上げれば、畏怖がその視線に込められていた。


 獅音は怖かった。祈るだけで人がひれ伏すなんて、神様でも見ているようだった。手を合わせた直後、部屋から音が消えたような感覚がした。あの空間は、怜のためだけにあったようだった。


 今はその雰囲気がすっかり消え失せているのが、むしろその異常さを際立たせていた。


「ただ、言われたままに祈っただけだよ……?」


 それが本当に『だけ』なのか、怜は自分の発言に嘘があるような気がしてならなかった。もっと、何か大変なことをしてしまったような。


「おい……お前から、なんか、言ってやれよ」


 ずっと膝まづいている村人を見て、獅音が言った。それはまるで、『自分が言ったところで意味がない』と悟っているように聞こえた。怜は獅音に何か言葉を返そうと思ったが、ちょうどいいものが見つからなかった。

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