女の子の服を着るって、こんなに恥ずかしい?
死を目前にした男、朝霧怜は、意識を失う直前、ただ一人の友人・雨津獅音に助けを求めて祈った。目を覚ますと、そこには獅音の姿があった。夢か現か――再会に喜ぶ怜だったが、獅音は「お前は女だ、怜じゃない」と拒絶する。慌てて鏡の前に向かった怜は、自分の体が女の子になっていることを知る。必死に自分が『朝霧怜』であると訴える怜に、獅音はついに信を置いた。二人はかつての関係を取り戻したかに見えたが、やがて獅音は、怜に対して妙に高圧的な一面を垣間見せる――。
獅音と怜は、森の中にぽつりと建っている家の中を見て回った。見知らぬ場所に飛ばされた獅音、見知らぬ家に見知らぬ姿で飛ばされた怜。獅音は、何が起きたのかを確かめるように、怜もまた、自分のこの姿の意味を探すように。
家の中は、不自然なまでに削ぎ落とされた空間だった。家具はベッド、クローゼット、ドレッサーの三つだけ。水道はおろか、井戸もなく、扉もたった一つ。床には塵ひとつ落ちておらず、埃も積もっていない。不自然な光景に、獅音は、どことなく気味の悪さを感じていた。
しかし、怜にとっては、悪くない居心地だった。まるで、元々この家にいたみたいだった。もしかしたら、夢の中で来たことがあったのかもしれない──そんな、不思議な安心感があった。
「なんつーか……ここ、落ち着かねぇな。キレイすぎるンかねぇ」
「そうかな? むしろ、ちょっと落ち着かない?」
「マジ? オレの部屋が汚いって言ってる?」
「そんなこと言ってないでしょ……」
軽口をたたきながら、怜は記憶の奥深くを覗きに行っていた。どこかで見たことがある、気がする。だが、思い出そうとするほど、記憶は霧の中に沈んでいった。
──◇──◇──◇──
怜が部屋を歩き回っていると、ドレッサーの上に一冊の本が置かれていた。古びた革装の分厚い本。まるで聖典のようなそれは、どこか懐かしい気配を放っていた。怜は吸い寄せられるように手を伸ばし、その本に触れた瞬間だった。
(これ、なんだろう。どこかで読んだことがあるのかな。──っ!)
怜のまぶたの裏に、見たことのないはずの光景が浮かんだ。
ベッドに横たわる自分が、ひとり静かに本を読んでいる。中身は見慣れない文字で書かれていたが、意味はすべて、心に染み込むように理解できた。まるで、何度も読んだことがあるようだった。その一節が、淡く光る。
『ほんとうの幸いってなんだろう──』
『どこまでもどこまでも一緒に行こう──』
読んだ途端、懐かしいのに胸を刺す感覚が、胸の内に広がった。その問いを何度も繰り返し、すがるように祈った感情が、自分のもののように感じられた。この本を読んだ誰かの思いが残っているのだろうか。
(……なに、今の。僕の、昔の記憶? いや、こんな文字、使ったことない。僕の記憶じゃないなら──誰の記憶なんだ?)
いつの間にか、視界は元に戻っていた。混乱から帰ってきた怜は、はっとして本を閉じ、ドレッサーの脇にそっと置き直した。
(あの一節、何が言いたいんだろう。なにかとても――大切なことを伝えられている気がする)
あの本は、この家に住んでいた人が置いていったのだろうか。もしそうなら、どこに行ってしまったのだろう。どうして、自分がこの家で寝ていたのだろう。怜の頭の中は、大量の疑問符で埋め尽くされた。その答えを探して、家の中をぐるりと見渡した。
そのとき、視線の端に映った鏡が、湖面のように揺れた。怜の視線がつかみ取られた。
鏡の中から、長く白い髪の女がこちらを見返していた。床にまで届きそうなほどに長い髪。今の自分の姿とすら似ても似つかないのに、怜はどうしてか、それが自分のように思えた。
鏡面の奥に、もう一人の自分が閉じ込められているようだった。ぼやけた顔立ち、しなやかな身のこなし。身に纏っているのは、白と紅の布地──祈りと孤独を抱いた、神前の衣。
瞬きをして、もっとよく見ようと鏡を覗き込めば、それはもう普通の鏡に戻っていた。鏡の中には、アジサイ色の長い髪をした、新しい自分の姿。着ている服は、男の頃に着ていたダボダボのスーツ。
(見間違い? いや、それにしては妙な感じがする。なんだろう、あの服──どこか見覚えがあるような気がする)
突飛な考えが、怜の頭によぎった。もしかしたらあれは、誰かの記憶に宿った、かつての自分のかもしれない──そんな予感が胸を締めつけた。それだけ、鏡の奥に見た女の姿は、妙にしっくりきた。
怜が背を向けた後も、鏡の中で『誰か』が立っていたような気がした。あの人もまた、祈りながらあの本を読んでいたのだろうか。何かを引き継いでしまったような、抜け殻のような感覚が胸に残った。
(もしも『前世』を思い出すなんてことがあるんだとしたら、こんな感じなのかな)
怜の問いは、自分の胸の内に消えていった。
──◇──◇──◇──
「うぉっ……こりゃすごいな」
「どうかしたの?」
獅音の驚きの声で、怜の意識が現実に戻ってきた。声の元をたどれば、獅音がクローゼットを開き、中にびっしりと並んでいる女物の服を眺めていた。怜も気になって、近くに寄る。
服は驚くほどに整然と並んでいた。パーカーやワンピースなどの現代服だけでなく、どこか古風な、巫女装束を思わせるデザインの白いブラウスと紅いスカートも混ざっている。どこにでもありそうで、しかし見たことは一度もない意匠。
それを見た瞬間、怜の中で、鏡の中に見たあの人影と服が重なった気がした。形ではなく、纏っている空気が似ていた。まるで、自分のために仕立てられたかのように、ぴたりと視線が合った。思わず喉が詰まる。これは偶然の一致なのだろうか。
(いや、これは偶然じゃない。鏡の中のあの女と、この服を繋ぐ何かが、この空間には確かにある)
妙な確信だった。怜はなぜか、そう言い切ることができた。でも、どうして。理由は分からなかった。
怜が思案に暮れている間、獅音はクローゼットに掛かっていた服を手に取って、内側まで丁寧に観察していた。女の服を弄るのに慣れているのか、たいした抵抗は感じていない様子だった。
「これ、お前が着るんだからな。どれを着るか選んどけよ」
獅音はクローゼットにかかっている服を片っ端から確認し、問題がないと分かると、ベッドの上へ並べていく。寒色系、暖色系、モノトーン。男物の服よりもずっとカラフルな女の子の服が、次々に広げられていった。それを見ながら、怜は、実感が湧かないまま聞き返す。
「え? 僕が?」
「当たり前じゃん。その恰好でずっと過ごすつもりか?」
袖も裾も、まるで体に合っていないスーツ。そんなものをいつまでも着ているよりも、体に合う服を着たほうが良いなんて、怜だって分かっている。分かっていても、女の子の服を着るという現実には、まだ気持ちが追いつかなかった。怜は、ほかの選択肢が残っていないか探した。
「何とかならないかな?」
「ならないだろ。これ以外に女物の服なんてねぇし」
見込みもなく、部屋の中をぐるりと見渡した怜。その様子が現実逃避をしているように見えて、獅音はため息をついた。
クローゼットの上半分、ハンガーラックにかかっている服を全部確認した獅音は、続いて下の引き出しを開けた。するとそこには、きれいに畳まれた女物の下着が並んでいる。獅音はそこからショーツを一枚摘まみ上げると、怜の前で見せびらかした。
「決められないなら、俺が選んでやろうか?」
「ちょっ、やめっ……」
獅音が持っていたショーツを丸めて怜に投げてよこすと、怜はそれを反射的にキャッチした。今まで触れたことすらない女の子の下着を手に取って、怜の胸はドクンと震えた。
からかう眉の下で、ほんのり優しさも混じった声。獅音はにやりと笑い、まるで怜を品定めするかのような視線を向ける。悔しさと恥ずかしさが入り混じり、怜の顔はますます熱くなった。
「ほら、さっさと着替えな」
「わ、分かったよ。……こっち見ないでね?」
「なんだよ、もう女になった気分なのか?」
『そんなことない』と、怜はすぐに言い返したかった。女の子になったことを嫌がらないと、獅音から嫌われてしまいそうだったから。
しかしそれを上回るくらいに、怜は、獅音の視線が気になった。男同士の頃には感じたことのなかった、身体を刺すような視線。いったい何かと困惑し、その意図を推し量ろうとしてから少し経ってようやく、それが女の身体を品定めする男のものだと気づいた。
(やっぱり、獅音も気になるのかな。この、女の子の身体)
今の自分が、男から性欲を向けられる対象なのだと言われれば、頭では理解はできた。鏡を通して見た自分の姿は、とてもかわいい女の子だったから。しかし、実感はこれっぽっちも湧かない。女の子の体の中に、意識だけが入り込んでしまったような感覚で、自分の身体であるという自覚がなかった。
それでも、獅音に見られたまま着替えるのは、どうしても気が進まなかった。
(そうだ、男の頃だって、きっとそう思ってたはず。嫌なのは、この体のせいじゃない)
怜は懇願するようにじっと獅音の顔を見上げ、やがて彼が折れた。
「わかったよ、向こう向いてるから」
──◇──◇──◇──
怜は重い足取りでクローゼットの前までやってくると、獅音が自分に背中を向けていることを改めて確認し、着ているスーツに手をかけた。自分が男だったことを表す、最後の象徴。それを脱ぐことは、男としての人生にピリオドを打つことと同義に思えた。男に戻れなくなる気がした。
(でも、このままの恰好じゃ、獅音について行くこともできない)
小さく華奢になってしまった手で、スーツをギュッと握りしめる。分厚い生地は、今の手には随分と硬く感じられた。男の残滓にしがみつくのか、自分の新しい体を受け入れて前に進むのか、選択に迫られていた。
背後には、暇そうにしながら怜が着替えるのを待っている獅音の気配。いつまでもモタモタしているわけにはいかない。しびれを切らして振り向かれ、着替えている途中の半裸を見られるのは嫌だ。覚悟を決めるのに残された時間はそう長くない。それでも動かない自分の身体が、怜には恥ずかしく思えた。
(僕がモジモジしている間に、きっと獅音くんはグングン進むんだろうな)
昔から、そして今も、獅音は自分の力で前に進める人だった。怜は、その後ろをついて行くことしかできない。いつまでもそんなままじゃ、いつか獅音に置いていかれるかもしれない。もしかすると、大学卒業以降会えなかったのは、そういう事なのかも。怜はそう考えた。
(獅音くんに、置いていかれたくない。獅音くんの隣で立っていたい)
その願いが、覚悟を決めさせた。
小さい手で、スーツを脱いでいく。繊細な指先を動かすのには慣れなかったが、服を脱ぐだけであれば時間はかからず、始めてしまえばあっという間に全裸になった。脱いだ服は丁寧にハンガーにかけ、クローゼットにしまった。男としての自分をはぎ取ったようだった。
(なんだか、名残惜しいな)
身一つになり、自分が男だったことを示すものが、自分の記憶と意識を除いて、一つも無くなってしまった。傍から見れば、女の子以外の何物でもない。
せめて下着だけは、男の頃のままにしようかとも思った。しかし、下着のシャツですら今の身体には大きすぎ、穿いていたパンツが股に擦れると妙な感覚がして諦めた。それならばお守り代わりに持ち歩きたいとも思ったが、鞄が見当たらない今、そうもいかないと怜は自分を納得させた。
代わりに着るべきものを求めて、視線をクローゼットの引き出しへ向けた。そこに並んでいるのは、キャミソールとブラ。
(これ……どっちにしよう)
怜は逡巡したのち、キャミソールを着た。肩ひもが細いものの、ランニングシャツのような気分で着られると思った。それに、ブラを着けるよりは、ずっとマシだと思った。
ブラだけは、どうしても譲れない男としての自意識があって、受け入れられなかった。言い訳のしようがない、女の子だけが着る下着だから。キャミソールなら、まだなんとか言い訳できる気がした。
しかし、キャミソールでさえも、身に着けると落ち着かなかった。
淡い色のキャミソールが、鎖骨のあたりでふわりと揺れる。胸元には何も貼っていない。けれど、ちゃんとしたインナーだけあって、生地は二重になっていて、乳首が透けるようなことはなかった。
(良かった。でも、これ……)
視線を下にずらすと、布の下にあるふくらみが、キャミソールに程よく包まれて、くっきりと浮かび上がっていた。そのふくらみをそっと両手で持ち上げてみれば、ふるりと形を変える。自分の身体のはずなのに、どうしても他人の皮を被っているような気がしてくる。
(女の子の、身体だ……)
この姿は『女の子』として世界から見られるものなんだ。そんな実感が、じわじわと胸に染み込んでくる。これからは、この体で生まれながらの女の子を演じ、精神を体に馴染ませていくしかないのかもしれない──そんな思いが、ふとよぎった。
(それって、これから死ぬまでずっと、女の子だって嘘をつくってこと?)
胸の奥が、ジクジクと痛みだした。
──◇──◇──◇──
胸元の突っ張る感覚が慣れず、何度もキャミソールの着方を調整していると、背後から獅音の声がかかった。
「おーい、そろそろいいか?」
「ちょ、ちょっと待って!」
「なんだよ、まだヘタレてんの?」
「うっさい!」
あまりの遅さからだろう、からかいの声を掛けてきた獅音。怜はひとこと言い返すだけ言い返して、急いで着替えを進めた。自分の体を出来るだけ直視しないようにしながらショーツをはき、手近にあったブラウスを着る。その勢いでひざ丈のスカート、靴下、パンプスもはきおえた。何を着ているかは、深く考えないようにした。
「はぁ……。着替え、終わったよ」
「やっとか。ったく、時間かけすぎだって」
「しょうがないでしょ、女の子の服なんて、着たことないんだから」
そう言いながら、心臓は痛いほどに激しく拍動していた。声も震えていた。自分の意志で女の子の服を着たことが、穴を掘って隠れたいくらいに恥ずかしかったから。これで獅音にからかわれたら、家の外に出られる気がしなかった。ちらりと自分の身体を見下ろすと、女の子の服の下に、男の自分の身体があるような気がした。
(獅音くん、こんな僕、見ないで……)
しかし、そんな思いは届かない。怜が獅音に声を掛けると、くたびれたといわんばかりに首を回しながら、獅音が振り返った。怜は彼に顔を向けられず、横目でちらりと覗き込む。その先、獅音の顔には疲れの影も見えたが、怜の姿をとらえるとすぐに目を輝かせ、口元に弧を描いた。
怜は思わずドキリと胸を高鳴らせた。女の子の服を着ている恥ずかしさではない。まるで――男相手にこんな言葉を使うのはどうかと思うが――初恋のようだと感じてしまった。その気持ちに気付いてすぐに、怜は獅音から顔を逸らした。大きく深呼吸をし、忘れようと必死になった。
「良い感じじゃん。似合ってるぞ」
その声色には、からかう色が欠片もなかった。本心から言ってくれているのだと、顔を見なくても分かった。
「そ、そうかな。変なところ、ない?」
「見た感じ大丈夫そうだけどな。ちゃんとブラ付けたか?」
今度は、からかわれたのが分かった。獅音の表情が目に浮かぶようだった。男の頃だって、何度も向けられた表情だ。からかわれた時には、決まって同じ反応をしてしまう。それは何度後悔しても繰り返してしまう、反射的なものだ。
「……つ、つけたよ。ちゃんと」
「ふーん」
咄嗟についた嘘。するのが当然だと言われたことに、『当たり前だ』と答える。それはこの場合、『お前は女なんだから、ブラを着けるのが当然だろ』という意味。獅音が自分のことを女として見ていると、宣言されたようなものだった。
(やっぱり、付けなきゃダメだったのかな)
その場を取り繕うためだけについた嘘を見抜いたのか、怜の背後で獅音の口元がゆっくりと弧を描く。歩み寄ってくる獅音の足音から逃げ出せず、怜はその場に立ったまま。あっという間に獅音が怜のすぐ後ろに立つ。
獅音に比べて頭一つ分ほど背が低い怜は、背後で自分を見下ろしている獅音の気配に、身体を委縮させた。それを好機とばかりに、獅音の手が怜の胸元に伸びる。怜の視界に映る、獅音の手。それがどこに向かっているか遅れて理解し、怜は反射的に飛びのいた。
「な、な……っ!」
そんなことをされるなんて思っていなかった。怜は獅音に向かって振り返った。慌てている怜と対照的に、獅音は余裕に溢れていた。
「俺から逃げるなんて、生意気じゃん」
恥ずかしがっているところを獅音に笑われて、羞恥が加速する。そのなかで、頭の中のもう一人の自分が、『どうして胸を触られそうになったくらいで恥ずかしがっているんだ?』と問いかけた。
男なら、胸を触られそうになったくらい、恥ずかしくもなんともない。むしろ、気持ち悪いと頬を引きつらせるだろう。それなのに、可愛らしい声を上げて驚いてしまった。自分は男のはず。体は女の子になったけれど、自意識は間違いなく男のはずなのに。
(僕、どうかしちゃったのかな……)
女の子みたいな反応を無意識に返してしまった自分に、怜はまた恥ずかしくなった。
──◇──◇──◇──
自分の心の動きに戸惑っている怜の気も知らず、むしろ弄んでいるのか、獅音は言葉を続けた。
「てかさ、スカートにしたんだ」
その言葉の意味がすぐに分からず、怜はただ返事を返した。
「え? ──うん」
「恥ずかしいって言うなら、ズボンを選ぶところだと思ったからさ、意外だね~って、そんだけ」
言われてみれば、その通りだった。服が並べられたベッドの上には、ズボンの類もあった。スカートが嫌なら、他の選択肢を選べたはず。なのに、なぜかスカートを選んでいた。
視線を落とすと、視界に入るのは紅色のプリーツスカート。心のどこかで、スカートを穿かないといけない気がした。そうしないと、役割を果たせないような気がした。
(役割って……何の?)
もしかして、女の子として振舞いたくなったのだろうか。それとも、獅音が喜んでくれると考えたのだろうか。無意識下で選んでいた『女の子』の服装に、怜は戸惑った。そんな自分の心の揺らぎを、怜自身が一番理解できずにいた。
自分で服を選んだはずなのに、決定権が自分の外側にある気がした。
もたつく怜に、獅音は重ねてからかいの声を投げた。
「ま、スカートの方が可愛くていいんじゃねぇの」
「……えっと……ホントに可愛いかな?」
思わず、怜は聞き返した。けれどなかなか返事がなく、もどかしくて顔を上げた。視界に獅音の顔が入った。その時、部屋の温度がグッと下がったような気がした。
怜より頭ひとつ背の高い彼が、その全身を熱っぽく見つめていた。獅音の瞳の中に映った自分の姿。白いブラウスに紅色のプリーツスカート。それは鏡の中で見た女の姿を彷彿とさせた。
背筋にゾクリとした、快感を孕んだ痺れが走った。胸が高鳴った。何かの間違いだと、自分の身体の反応を否定した。
「マジで可愛い」
含み笑いを浮かべる獅音の目が、怜を捉えて離さない。その熱い視線は、好奇心からくるものではなかった。自分に女を見て、欲情されているように感じた。しかし、すぐに気づく。
(……違う、これはそんなんじゃない)
まるで、怜がもう『自分のもの』であるかのような確信──それを壊されまいとする、微かな警戒心が滲んでいた。
怜はその視線の意味に気づいた瞬間、背中を這い上がる寒気を感じた。見つめられているのに、守られている感覚がない。温度があるのに、冷たい。甘さの奥に潜む、捕食者の目。怜は思わず自分の体を抱き、獅音に背中を向けた。
「……やめてよ。本当に恥ずかしいんだから」
何とか冗談として返せたものの、怜の心のざわつきは収まらなかった。
──◇──◇──◇──
「なんにせよ、水と食料を見つけないと。腹減って死ぬとか、笑えないからな」
獅音の声で、怜は我に返った。
自分が今、どこにいるのかを再確認する。白いブラウスの下、柔らかい脂肪に覆われたお腹を撫でると、確かな空腹がその下にあった。このまま何もせずにいれば、いずれ飢え死にするかもしれないという現実が、怜を急かした。
「その、僕も結構、お腹空いてるかな」
「ま、道があったんだし、それを辿ればどこかに出るだろ。……ほら、怜、これを見てみろ」
外に出た獅音が呼ぶ。怜が玄関から外を眺めれば、そこにあったのは家の前を横切るように続く土の道。草に覆われながらも、確かに人の手で拓かれた跡がある。
「右の方には深い溝があるだろ。これが馬車とかの轍なら──」
「そっちに、町があるかもしれない、ってこと?」
「だな。一通り家の探索も終わったし、行ってみるか」
獅音の表情が和らぎ、それを見た獅音は唇を引き結んだ。さっき獅音が見せた、支配的な笑み。同じ笑顔なのに、全く性質の違う二つ。獅音の二面性が、怜の心を揺さぶった。