第一章⑧
孤児院から手を振るシスターと子供たちの姿が見えなくなった。まっすぐ続く道の先を見据えて、僕たちの旅は始まったのだと気持ちを新たにする。
ただ、隣を歩く結えた赤髪の子は無表情のまま僕の一歩前を歩んでいる。シスター曰く猪突猛進で真面目すぎるとのこと。とてもまっすぐで、芯のある性格なのだろうと推測しているものの、自己紹介すら出来てないのだから、お互いの性格やら何やらはまだ何も分かっていない。
僕が先陣きって会話を進めたほうがいいはずだ――とか思っていたら、なんだか僕だって逆に会話を始められなくなってしまっていた。完全に会話のタイミングを見失っていたのだ。
朝の陽光を浴びながら、互いの距離を幾分か空けて道を進む。ほぼ初対面なんだから、僕だってこうなると分かっていたはずだ。シスターに煽てられて出来る人間なのだと勘違いしてしまっていたらしい。
「ーーですか?」
一人モヤモヤと思案していると、隣から声が聞こえた。少しトゲがあるような口調だけど、温かみのある印象だった。
「あの、どうしました?」
「この道は初めてですか?」
何でもない世間話だった。いや、場を和ませるために気を遣いつつ話を切り出してくれたのだと思う。僕は、自分の人生、運命、さらに命も左右する旅に、何をほぼ初対面だからといって緊張しているんだと、馬鹿らしくなった。緊張する必要はない。綺麗な女性との二人旅だけれど、何より本気で生き抜くため、何にでも喰らいついていく必要があるのだ。
「えっと、シスターから聞いているかもしれませんけど、実は外大陸から来たんです。イエルの森?だったかな、そこ経由で。だから、このフローリアの国は全て初めてなんです」
「そうですか」
返答を待つと、しばし沈黙。すかさず次の言葉を繋げた。
「えっと、自己紹介しませんか?僕はハル。16歳。君は?」
「……私はアリシア。歳は、今日から15です」
「あ……歳下だったんだ……でもありがとう、アリシア。僕、この国のことはもちろんだけど、色々無沈着で……教えてもらいたいことは山程あるんだ。シスターにも君から教わってくれって言われてて。先は長いし聞いてもいい?」
アリシアが歳下ということにとても驚いたものの、彼女は嫌そうな素振りを見せず僕の提案に頷いてくれた。僕はそのまま安心して話を続けた。
「まず、国の地理なんだけど、そもそもこのフローリア国を教えてもらいたいんだ」
「……私も詳しくはないですけど。まずフローリアの最西地と呼ばれているのが、イエルの森です。その先にある平地をさらに西へ進むと、広大な森が果てしなく広がっていると言われています。そして、イエルの森を東に抜けると、さっきまでいた孤児院があります。辺ぴな土地ですけど、比較的魔物が少なく安全です。時たまウルフを見つけることがありますが、その際は私たちが向かっているカタニアの街のギルドで討伐依頼を出すのですーーその討伐が、たまたま昨日だったということですね。通常、ウルフは討伐依頼に出されるほどの魔物ではありませんが、孤児院という場所柄、出没が見受けられる度に依頼しています。そして、カタニアの街には正午までに到着しますが、道中、道を反れると"イブレ村"に着きます」
「かなり詳しいですね」
「ありがとうございます」
「博識というか、知識人ですよ。これからも色々教えてください」
寡黙なようで、もしかしたら話が好きなのかもしれない。いや、緊張を誤魔化しているのかもしれない。それはそのはず、僕だって不安なのに、この子だって不安なはずだ。見ず知らずで、さらに足手まといの可能性すらある他人が旅に同行するのだ。それを挽回すべく、僕が少しでも引っ張っていかないといけない。
「ところで、朝食食べましたか?朝早かったのでシスターが持たせてくれたんですけど」
僕はその荷物が入っている袋を掲げた。パンやら何やらが二人分入っているらしく、歩きながらの朝食にしてくれとのことだった。
「……実は昨日からずっと出発の準備をしてまして、昨晩から何も食べてないんです」
アリシアは本当に真面目なんだと、少しだけ微笑ましく思えた。お腹を擦りながら顔を赤くするアリシアへ一人分を手渡し、一緒に中を開くと、昨日の夕食で食べた硬いパンが入っていた。
「そういえば、なんで旅に出ようと?」
硬いパンを千切って頬張りながら、アリシアへ尋ねてみた。孤児院では、15歳になり成人を迎えると独り立ちしてよい決まりになっているらしく、またアリシアは今日が誕生日で、15歳だ。ルールに則った最短のタイミングで孤児院を発ったことになる。シスター達と不和があったわけではないと思っているものの、何か事情があったのかと気になる。
「どうしてもやりたいことがあるのです……この国から、少しでも多く孤児院に入るような子を減らしたいのです」
「……ごめん、ちょっと意外に思っちゃって、少し驚いた……やりたいことはもう決まっているんだ?」
「恥ずかしながら、具体的なものはこれからで、単なる理想でしかないのですが。カタニアに出たら、まずは色々なことを学んで、そこからやるべきことを具体的にしていこうと考えています」
アリシアは、フフ、と笑みを浮かべると、頬を赤くした。孤児院の皆はアリシアの夢を知っていたのだろうか。送り出してもらったときの、皆の顔が思い浮かんだ。
「そういうあなたは?」
「え、僕?僕はーー」
唐突な質問に思考が停止してしまった。そういえば、僕の旅の目的は元の世界に戻ることだけど、それを表向きの目的としては言えないのだ。外大陸から訪れたという前提が崩れてしまう。
「目的か……えと、せっかく来たんだし、この国の見聞を広げようかな……なんて」
少々しどろもどろになってしまったが、なんとか納得してくれたのかアリシアは頷いている。僕の様子を見て一歩引いてくれたのかもしれないが、早急にしっかりとした旅の目的を考えねばならない。
「あれ、雨」
いつの間にか晴れ間が雲に隠れ、ぽつり、ぽつりと雨粒が地面を濡らし始めたと思った瞬間には、瞬く間に横殴りの雨へと変化した。食べ物を鞄にしまい、フードを被る。
「幸先よくないね」
「そうですね。雨宿りしますか?」
アリシアが指さす先には、他よりも背の高い大木が生えており、多少なりとも雨を防げそうだった。
「じゃあ、弱まるまでそこで休憩しよう」
体感、旅立って1時間ほど経っただろうか。そこまでの疲労は感じていなかったが、雨宿りを兼ねて休むことにした。
「この地域では時季外れの豪雨です。嫌な雰囲気ですね」
「何の前触れもなかったしね」
内心、良くないことの前兆でないことを祈っていた。この世界に飛ばされるきっかけも、謎の豪雨だったからだ。風に煽られて、地から足が離れたときの感覚は一生忘れられないだろう。
「孤児院では、『季節外れの突然の豪雨には注意しろ』と言われてきました」
「確かに危ないけどーーそれって割と普通のことじゃない?」
「そうですが、災厄の前兆とも言い伝えられてきたらしいのです」
いわゆる地域の伝承……アリシアの物言いに、ふと心が重くなる。言葉に重みが加わり気持ちの持ちようが変わったのだろう。寒気も感じる気がする。アリシアも何かを感じているのか、あたりを見渡している。そわそわとしており、落ち着きを失いかけているようにも思えた。
「不安かもしれないけど、もう少し休もう」
「違います……聞こえませんか?」
「へ、何が」
そう聞いて、耳を澄ませる前に、雨音をかき消さんばかりの叫び声が、空いっぱいに響き渡った。
「猛獣か何かが、叫んでいる?」
「それだけじゃありません。あの方角、何か飛んでいます」
アリシアが指さす先には、黒くて翼のある何かが滞空しているようだった。
「あれは何だろうな」
虫?鳥?いや、異世界だし、ほかにも選択肢があるかもしれない。僕はほかに何がいたっけ、と記憶をたどっていると、アリシアは、震える声で決定的な”あれ”の名を口にした。
「ーー"ドラゴン"です。そして、あの方角は、イブレ村……」
その呼び名に血の気が引いた。あらゆるファンタジーでも最強、もしくは生き物の上位の存在で、弱肉強食の頂点にいる"それ"だ。そんなドラゴンと思われる影は、空中から見下ろしながら何かを吐いているようだった。
炎?村が襲われているのか?この地域は魔物が少なくて安全じゃないのかーー
僕が困惑していると、突然アリシアは走り出した。雨が降りしきる中、一直線に村の方向へ向かっていく。
「待って!焦らないでくれ!」
我を忘れているのか、僕の声には全く反応してくれなかった。瞬く間に距離が空いていく。
「焦っちゃ駄目だ。一緒にあの村へ行くんだ。二人で行かないと!」
僕は、聞こえないと分かっていながらも、遠ざかる背中へ叫び、その姿を追った。