第一章⑦
翌朝。日が昇り切る前の早朝ーー
慣れというのは不思議なもので、これまでの暮らしと環境が変わっても、生活リズムにはそこまで影響が出ないらしい。いつもと同じく朝早くに目覚めてしまった僕は、昨日の出来事を思い出しながら簡単に荷物を整理していく。
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昨晩、夕食にて。
僕は、シスターから新入りメンバーとして簡単に紹介されたあと、部屋の端にある席に腰掛けた。席が空いてなかったとはいえ、奥側へ座ったのはあまり良くなかったのかもしれない。よく見ると、周辺の子供たちの年齢は小学低学年程で、緊張はすぐに解けたものの、誰と何をして遊んだ、などの話や、隣席の子供がすごい水系魔法を使えること、といった他愛もない話しかできなかったのだ。色々な子と会話したい気持ちもあったけれど、出発が翌日であることを考えると、極力波風を立てず、無理しない範囲でのコミュニケーションに留めておいた。
一方で、旅の同行者とだけは何としてでも話をしておきたかったものの、夕食に顔を出していなかったのか姿を見ることもできず、出発までのお楽しみとなってしまっていた。そのため、子供たちとの話が終わり、硬いパンと食材の少ないスープを平らげると、早めに休もうと自室へ戻ったのだ。
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昨晩の出来事をひとしきり振り返ったころには、荷物の整理と部屋の片付けは終わっていた。とはいえシーツを整えて、元々着ていた制服を畳んだだけだ。
服装は、下着として麻の服を着、上着としてレザーを織り込んだ軽めのジャケットが置いてあったので、それを着ている。着慣れない服だが、旅の服装としてはスタンダードなのだろう。制服は使わないかもしれないが、古びた鞄に入れて持っていくことにした。
今日の出発は早い。シスター曰く、カタニアの街には歩いて三時間ほどで到着するものの、街へ入るための手続きに時間がかかるということで、少しでも早くに出発したほうが良いとの判断だった。"日が昇りきったら出発"と言われていたので、そろそろ部屋を出なければいけない。
あと少しで旅が始まることを考えると、安心できて心地のよいこの孤児院に留まりたい気持ちも芽生えてくる。しかし、元の世界のことを考えると、そんな思いも立ち消える。もし、この世界と元の世界で時の流れが同じなら、元の世界の僕は、行方不明として届け出がされているはずだ。家族や友人も心配しているに違いない。
「この世界に呼ばれたきっかけを探って、一刻も早く家に帰る方法を見つける。ただ、それだけだ」
僕は改めて覚悟を決めると、自室に一礼して、部屋を出た。
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玄関口には、お見送りをするのであろう子供たちで溢れていた。当然ながら僕ではなく同行者を見送るために集まっているのだろうが、多少は打ち解けているので、悪い気がするわけではない。ただ、同行者の姿はまだ見えていない。この世界では時計が一般的ではないので、待ち合わせでは多少遅れても不問らしい。
それでもなかなか同行者は現れず、徐々に陽は昇っていく。時間が経つのを待つべく子供たちの輪を離れて座っていると、シスターが僕の肩を叩いた。彼女は今日も笑みを絶やさずに話しかけてくれた。
「心配ですか」
「それは……もちろんです。でも、恩人が問題ないと言ってくれているんで、それを信じるだけです。ただ――身の回りを守る物は本当にいらないんですか」
旅に出る前の、唯一気になる点だった。魔法があるとはいえ、剣や盾などは何も持たせてもらえなかったのだ。魔物がいる世界なんだから、せめて護身用の何かを手にしておきたいところだった。
「安心ください。重しになるだけですので。魔法で十分なのです。それに、あなたと同行する子も助けてくれますよ」
「でも……」
「そもそも、この孤児院には人を傷つける目的のものはありません。あるものは、包丁やナイフ。盾として使うのであれば鍋の蓋を代用するくらいでしょうか」
それを聞いた僕は観念した。ほぼ丸腰に近い状態で出発するしかないようだった。シスターは、そんな僕の表情に対して笑みを浮かべる一方、今まで見せなかった表情を、僅かではあるが、不安げな表情を見せた。
「あなたと同行する子は、戦闘だけでなく生活や、あらゆる分野で高い素質を持っています。さらに、強い信念も持っています。実はこの旅ですが、その子一人の旅になったとて、能力にそこまでの不安はなかったのです。しかし、彼女はあまりに猪突猛進で……真面目過ぎるのです。真面目故に、躓いた時に挫けてしまうかもしれませんーーそのため、彼女との並走者として、あなたを利用してしまったのです。申し訳ありません」
シスターは僕に頭を下げた。純粋に家を旅立つ子供の行く末を案じていただけらしく、だから僕を頼ったらしいのだ。しかし、僕も決して自信家ではないし、どちらかと言うと自分のことで精一杯だ。
「いえ……でも、そのような方の相棒、僕に務まりますかね?」
「あなたは、ご自身が思っている何倍も強い人です。気丈に振る舞って良いのです」
たった二日話をしただけなのに、まるで見透かされているように答えられた。不安が解消されたわけではないものの、ほんの少しだけ、気持ちが楽になった気がする。
「遅くなってすいません!」
叫び声と共に勢いよく玄関が開くと、見覚えのある赤髪の女の子が飛び出してきた。服装は僕と同じ様なものを着ていて、大量の荷物を担ぎ、大きく息をついている。
僕はシスターと目を合わせると、同時に吹き出してしまった。
「この方が例の?」
「同行者さ」