第一章⑥
「理解できない事柄はいくつもありますが、概ね把握できました」
シスターは笑みを浮かべて机に手を置いた。
「口にすると嘘っぽく聞こえてしまったかもしれませんが、僕が話したことはすべて事実ですーーでも、話したこと全て、信じて頂けたんですか?」
僕の世界のこと、またこの世界に来たきっかけなどのすべてを思い切って話したものの、自分がシスターの立場なら、にわかに信じ難い話であることは歴然だった。ただ、やっぱりシスターは笑みを浮かべて頷いてくれた。
「もちろんです。私を騙す目的も、理由も無いでしょう。当然ながら、そうでなくても信じておりますが」
迷いなく話を聞くことができる器の大きさに感服してしまった。すると、シスターは手をぱちりと叩いて、明るい声色で話を続けた。
「そして今後ですが、ハルさんは外大陸から来たことにしましょう」
「外大陸」
耳慣れない言葉に疑問を抱いた。この国の土地事情が未だに掴めていないので、いずれ国の情勢も知っておく必要があるだろうと考えた。
「この世界にはまだ未開の領域が多く、"ステラ語でコミュニケーションが取れるフローリア国と周辺複数諸国以外全般"を"外大陸"ーーそう呼んでいます。この国には、まれに外大陸からの旅人もいますので、装うには最適でしょう」
「外大陸からの旅人……僕と同じ境遇の人が紛れていることってないんですかね?」
「……あり得ないでしょうね。なぜなら、”まれ”とはいえ相応に存在しているからです。あなたのように特異な点があれば、既に噂をはじめ何かしらの情報が広まっているでしょうからね」
確かにと、納得したと同時に落胆もしてしまった。僕以外にも異世界転生した人がいるならば心強かったのに、早速出鼻をくじかれてしまった。
「僕がこの世界で初めての転生者である可能性は高い……元の世界へ帰る方法は、自分で見つけなければならないのか……」
「気を落とさないでください。私からハルさんへ一つ、提案があるのです。明日から”旅”へ出てはいかがでしょうか」
「旅?それも明日から?」
僕は突然かつ無謀とも思える提案に目を見開いた。魔物がうろつく危険な世界で、力のない僕が旅に放り出されて生きていけるわけがないのだ。
「このまま孤児院へ滞在いただいても歓迎です。ただ、いずれ元の世界へ戻る方法を探しに旅立つのであれば、早くてもよいのではと。実は、明日、成人を迎える生徒がこの孤児院を旅立ちます。しかし、近い年齢の生徒がおらず一人で旅立つしかないと途方に暮れていたのです。カタニアのギルドに行けば仲間を募ることができますので、やむなく一旦は送り出すほかないだろうと思っていたのです」
「その生徒さんを"やむなく"明日送り出す……仲間を募る時間もなかったんですか」
「『明日』というのが本人の強い希望なのです。そこをあなたに同行いただければ心強い。あなたは、仲間と共に元の世界へ帰る方法を探しに旅立てる。こちらは、安心して生徒を送り出せる。win-winです」
「でも、ちょっと待ってください。旅っていっても気楽な旅ではないですよね。僕、戦えないですよ」
「ご安心ください。共に旅立つ生徒は類まれなる素質を持ち合わせていますので、戦闘は大いに支えになるかと。さらに、カタニアの街付近までは、比較的魔物との遭遇率は低いですし、そこまでの難敵も分布していません。そして、無事街に着き、そこでギルド登録をするならば、採集や調査など危険度の低い仕事を請け負うことも出来ますしーー万が一同行者と反りが合わなければ、街に到着して落ち着いた矢先に別れるなり、別の仲間を募るなりすることもできます」
かなり饒舌に問題ない理由を説明されたが、それでも納得できなかった。旅路にて万が一歯車がかみ合わなければ、最悪二人共々命を落としかねないのだ。
「私が問題ないと思う理由がもう一つあります。これもご存じではないですよね」
不安そうな僕の表情を見、シスターは掌を上に向けて僕に見せた。よく見ると、空気中に埃のような小さな欠片が舞っているようだった。
「触れてみてください」
シスターは満面の笑みで僕に促した。照度の低い照明に煌めく、小さな粒に触れてみる。すると、その粒は、指先に触れると小さな水滴になって消えた。
「冷たい……これって、氷の欠片?」
「そう。さらに、これは"魔法"でもあります。そして、あなたにも魔法を体現する力が備わっているのです」
何を言ってるんだと、何かを聞き間違えたのかと思ったが、シスターの表情は至って真面目だった。
この世界には魔法があるのか――
心底驚きつつも、僕にはどうせ無理だろうと即座に諦めた。でも、内心、試してみたいと思っている自分がいるのも事実だった。
「すごいと思いますけど、使ったことなんて当然ありませんし、無理かもしれません」
「あなたは、言語変換の魔導石を身に着けて、その効果を発揮しています。実は、ある程度の素養がなければ、効力の高い魔導石を使いこなすことはできないのです。手ほどきなく、極めて短期間でその魔導石を使えたということは、魔法の『スキルレベル』は相応のものと思われます」
シスターは立ち上がり、僕へ促した。
「あなたの世界には、魔法という存在がなかったのでしょう。ただ、私が想像するに、理がずれていただけで、本来素質をお持ちのはず。この世界に来たことで、それを発揮できるようになったと思うのです。魔法は天性のもの。今、解き放ちましょう」
僕は困惑した。信頼したとはいえ、シスターの言葉は信じがたいし、コツもなしにいきなりできるはずがない。ただ、内心はやっぱり当然無理だと思いつつも、シスターの勢いと表情を見ると、ほんの少しできそうな気がしてきたのも確かだった。
掌を上に向けて、気?のようなものを意識しながら力を込めてみた。
やっぱり当然無理だと思いながらさらに力を込めると、突然、普段と異なる違和感を抱いた。明らかに血液とは違う、熱いものが体中を巡っているような感覚だった。何かを掌から出せそうだと確信した。
「はあっ」
そう叫ぶと、炎の球が掌に発現した。メラメラと燃え盛るそれが、手の上に浮いているのだ。
「素晴らしい。では、それを一度収めてください。力を抜けば、消えるはずです」
シスターの言う通り、脱力すると炎の球は姿を消した。
「やはり、間違いではありませんでしたね。不安も解消されたのではないでしょうか。大抵、旅の道中は時間を持て余します。その際、同行者より、魔法をはじめこの世界について教わって下さいーーさて、もう夜も遅くなってしまいましたから、夕ご飯にしましょう。みなお腹を空かせて待っています」
結局のところ、断る間もなく、僕は明日、旅立つことになってしまった。体よく追い出されたという見方もできるが、元の世界に戻ることを考えると、孤児院に長居するつもりはなかったので、シスターの後押しはありがたかったのかもしれない。
シスターに次いで扉を出るとき、ひとつ、反芻した話がある。”この世界を救って”という夢についてだ。朧げだったが、確かに見た夢。誰かが僕をこの世界に呼んだのだろうか。世界を救えば元の世界に戻れるのだろうか。いずれ、当人と出会うことになるのかもしれない。会えたとしても、明日や明後日の話ではない気はするが、その時にはしっかり理由を聞き出してやりたい。
僕は、秘めたる想いを抱き、シスターの後に続いた。