第四章⑫
振り返ると、王都の城壁は指でつまめそうなほどの大きさになってしまっていた。荒野は永遠と続いているようで、もし王都が地平線に消えたら、目印になるものが無くなってしまう。だからもう振り返れない。引き返せる場所があるのだと思えないと、心が挫けてしまいそうだったのだ。だからこそ、この先は無心で突き進むしかないのだと心に唱えた。
夜が明けるにはまだ早いものの、深夜の真っ黒な空に、うっすらと赤みがかってきた気がする。アリシアが去ってから、初めての朝を迎えようとしていた。
「『西』っつってもよ、どこまで行けばいいのか分からねえってのは堪えるな」
ソウがぼやいた。僕も同じ気持ちだった。そもそも、歩きで行くことが出来るのかどうかだけでも知りたいところだった。ドラゴンとフローリア国の関係は、近さ故に様々な問題が巻き起こっているわけで、国を越えるほどの距離はないだろうという見立てをしていた。ただ、それでも、無謀にも果てない道のりを踏破しようとしているのだと、改めて実感している。
「やっぱり念話も駄目なんだよな?」
「何回もやってるけど、今回もダメだね」
ソウに促されて何度目か分からないが、再度グレンに念話を試みてみた――が、やはり不通だったのだ。眠らされているのか、気絶しているのか、はたまた力を使えない状態にいるのか――その内のどれかであるのは違いない。しかし、それは念話が使える僕にすら、グレンがどのような状況にあるのか分からないことの裏返しだった。信じることのできる情報が、何も無かったーー
さらに、仲間が一人、また一人と減り、ソウとたった二人で、しかも手探りで、手繰るべき命綱を暗闇で探している状態だ。ゾラに啖呵を切ったものの、このまま本当にグレンを助けられるのだろうか。クルエスを止められるのだろうかとも思い始めてしまっていた。そして、ソウも同じことを感じているのだろうかと、聞いてみたい衝動に駆られた。
「あの……さ、もしドラゴンの里とやらが見つからなかったら……どうする?」
「珍しく無粋な質問じゃねえか。聞くまでもなく、ハルも同じ答えだろーー"それでも、クルエスの元に行く。理想が叶わなくても、最後まで戦い続ける"」
ソウは即答したけど、抑揚のない回答だった。疲労もあり先のことは考えられないーーいや、考えたくないのかもしれない。
たった二人の旅は、切ない。元から多いとは言えない四人から減ってしまったのだから、尚更に切なかった。このままでグレンを救えるのか、それ以前にクルエスの元へ辿り着けるのか、はたまた終わりなき戦いを続けるしかないのか――どの選択肢が未来に待っているのだとしても、それを共有できる味方が少ないことが怖かったのだ。
それ以外にも、家に帰れるのだろうか。これまでの選択肢でよりよい選択をできなかったのだろうかと、勝手に別の不安や誤りを思い返しては、後悔に押し潰されそうになっていた。それと共に、僕より辛いかもしれないソウへ、肩を貸せない自分も嫌だった。
「おい、ここからは森だ。気を付けよう」
荒野は突然途切れ、先には見渡す限りの森が広がっていた。そこは、これまで歩いてきた森とは雰囲気が違っていた。湿度が高いのか、ジメジメと陰鬱で、夜明けが近づいているのに真夜中に逆戻りしてしまうような薄暗い印象だったのだ。そんな実態もあってか、道程が進んだことへの喜びは、思っていたほど大きくなかった。
足を踏み入れていくと、徐々に足取りが重くなっていく。地面がぬかるんでいて、足を取られてしまうのだ。おまけに木の根っこが地表に飛び出して波打っているので、躓かないよう慎重に進まざるを得なかった。
息遣いが荒れ、いつしかソウとの会話も無くなった。木々の間から時折陽光が差すので、朝を迎えたんだと分かったけど、それでも僕たちは、休憩することなくひたすら西へ進んでいた。
もし、このまま何も無かったら?ひたすら歩いて、ずっとずっと歩いて、この世界を一周するのだろうか。
それでも、いいのかもな。あれ、待てよ――
この道なき道の先に答えがなくても良いんじゃないか。どうせ二人ではグレンを救えないんだから、"救う体"にしてこのまま逃げたとしても、誰も文句は言わない。アリシアも居ないんだから、それ以外の人に文句を言われる筋合いはない。これまで十分頑張ってきた。僕は勇者でも何でもないんだ。一人では力がないから。助けてもらわないと進めないからーー
ネガティブに色々と考えている内に、ふと、踏み出した足の力が抜けてしまった。崩れ落ちるように木の根へ手をついた。
「……おい、大丈夫か?」
ソウが僕を振り返ったけど、彼も覇気がなくて、血色が悪いように見える。
「少し、休もうよ」
「いいや、休憩している暇はないぜ。行くぞ」
ソウは即答すると、踵を返して進み始めた。苛ついている様子が、直に伝わってくる。そんな彼に少しは言い返したくなった。
「待ってよ!協力しないと!時間がないのは分かるけど」
それでもソウは振り返らなかった。時間がないこと、仲間が僕一人なのでは戦力不足であること。それらがソウを焦らせていることは、自明だったのだ。ソウの気持ちが理解できるのも事実だった。それでも、しかし――
「これじゃあグレンを助けられない……クルエスも倒せない……」
「ーーあ?じゃあ何をすりゃいいんだよ……どうしろってんだ!?来た道引き返すのか?アリシアを連れ戻すか?どうなんだよ!」
僕の呟きを耳にしたソウは、溢れ出すように怒りを吐き出した。まくし立てるように声を荒げる表情には、疲労が色濃く見えるし、目も血走っている。
「俺だって、神にでも力を借りなきゃどうにもならねぇってことは分かってるよ……でも止まれねぇんだ。ここで止まったら今までの努力が水の泡になっちまう……」
唇を噛んだソウを見て、僕はハッとした。彼は、僕より遥かに長い時間を打倒クルエスに費やして、更には仲間も沢山失ったのだ。背負っているものは、僕よりも遥かに重い。だからこそーー行く先に絶望しか待っていないとしても、既に退路はないのだ。
「ああーー大声出してすまねぇ。でも、もう少し付き合ってくれねぇか?」
深呼吸をしたソウは、改めて手を差し出してくれた。僕は自身の小ささに、罪悪感を抱いてしまった。そして、改めて気持ちを奮い立たせた。
最後まで抗おう。もし、家に帰れなくても、その時まで全力を尽くそう。ダメ元で進むのは、もう止めるーー
元の世界のことを振り返った。そういえば、僕はずっとそうだった。勉強も運動も冴えなくて、でも周りに認めてもらうために、いつだって全力でこなしていた。異世界に来ても同じでなければいけないのだ。
「――もちろん、一緒に頑張ろう」
ソウの手を取って立ち上がった。そして、新たな一歩を踏み出した時だった。
「ドラゴンの里へ用があるのかい?」
突如として、高くて透き通った声が森に木霊した。




