第一章⑤
その日の夕方、ローブの女性から詳しく話を聞くために部屋を出た。寝起きに脇腹が全く痛まなかったのには驚いたが、ベッドの足元に置かれていた薬瓶の効果なのだと推測した。気を失っているときに飲ませてもらったのであろう。即効性は無くも、かなりの薬効があるようだった。医療レベルはまだ分からないが、万能薬のようなものが一般的な治療法なのかもしれない。
「知らないことは多そうだ」
廊下の窓から日没間近の外の様子を見ると、レンガや石材を用いた洋風な家が数軒並んでいることに目がついた。この施設は街から離れた孤児院らしいので、ここは辺境にある小さな集落のうちの一軒なのだろうと推測される。ただ、周辺の家はお世辞にもどれも新しい建物とは言えず、古臭く感じてしまった。人の往来もなさそうで、かなりへんぴな地に位置しているのかもしれない。
階段下を覗くと、1階はリビングになっているようで、下からはガヤガヤと沢山の話し声が聞こえてきた。ここは孤児院なのだから、何かしら事情のある子供たちが暮らしているのだろう。僕も一応は子供な訳で、そんな見た目から孤児院が引き取ってくれたのかもしれない。
階段を下りると、リビングには10名を超える子供たちが遊んでいた。年齢は様々で、小学生くらいから僕と同じくらいの背丈をした子供もいる。年齢にバラつきがあるのは当然ながらも、みな、髪の毛は金色やら赤色やらととてもカラフルで、黒髪だと逆に目立ちそうなほどだった。
子供たちが僕の存在に気づいたらしい。さっきまではワイワイと騒がしかったのに、僕の姿が見えると、しんと静まり返ってしまったのだ。様子をうかがっている雰囲気さえある。怖いもの見たさ、また新顔の様子を伺うような鋭い視線も感じる。ローブを着た女性から僕を受け入れた話を聞いていたのだろうが、そこまで詳しくは知らされていなかったようだ。
「ちょっと……聞いていいかな。ローブを着た大人の女の人、知らない?」
静まった雰囲気に焦りながらも子供たちへ問いかけてみた。皆突然の質問に驚き、誰が返答すればよいのかと、互いを見合わせてぽかんとしていたが、顔立ちの整った赤髪の女の子が手を上げた。子供たちの中で一番の年長者のようで、僕より少し歳上に見える。ただ、その子はまだ部外者である僕に気を許していないらしく、ぶっきらぼうに返答した。
「あの、エリナさん……シスターをお探しですよね?それならあちらに」
僕の探していた女性はシスターだったようだ。僕は子供たち全員に一礼すると、赤髪の女の子が指さした扉へそそくさと向かった。子供たちの視線を感じつつノックすると、中から即座に返答があった。
扉を開くと、その部屋は、広いわけではなく簡素で、不要なものは置かれていなかった。貧しくはなさそうだが、贅沢は必要ない。孤児院の運営ということに対する毅然とした意志が感じられるようだった。
「今日はその、色々とありがとうございました」
開口一番に感謝を告げて深々と礼をすると、シスターは嫌味のない笑みを浮かべた。
「とんでもない。まずはお座り下さい」
椅子に座るよう促された。そして、カップにお茶か、紅茶らしきものを注いで差し出してくれた。
「いい香りですね」
それを一口啜ると、紅茶に似た茶葉の香りが口に広がった。喉がカラカラだったことを思い出す。思い返すまでもなく、この世界に来てから初めての飲食だったのだ。僕は冷ましながらも半分程飲んで、一度カップを置いた。
「ーーさて、自己紹介がまだでしたね。私はエリナ。この孤児院を運営しているシスターです」
僕の反応を待ちながら、シスターは話を切り出した。裏のなさそうな表情。内面までは汲み取れないが、信頼できる人物なのだろうと直感した。
「僕は、キタヤマハルと言います。ハル、と呼んでください。まず、色々と助けてもらったことーー特に怪我の治療とか、ありがとうございました。森で助けてくれたのもあなたですか」
「いえ、それはアラン達……ギルドチーム"黒鉄"の三名です。先程もお伝えしましたが、森でのウルフ討伐中、あなたが突然姿を現したとのことでした。状況も状況だったので、ウルフを攻撃するため止むなく至近距離で魔法を放った所、あなたにも攻撃が及んでしまったとのことです」
「命の危険も感じていたくらいだったので、命があっただけありがたいです。その方々にもお礼を言いたいんですけど、この家にいらっしゃいますか?」
シスターは首を振って、優しく微笑んだ。
「恐らく隣街ーーカタニアの街へ向かったのかと。ただ、彼らはギルドに属していますので、依頼が終われば次の依頼を引き受け、別の地へ移動するでしょう。国中を飛び回っていますので、会えたら幸運と思ったほうがいいですね」
色々と馴染みのない情報が耳に飛び込んでくるが、当面質問は必要な箇所だけにしたほうがいいだろう。イメージを補完できそうな情報は、推測しながら話を聞く必要がありそうだ。
「ありがとうございます。その三人に会えたら、直接感謝を伝えたいと思います。それで、他にもいろいろ聞きたいんですけど、まずカタニアの街とは?」
「この孤児院の最寄りの街です。ただ、最寄りといってもこの孤児院から相応に離れています。そしてーーあなたは、発見した場所から最も近い施設であるここへ運ばれてきたのです。さすがに、街までは運べませんので」
そこで、シスターが話を区切ると、事ありげに唸った。
「……まだご質問がおありですよね。その前に、失礼でなければ教えてください。あなたは、存じていない常識が余りに多い。また、辺ぴな森にいたにも関わらずおひとりで、かつほぼ無防備であったこと、見たことがない衣類を身にまとっていたこと、この地の言語を使用していないこと、見慣れない黒髪や顔立ちをしていること――あなたの出自には不可解な事が多いのです」
そこまで言うと、シスターはじっと僕を見つめた。"これを言え"と言われたわけではないものの、その表情が示す意思が伝わってくる。『この施設に害をなすものではないのか』と問いかけられているように感じたのだ。シスターは笑みを浮かべているものの、その眼光は鋭く、真実を話すようにと圧を向けているーー
正直に伝えたい気持ちも山々だった。しかし、『異世界から来ました』と回答しててよいものかわからなかった。信じてもらえるのだろうか、信じてもらえないどころか、追い出されたり、通報されたりするかもしれない――異世界からやってきた異端だということを明かしても良いのか、僕は、その何もかもを、はかりかねていたのだ。
「僕は、その……」
何が最善なのだろうかと悩み、口どもってしまった。すると、シスターは先程とは異なり淀みのない笑顔を向けた。
「信じて頂いて、よいですよ」
その眼差しには、一筋の曇りもなかった。そもそも命を救ってもらっていて、そんな人を信じられずに、誰を信じられるのかと、内心ながら反省した。そして、全てを明かそう、相談しようと決心した。