第一章③
「#=®¢‥¥℉℉€!」
森の奥から、聞いたことのない言語の叫び声が聞こえた。いや、明らかに日本語ではないから、もしかしたらただの大きい声だったのかもしれない。いずれにしても、その声からは何かを威圧、もしくは牽制しているような凄みを感じ取ることができた。
ただ、聞いたことばの意味は何一つ分からなかった。日本語じゃないのは当然として、英語でもなければ、時たまテレビで耳にするアジア圏や欧米諸国語っぽくも聞こえず、未知の言語だと直感したのだ。
僕に向けられたことばじゃないようだったけど、声量が少しずつ大きくなってきている。森の中の道の、少し先の方からこちらへ向かっているようだったけど、僕の存在には気づいておらず、僕を探しているわけではないようだった。
一度草原へ引き返すか迷ったものの、僕は、謎の土地で、やっと見つけた未知の出会いに期待してしまった。いや、むしろ、得体の知れない人物をやり過ごすか、危険を承知で会いに行くか、選択の余地はなかったのだ。
「当たって砕けろだ。言語なんかボディランゲージでなんとかするしかない」
こちらから接触しようと決めて、森へ踏み入れる。道を進むと、思っていたより葉のついた木々は少なく、視界は広かったので、叫び声の持ち主はすぐに見つかった。
彼らは三人組だった。表情は見えなかったけど、みな布か皮製の衣類を身にまとい、少し開けた空間で、森の奥をじっと見据えていた。茂みの奥に何かがいて、それを待ち構えているようだった。
緊張の糸が張り詰められた空間で、三人の息遣いだけが聞こえてくる。未だ僕には気づいて無いようで、飛び出して行きたい衝動に駆られたけど、ぐっと抑えて様子を見ることにした。緊張感の原因は、明らかに茂みの向こうにいる"何か"だったからだ。
ゴクリと唾を飲んだ瞬間だった。茂みの向こうに集中していた僕は、その存在に全く気がついていなかった。
「ゴゥフ!!」
真後ろから犬のような唸り声が聞こえたのだ。咄嗟に振り返ると鋭い牙も見えた。
まずい、噛まれる――
反射的に手を出し顔を守る姿勢をとったが、そいつはガラ空きだった僕の腹めがけてぶつかってきた。牙を向けずに体当たりをかましてきたのだ。
「ーーっっ!!」
これまで感じたことのない衝撃に息が漏れ、僕はそのまま、開けた空間に突き飛ばされる形になった。内臓が捻れるような感覚。数秒呼吸が止まる。
なんとか上体を持ち上げると、かの犬らしい生物が僕を睨んでいた。
これは、犬じゃない――
唸り声を上げ、涎を垂らす姿は僕の知っている可愛らしい犬のイメージとはかけ離れており、可愛らしさの欠片もなかった。どちらかと言うと狼に近く、剥き出しの歯茎が示すのは、まさに"獰猛"の一言だった。
蛇に睨まれた蛙の気分だった。僕は、金縛りに合ったように身動きが取れなくなってしまったのだ。一刻も早く逃げたいのに、両足が泥濘にはまっているようだった。恐怖。狼の、まさに野生を知り尽くした目が、僕を成すすべもなくその場に留まらせた。
「‥‥‥¥#€@¶℉µ¢」
背後から、また未知の言語が聞こえた。驚いている声色にも感じたが、その声へ振り返ることは出来なかった。逆に狼の視線が僕の背後へと向かう。
何かを感じたのか、狼は視線をそのままに真横へ跳躍した――と同時に、何かの飛来物が背後から僕の横を高速で掠って、狼が元いた地面に当たった。そして、赤い火花が散ったかと思った瞬間に、爆発を起こすーー
余りに突然だった。岩が砕ける音。巻き上がる砂埃。
僕は風圧で軽々と吹き飛ばされ、地面を転がった。動きが止まると、舞い上がった砂や石片が体に降りかかる。なんとか体を起こし、爆心地を見やると、地面は抉れて大きなクレーターとなっていた。
「爆発……ダイナマイト?いや、魔法……?」
ここは日本でも、海外でもない。間違いなく異世界なのだと、僕は実感した。
しかし、次第に意識が朦朧としていく。頭をぶつけたのかもしれない。再び爆発音やら、刃物が触れ合う甲高い金属音やらが聞こえてくる。
「€@:"℉¥^>=№!」
唐突に、初めて聞く声の男性が叫び声を上げた。その直後、例の狼のものなのだろうか、子犬が鳴くようなか弱い鳴き声が聞こえてーーその直後、静寂が訪れた。
森の奥から響く鳥の囀り。青葉の擦れる漣のような微音。そして聞こえてくる、何かを相談しているような三人の男女の声。それと共に、僕のもとへ近づいてくる足音。
大変なことに巻き込まれてしまった。もう、身を任せるしかない――
そう諦めの境地に至ったとき、僕は気を失った。