第三章⑥
遠吠えは川の下流だけでなく、山のあちこちから聞こえてきた。ただ、山彦やら反響やらのせいで、どこに何匹いるのかは全く分からなかった。
しかし、山を登るにつれて遠吠えの数は増え、その音源は明らかに近づいてきていた。
「獣道があって良かった。このまま山頂近くまでいけそうだぜ」
先程川べりを離れた僕たちは、小型獣のものと思われる古い獣道を見つけたのだ。山頂への道は、辺り一面枝の長い木が多数生育していて進行に難を要するほどだったが、獣道のおかげで登頂に光明が差した。
「グレンさんも登りきれていればいいんだけど」
グレンのことを心配したが、それは御無用なのだとすぐに理解した。山頂に近しいところから、彼のものと思われる唸り声が聞こえてきたのだ。先に山頂近くへたどり着いていたらしい。
「先に到着していたようですね。それにしても声の様子が……威嚇?のようにも聞こえますけど、何かあったのでしょうか」
「何かと交戦してるかもしれねぇな。心配ないとは思うが……急ぐぞ!」
背後のソウに急かされて、崖に近い斜面を四つん這いになりながら登っていく。その間も唸り声はずっと聞こえている。グレンが気掛かりになりながらも、しばらく登ると突然斜面が途切れた。
ソウに続いてその向こう側へ這い出すと、そこには、見上げるほどの空が広がっていた。山頂間近の平地らしく、いくつかの低木や草木が点在し、荒涼とした草原が広がってる。道中、枯れた枝が重なり合うような険しい道だったので、青々と開けた空間に見とれてしまった。
「おい、あっちだ。グレンがいるぜ」
「ただ、様子がおかしいです。皆、下がってください」
今の崖際から離れた草原の真ん中に、グレンが座っていた。ただ、何やら様子がおかしいのだ。何やら口元は半開きになっているようだし、よく見ると座っているのではなく、威嚇をしている表情にも見える。そして、何よりその表情は――時が止まっているように、一切の身じろぎさえ感じられなかった。
さらに、いつの間にか狼の遠吠えは止んでいた。それに同調するように、グレンの唸りも聞こえなくなった気がする。奇妙な雰囲気を感じ、グレンに念話をしようと試みたが、応答がない。
「念話が使えないよ」
「戦闘の跡もある。なんかあったのかーー?」
「これは煤……でしょうか」
ソウとアリシアがしゃがみ込み、草の生えた地面を見ている。注意深く見ないと見逃していただろう。まばらながらも葉に煤が付着していたのだ。グレンは、明らかに何者かと交戦していたのだ。そして、その相手は間違いなくこの場に存在する。
「……そこに、隠れていますよね?」
僕は、グレンに向けて言い放った。答えは返ってこず、草木が強風で擦れる音しか聞こえない。それでも、反応を待った。なぜなら、その後ろにはーー
「あー、なんだ。バレちまってたのかい」
気だるそうな声がグレンの側から聞こえたと思ったら、その背後から女性が姿を現した。冒険者とは到底思えないほどに皮膚を顕にした服装。一見すると華奢にも見えるが、この距離でも引き締まった体つきであることが分かる締まったボディライン。その女性は、銀色の長い髪の毛を振りながら、こちらを嘲笑うような表情を向けた。
「可憐な女性をこんな山の上に送り込むなんて、クルエス様も人遣いが荒いわ」
その女は、愚痴るとグレンに背もたれた。見覚えのある顔だった。忘れるはずもない場面で見た顔ーー
「あなたは……クルエスの隣にいた、確か名前はリーラ」
「よく覚えているね、ボーヤ。そう、私はリーラ。クルエス様の右腕――はぁ。そんな私がなんでわざわざこんな所に来てるか分かる?ねぇ。挨拶するために来てるんじゃないのよ」
「私たちも同じ気持ちです。そのドラゴンを……グレンさんをどうしたんですか?」
アリシアはリーラの背後でピクリとも動かないグレンを指差した。
「このドラゴンをどうするつもりなの〜って?そんなくだらない話をするために来てるわけでもないのよ……もう、面倒臭いわね。さっさと観念して死になさい。お前たち、いたぶりながら殺してあげなさい」
リーラがそう言うと、どこに隠れていたのか三匹のウルフが、茂みをかき分けこちらへ向かってくるのが見えた。
するとソウは、無言のまま土硬鎧でゴーレムとなった。ウルフ達は颯爽とゴーレムへ牙を向けるが、歯が通らないと理解すると、距離を空けて唸り声を上げる。
「この程度で右腕なんざ名乗らねぇだろ?」
「……ち、邪魔ね。これでもくらいな」
そう言うリーラはゴーレムに手をかざした。幾分かの距離があるものの、何か魔法で攻撃するらしい。が、なにかが飛んでくる気配はなかった。言葉だけの陽動かと思い、安心してソウを見ると、ソウが驚愕の表情で何かを喋っていた。
「…………ま…………ず…………い…………」
口がうまく開かないのか、言葉を引き伸ばして話しているようだった。だがそれがわざとらしくなく、自然に聞こえてしまうのだ。
「ハルさん!これはきっと、クルエスに捕らえられた時の"時魔法"です。今のは恐らく、時遅波ーーかざす手にご注意ください。防戦ではジリ貧なので、私も行きます」
「それなら僕は援護を!火滅弾!」
アリシアは風魔法で細長い棒状のようなものを生成しながら走り出した。恐らく、風飛棍。アリシアの両手武器は、初めて見る。
僕もそれに合わせて小型の火炎弾を打ち出した。気配を察知した一匹のウルフが、着弾地から飛び退く。それをアリシアが風の棒で薙ぎ払うと、ウルフは軽々と宙を舞い、切りもみ回転をしながら草原の外へ吹き飛んでいった。
「……あと二匹ですね」
「小賢しい……お前たち、これでさっさと痛みつけな」
リーラは掌をウルフ達に向けた。視認できないものの、魔法をかけているようで、今度はウルフ達の動きが早くなった。
「ハア、ハア……やっと元に戻ったぜ。気をつけろ。ウルフにかかってるのはきっと、時速波だ!」
時遅波の魔法が解けたソウが叫ぶと共に、ウルフが急激に駆け迫ってきた。ソウはゴーレムのまま辺りを蹴り回すが、当たる気配がない。また、アリシアの動きでも、ウルフ達を捕らえることができなかった。
「狙いが定まらない……これじゃ撃っても意味がない」
僕も、遠距離攻撃を断念した。ウルフが場を錯乱していて、収集がつかなくなってきている。
「ーー埒が明かねぇ!が、こいつらも積極的な戦闘をしてこねぇ……時間稼ぎか!?」
「それもあるけどね。安心しな!ちゃんと攻撃してあげるよ!」




