第三章④
「ハル、山頂へ行けば本当に飛べるんだろうな」
「グレンさんが言うにはそうなんだけど……」
山頂へ進む道を見据えながら、ソウは疑念の言葉を僕たちへ向けた。
そう思うのも当然だろう。山道は行軍のペースが落ち、体力も削られる。また山頂に向けて土地も狭まるため、包囲網を築かれてしまえば為すすべもなく捕まってしまう可能性がぐんと上がる。グレンは嘘を言っているわけではないのだろうが、"頂上なら飛べる"発言が単なる気まぐれだったら、山頂で打つ手がなくなってしまう。
「ま、西は当然だけど、南も東も主要な街があるから、結局は北しか行先はなかったんだけどな。山を越えちまえば、向こうには小さな村がある。ある種賭けだが、そこで助けてもらえるかもしれねぇ……で、アリシア。叔父さんはあのまま置いてって良かったのか?俺には悪気があったとは思えなかったけどな」
振り返ると、アリシアは未だ顔を赤くしてソウを睨んだ。怒りは収まっていないようだった。
「今のあの人に悪気がなくとも、昔の出来事は許せません。そんな簡単に、曲げられる思いではないのです」
アリシアはそう言うと、また口を閉ざしてしまった。そして、しばらくの沈黙ーー
このままで良いのかな?勘違いとか、わだかまりかあるのかもしれないのに、お互い誤解して関係性を修復できないなんて、辛い。それを傍観するしかない立場もまた、辛いよ。
「あのさ、またかと思っちゃうかもしれないけど、今度こそ、もしアリシアさえよければ……昔、何があったのか教えてもらえないかな」
アリシアの過去は他人事に思えなかった。それにもう、これまでアリシアが話さなかった、話したくなかったはずの過去を、聞いたふりをしていられる器量はなかったのだ。
一度は断られた提案をしたのは、少しでも力になりたい。自分事として話を聞きたいーーただ、それだけだった。
「言ったらーー私が後悔するかもしれません。それを聞いたお二人もまたーー後悔するかもしれません」
とても苦しそうな表情をしていた。僕とソウが頷くと、また苦しそうな表情で、でもゆっくりと口を開いてくれた。彼女もまた、吐き出す先を求めていたのだと感じた。
「長くなりますので、覚悟してください」
ーーーーーーーーー
「私は元々、タナラタの生まれでした。この小さな街で、生まれ育ったんです。当時の記憶は、優しかった父母と沢山遊んでもらったこと。どの記憶を振り返っても、私はとても愛してもらっていたのだと、そう断言できます。
ですがーー幸せだった時間は突然終わりを告げました。両親が、行方不明になったのです。冒険者として生計を立てていた両親は、とある依頼を受けたのちに、そのまま姿を消しました。幼かった私を残して。
……それから、身寄りのない私は、叔父さんの元に預けられました。ただ、叔父さんはギャンブルで金遣いが荒く、借金も作っていました。おまけに酒癖も悪くて、毎日のように罵声を浴びさせられました。そして時折やってくる借金の取り立て……地獄でした。でも、それは単なる始まりに過ぎなかったのです。その先は、さらに地獄を感じる日々でした。
いつの時かは覚えていませんが、ある日突然、叔父さんは借金の肩として私を”売った”のです。私は、泣いて助けを求めました。しかし、いくら叫ぼうとも微動だにしなかった背中を、今でも鮮明に覚えています。
そして、私は奴隷としてサヌールのとある上流階級の家に招かれました。そこからは、こき使われ、怒号を受け、少しずつ地べたを這う毎日に――さらに、それが日に日にエスカレートして……ある日、唐突に奴隷街へ捨てられました。
怒鳴られることはない。顔色をうかがうこともない。はじめは、独りとなって幸せでした。ですが、独りとなって、死んでしまおうかと考えるほどの孤独が私を蝕ました。"いつ死んでしまうんだろう"と、毎日考えながらも、しぶとく生きながらえて、目的もなく、何日、何ヶ月ーーそして何年も経ってーーあくる日、シスターと出会ったのです。
その時の、私に向けられた笑顔は今でも忘れられません。彼女がなぜそこに来たのかは聞けず仕舞いでしたが、私は、そこでやっと人間を取り戻すことができたのです。
孤児院には、同じような境遇の仲間がいます。帰ることができる場所もあります。だからこそ、私はその場所を守りたいのです。それと共に、私と同じような境遇の子を少しでも減らしたいとも思っています。
ーーあと、これは私のエゴでしかないのですが、行方不明となった両親のことを少しでも知りたくて、ギルドに加入しました。うまく言いくるめてハルさんにも加入させてしまいましたが……改めて、申し訳ありません」
話を終えたアリシアを見ると、溜め込んでいた言葉をすべて吐き出せたのか、表情は幾分か和らいでいる気がした。話したせいで、逆に彼女が苦しむことになったらどうしようかと思っていたから、彼女の穏やかな表情にはーー僕も救われた。
「これが、穢れた私の人生なんです。ハルさんと、ソウとの出会いには感謝したいです。しかし、良くも悪くもそのきっかけが叔父さんでした。だからーー私はあの人を許すことができないのです」
「気持ちは、よくわかるぜ。それで、叔父さんが悪いってのもわかる。ただ、彼なりに反省している。それだけは認めてやろうぜ」
ソウはアリシアの肩を叩くと、僕たちを振り返った。
「俺も、この出会いには感謝してる。だからこそ、ここで諦めたくはない。逃げて、逃げて、逃げてーーその先に進もう。だから、山頂を目指そう」
それを聞いて、僕もアリシアも大きく頷いた。また一つ、絆が深まった気がした。すると、唐突にグレンから念話で話しかけられた。
『おい、ハルよ。分かるか?』
少し離れて山中を目指しているグレンの言う”分かる”が何のことなのか分からなかった。ハテナマークを浮かべていると、グレンは話を続けた。
『先ほどから何者かに追われているようぞ。注意するのだな』
温かい雰囲気をぶち壊す事実だった。僕たちに追手が迫ってきているのだ。




