第二章⑩
アリシアからの突然の発言に、僕は言い難い感情を抱いた。彼女の出生や、孤児院にいた理由に加え、なぜ過去のサヌールを知っていたのかなどーーこれまでアリシアが話さなかった秘めたる過去の一端を身に受けたからだった。
いや、違う……アリシアが話さなかったのではなく、僕が聞けなかったのだ。彼女の過去の闇を察して、その人生に踏み込むのが怖かった。本人が語れないなら仕方がないのだと、こちらから聞くのを避けて、表面でーー驚いたフリをしていた。
僕は、相手と一線があると思い込んでいる。いつも、いつもそうだ。線引きして、その先には土足で踏み込んでいけないのだと思ってしまっている。
「……何であれ協力者がいれば心強い。どれくらいかかる?」
ソウはアリシアの出生には特段興味なさげに問いかけた。
「以前と変わらなければ、歩いて丸一日。隣町の"タナラタ"です」
「タナラタね、徒歩じゃちょいと遠いが行くしかないか」
「ちなみに、まだその地にいる保証はありません。あと、協力してくれるとは限らない。私の選択に賭けてもらう必要があります」
僕とソウは頷いた。僕としては、頼るしかない身でもあるので、端からリスクは折り込んである。
「それじゃあ、出発の前に身支度を整えるか。貧困街と言いつつも金さぇありゃそこそこの物が揃うんだ。腐ってもサヌール。貧困街には、富裕層からのお零れが降ってくる」
そう言って小屋に入り、また出てきたソウは、僕とアリシアにそれぞれ小袋を手渡した。
「小銭だが金貨一枚分はあるだろう。いざという時のため隠してたんだ。それで服と食料、装備を整える。それじゃあ付いてきな。あと、ああ……みんな……じゃあな」
ソウは説明をし終えると、哀愁深い表情で小屋に踵を返し、走り出した。貧困街は迷路のようだから、ソウと逸れたら迷子になりかねない。なんとか逸れないようにと背中を追いかけていると、それなりに広い通りに出た。と言っても人がすれ違うのもやっとな道幅で、そこの両側に暖簾もないような屋台が連なっている。どうやらここがソウの言う調達場所のようだった。
「ここは闇市。さっきも言ったがそこそこのものが揃うはずだ。油断して金はあまり大っぴらにするなよ。じゃあ調達が終わったらこの先で待ってるから、そこで落ち合おうぜ」
そう言うとソウは一人で人混みをかき分けて行ってしまった。僕とアリシアは二人取り残された。
「……じゃあまずは、服から準備しようか」
「時間がないかもしれません。私に任せてください」
アリシアは僕の行く手を遮ると、前に出て僕を先導し始めた。
人混みにアリシアの背中が遠ざかっていく。彼女の焦りを痛いほど感じてしまう。いや、正確には焦りではなくて、恐らく、過去のトラウマに基づく自分自身の出生と対峙しているのだと感じた。そんなアリシアの思いを、僕は勇気を振り絞って尋ねてみた。
「もしーー話せるなら、教えてくれないかい、君に何があったのか」
僕はその背中に追いついて、喧騒の中でも聞こえる声で投げかけた。
「ありがとうございます」
しかし、アリシアは振り返らず僕に感謝を告げただけだった。まだ、僕はその氷を溶かすことができないのかもしれない。自身の無力さを感じながら、ただその背中を追いかけることしかできなかった。
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「早かったな。準備できたなら、行くぜ」
「大丈夫、出発しよう」
僕が答えると、ソウは先導して歩き出した。まずは貧困街を抜けて、街の外に出る必要がある。
人混みの少ない路地を進む。新調した革鎧は、軽くて丈夫なのに身動きが取りやすい。足取りは軽く、足早のソウにもしっかりとついていける。荷物は多少増えたが、衣類の身軽さを差し引くと、総合的には十分に軽いのだ。
衣類、食料は全てアリシアが選んでくれたものだ。彼女のチョイスで、値段、質、全てにおいて貧困街で手に入る上質な物が手に入った。回復系の道具のみ入手できなかったが、そこは持ち合わせのもので何とかするしかあるまい。
「もうすぐ貧困街の出口、サヌールの裏門に到着する」
ソウは走る速度を落として、歩きに変えた。
「基本的には裏門の通行は管理されていない。富裕街と貧困街にはそれを隔てる壁があるから、わざわざ裏門を管理する必要がないんだ」
ソウは声を潜めて、しかし、と続けた。
「ただ、悪党とか犯罪者を入れないための警備は最低限やっている。そこが心配だ」
「最低限程度なら、フードを被るなりなんなりで簡単に突破できるんじゃない?」
「そう思うよな。ただ、警備隊には技能"記憶"とか、"透視"を持ってる奴が配備されることがある。"悪党"である俺たちは面が割れてるだろうからバレる可能性が高い。そして、技能持ちの配備ローテーションは分からねぇ。要は、裏門から出てバレるか否かは完全に運任せだ」
「……リスクは高いですが、私も運に任せる他ないと思います。時間をかければ、牢から脱走したことがバレて警備もより厳しくなりかねないです」
「ソウは普段どうやって通ってたの?」
「まあ、なんだ。元の仲間にそういう能力があってさ」
失言したと理解した。それでもソウは気にせず、鋭い目で警備を見据えた。二人は、リスクを承知で突破するつもりのようだった。僕には反論する余裕はなかった。一か八かの賭けに乗るしかないのだった。
「分かった。このまま街を出よう」
小細工無しの正面突破を決断した僕たちは、そのまま歩みを進め、裏門近くを伺える角にたどり着いた。そこから門を見ると、裏門を出る人々は、警備隊とは特にやり取りもせず、何事もないように門を通過している。
通過する人々は顔が顕になっていて覆われていない。時折警備隊は通行人の様子を見ているが、それは素性を知ろうとしているというより、顔が覆われていないかどうかだけをチェックしているらしい。問題があれば引き止められてしまうようだが、基本的にはザルのようだった。
「通過するのは俺、アリシア、ハルの順だ。このローテの警備隊なら楽勝そうだが、念の為先に行って様子を見る。何かあれば強行突破だ」
そう言うと、ソウは一人裏門へ歩みを進めた。僕とアリシアは物陰からその様子を見る。ソウの他には門を通過する人間はいない。大所帯が通過できそうな巨大な鉄門を、ソウはゆっくりと歩き、通り過ぎていく。何事もなく、通過していったーー
「では、私も行きます。先に行ってしまいますが、ハルさんもお気をつけて」
アリシアも物陰から離れて門へ向かう。ソウを真似ているのか、覚束ない足取りで歩みを進めている。一瞬だけ、警備隊がアリシアをまじまじと見つめたタイミングがあったが、ただの気まぐれだったらしく、その後の行動が変化したわけでもなかった。結果として、アリシアも難なく通過できたのだ。
次は、僕の番だった。深呼吸をして、思い切って正門への道を踏み出してみた……が、緊張感で足が前に進まなかった。
一発勝負。失敗したら、終わりだーー
胸がつかえた感覚を抱いて、軽く咳き込んでしまった。警備隊がこちらを見る。捕まったら、三人共々今度こそ殺されてしまうかもしれない。失敗は許されないのだ。
突如、過去の記憶が蘇ってきた。こんな場面で失敗してしまったのだという、過去の映像。
中学の最後の大会だ。本番でやらかしてしまって、チームに迷惑をかけてしまったこと。そして、チームメイトから失望の目で見られたこと。その目を僕は、忘れられていないことーー
なんでこんな時に思い出すんだ。今は、大事な場面なんだから、頭に浮かぶな――
我に帰った瞬間、足が縺れた。さっき買った、歩きやすいはずの靴が、地面の段差に引っかかったのだ。前のめりになり、門の真ん中で突っ伏した。
「おい、早く進め」
警備員がこちらにやってくる。早く進まなくてはならない。でも、縺れた足は力が抜けて、直ぐに立ち上がってくれなかった。
「おいーーお前は……指名、手配犯……警備隊、急げ!」
警備員は、僕に近づくまで集中していなかったのだろう。普通に進むことができていれば、気付かれなかったはずだった。
また、やってしまった、もう駄目なんだと心の底から思った。二人に合わせる顔がない。僕がうまくやれていれば、何事もなく先へ急げたはずだったのだ。
ーーでも、バレたのは僕だけなはずだ。二人の脱走が判明するにはもうしばらく時間がかかるはずだ。二人には先に進んでほしい。僕は、置いていかれていい。もう、誰にも失望してほしくないから――
「何やってる!さっさと立て!」
「三対三よ、軽くのしたら先へ進みましょう!」
僕の目の前には、二人の背中があった。警備隊の前に立ちふさがり、戦闘態勢に入っている。記憶の霞が、ほんの少し晴れた気がした。僕は、拳を握りしめて立ち上がった。




