第二章①
「け、契約、ですか?アリシアと僕と?それとも二人共?」
客観的に見て、明らかに僕は混乱していた。死の恐怖から一転、ドラゴンから尋ねられた”契約する?”というワードがあまりに場にそぐわなくて、何がどうなっているのか訳が分からなくなっていたのだ。
「ワシの言葉がわかるのはお主だろう。小娘は口を開けてぽかんとしておる」
隣を見ると、アリシアが驚きの顔で僕を見ていた。おそらく、死の恐怖がまだ頭によぎっているのだろう。青ざめた表情はかつて見たことのない血色だった。
「アリシア、大丈夫。殺されることはないから、多分……話をしてるだけだから、少し待ってて」
なだめようと声をかけたが、逆効果だったのかもしれない。アリシアは生きた心地がしないのか、一歩後ずさり、僕の背に隠れた。一方で、アリシアの状況を見た僕のほうが少し落ち着きを取り戻せた。僕がこの場を収拾するしかないのだ。
「あの、一つ聞きたいのは、僕があなたの言葉を分かると、なんで契約することになるんでしょうか」
「ワシに都合がいいからだ。あとは直観だ。ワシの直観がそう告げているんだから、それ以上の理由はいらないだろう」
ダメだ。僕は、自信ありありで有無も言わせないドラゴンの言葉を否定するカードは一枚も持ち合わせていない。粘っても粘り勝ちの勝機は見えず、受け入れるしかないだろうと覚悟を決めた。
「わかりました。契約、受けます。でも、それには僕はどうしたら――」
言いかけている途中に、仄かな光がドラゴンと僕の胸から浮かび上がった。小さな天使のようにも感じるそれは、くるくると宙を舞い、交差すると互いの胸元に収まっていった。
「従士契約。まずは念話程度だから安心せい。適度に情報をもらうからな。夜は一人で待っておれ。話をしたい」
女子に言われたいような言葉を告げたドラゴンは、踵を返すと洞窟の奥へと進み始めた。
「ちょ……っと……僕はハル!あの、あなたの名前は!?」
何もかも一方的なドラゴンにふと思い浮かんだ質問ーーと言ってもありきたりなものだが、名前を尋ねた。
すると、これが念話というのだろうか、頭の中へ直接語りかけられるように声が聞こえてきた。
『グレンだ』とーー
のしのしと歩く音が遠ざかり、しばらくの間僕たちは呆然と立ちすくみ、そしてその場に座り込んだ。
「もう、行きましたよね……あの、何を話していらっしゃったんですか?流暢に話されている様子を見ると、言語転換の魔導石が起動していたんだと思うんですが……」
「ああ、アリシアはやり取り聞こえてなかったのか」
僕は納得した。グレンと名乗るあのドラゴンは、”ドラゴン語”を話していたのだ。だから、アリシアは会話の内容を聞けず、僕とドラゴンだけが独自の言語で会話していたのだ。
「僕と”従士契約”したって……でも、『言葉がわかるから』っていう理由だけらしい」
そう言うと、アリシアが顔を赤くして僕の肩を掴んだ。
「あんなに危険なドラゴンと契約を?……焼かれた村を見ましたよね!?今だって殺されていたかもしれないんですよ」
「ちょ、ちょっと待って、僕だって突然のことで」
アリシアが怒り心頭、叫ぶようにまくし立てた。怒り、だけではない。悲哀も含まれていた。今にも泣きだしそうな表情だったのだ。
「否定する時間も無かったし、僕が撒いた種だしーーそれ以外に方法がなかったんだ。大丈夫、夜だけ念話で話をするだけだって。ただ、それだけだよ」
「人間側の、何か重要な情報を得たいということでしょうか。それこそ人間に取り入って、どこかを襲う気なのかもしれません」
「いや、そんな悪い印象は受けなかったんだけど……」
「しかし、それが偽りなら……?そのせいで、街が襲われたら、孤児院が襲われたら――ハルさんは後悔しないのですか?」
アリシアにそう言われて、気持ちが揺らいだ。僕のせいで、街を、暮らしを、そして人の命をーー天秤にかけることはできなかったのだ。僕がこの世界の平和を壊すきっかけになってはならない。そんな責任なんか、一切負うことはできないと、そう思った。
「……わかった。でも、僕らだけじゃ対処のしようがない。まずはギルドへ報告しよう」
アリシアはほっとした表情で頷くと、ほんのりと明るみが漏れている頭上の穴を向いた。
「ありがとうございます。それではーーこの洞窟を出ましょうか」
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ギルドには、夕方になる前に到着した。当初どおり二つの依頼をこなすだけだったなら、おそらく昼過ぎには帰還していただろうから、ドラゴンとの出会いと洞窟からの脱出で、かなりの時間を要したらしい。
「報酬は、依頼失敗分を成功報酬で差し引いて、銅貨ニ枚が返ってきたよ」
一日やり切ったのに、余りに少ない報酬。上手くいかなかったとはいえ、冒険者とは時には身銭を切るしかない厳しい仕事なんだと実感した。
「じゃあ、ドラゴンのことを報告しよう」
銅貨をアリシアに渡して、昨日も立ち寄った緊急報告受付にいる金髪女性の下へ向かった。
「今日も用事すか」
受付の女性は、ふてぶてしそうに、でもこちらが話しかけるよりも先に声をかけてくれた。
「生憎ながら、今日も用事です。今日、ギルドの依頼を受けて、街の南にある洞穴に行ったんです。採取の簡単な依頼でした。そしたら、洞穴の地下に大きな洞窟があって、そこで赤いドラゴンに遭遇したんです。最近はドラゴンの件で物騒ですし、早めに報告をと思い伺いました」
「またドラゴン。よく帰ってこれましたね。情報を受ける身としては、面倒な報告すけど。ちょっと待ってて下さい」
受付の女性はそう言うと、僕らを置いてどこかへと歩いていってしまった。
「契約のことは言わなくていいんですか?」
受付の女性の姿が見えなくなると、アリシアは少し不満そうに僕へ問いかけた。
「細かく問い詰められたら怖いなと思っちゃって……大丈夫、言うべきところではちゃんと伝えるから」
言い逃れようと言い訳を話すと、アリシアは余計不服そうな顔をした。ただ、僕の本心では、まだ契約のことについては言うべきではないと思っていたのだ。
単なる勘でしかないものの、村を襲ったドラゴンと洞窟で遭遇したドラゴンは同じとは思えなかった――何と言えば良いのか分からないけど、性格というか、気性というかの本質が違っている気がしていたのだ。少なくとも、村を焼き尽くすドラゴンには思えなかったと、僕の直感がそう告げていた。赤いドラゴンは純悪だとは思えず、様子を見てギルドへ情報提供したいと思っていたのだ。
そんな事を考えつつ、納得していないアリシアをなだめていると受付の女性が帰ってきて、一方的に話を始めた。
「まず、基本的にドラゴン系の情報処理とか依頼関係全般は本部直轄でやってるのね。ここは支部だし。で、さっき本部に通信で状況を報告したら、『重要参考人から直接話を伺いたいから、丁重にお連れするように』だってさ。悪い扱いにならないことは保証するから、隣街までついて来てくんない?」
そう言うと、受付の女性の後ろから、重厚な鎧を着た兵士が何人も姿を見せ、僕たちはあっという間に取り囲まれてしまった。
「一体何を……どこが、"悪い扱いにならない"なんですか。これでは犯罪者の護送じゃありませんか」
アリシアがぽつり呟いた。僕も同感だ。依頼を受けながらお互いの目標を叶えようと歩み始めて、順風満帆に行くかと思っていた矢先だったのだ。
「でも、アリシア……これは行くしかないよね」
アリシアは苦い表情で頷いた。
僕も既に腹を括っている。でも、少しくらいはこんな状況に物申したい。
「行くよ。でも、温かい寝床と温かい食事くらいは準備しといてほしいな」




