【3-8.仲たがい】
クロウリーさんは目を見張った。
「イブリン、もう見当を付けていたのか。だが、鏡とは?」
しかし、ポルスキーさんは褒められても苦い顔をしたままだ。
「シルヴィアの死を呪いに変えてデュール氏に薄く被せたのよ。その呪いは鏡のような、いや、変換器のようなものかもしれない。とにかく『跳ね返す』呪いだわ。女性の接触を感知して、呪いという形で女性に跳ね返す」
クロウリーさんは、
「跳ね返す……それなら、なるほど」
と呟いた。
ポルスキーさんは肯いた。
「シルヴィアの呪いをかけられたのはアシュトンなのに、呪われて実害にあったのはアシュトンの周囲の女性たちだった。そんなことができるのはどんな呪いだろうとずっと考えていたけど、鏡のように跳ね返す呪いなら――。そして、呪いは二段階だった。女性が接触した瞬間は呪いの種だったけど、『デュール氏への好意』を感じると、成熟した呪いとして発現してとりついた女に不幸をもたらす。――どうかな?」
ポルスキーさんは正否を確認するように叔父の顔を見た。
エンデブロック氏は笑顔でパチパチと手を叩いた。
「だいたいそんな感じでいいんじゃねえか」
しかし、ポルスキーさんは忌々しそうに口を尖らせた。
「なんで、『呪いの種』と『成熟した呪い』の二段階にしたかは分からなかったけれど。女性の好意を跳ね返して呪うって方がシンプルなのに」
エンデブロック氏も軽く首をひねった。
「それは俺も何でかと思った。システム上の必要性は感じねえ。でも俺なら呪いの実行範囲がかなり空間的に限られるってとこを弱点に感じるから、それを補おうとでもしたんじゃねえか?」
ポルスキーさんはのろのろと目を上げた。
「それで『種』って形で呪いをばらまいたの? 無差別性や実行性を上げるために?」
「そこまでは知らん。俺は作った本人じゃねえからな。『種』が良い考えだとも思わん」
エンデブロック氏は首を竦めた。
にしても、これだけの呪いを構築し、さらには『二段階制』まで惜しげもなく導入できるとは、呪いをかけた主はかなりの使い手だと思われた。
そして、ポルスキーさんにはもう一つ気がかりなことがあった。
ポルスキーさんの「呪いをかけた主が分かる水晶玉」は、あの日シルヴィアを出したのだ。
シルヴィアの死を利用した誰かではない。
そして解呪自体はシルヴィアの未練を消すことで成功した。
それでデュール氏自身の呪いも消え、ポルスキーさんたちについていた呪いの種も消えたことになった――。
ポルスキーさんには、本来の呪いの主はシルヴィアを隠れ蓑にして巧妙に逃げたとしか思えなかった。
だから、おそらく本来の呪いの主が、ポルスキーさんの叔父に助言をもらったとすれば――、それは呪いの主を偽装する手段だったのではないだろうか。たまたまそれが今回は『鏡の呪い』というシステムになったのだけれど。
「叔父さんに助言をもらいにきた人物を知りたいのよ。シルヴィアの敵も打ちたいし、マクマヌス副会長と繋がっているなら副会長派の陰謀も暴ける」
「さあなあ。そういうのは苦手だ。第一、マクマヌスもたとえ俺の気が変わってマクマヌスの味方を辞めたとしても、マクマヌスに足がつかねえように手は打っているはずだ。俺がマクマヌスだとしたらそうする」
「そうか」
ポルスキーさんはがっかりした。
「シルヴィアが成仏して解呪が成功してしまった以上、呪いの主はどうやったら見つけられるかしらね。解呪しなかった方が良かったとまでは思わないけど、解呪する前に戻れたらと今になって思ってしまうわ」
「シルヴィアって女の死に方を洗えばいいじゃねえか」
とエンデブロック氏はさらっと言った。
「現状『死の魔法』が制限されている状態で何かしらの方法で殺したって言うんなら、その最終的な、つまり物理的部分に関しては、完全には消しきれないはずだ。そこから下手人もわかるんじゃねえのか」
「そんな探偵みたいなこと……。でもそれしかないのかしらね」
「そういう分野は、クロウリー君は得意じゃないのかい? 少しは君も役に立てよ」
エンデブロック氏の物言いに、クロウリーさんはむっとした。
「やりますよ」
しかし、エンデブロック氏はクロウリーさんが機嫌を損ねたことには気にしなかった。
「それか、そいつがもう一度誰かに別の呪いをかけたのを暴くかだな――?」
「叔父さん、もう、これ以上呪いだなんて言わないでちょうだい!」
「俺に言うなよ。じゃあ、早いとこ犯人を見つけるんだな」
エンデブロック氏は首を竦めた。
そして、エンデブロック氏は「話は終わりだ」とばかりに立ち上がった。
飽きたのだろう。
ポルスキーさんとクロウリーさんも、これ以上長居しても有用な話が聞けるとも思えず、エンデブロック氏の家を後にすることにした。
ふたを開けてみれば、デュール氏が叔父への手土産になったようだった。デュール氏とエンデブロック氏を仲介するだけだ。それで叔父は副会長派を辞めるという。
まあ、まずまずの結果と言えなくもないと思った。
エンデブロック氏は「じゃあ、イブリン、期待しているよ」と片手を挙げ、ポルスキーさんとクロウリーさんを送り出した。
ポルスキーさんは叔父の邸を出て、緊張が解けたのか一先ずほっとため息をついた。
そして、
「うまくいったって言ってもいいわね?」
とクロウリーさんに話しかけた。
しかし、クロウリーさんは無言のまま、ポルスキーさんを伴って素早くその場からテレポートした。
何の断りもなくいきなりテレポートしたので「えっ」と思ったポルスキーさんだったが、着いた場所が魔法協会だったので「なぜ魔法協会」とさらに驚いた。
しかし、すぐさま叔父との約束を思い出し、
「ああ、アシュトンに叔父さんのことを頼むために来たのね」
とクロウリーさんの仕事の速さに感心した声を出した。
しかし、ポルスキーさんに頼もしげな眼で見上げられても、クロウリーさんは不機嫌そうなままだった。
ポルスキーさんは「あれ」と思う。
「ねえ、どうしたの? さっきから何も言わないけど」
とポルスキーさんがクロウリーさんにそっと聞いたとき。
クロウリーさんが冷たい目でポルスキーさんを見た。
ポルスキーさんはまたしても「え?」と思う。
クロウリーさんは低い声で、
「なあ、イブリンはいつの間にデュール氏のことをアシュトンと呼ぶことになっているんだ? もしかして私の知らないところで会っているのか?」
クロウリーさんの目は険しい。
ポルスキーさんは「おおっと」と思った。
「あ、それは、えーっと、昨日かな。魔法薬草の輸入が私の名前じゃできなくなっちゃって、それでアシュ……、デュール氏に頼むことにして……」
ポルスキーさんは「アシュトン」と言いかけて、慌てて「デュール氏」と言い直す。
クロウリーさんの目がさらに険しくなった。
「魔法薬草の輸入って、昨日魔法協会を訪れていた目的だな? なぜ魔法薬草の輸入がイブリンの名前でできなくなったんだ?」
「マクマヌス副会長直々に呼び出されて、『うちの陣営に入れ』って言われてさ。断ったら『輸入許可は出さん』って……」
ポルスキーさんのしどろもどろの説明を聞いて、クロウリーさんは目を剥いた。
「それもだ! さっきエンデブロック氏とイブリンの会話を聞いていて奇妙に思っていた。イブリンはマクマヌス副会長に何か要請されたって言ってたな? いったい、いつの間に呼び出されているんだ!」
普段はわりと淡々としていて、あまり表情を変えることのないクロウリーさんだったが、今は冷静さを欠いていた。エンデブロック氏の家で次々と感じた違和感をどうやらため込んでいたようだった。
ポルスキーさんはたじたじとなった。
「わ、私も驚いたわ。輸出入管理課に行ったらいきなりマクマヌス副会長との面談を設定されて。身に覚えがなかったから私だって焦ったわ!」
「そんな大事なことがあったんなら、なんで早く言ってくれなかったんだ。私たちは昨日だって会っているし、今日だって朝から一緒だったじゃないか。イブリンの安全に関することは私にとって一番大事なことだというのを分かっていないのか?」
クロウリーさんは今まで知らされていなかったことに悄然としているようだった。悔しそうにぎゅっと唇を結んでいる。
ポルスキーさんは慌てた。
「えっと、クロウリーさんには確かに言ってなかったんだけど、デュール氏にはちゃんと言ったから……」
「デュール氏には言った? 私だけ知らなかったのか?」
クロウリーさんはだいぶ落胆しているように見えた。
クロウリーさんは虚ろな目でポルスキーさんを見た。
「それで? 昨日、魔法薬草の件でデュール氏に頼んだっていうのは?」
「あ……」
ポルスキーさんはクロウリーさんの気落ちした様子に続きを言っていいものか躊躇った。しかしクロウリーさんが小さく顎で促すので、仕方なく答えた。
「私の名前がダメでもデュール氏の名前なら大丈夫かなと思ったの。名まえ借りようかなって。ほら、私、シルヴィアの呪いの件でデュール氏には貸しがあったから……」
クロウリーさんは唇を噛んだ。
「まず私を頼れ」
「ごめんなさい……」
ポルスキーさんはしゅんとした。
少し無言の時間が流れた。
ポルスキーさんは、こんなにクロウリーさんが怒ると思わず、申し訳ない気持ちになっていた。
クロウリーさんは小さくため息をついてから、ゆっくりと言った。
「イブリン、私は君が好きだ。イブリンは私よりデュール氏の方が好きか?」
ポルスキーさんは慌てて首を横に振った。
クロウリーさんは少しほっとしたような顔をした。
「それなら――」
「でも……!」
ポルスキーさんはクロウリーさんの言葉を遮った。
「別に何もないもの! ただ魔法薬草が欲しかっただけ。名まえを貸してくれるなら誰でもよかったの。それをそんなに怒らなくてもいいじゃない!」
「怒ることだよ、分かっていないのはイブリンの方だ。私がどんな気持ちになるか」
「別れてるじゃないっ! 恋人ぶるのはやめてよ」
「……」
クロウリーさんは黙った。哀しそうに微かに顔が歪んだ。
それからクロウリーさんは考えを巡らすように宙を仰いだ。
その普段と違う様子を見て、「しまった」とポルスキーさんは思った。
「あ、ごめ……」
「いや、もういい、すまなかった。恋人ぶっていたかもな。確かに距離は置いたと思っていたが、本当に別れた気にはなっていなかった。イブリンはずっと『別れた』って言い続けていたのにな」
気付いたらクロウリーさんはひどく冷たい声になっていた。
ポルスキーさんはいつもと違うクロウリーさんの声の調子に気味が悪くなった。
「……あの、どうしたの、そんな言い方」
「どうしたもこうもない。ただ思い知っただけだ」
クロウリーさんは目を伏せた。
ポルスキーさんは「あ……」と思わずクロウリーさんに手を伸ばした。
しかしクロウリーさんはその手を振り払う。
ポルスキーさんは愕然とした。
「どうしよう」と思った。こんなクロウリーさんは初めてだった。
「ごめんなさい、そんなつもりじゃ」
そのとき、ひどくタイミングの悪いことに、魔法協会のエントランスからアシュトン・デュール氏が出てくるところだった。
デュール氏は何やら思い詰めた顔で忙しそうに歩いてきたのだが、思いがけずここでポルスキーさんと会えたことに嬉しそうな顔をした。(クロウリーさんが横にいることはこの際置いといて。)
そしてまずは、いそいそとカバンをあけ、整理整頓された書類ケースの中から、一枚の書類をさっと抜き出した。
「やあイブリン。魔法薬草の申請書、さっそく準備したよ。これでいいかな」
笑顔でポルスキーさんの方に差し出す。
ポルスキーさんはクロウリーさんの顔がもっと険しくなったことに泣きたい気持ちになりながら、かといって状況を知らないデュール氏の無邪気な好意を無碍にもできず、デュール氏に近づいて書類を確認した。
「はい、間違いないです」
ポルスキーさんは小声で控えめに言った。
「なんだよ、もっと喜んでくれると思ったのに」
デュール氏が拍子抜けの顔をした。
「昨日ひどく腹を立てていたようだから、できるだけ早く準備させたんだ。イブリンの機嫌を直してやりたいと思ってさ。ジェニファーの怒鳴り込みの件でも見苦しいところを見せちゃったし……」
『ジェニファー』という別のキーワードが出てきたので、クロウリーさんはまた表情を硬くした。まだ自分が知らないことがあるのか。
ポルスキーさんはもう本当にやばいと思い、「しーっ」と口元に指を立てた。
しかしデュール氏は、もちろん状況を知らないので、きょとんとしたままだ。
「しー、って?」
ポルスキーさんは「説明なんかできないわよ」と思い、首を横に振るだけだった。
それでデュール氏は不審そうな顔をしたままだったが、
「えーと、で、そのジェニファーについて、ちょっとまずいことが起こってね。ちょっとイブリンに頼みたいことがあって、今ちょうど訪ねようと思ってたところだったんだ。すごくいいタイミングで会えたことだし、このまま同行してくれない?」
と聞いた。
クロウリーさんは目を伏せて、
「では私は失礼する」
とくるりと背を向けた。
デュール氏は慌ててクロウリーさんの背に声をかける。
「昨晩は呼び出して悪かったね、ヒューイッド」
「いえ、仕事なので」
クロウリーさんは振り向きもせず行こうとする。
その背中にデュール氏は声をかけた。
「ヒューイッド、ジェニファー・スリッジの件についてはデスクに関連資料を置いといたから、君も把握しといてね!」
「分かりましたよ!」
クロウリーさんはこんな状況でも遠慮なく仕事を押し付けてくるデュール氏にイラっとしながら、そのまま魔法協会の建物の中に入っていってしまった。
デュール氏はその後姿を眺めながらポカンとする。
「愛想のいい男ではない方だけど、今日は特別機嫌が悪かったような?」
ポルスキーさんはクロウリーさんを追いかけたくてもぞっとしたが、デュール氏が
「それで同行頼んでいいかな」
とポルスキーさんを振り返って聞いてくるので、仕方がなく、
「あ、はあ……」
と生返事をした。
お読みくださいましてどうもありがとうございます!
本当に嬉しいです。
喧嘩してしまいました。
タイミング悪く現れるデュールさん。
次回、会長のお嬢さん、ジェニファーをめぐる事件にポルスキーさんは巻き込まれることになります。←クロウリーさんのことでそれどころじゃないポルスキーさんですが……