【1-2.切れていない恋人】
「クロウリーさんはいる?」
魔法協会の受付でポルスキーさんは受付嬢に聞く。
ポルスキーさんはアドリアナを連れて、自身の海辺の掘っ建て小屋から王都のメイン通りにある魔法協会へテレポートしたのだった。
一等地に堂々と陣取っている、蔦の覆う頑丈そうな大きな建物。
お金がかかっていそうな建築様式に魔法協会の威厳が滲み出ている。
さて、ポルスキーさんが聞き終わるか否かのタイミングで、貫禄のある背の高い魔法使いの男が姿を現した。
「あらクロウリーさん。さっそく出てきてもらって助かるわ」
とポルスキーさんが微笑みかけると、その魔法使いはにこりともしないで、
「ヒューイッドと呼ぶよういつも言ってるでしょう、イブリン」
と不満そうに言った。
「私は、もうイブリンと呼ばないでって何度も言ってるでしょ」
ポルスキーさんは苦笑しながらクロウリーさんを眺めた。
クロウリーさんは、ポルスキーさんと見た目年齢が同じくらいの真面目そうな男性だ。長い黒髪をぎゅっと後ろで一つに結んで、いつも真っ黒なローブを纏っている。
クロウリーさんは、ポルスキーさんの昔の恋人だ。
ポルスキーさんは、クロウリーさんのにこりともしない堅物っぷりに何となく興味を惹かれて付き合ってみたけど、魔法協会のややこしい仕事を次々引き受けては忙しくしているクロウリーさんに退屈して、ポルスキーさんの方から別れを告げた。
ちなみにポルスキーさんは、「別れるくらいなら仕事をセーブする」とかクロウリーさんが泣いて縋ってくれるんじゃないかと淡く期待したが、まあ現実、そんなのは全くなかった。
ただ、
「私はまだあなたが好きなので、イブリン」
「もうイブリンって呼ばないで、クロウリーさん」
というのをここ何年も続けている。
クロウリーさんは、訝しげに少し片目を上げた。
「珍しいな、テレポートで来たのか」
「そうよ、悪い?」
「方向音痴の君がねえ……」
クロウリーさんがぼそっと呟くので、ポルスキーさんはムっとする。
クロウリーさんはほんの少し同情した目をアドリアナに向け、
「君も運がよかったね。昔私がイブリン主動でテレポートした時は、北極に出た」
と淡々とした口調で言った。
「余計なことは言わなくていいのよ」
ポルスキーさんはクロウリーさんの肩をべしっと叩いた。
クロウリーさんはそれには返答しないで、
「用件はこちらのアドリアナ・フェルドンだね」
と聞いた。
ポルスキーさんは頷いた。
「そうよ、話が早いわね。何でアドリアナを拘束しようとしてるの? テオドール・ホランドの件?」
「え……? ああ、まあ厳密には関係なくはない。アドリアナ・フェルドンはテオドール・ホランドの一人娘だし」
クロウリーさんがいきなりそう言ったので、アドリアナは飛び上がった。
「私の父がテオドール・ホランド?」
ポルスキーさんは「やっぱりか」といった顔をした。
「ああ、聞かされていなかったか。君が生まれてすぐに死んだ父親のことなど」
クロウリーさんはそう言いつつも、あまり興味がなさそうな口ぶりだった。
「テオドール・ホランドという人のことはポルスキーさんから聞きました。大犯罪者だったと。私はその娘なのですか。母は……」
アドリアナの声は震えている。
クロウリーさんは無機質な声で後を続けた。
「ああ、逃げていたんだったね。彼から。君を守るためだったんだと思うが。世間の人々が君の母の行方を噂し合ってた。テオドール・ホランドは好きな女のために殺人を犯して、その女が行方を晦ませた後は、あっちこっちに喧嘩を売りながら必死で探し回っていたからな」
「……」
アドリアナは放心状態で声もない。
クロウリーさんは淡々と呟いた。
「彼は君の母の行方が分からなくて苦しんでいた。テオドール・ホランドは死ぬまで君の母を探していたよ」
アドリアナは声を絞り出した。
「母はなぜ父から逃げたの?」
「たいそう嫉妬深い人殺しだからな」
「でも、母は彼の死を悼むと! 逃げておいて? それに最近まで母は、たぶん……」
そこまで言いかけてアドリアナはハッとして言葉を切った。
クロウリーさんは少しだけ目を上げた。
「そうか、あんたの母親はテオドール・ホランドを愛していたのか。それなら彼も少しは浮かばれるだろう。彼の人殺しは君の母親に関することばかりだからな」
最初の殺人はエレーナを無理矢理手籠めにしようとした男、次の殺人はその男の兄弟。
エレーナが恐怖を感じてテオドール・ホランドから離れようとしたら、その次の殺人が起きた。エレーナに協力した者。エレーナが当局に保護を相談したら、なんと公職者にまで犠牲が出た。
ついにエレーナが姿を消すと、テオドール・ホランドの半狂乱っぷりは一層ひどくなった。
次々と連鎖する血の祭り。増える路上の遺体。
驚くほど軽い理由で実行される殺人。
殺人者本人だけが一人だけ大真面目だ。
こんな男が魔法を使えてはいけなかったのだ。
大胆不敵なテオドール・ホランドはあっちこっちで暴言を吐き、愛する女の名前を叫びながら、まんまと逃げおおせては罪を重ねた。
思い返せば、あの頃は異様だったとしか言いようがない。連日の報道に世間は少し踏み込んだ関心を寄せて、殺人者の歪な愛についてたくさんの穿った憶測が流れた。
あの時は、世間の人々もエレーナ・フェルドンの行方に興味津々だった。
そう、あの時は。
「……でもさあ、エレーナ・フェルドンが見つかったところで、今更、魔法協会が大騒ぎする謂れはないんじゃないの?」
ポルスキーさんは首を傾げた。
クロウリーさんは頷き、少しだけ鋭い目でアドリアナの方を見た。
「魔法協会が君を拘束しようとしている理由は、本当は自分でもよく分かっているんだろう、アドリアナ。一昨日、君が母親のエレーナを殺害したんだから。そっちの件に決まっているじゃないか」
ポルスキーさんは「えっ」と驚いた顔をした。
アドリアナは青ざめたまま何も言わない。
ポルスキーさんは気味が悪そうにアドリアナをまじまじと見ていたが、やがて諦めたのか溜息をついた。
「何が何だかよく分からないんだけど、アドリアナ。魔法協会に追われている理由、なんで私には最初隠していたの。私には別の用件があるのね? ここで、もう一度聞かせてもらうわよ。私を頼ったのはなぜ?」