05 イーサンは、胃薬の他に頭痛薬も用意する。
ルーカスとレベッカが、無事にパーティーから帰ってくると、父のイーサンは安堵のために二日間寝込んだ。
「一体お父様は、私がお城で何をすると思っていたのでしょうね?」
レベッカは腕組みをして納得のいかない顔でいる。
「まあまあ、父上も大変なんだよ。いろいろとね」
ルーカスの笑みにころっと騙されるレベッカ。
「はわー・・今、炭酸の海で泳いでる気分です」
「・・・。所でレベッカ、ラート男爵のご令嬢のエミリエンヌ嬢に会ったそうだね?」
「ええ、カロリーネ嬢の侍女に金のピアスは王子の色だとか難癖をつけられていたので、つい腹がたってそれで私が偶然持っていたピアスを差し上げましたの」
「そうか・・・。本当なのだな。それを聞いた時に、少し驚いてしまって・・」
ルーカスはそれをエミリエンヌの火傷の手当てをしていた時に、本人から聞いたのだが、疑心暗鬼だった。
「ええ、本当ですわ。なぜお兄様が驚かれたのです?」
ルーカスは、レベッカの興味は自分だけだと思っていた。
しかし、そうではなかったのだ。同性の女性にも気遣う事ができたのかと感慨深く、素直に喜んでいた。
その数日後の嵐の日に、お城からの通達でレベッカが、王太子妃の最終候補に残ったと知らせが来た。
それでさらに父イーサンは胃痛で三日寝込んだ。
さらにパーティーから二週間後、城内の近衛騎士団長のコーバス・ベイエルがレベッカに礼を言いたいとやってきた。
なぜ、お城勤めの騎士団長がレベッカに?とバルケネンテ家全員が首を傾げる。
コーバスはレベッカが部屋に入ると同時に立ち上がって、深く礼をした。
「この度は我が愚息が、ご令嬢に剣を向けるという暴挙を大事にせずにいてくれた事、深くお礼申し上げる」
これを聞いたイーサンは目を見開き、顔色が青くなる。
「レベッカ!! お前・・その愚息・・じゃなかったご令息をどうした?!! 剣を向けられたお前がそのまま生かしておくわけがないだろう?」
「酷いですわ、お父様。向けられたのは剣ではなく、木刀です。なのでちょこっとだけ、お仕置きをしただけですわ」
イーサンの顔に再び血流が再開したのもつかの間、すぐに停止することに・・・。
「いや・・息子は◯玉を蹴り上げられた事で随分と変わりました」
「き・・きん・・レベッカ・・お前は何という事を・・」
再びイーサンの顔は青さを通り越し、もはや白い。
「バルケネンテ公爵、うちの息子は大丈夫です。それに、公爵令嬢に理由もなく木刀とはいえ剣を向けたと世間に知られれば、それこそハンネスは終わっていたでしょう。ですから、レベッカ嬢が騒ぎもせずにその場を収めてくれたことは誠に感謝しています」
コーバスの言葉に、イーサンもホッと息をついた。
「それに」とコーバスが話を続ける。
「レベッカ嬢に簡単にやられた事で、息子の意識が大きく変わったのはありがたいことです。お恥ずかしい事ですが、以前の息子は同年代の子より、剣術が上手く驕っており、練習もせずに力で捩じ伏せる遣り方で、友もいませんでした」
レベッカがハンネスの剣術の技量を思い出す。
そう言えば、切っ先もぶれてなかったわ。
確かに、同年代の子供ならハンネスの剣術は飛び抜けていた。
「それが、人が変わったように素振りの練習から始め、先輩のいうことを素直に聞き、今まで何度言ってもしなかった道具の手入れまで率先してするようになったのです。これもみな、レベッカ嬢のお陰だと思っている。本当に感謝しています」
「いえ、これも元々ハンネス様が持っていらしたものではないかしら? でも、そのように言って頂けて嬉しゅうございます」
レベッカが美しい切れ長の目を細めてにこやかに微笑む。
イーサンは実の娘が興味のないこんなことで、きちんとした対応をしたことに驚いた。
だが、答えは簡単だった。
開いたドアの前をルーカスが通りかかったからだ。
そんな事情を知らないコーバスは、優雅なレベッカの所作に目を見開き手放しで褒め称える。
「バルケネンテ公爵家のご令嬢は、どこに出しても恥ずかしくない羨ましいほどのご令嬢ですな」
「・・はあ・・まあ、そうですかね・・・?」
イーサンは歯切れの悪い返事を返すのが精一杯だった。
◇□ ◇□ ◇□
アルナウト王太子の誕生日パーティーも過ぎ、3ヶ月が経とうとした頃、一人の少女がバルケネンテ公爵家を訪ねてきた。
ヒロインのエミリエンヌだ。
彼女はレベッカに借りたと思っている水色のピアスと、ルーカスに火傷の手当ての時に巻いてもらったハンカチをわざわざ返しにきたのだ。
だが、自分の屋敷とは大きさも豪華さも別世界のような大きな屋敷に戸惑っていた。
「返さないとと思ってここまできたけれど、このお屋敷はどうすれば入れるのか・・・誰か一人でもいれば言付けられるんだけど・・・」
彼女は門を守る騎士には声を掛けられない。
馬上の騎士に近寄れないというのと、純粋に馬が怖かったからだ。
没落貴族で、しかも男爵の彼女の家には門は一つだ。
だから、正門と通用門があって侍女に何か頼むには通用門に回らないと行けなかったのだがお城のような大きな屋敷にテンパって大事な事を忘れていた。
屋敷前でしかもうろうろと10分ほどしていると、流石に怪しんだ騎士が声を掛けた。
「お嬢さん、こちらの屋敷に用があるのかな?」
「ふぇ!! あ、あのこちらのお嬢様でいらっしゃいまするレベッカお嬢様とバルケネンテ公爵のご令息でいらっされまするルーカス様にこの度大変なご迷惑をおかけして、さらにお借りしたこちらの品々をお返しにきた次第でありまする。どうぞご容赦のほどお納めくだシャリませ!!」
騎士は少女のあまりのテンパり様に、吹き出しそうになったが、笑いは堪えた。
「そうですか、分かりました。ではあなたのお名前をお聞かせ下さい」
「わ、わた、わたくしのお名前はエミリエンヌと申し奉ります。あ、あ、ラート男爵の娘であります」
エミリエンヌが何とか名乗ると、騎士は『ああ!!』という表情ですぐに門を開ける。
「規則ですので、こちらに名前を記入してください。レベッカ様からお越しになると連絡が入っていますので、どうぞこちらに」
エミリエンヌがカードに記入すると、すぐに侍女が現れて広い屋敷の庭園に案内してくれた。
ここは町中の公園かと見間違うほどの広大な緑の奥に、大きな城?屋敷が目に飛び込んだ。
それから、豪華な応接室に通されたエミリエンヌはソファーでちょこんと座る。
テーブルに紅茶とケーキのセットを置くと侍女は「少々お待ちください。すぐにレベッカ様がいらっしゃるまで御ゆるりとおくつろぎ下さい」という。
「あの、これをお渡し頂ければすぐに帰りますので!!」
とピアスとハンカチを渡そうとするが、侍女は微笑んで去ってしまった。
この様子を悶えて見ている者がいる。いや、この場合見ている者と見せられている者の二名だ。
「あああああ、イイ!! お兄様見まして? 普通ならばハンカチを返しに来たとかなんとか言って、お兄様に会う口実に使うのが世の浅ましい女達よ。それなのに、侍女に渡して帰ろうとするなんて!!!かぁぁぁぁ!!萌える」
「・・・うん。今僕を見ている普段のレベッカが想像出来たよ。」
レベッカの想像以上のテンションに、付き合わされているルーカスが引いている。
「これ以上待たせては可哀想だ。早く行ってあげよう」
「いえ、ここはお兄様が一人で行って下さい」
レベッカはもっとここで堪能するはずだった。
「ダメだ。今度は僕を含めて見るつもりでしょう? それだけは勘弁して。ほら行くよ」
大好きなルーカスには逆らえず、レベッカは小部屋から引きずり出されてしまう。
そしてヒロインが待つ、応接室にずるずるとルーカスに連れられて入った。
「お待たせしました。わざわざ、ハンカチを返しに来てくれたんだね? 遠いところ、ありがとう」
「いえ、こちらこそ大事なハンカチを汚してしまってすみませんでした」
綺麗に洗濯されたハンカチを鞄から取りだし渡す。
「あら? そのハンカチは私がお兄様にあげたハンカチね?」
ここで、エミリエンヌはしまったと顔を強張らせた。
そうよ、自分が一生懸命に刺した刺繍のハンカチを汚してしまわれたら誰でも気分を害されるわ。
しかも、私なんかに・・・。
「もう!!お兄様ったら!!」
怒るレベッカ。
「こんな、不出来な刺繍のハンカチを持ち歩いていたなんて、恥ずかしいじゃない!! しかもその刺繍をエミリエンヌ様に見られるなんて、恥ずくて悶え死ぬわ」
エミリエンヌは怒る所が違うのでは?と驚くが、レベッカが顔を真っ赤にしているので、本当に恥ずかしがっているのだとわかった。
「エミリエンヌ様、ちょっと待ってて下さいね」
そう言うと大急ぎでレベッカは部屋を出ていった。
「あっ、ピアスを・・」
エミリエンヌは水色のピアスを返そうと立ち上がったが、レベッカはもう部屋を出ていた。
「あれ? その水色のピアスはレベッカがわざわざ取り寄せてたやつだ」
ルーカスの瞳と同じ色だから、レベッカが自分でつけるのだと思っていたら、エミリエンヌに渡していた事に驚く。
「うーん・・」
ルーカスは考えた。
わざわざ、エミリエンヌがいい子だと、小部屋から見せるレベッカ。
先程のハンカチの時に見せたレベッカの恥じらう姿。
そして、大好きな兄の水色のピアスをレベッカが人にあげる?
これをまとめると・・・。
「エミリエンヌ嬢。君はとんでもなく厄介な人に気に入られたようだ。もし手に負えなくなったら、僕に相談して欲しい。僕は長い付き合いでレベッカにはそれなりの耐性と経験があるから」
エミリエンヌは、申し訳無さそうにしているルーカスの意図が、全く理解出来なかった。
それに、エミリエンヌが知っているレベッカはとても素敵な人だった。
自分が苛められている時に、颯爽と現れて助けてくれたのだ。
嫌う訳がなかった。
「エミリエンヌ様!! 良かったわ。まだいらっしゃった・・あの、兄が渡したハンカチは私の中では会心の出来ではないの。だから、一番の自信作をお持ちになって下さい」
そう言うと、彼女がエミリエンヌに渡したのは一枚の緻密に計算された見事な刺繍のハンカチだ。
クロスする金の剣と、二頭の天馬が守るように向かい合っているその紋章は、バルケネンテ公爵のものだ。
「こ・・こんな立派なハンカチ・・もらえません!!」
エミリエンヌは震えるまでに恐れおののいている。
「これを持ってて欲しいの。私の友達として。それにこれは面倒な奴が絡んできた時に見せるといいわ。貴女の護符にもなるわ」
だから、お願いと無理にエミリエンヌに持たせた。
それに、水色のピアスも「貴女にあげたものよ」と言って返却を拒否。
「エミリエンヌ嬢。僕の妹は言い出したら聞かないんだ。だから、ハンカチとピアスはもらってくれるとありがたいんだけど、いいかな?」
ルーカスにも言われたら、エミリエンヌが断る理由なんてない。
素直にもらう事になった。
それから、時間が許すまで三人でお喋りして遅くなったエミリエンヌを馬車で送っていった。
ルーカスはレベッカがエミリエンヌと話をする様子を見て、妹も漸く普通の女の子みたいに、友達を作れたと喜んでいる。
しかし、それは一夜にして散るサガリバナの如く儚い夢であったと知ることになるだろう。




