45 聖女はお味噌を持ってやって来る
ジュリアへの文句を、ぶつぶつと呟いて走っていたら、すぐに王宮に着いてしまった。
事情を話すと、すぐに入れたのはよほど聖女の対応に苦慮しているのだろう。
しかも、離宮までは遠いので馬車まで用意をしてくれた。
「聖女様の心配をしていただき、公爵令嬢のレベッカ様にお越し頂くなんて、本当にありがたい事です」
侍女長にまでお礼を言われて、恥ずかしくなる。
「いえ・・私は・・」
まさか、嫉妬に駆られてやってきたなどとは言えず口ごもる。
「こちらにいらした聖女様は、隠れるようにこのお部屋に入られ、その後カルブールの者しかお世話ができていないので、本当に困っていたところです」
来賓専用棟の侍女長は、隣国の聖女という大切な賓客のおもてなしをしたいと思っているが、今その願いは叶っていない。
どうぞその旨を是非、聖女様に伝えて下さいと懇願された。
レベッカが本当に伝えたい事は他にある。
『アルナウト殿下を私から奪わないで』
なんて言えるわけがないのだが。
違うでしょ!!
私は閉じ籠っている聖女様のご機嫌伺いに来たというのに、何を言うつもりだったのかしら?
もう一度自分のすべき事を思い出し、精神を落ち着かせる。
豪華な扉の前に立ち、レベッカは息を一つ吐きノックをするために右手をあげた。
が、動かない。
もし、黒髪の妖艶なお姉さま系美女がいたらどうしよう。
それとも、庇護欲をそそる可愛い系の女の子ならどうする?
どちらも自分では太刀打ち出来ないじゃない。
そう思うと会うのが怖くなる。
恐くなればなるほど、自分がアルナウトをどれ程好きだったのか、恐さと比例して自覚していく。
私ってこんなに臆病だったの?
ドアの前でハーハーと息切れと動悸が激しくなる。
その様子を見た侍女長は、聖女様へのもてなしにレベッカ嬢が並々ならぬ思いをかけていらっしゃると、良い方に思い違いをする。
「大丈夫です、レベッカ様の思いは私も一緒です」
と侍女長が自らあっさりとノックをしてしまった。
ぬおー!!
まだ心の準備が!!
レベッカが焦る。
だが、中から返事はない。
もしかして、聖女様は人見知り?
ちょっと冷静になるレベッカは、
もう一度ノックし、「私、この国のバルケネンテ公爵の娘、レベッカと申します」と告げて返事を待つ。
返事はない。
どうしたものか。レベッカが思案していると、中から「どうぞお入り下さい」としわがれた声が返ってきた。
ごくりと生唾を飲んで、恐る恐る扉を開けると、そこには白髪の懐かしい小さなおばあさんがこちらを見ていた。
「あなたは・・・・!!」
和食料理屋『さくら』のお咲きさん。
莉菜が会社で疲れて、自炊もできない時は『さくら』に通ったものだ。
いつも、優しく莉菜の話しを聞いてくれて、美味しいお味噌汁を出してくれた。
「おおお咲きさん?」
レベッカは懐かしいが、当のお咲きさんには、レベッカは外人さんのお嬢さんだ。
しかも、異世界の。
「どなた?」
「私です、お店の『さくら』に通っていた莉菜です」
「莉菜ちゃんのおともだち?」
お咲きさんに、莉菜とレベッカは結び付かない。
「私が莉菜なんです」
身振り手振りで必死で説明すること、20分。
何となく、事情を分かってくれたお咲きさんが、今度は自分の事を話してくれた。
「急にお店が暗くなった時にね、誰かに肉じゃがを作ってあげなくちゃって思ったら、変な世界に来てしまってたのよ」
肉じゃが・・・。
ハッとするレベッカ。
記憶喪失の時に、肉じゃがを食べたいって強く思ったけど・・・まさかそれでお咲きさんをこっちに呼んでしまったのかしら?!
あの時の記憶が鮮明に甦る。
そして、冷や汗が出るレベッカ。
お咲きさんの大切な日常を、私の食欲のせいで壊してしまった。
「あの・・、お咲きさん・・。ごめんなさい」
レベッカは謝る。
そして、あの時に言ってしまった迂闊な一言のせいで、お咲きさんが来てしまったのかも知れないと説明をした。
「ほほほ、それなら本当によかった?」
お咲きさんは朗らかに笑う。
「・・・よかった?」
「こっちに来ても、することもないし、聖女か何か知らないけれど、その力がないと分かると、ずっと部屋に押し込められて・・・。でも、ここでは莉菜ちゃん、じゃなくてレベッカさんのために肉じゃがを作ってあげられるんでしょ?」
いつも通りの優しい笑顔。
「怒ってないの?」
「怒るものかね。だってあの店もお客さんが減ってきたからね、もう閉めようかなって思ってたとこなの」
随分前に伴侶を亡くし、一人で店を続けて来たお咲きさんは、ここで、新しい生き甲斐を見つけたような気がした。
「よしっ」と手を打って荷物の中から割烹着を取り出した。
「莉な・・レベッカさん、美味しい肉じゃがを作ってあげるね」
「でも、この世界には醤油もないよ?」
すると、お咲きさんが黒い大きな鞄に手を突っ込み、自慢げに中から醤油を取り出した。
「ほら、味噌もあるよ」
レベッカの喉に味噌味が思い出され広がった。
飲めるの?味噌汁が?
食べられるの? 和食を?
「この世界に飛ばされたときに、この不思議な鞄を持っていたのよ」
なんて事でしょう!!
いたせりつくせりとは!!
神様、ありがとう!!
離宮の料理人は、部屋に閉じ籠っていた聖女様が、新しい料理を作ると聞いて厨房に集まってくる。
中には、「聖女様っていうから若い女性かと思ってたな?」と失礼なことをいう奴もいたが、レベッカの瞬間冷却の目力によって、黙らされた。
初めての調理法方を見ようと、お咲きさんに群がったが、レベッカが排除する。
調理過程で味わえる、その場の香りも独占したいのだ。
「ほら、出来たよ。おあがり」
今までどんなに渇望しても食べられなかった和食が今、目の前にあるのだ。
ここはお箸で食べたかったが、まだない。
フォークでジャガイモを刺し口にいれると、ほこほこしたジャガイモがホロリと口に入る。
甘めの醤油味が、染み渡る。
「はー・・・美味しい」
レベッカの顔を見た料理長が、すぐにジャガイモを頬張る。
「うまい!!」
我先にと食べる料理人達。
お咲きさんの料理は、たちまちこの世界の人の舌を唸らせた。
一口食べると、多くの料理人がその味付けを教わりたいとお咲きさんを取り囲む。
この後お咲きさんの調理指導が始まった。
中でも、この国の人にも大好評だったのが、天ぷらだ。
「うまい!!」
「なんだ? このサクサク感に野菜本来の旨味が閉じ込められているぞ!!」
レベッカは自分が作った訳でもないのに、鼻高々である。
このお咲さんの作る和食には、心とお腹を一杯にするだけでなく、魔力を増幅させるという効果もあるのだが、この時はまだ誰も知らない。
◇□ ◇□
アルナウトは、レベッカと約束した手前、離宮に行くのを憚ったが、あまりにも帰りが遅い。
気になり、少しのぞくだけならとルーカスを連れて様子を見に行くことにした。
そこで、厨房での騒ぎを知ることになる。
てっきり、『私から、アルナウト殿下を盗らないで』的な話合いがあったのかと思っていたが、全く予想とは違う展開になっていた。
先ず聖女はかなり高齢女性。
もう嫉妬されることはないのかと少々残念な気持ちになる。
しかも、なぜかその女性と以前からの知り合いのように親しげで、仲睦まじい。
少し前アルナウトに『行かないで』と言った事も忘れて、お咲きさんと呼ぶ女性の作る料理に夢中になっている。
終わった・・・。
あの、自分にすがり付くレベッカをもう一度味わいたかった。
離宮の料理人と嬉しそうにお咲きさんの料理を食べるレベッカを見ながら、「仕方ないな」とため息をつき諦めて帰るアルナウトだった。




