37 可愛いの種類
パーティー後の、その夜遅く。
アルナウトは机に置かれた大量の調書を前に、ぐったりしていた。
クリーンプット侯爵の事情調書。
拐われたのが普通の令嬢ならば、きっとその令嬢も、友人のハンネスも生きていなかっただろう。
それを思えば、レベッカの復活は本当に良かった。
良かったのだが・・・。
もう少し、あの可憐でアルナウトに頼りきっている儚いレベッカを堪能しておきたかった。
それに、再び無感情なレベッカと対峙するのは胸に堪える・・・と思っていたのに、ダンスの時のあの表情は一体何なのだ?
アルナウトは、それをずっと考えていた。
記憶がない時とは違った、あの恥ずかしがる姿。
もしかして、俺を男として意識したのか?
俺の事を好きになったのか?
記憶がなく素直なレベッカとの会話を脳の隅々まで探しだす。
そして、見つけた!!
記憶をなくしたレベッカに、助けてもらった感謝を述べた時だ。
あの時、彼女は言った。
『きっと、記憶を失う前の私は、必死で殿下をお助けしたのだと思います。僅かに残っている記憶ですが、あなたが無事だと思った瞬間、心から安堵したのを感じました』
つまり、命をかけて俺を助け、俺の無事を心から喜んでくれたのだ。
これはもう・・・そうではないのか?
いや、早まった期待をしてはいけない。でも、もしかしたらレベッカにも淡い感情が生まれたのではないか?
あの表情はそうだろう?
一人アルナウトは自分の解釈に酔いしれている。
そこに、ハンネスが入ってきた。
「今まで、事情を聞かれてたのか?」
「そうだ、犯人を捕えたのが誘拐されていた女性で、しかもその女性がいなくなってれば、聞かれる質問が3倍に増えるのも当然だろう」
ハンネスは丁寧に説明していたが、最初から何度も同じことを聞かれて話が進まない。
「あいつら、『誰がレベッカ嬢の縄を切ったのですか?』って聞くから『レベッカ嬢が自分で引きちぎった』って言っているのに信じないんだ」
ハンネスが言っているあいつらとは、調査員と記録係だ。
二人が信じないのも仕方がない。
レベッカは父のイーサンが娘の能力を隠すように、社交界にも出していなかった。
ここは、「出せなかった」と言うべきだろう。
それに、レベッカは見た目だけは美しい女性なのだ。
そのレベッカが縄を引きちぎる等考えられないのも、無理はない。
初めからハンネスの証言が怪しいのではと疑われ、それで遅くまでの取り調べとなったのだ。
「・・・まあ、誰があのお嬢様が剣の達人だと信じるだろう・・」
ハンネスがぐったりしている。
神経が衰弱したのには、もう一つ訳があった。
「レベッカに会うまで、俺の中では『ゴリラ』だった。久しぶりに会うと今度は『女神』に変わった。そして、『魔王』が最終形態だったんだぞ・・・」
ハンネスは数日で、『ライバル』から『初恋の人』へ、そして『畏怖』で締め括ったのだ。
「アルナウト殿下の女性の趣味が、尋常じゃなくて理解できないですよ」
『失礼な!!』と怒りたいところだが、弟分のハンネスと女性の趣味が被らなかったことに安堵していた。
パーティーまでは、ハンネスもレベッカを見る目がハートになっていたのを知っている。
取り合いにならなくて良かった。
「お前にはレベッカの良さなんて、まだまだ分かるまい」
ふふんと逆に優越感すら滲み出ている。
「・・・イヤイヤ、殿下。羨ましいなんて思って居ませんから・・・。」
「・・・ところで、お前の疑惑のあれこれは解決したのか?」
レベッカの魅力をこいつに話しても理解できないだろうと、アルナウトは話を戻した。
「いいえ、全く話が前に進まないので、明日レベッカ嬢に実演してもらうことにしました」
「実演?」
「はい、レベッカ嬢に縄をちぎってもらうんですよ。百聞は一見にしかずです」
これで、すぐに信じてもらえると安心しているハンネスには悪いが、きっと事は上手く運ばないだろうとアルナウトが頭を抱えた。
ハンネスはまだレベッカの性格を知らなすぎる。
レベッカが実力を出すとは思えないのだ。
アルナウトは可哀想な弟分のために、「俺も一緒について行くよ」と提案したのだった。
◇□ ◇□ ◇
色付き始めた恋は、淡く切ない。人々はその恋をもっと深い色に染めようとするのだが、全く恋を知らずにゲームにハマっていた喪女には、恋に着ける色すら選べない。
テーブルをとんとんと指で叩くレベッカ。
とんとんトントンとんとん・・。
「はあぁぁぁぁ・・なぜ余計なことまで思い出したのかしら」
この世界でルーカス様だけを眺め奉っているだけでよかったのに。
余計な感情のせいで、ルーカスの尊いお姿を拝んでいても、なぜか心が晴れない。
こんな憂鬱な時に、厄介な男が現れた。
ハンネス・ベイエルだ。
「ハンネス様が、何やら実演をお願いしたいと仰ってます。それとついでにお嬢様にお手合わせ願いたいと・・既にいらっしゃっているのですが・・どうされますか?」
侍女が躊躇いながら、レベッカに厄介者の訪問を告げた。
「もう、こんな時に・・・いや、こんな時にこそ体を動かして、ついでに叩きのめしてスッキリよ」
「レベッカ、ダメだよ。憂さ晴らしに人をのしちゃうのは禁止だ」
ルーカスがレベッカの不穏な発言を聞き付けて、注意する。
「だって、私の生きる希望だったお兄様のご尊顔を拝しても、晴れない事が出来たんだもの」
シュンとしおらしいレベッカに、興味を持ったルーカス。
自分以外に興味が出たのは、彼にとっては良い傾向である。
「私がその相談に乗ってあげるよ。何が気になっているの?」
「・・・・・。優しく微笑んで、小首を傾けるなんて、想像以上の可愛さ×尊さが加わるなんて、私のバイブスもMAXですわ。はわわな、髪の毛がさらりと滑る頬にも、神々しい・・」
「ちょっと、待って!!」
たまらず、止める。
おかしい? 私より興味のあるものが出来たのではないのか?と戸惑うルーカス。
「まだ、半分も尊みの感想を言ってません」
「記憶が戻ってから、そのテンションが更に酷くなっている気がするんだけど・・・?」
「記憶喪失の間に見せていただいたお兄様の姿を、詩に出来なかったので、その入力した分を纏めて出力しなければ、ならないのです」
「・・・えっと、相談事はもういいのかな?」
ルーカスはレベッカの平常運転に、萎れた。
ここで、侍女がもう一度二人に大きな声で、忘れられている来客を告げた。
「あの、先程からハンネス様と文官の方々がお待ちですが!!?」
「ああ、そうだった」
二人が呼ばれた公爵家の騎士団の訓練所に来ると、ハンネスと調査員と書記と、何故かアルナウト殿下まで揃って待っていた。
「アルナウト殿下までお揃いになられて・・・何のご用かしら?」
こんな時にアルナウトを連れてきたハンネスを睨み付ける。
「ちょっと縄を引きちぎってくれれば、話は終わるんだ」
ハンネスは拐われた時とおなじ太さの縄をレベッカに投げて寄越した。
怪訝な顔のレベッカ。
「だから、誘拐の時の事を話てもこの文官達が信じてくれないんだ。だから、レベッカ嬢!!頼む」
ハンネスが両手を合わせて、レベッカを拝むようにお願いをする。
ああ、そういう事か。と、レベッカがほくそ笑む。
アルナウトとルーカスはこんな顔のレベッカが、この後に何をするのかを知っていた。
二人がため息をつく。
レベッカは縄を持つと、幼稚園のお遊戯会ですら見たことのない演技をハンネスと並びに文官に見せた。
「あーこんな太ぉーい縄、重くて持てないわぁあ」
白々しい演技に、ハンネスが大声で叫ぶ。記憶喪失時の百分の一も弱々しさはない。
「嘘をつけ!! お前、一瞬で引き裂いてただろう!!」
「あら、ハンネス様。こわいいい↑↑」
可愛さは皆無だ。
だが、着いてきた文官の二人が、やっぱり・・とレベッカに騙され頷いている。
このままでは、自分が嘘の証言をした事になってしまうと焦ったハンネスが、ミランから受けた忠告を無視して禁断の手を使ってしまった。
「・・そういえば、バルケネンテ公爵のルーカス様は、弱虫だと聞いたな」
「「「!!!!」」」
アルナウトとルーカスが青ざめる。
レベッカの周囲の空気が凍り付く。
何か、上空だけが曇り、辺りが暗くなる。
訓練所に立ててあった木刀を拾い上げるレベッカ。瞬間!!ハンネスに殴り掛かった。
隣国で修行してきたハンネスは伊達ではない。
間一髪でかわし、自分も木刀を持つ。
だが、ハンネスには力量の差がその一瞬ではっきりと分かった。
打ち合えば・・・ヤバイと・・。
レベッカが大きくジャンプ。ハンネスの真上から振り下ろされる木刀。
ハンネスは前に飛び込んで回転し、ぎりぎり避けた。
このままでは、本当に殺られる。
この期に及んで、ハンネスの取った行動は、なんと主君を盾にしたのだ。
アルナウトの後ろに回り込み、そこに逃げ込んだ。
追いかけてきたレベッカが急ブレーキで、アルナウトの間の前で停止する。
「アルナウト殿下、後ろに隠れた卑怯者を私に引き渡して下さい」
チラリと後ろのハンネスを見ると、ぷるぷると横に頭を振っている。
主人に助けを求めた子犬のように、キューンと全身で訴えていた。
「はあー・・悪いがレベッカ、これでも幼馴染みの可愛い弟分なのだ。だから、渡せない」
「・・・かわいい?・・くっ・・そんな奴よりも私の方が余程かわ・・」
うっかりレベッカはハンネスよりも自分の方が可愛いと言いかけて口を噤んだ。
「分かりましたわ、アルナウト殿下。そのハンネスを今日は見逃す代わり、一つ貸しですわよ」
プイッとアルナウトに背を向けて、屋敷に向かって去っていった。
その顔が真っ赤になっていたのは、誰にも見つかっていない。




