36 夢とは儚いものだね(父の夢)
レベッカが消えた会場は、ざわめきたっていた。
バルケネンテ公爵が、愛娘の行方を追うために情報収集に奔走している。
だが、全く行方が分からない。
そこにレベッカの諜報部員の一人が側に近寄り、耳にこそこそと囁く。
すぐに横にいたルーカスにも知らされた。
「ルーカス・・レベッカが元に戻ったようだ・・・普通の娘の父親役・・短い夢だったな・・・」
イーサンが寂しげに呟く。
「でも、元に戻って良かったではありませんか。レベッカの弱々しい姿は、辛かったですよ」
ルーカスがポンポンと父の肩を叩きながら慰めた。
「そうだな・・」
気を取り直したイーサンが、招待客に何事もなかったようにパーティーの再開を告げた。
「我が娘は長らく席を外しておりましたが、すぐに戻りますので、引き続きパーティーを再開致します」
この説明にアルナウトが納得がいかないと詰め寄る。
「娘が拐われたのだぞ。呑気にパーティーをしていてどうする? すぐに騎士団を派遣して無事を確かめるのが普通だろう!!」
至極尤もなご意見だ。
レベッカが普通の娘ならばの話だが・・・。
「アルナウト殿下、実は・・・レベッカの記憶が戻ったようで、実行犯並びに主犯の者は、今ごろ地獄を見ているはずです」
「もとに・・・もどったのか・・」
アルナウトの首ががくりと項垂れた。
「俺はレベッカが頬を染めて初々しく微笑むのを見たのだ。優しく困ったように俺の手に触れるレベッカを見たのだ。はあ・・・幻はいつも儚いものだな・・」
「殿下! そのお気持ち分かりますぞ!!」
イーサンとアルナウトが手を取り合って慰め合っている。
「ほら、父上。レベッカが戻るまで父上もお客様に挨拶をしに行って下さい」
ルーカスに言われ、渋い顔でアルナウトから離れた。
今、イーサンの気持ちに寄り添ってくれるのは、アルナウトだけなのに・・・。
再びパーティーが和やかに再開された。
その時、会場のメインの入り口の扉が大きく開かれる。
その扉を、優雅にそして女王のように進む者がいた。
そう、レベッカが会場に帰って来たのだ。
パーティー開始直後のレベッカのは、男達が手を差し伸べたくなるほど無防備で庇護欲をそそる雰囲気だったが、今は全く違っていた。
瞳はギラギラと眩しいくらい。
側によれば、鞭で叩かれそうな危ない雰囲気を醸し出していた。
その彼女がアルナウト王太子殿下の横を通り過ぎ、まっすぐにルーカスの前に立つ。
そして、すぐに平伏す。
片膝を突き、深く頭を下げた。
「ただ今戻りましたわ。ルーカスお兄様に仇を成す者の成敗を、きっちりとして参りました」
ルーカスは悪口を言われただけだ。
「ハアー・・やっと美の権現たるルーカスお兄様の元に帰って来ることが出来て、このレベッカは、胸の内の喜びをどう例えれば・・」
「レベッカ!! ちょっと待ってくれないか!! 今はダメだ」
ルーカスは久しぶりのレベッカからの神と讃えられる攻撃に引きながらも、レベッカの爆走を止める。
ルーカスに止められたレベッカが、ピタリと賛辞を止めた。
「レベッカは覚えていないかも知れないが、今日はアルナウト殿下がエスコートをして下さっている。先ずはアルナウト殿下の元に戻って欲しい」
頼むと言わんばかりにルーカスが手を合わせる。
「そうね、流石に王族を放置してはいけないわね。わかりましたわ、お兄様」
以外にもあっさりと、レベッカが引き下がってくれた。
内心では面倒臭いと思っているレベッカだが、ルーカスが手を合わせて頼んでくれたのだ。
背くわけにはいかない。
すぐにアルナウトに向かって歩く。
すると、アルナウトの横にカロリーネ・クレーンプット嬢が糊でくっつけたように寄り添っていた。
だが、そのアルナウトは彼女には全く意識が向いていない。
アルナウトの意識は全て、自分に向かって歩いてくるレベッカにあった。
「アルナウト殿下、お待たせしました。少し化粧直しに、時間がかかりましたの」
しらっと嘘をつく。
レベッカのドレスの裾に土と血が着いているのを見たアルナウトが、いきなりレベッカの腕を掴む。
「おい。血が着いているではないか?! 怪我をしているのではないのか?」
心配そうにレベッカの体を調べようとするが、レベッカがさっと手で制止。
「大丈夫ですよ。この血は私が切り捨てた犯人の血ですわ」
「ひいい!!お父様の?!!」
カロリーネ嬢が、ひきつった悲鳴をあげた。
レベッカは『犯人の』と言っただけで名前までは告げていない。
つまり、この一言で、彼女も自分の父が何をしようとしていたかを知っていたと自供したも同然だった。
カロリーネの言葉を聞き逃さなかったアルナウトが、護衛を呼びカロリーネを捕縛。
これで事件の関係者は全て捕まった。
これで自分の用事は済んだと思っていたレベッカだったが、アルナウトに再び腕を取られた。
「今日の二曲目は、まだ終わっていない。この招待客に見せつけるまで俺は帰らないよ」
ああ、面倒なと言わんばかりに、冷めた視線をアルナウトに送るレベッカ。
その視線を浴びたアルナウトは、「分かっていたが、さっきまでと違いすぎて辛くなる」と自虐気味に諦めた表情で悲しげに微笑んだ。
「殿下、私は記憶がなく今から踊る曲が一曲目と思っています。それでよろしいですか?」
相変わらず、氷の無表情で事務的に話すレベッカに、アルナウトが「それでいい。では、一曲目を踊ろう」と手をレベッカに差し出す。
ルーカスにはあんなに豊かな表情を見せるくせに、自分には仮面のような顔しか見せないレベッカに、アルナウトは傷ついていた。
面倒臭そうにアルナウトの手に、自分の手を置いた瞬間、レベッカの体が熱くなる。それに、少し頬が赤くなっている。
その僅かな変化に気がついたアルナウトが余計な一言を話した。
「レベッカ、顔が赤くないか? それに耳まで赤いよ?」
「わ・・私の顔は元々このように赤いのです。お気になさらず、ダンスに集中してくださいませ」
つんと横を向くレベッカ。
だが、首までも赤くなっている。
全くアルナウトの事など気にもかけていなかったレベッカだが、あの事故が起きた時、アルナウトがいなくなると考えただけで、心が寂しさで悲鳴をあげた。
うっかりその事を記憶と共に忘れ去っていたが、記憶が戻り、アルナウトの手を取った瞬間に、自分の心に気がついたのだ。
なんで今思い出すのよ!!
レベッカは必死で自分の気持ちを隠そうとする。
だが、隠そうとすればするほど、アルナウトに意識してしまうのだ。
だが、肝心のアルナウトはレベッカの変化に気が付いていない。
何も考えず、レベッカの耳に顔を近づけ、「記憶が戻ったのなら、もう一度お礼を言うよ。俺を助けてくれてありがとう」と感謝の気持ちを伝えた。
「私が好きで・・・いえ、勝手に助けたのだもの、アルナウト殿下がお気にされることはないですわ」
レベッカが『自分が好きで』と告白したように思えて、すぐに言い直してみたが、心臓がドクドクと大きく跳ねている。
それを気付かれないように強気で顔をあげて、アルナウトを見た。
タイミングが悪かった。唇と唇が当たる程の距離。
「アアアアルナウトでえんかぁ・・」
真っ赤な顔で慌てるレベッカ。
声が妙に高く裏返った。
ここで、漸くアルナウトもレベッカの異変に眉をひそめる。
あれ・・?
もしかして、俺を意識している?
珍しいレベッカの戸惑う顔に、期待を膨らませるアルナウトだった。




