31 レベッカ消滅(4)
莉菜は、自分がレベッカではないのに、皆に大切に扱われているのは、この優しい人達を騙しているのではと、心苦しく思い始めていた。
いつものように、ルーカスが学校から帰ると、すぐにレベッカの部屋に顔を出す。
「今日、体の調子はどう?」
「はい、痛みもなくとてもいいです」
その返答に、ルーカスは嬉しそうに侍女に合図をした。
「じゃあ、今日は少し庭を散歩しよう」
「お庭の散歩?・・ですか?」
莉菜の部屋から、広大に広がる公園が見えている。
しかし、それがこの家の庭だとは思っていない。
莉菜が知っている庭とは、数歩で終わるサイズのものだ。
「よし、行こう」
それと、莉菜の知っている散歩とは、自分の足で歩くものだ。
しかし、ルーカスがお姫様だっこで移動する。
散歩とは・・?
莉菜は散歩の定義を考えていると、ルーカスはどんどん屋敷の廊下を突き進み、そして広間の扉を開けた。
莉菜の目前に、大きな庭園が広がる。
莉菜が公園だと思っていたのは、公爵家の庭だった。
しかも、その庭は莉菜の知る限り、お城の庭園と呼ばれるものだ。
「・・・凄く・・広い」
「ほら、レベッカがお気に入りだった四阿まで、行ってみよう」
四阿は、庭園の池にせりだすように作られていた。
爽やかな風が水面の上を走りぬけ、二人に新緑の香りをお届けた。
ルーカスがすぐに膝掛けをレベッカに掛ける。
この人は本当に妹を大事にしていたのだろう。
それなのに、その中には偽物がその人の居場所を奪っていると知ったなら、どんなに悲しむのだろう。
そうだ、このままではいけない。
人の近寄れない四阿。
ここなら、他の人に話を聞かれることはないだろう。
莉菜は勇気を出して、ルーカスに真実を伝えた。
「ルーカス様・・私の事を妹のレベッカさんだと疑わず、大切にしていただいて、ありがとうございました。でも、私はレベッカさんではありません」
申し訳なさに下を向く莉菜。
そんな莉菜を労るように頭を撫でる。
「君は記憶をなくしても優しいね、レベッカ。そんな君だから、間違いなくレベッカなのだよ」
「でも、私の名前はレベッカではなく・・」
「日本という国で生きていた、前世の記憶があるのだろう?」
ルーカスに日本の事を言われ莉菜は驚いた。
「なぜ、それを・・・!?」
莉菜がこの魔法がある不思議な世界で、自分の前世を言い当てられ、息を飲んだ。
レベッカという女性を名乗り、妹でもない自分が、彼女の体を乗っ取ったと言われても、言い逃れ出来ない。
莉菜は犯罪者のように逮捕されるのだろうかと、顔から血の気がひいていく。
「ああ、誤解しないで。責める訳じゃないよ。だってレベッカは生まれた時から前世の記憶を有していたんだよ」
「・・・そんなことが・・」
あるのだろうか? と莉菜がルーカスの顔を見る。
彼は気遣うように優しく頷いた。
「レベッカはね、幼い頃から私に対して過剰すぎる愛を向けてくれてたんだ。」
ルーカスは、だんだんとその愛が普通の兄妹の愛ではないと考え出した。
そこで、事情を知っていそうなミランに詰めよった。
流石にミランの口は堅かったが、知っている方がレベッカの対処に役立つというとすんなり話してくれた。
「妹の愛を疑問に思っていたら、ミランが教えてくれたんだ」
部屋にいたミランが、「記憶が戻ったら、レベッカ様に八つ裂きにされる!!」と項垂れる。
その様子を見ながらも、ルーカスは話を続けた。
「レベッカは前世でとても辛い時に、私に似た登場人物の物語に出会い、それで救われたと言っていた。だから、君はレベッカでもあり、君でもあるんだよ」
労るようにルーカスが莉菜の頭を撫でる。
「そうなのですね。でしたら、私は再びルーカス様・・おにいさまに救われたのですね」
ほっとした莉菜は、寂しさを覚えた。
「お兄様との幼少期からの記憶を失くしてしまったのは悲しいです」
それは、ルーカスも同じだった。
「思い出したい?」
ルーカスが尋ねると、莉菜は「はい」と小さく頷く。
ルーカスは、以前とは違い攻撃力も防御力もゼロの妹を、他の人に見せるのが怖かった。
だが、レベッカと親しかった人と会わせることで、症状が改善に向かうなら、試すべきではないか? と考えた。
「父上と話をするか・・・。」
ルーカスはバルケネンテ家の冷たい抗争となっている問題に、ケリを付けるための話合いを決意した。
この抗争に終わるを告げるのは、レベッカの一言だった。
「お父様、記憶を取り戻したいのです。だから、出来ることはやってみたいと思います」
この言葉で、イーサンもアルナウトとの面会を許可した・・・が、そこはイーサンも粘る。先ずはエミリエンヌと会ってからだと言い張った。
イーサンにしてみたら、可愛い娘が弱っている時に、うっかりアルナウトのかっこよさに惚れてしまうのではないかと戦々恐々なのだ。
「冷静な判断が出来ないレベッカに、もしもの間違いがあってはならない」とそこは譲らなかった。
シャーロットも、娘が本来の姿を取り戻すことが望みである。
ここで、バルケネンテ夫妻が仲直りの握手を交わした。
数日後、バルケネンテ家に久しぶりのお見舞い客が来訪した。
エミリエンヌである。
レベッカが記憶喪失になっていると聞かされていたが、性格まで変わっているとは想像していなかった。
「エミリエンヌ様、あなたの迅速な治療のお陰で私は助かったと聞いています。ありがとうございました」
基本的に、いつもレベッカの瞳は大きく開かれていて、些細な事も見逃さないぞという気迫がこもっていた。
だが、今エミリエンヌの前にいるレベッカにその圧は感じない。それに、少し伏し目がちな瞳には人見知りな遠慮がある。
「私はレベッカ様に沢山助けて頂きました。これでご恩返しが出来たなど思いませんが、レベッカ様の助けになれるなら、何でもします。言ってくださいね」
「・・・ありがとうございます」
莉菜は嬉しかった。
同じ年頃のお友達が、自分にいた事が・・・。
それから、エミリエンヌはこれまでのレベッカの活躍話をして、いかに自分が助けられていたかを熱弁した。
その話を自分の事ではないように、不思議な気持ちで莉菜が聞いている。
「このピアスもレベッカ様が、私にプレゼントして下さったのよ」
綺麗な水色の石が細い鎖の先についているだけの簡素な作りのピアス。でも、シンプルながらとても素敵だった。
「あれ? どこかでこのピアスをみたような・・・?」
莉菜が思い出そうとすると、ルーカスが傍に来て、自分の耳を指で差す。
「これはレベッカに、エミリエンヌとお揃いで貰ったんだ」
二人を代わる代わる見る。
ルーカスとエミリエンヌの瞳の色をお互いが付けていることに気付いた。
「まあ・・もしかして・・お二人は・・その・・」
ルーカスが照れ臭そうに頷く。
「レベッカに、二人の仲を取り持って貰ったようなものだよ」
仲良く見つめ合う二人を見て、莉菜の中から地の底から沸き起こる不気味な声が聞こえた。
【 眼福!! 】
莉菜が頭を押さえ、激痛に耐える。
入ってはいけない道に迷い込んだような、そんな不安な気持ちだ。
莉菜が恐怖する。
もしかして、悪魔の誘い?
いいえ、単なるオタク道です。
レベッカが頭を抱えたのをみて、ルーカスが声を掛ける。
「どうした? 苦しくなったのか?」
落ち着いて二人をみれば、莉菜にあの声はもう聞こえない。
「いいえ、大丈夫です。それにしても、とてもお二人はお似合いだわ。並ぶと海外のモデルのようね」
「・・モデル?」
聞き慣れない言葉にエミリエンヌが、聞き返した。
「ええっと・・それは・・絵になるなって言う意味なの」
莉菜の説明に恥ずかしげにするエミリエンヌ。
その二人を見ながら、ルーカスは普通の女の子のように、談笑するレベッカを温かい眼差しで見ていた。
穏やかで大人しいレベッカのいい。
でも、前のようにハチャメチャなレベッカも良かった。
・・・・良かったか?
ふと以前に起こった事件を思い出す。
絵師に書かせたルーカスの絵画が
屋敷に入りきらなくなり、『ルーカス美術館』を作ると言い出した時は必死になって止めた。
そのようなものを作られては、王都で歩けなくなる。
それに、レベッカが書いた?『雲の王子様から見る古典文学の恋愛の変化』というレポートが秀逸で、その講演会を行うことになったのだが、原稿の半分がルーカスの魅力について書かれていたのだ。
その講演会の内容を変えて貰うよう説得をしたあの労力。
貴族令嬢としては、ぶっとんでいるレベッカの問題行動が、星の数ほど思い出せるのだ。
あれ? レベッカはこのままの方が良くないか?
悩み出すルーカスの脳裏に、溌剌と笑うレベッカが映しだされる。
そう、どちらのレベッカも好きだ。ルーカスにはどんなレベッカも大切な妹なのだ。
時折レベッカが見せる不安そうな顔は、やはり兄としては取り除いてやりたい。
やはり、記憶が戻る方法があるならそこに掛けるしかない。
迷いはあったが、アルナウトに会わせる決意を固めた。




