20 ドキドキ密室を作るわよ (2)
エミリエンヌは、『第二資料室』と書かれた教室のプレート確認して、そのドアを開けて中に入る。
すると、勝手に扉がギーィィと嫌な音を立てて、ガチャリと背後で閉まった。
それと同時に、外から自然に鍵が掛かる。これもゲームの強制力なのかと驚くレベッカ。
この時レベッカがどこからこの状況を楽しんでいるかというと、資料室の天井裏で堪能中。
天井に開けられた穴から、今まさに始まろうとしているイベントを覗き見て、ドキドキワクワクしているのである。
レベッカの名誉のために言っておくが、この穴はレベッカが開けたものではない。
偶然にも都合よく、穴があったのだ。
そこから、荒くなる鼻息を殺しつつレベッカは見ていた。
そうとは知らないエミリエンヌは、ふと感じる視線を探し、辺りを見回す。
第二資料室は、奥に細長い部屋の形で、両壁には天井まである木製の本棚がある。その通路は狭く、人がギリギリすれ違えるだけの幅しかない。
部屋の明かりは薄暗く、不気味だった。本棚ばかりが並んでいて、持ってきたレポートを置く場所がない。
エミリエンヌが資料室の奥に目をやると、小さな机がポツンと置かれているのが見えた。
窓もないその部屋の奥は、ますます暗く、今にも何かが出てきそうだ。
怯むエミリエンヌの口から、勝手に言い訳が溢れる。
「そうだわ、古典の資料室はここでなくても、第一資料室だってあるんだもの。そちらでもいいわよね」
ガタンッ!!
エミリエンヌが言い終わると同時に、奥の机付近から大きな音がした。
「キャアーー!!」
怖さで、腰が抜けて座り込んでしまうエミリエンヌ。
「ああ、ごめん。怖がらせてしまったね」
現れたのは、ルーカス・バルケネンテ。
レベッカが天井裏で一人歓喜に震えている。
「かび臭く、薄暗い陰鬱な部屋の空気さえも、朝日差し込む新緑の森の空気が如く澄んだものに変える、爽やかなルーカス・バルケネンテお兄様!! その登場の仕方はもうオペラ!!」
レベッカが狂喜する天井裏の下では、二人の物語が始まっている。
床にへたっているエミリエンヌに、救いの手をさしのべると、一枚の絵のように様になっている。
未だ心臓がバクバクしている状態のエミリエンヌには、それが違うドキドキとして脳に伝わった。
「あ・・ありがとうございます」
心臓の鼓動と共に、手を差し出せば、エミリエンヌはふわりと持ち上げられて、気がつけばお姫様抱っこ状態だ。
「ふえ?」
細身に見えるルーカスに、軽々と持ち上げられ、彼の首筋から香る爽やかなフルーツの香りが、益々エミリエンヌをキョドらせた。
「あああ、私、重いです。それに石鹸しか使ってない・・・」
エミリエンヌは香水もつけていない自分の匂いが気になり、恥ずかしさで涙目になる。
「ははは、重くないよ。寧ろ軽くて、心配になる・・・よ」
ルーカスはエミリエンヌが気にしないよう、笑ってエミリエンヌの顔を見ると、潤んだアメジストの瞳が間近にあった。
下から恥ずかしさで、顔を真っ赤にしながら、打ち震えるピンクの乙女。
途端にルーカスの胸にド級の衝撃
がハートに打ち込まれた。
「・・・その・・女性を急に抱き上げてしまったことは・・申し訳ない・・・。驚かせてしまったね」
「違います!! あの・・その・・涙が出たのは・・・恥ずかしくて・・・。変な匂いがしないかな?とか」
「え?匂い?」
ここでテンパっているルーカスは、つい、うっかりにも、悪気もなくエミリエンヌに顔を寄せて、スンスンと香りを嗅いでしまう。
「んんっっっ!!」
心臓が爆発寸前のエミリエンヌに、それは失神レベルの行為だった。
エミリエンヌの漏れた声が色っぽくて、ルーカスの理性が吹き飛びそうになる。
「ごごごめん。・・・あー・・でも・・とても・・甘くていい香りがした・・・」
「ややや安い、石鹸の匂いです・・それ・・きっと・・」
お互いに一分間見とれて、会話をすることなく、停止してしまった。
あまりの甘酸っぱさに堪らなくなった天井のレベッカが、板に頭を打ち付けてしまう。
天井から謎の『ゴンッ』に、下の部屋の二人は正気に戻った。
「そうだ、保健室に行かないと!!」
お姫様抱っこのまま、ルーカスは第二資料室のドアを開けようとする。
が、しかし・・・。
開かない。
「あれ? 開かない?」
ルーカスが力を込めて、ガチャガチャとドアノブを回すが、全く開かない。
「あの、私、腰が治りました。もう大丈夫ですので・・・」
エミリエンヌにそう言われたルーカスは、名残惜しそうに大事な壊れ物を扱うようにゆっくりと優しくエミリエンヌを立たせた。
お互いに離れると、その体温が急に冷え、寂しさを覚えた。
ルーカスは、もう一度触れたい想いを絶ち切り、ドアが開かない原因を探る。
資料室は重要な古文書も多く、一度ドアが外から閉まると、厳重な魔法が掛けられていて、力押しでは開けられそうにない。
かといって、ルーカス自身の氷魔法では、大事な書物を傷付けてしまう。
もう、こうなれば誰かに見つけてもらう他ないようだ。
諦めたルーカスは部屋の奥に一脚だけあった椅子を持って戻ってきた。
背凭れも木で出来た、シンプルな木製の椅子だ。
それをエミリエンヌの前に置く。
「エミリエンヌ嬢は、ここに座るといい」
差し出された椅子に、エミリエンヌは座れない。
「私は立ってます。どうか、ルーカス様がお座り下さい」
公爵令息を立たせて、自分は座るなんて出来ない、と首をふるふると横に振る。
「では、私も立つことにしよう」
そう言うと、エミリエンヌのすぐ隣に並び立った。
再び距離が縮まる。
「あの、ルーカス様はレベッカ様といつも、どのようなお話をされているのですか?」
先に緊張に耐えられなくなったのは、エミリエンヌだ。
「ああ、そうだな・・・」
一番最近の会話を思い出したルーカス。
『お兄様、今度洗う前の枕カバーを私に一週間貸してもらえませんか?』
『は?』
『匂いで、お兄様を目一杯体感したいのです!!』
『・・・無理だから』
これは、危ない会話だ。
聞かせるわけにはいかない。
ルーカスは常識の範囲内でエミリエンヌに教えられる会話を、脳内で洗いざらい調べる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ない。
「ははは、私とレベッカはあまり屋敷の中では話してないかな?」
ルーカスはしれっと嘘をつく。
しかしながら、それは致し方ないことだ。
「では、お休みのルーカス様やレベッカ様は、何をされていらっしゃるのですか?」
エミリエンヌの期待に満ちた瞳に、答えられる回答を探す。
(そうだな・・先日、私に久しぶりに休みがあった日は・・・たしか・・)
つい最近の休日になにがあったのかを如実に思い出した。
レベッカが、シッティングルームに10人の絵師を潜ませて、寛いでいるルーカスを、描かせようとしていたのだ。
「休みか・・・私の休みは・・大した事はしていないな・・・」
ルーカスの答えに、エミリエンヌがはっとして頭を下げた。
「私ったら、不躾なことを質問して、申し訳ございませんでした。ルーカス様や、レベッカ様の日常を詮索するような真似をしてしまいました」
「違うよ、答えられないというか・・・話したくない・・じゃない!そうじゃないんだ」
まともに話せる話題がなかっただけなのだが、それをどう話せばいいか分からない。
エミリエンヌに悲しい顔をさせたくない。しかし、我が家の恥ずかしい話しもしたくない。
ここで、ようやくエミリエンヌに話せる話題を思い付いた。
「レベッカは、エミリエンヌ嬢が大好きで、いつも君の事を話しているよ」
「まあ!! 本当に? それが本当でしたらとても嬉しいですわ!!」
漸く見せた笑顔は、社交界で多くの女性を見てきたルーカスの目に新鮮に映った。
全くの無邪気。どんな憂鬱な出来事も、彼女の笑顔があれば、吹き飛ぶだろう。
それから二人は、自分達の事を交互に話した。
長い時間話したせいで、立ちっぱなしのエミリエンヌの足は疲れがきた。
それを察知したルーカスは、ふわりと抱き上げそっと椅子に座らせる。
「君を立たせていると、私の胸が苦しくなるんだ。私の為に座ってくれるかい?」
エミリエンヌの手を取って、片膝をついて、許しを乞うようにお願いをするルーカス。
彼のスマートなお願いを無下に断れる筈もない。
「ほんと言うと、足が疲れてました。ありがとうございます、ルーカス様」
ここで、二人の密室はいきなり終了となった。
アルナウトがドアを開けて入ってきたからだ。
「ああ、良かった。誰かが探しに来てくれないかと待っていたんです。まさか、殿下が来てくださるとは思いもしませんでしたが・・・」
「君たちがここにいるような気がしてね。二人ともまずはサボっていないと証明するために教職員室にいった方がいい」
アルナウトが、ドアを押さえて二人が、部屋から出るのを見届ける。
そして、二人が一緒に教職員室に向かうのを確認して、一人第二資料室に入る。
「ここにいるんだろう? レベッカ。君も教室に戻りたまえ」
天井に向かって声を掛けると、不機嫌そうな声が返ってくる。
「分かったわ。もう行くわよ」
天井から、ごそごそと音がしたが、気配が消えた。
レベッカは、何故アルナウトにここにいることがばれたのか不思議に思いつつ、教室に戻るのだった。




