16 諜報機関?いいえ、見守り隊です(1)
中間テストも終わり、皆がクラスに馴染んで落ち着いてきた。
中間テストの順位は、レベッカが全教科ぶっちぎりの1位だった。
この話題で一時は持ちきりだったが、その話題の主がテストの順位には関心はない。
この頃漸く、エミリエンヌは入学当時の、辛い時期を振り返って考える余裕が生まれた。
「どうして他の人の教科書が、私の机に入っていたのでしょう?」
日常を取り戻した今だからこそ、以前から疑問に思っていた核心に向き合える。
「エミリエンヌさん、おはよう」
赤茶色の縦ロールを揺らしながら、ゾエ・テーニセン侯爵令嬢が
にこやかに挨拶をする。
彼女は教科書事件の関係者だが、蟠りもなく、すっかりエミリエンヌと仲がいい。
その理由は、意外にもレベッカが関係している。
レベッカの強烈な登場と振るまいにすっかり魅了され、今ではレベッカの隠れファンになっていたのだ。
その流れで、いつの間にかエミリエンヌとも友人関係が構築されていた。
「おはようございます、ゾエ様」
エミリエンヌは、ゾエ嬢と普通に挨拶が出来るなんて、入学当初は想像出来なかっただろう。
それを思うと益々レベッカがしてくれた、数々の事をありがたく思う。
当初、誰もエミリエンヌに挨拶はおろか、目すら合わせてくれない日が続いた。
しかし、レベッカが彼女の回りに出来た黒く大きな溝を、一瞬で埋めたのだ。
現在こんな高位の方とも友人になれたのも、今穏やかに学校生活を送れるのも、レベッカ様のお陰だわ。
感慨深く思っていると、ゾエが机に鞄を置き近寄ってきた。
挨拶を交わすと、ゾエはいつもエミリエンヌに同じ質問をする。
「エミリエンヌさん、今日も何か良い情報はあるかしら?」
情報とは、レベッカ情報である。
毎日の提供は難しいと思われるかも知れないが、レベッカが現れるところ、常に事件が起こるので、一緒にいると情報は貯まる一方なのだ。
今日もゾエ嬢が気に入りそうな、とびきりの情報が入っている。
自信ありげに口角を上げるエミリエンヌ。
「ありますわ、ゾエ様。今日のは格別です」
ゾエ嬢が期待で、目が輝きつつ、ごくりと、喉を上下させる。
「あれを見てください」
エミリエンヌが指を指し示した窓の先に、崩れた小屋の壁があった。
「あれは?」
「実は昨日、嫌がる女子をあの小屋に入れて、乱暴を働こうとした男子がいたのです。その不埒な男から女子生徒を守ろうと、レベッカ様が蹴った穴です」
「まあ!! 素敵・・♡」
ゾエが『ほぅー・・』とため息をつき、続きを欲しがる。
「それではあの壁を蹴って壊し、レベッカ様が入ったのですね?」
「えーと・・蹴って壊れた壁は、反対側に開いてます。あれはその男子学生を蹴りあげて、叩き出した時に出来た穴のようです」
見事に風通しの良くなった小屋は、現在使用禁止となっている。
この情報でさらに、きゃーきゃー騒いでいる二人を、苦々しく見ている女がいた。
それは偽ヒロインの、ジュリア・ボスマンである。
ーーおかしいわ。今の時期ならこの私がクラスの人気者になっているはず。でも、偽者ヒロインがレベッカと仲良くしているせいで、物語がぐちゃぐちゃよ!! なんとか元に戻さないと、このままじゃどの攻略対象とも接近できないわ!!
焦るジュリアは、レベッカを本来の悪役令嬢に戻すために、ある行動に出た。
いつものように、朝早く学校に来たエミリエンヌ。
朝の新鮮な空気と誰もいない教室は清々しくて、エミリエンヌは大好きだった。
朝早く来る理由は、教室を綺麗にして、数えきれないくらいにお世話になっているレベッカに、気持ち良く使ってもらうためだ。
レベッカの机を念入りに拭き掃除し、自分の席に着く。
その時、意外な人物が現れた。
それは、いつも遅刻ギリギリに登校するジュリアだった。
「おはよう、エミリエンヌさん」
「おはようございます、ジュリアさん」
エミリエンヌは、入学当初絡まれた経験から、ジュリアを苦手としている。
当のジュリアも、エミリエンヌをいつも遠くから睨んでいる事が多く、話し掛けて来ることなど無かったのに、今日はどうしたのだろう?
「実は、エミリエンヌさんにお話ししたいことがあって・・・。今まで誰にも話すことが出来なかったのですが、あのゾエ様の教科書の紛失事件の事なの・・・」
人から言われると未だに辛いエミリエンヌは、自然と顔が強張った。
ジュリアはそんな彼女にお構いなしで続ける。
「私、実はゾエ様の教科書をあなたの机に入れる、レベッカ様の姿を見ていたの・・・。でも、公爵家のレベッカ様に何をされるか分からず、言い出せなくて・・・。今までごめんなさい」
ジュリアが薄いピンク色の頭を下げ謝った。
一瞬何を言っているのか理解できないエミリエンヌだったが、ゆっくりと、ジュリアの言うことを把握する。
「では、どうして今ごろになって、私に教えて下さったのですか?」
エミリエンヌの返答で、ジュリアは自分の言ったことを相手が信じたと思い、急に饒舌になった。
「それは、あなたの事が心配だからですわ。だって、あなたは何も知らずにレベッカ様と一緒にずっといるじゃない? もう端から見ていると可哀想に思えて、我慢出来なくて教えに来たのよ」
「・・・心配? 可哀想?」
ジュリアの言葉の端々に、おためごかしの匂いがプンプンする。
「だから、エミリエンヌさん。あなたは被害者なのだから、この真実を皆さんにお話しした方がいいわよ。そして、レベッカ様との付き合いを考え直した方がいいわ」
「・・・あなたの仰りたい事は分かりました。ご忠告ありがとう」
ジュリアはエミリエンヌの感謝の言葉に満足し、自分の席に着いた。誰もいなければ、鼻唄でも出そうだった。
しかし、この時エミリエンヌはジュリアが本当の犯人なのではと、疑いの目を向ける。
入学当初から、事あるごとに難癖をつけて来たジュリアが実際に一番怪しいのではと思っていたのだ。
折角の気持ちの良い朝が、ジュリアのせいで、暗い気分になってしまった。
それは、思いの外顔に表れていたようで、登校してきたゾエがすぐに傍に来た。
「どうしたの? 顔色が悪いわ」
「き、昨日遅くまで魔法学の勉強をしていて、寝不足なの」
誰が入れたかも、はっきりとは分からない教科書。しかも、盗まれた被害者であるゾエにとって、聞きたい話ではないだろう。
ゾエを思い、ジュリアの話をいわなかった。
「遅くまで起きていると、お肌に良くないと聞くわ。それに、貴女の元気がないとレベッカ様も心配なさるわ」
ゾエはエミリエンヌの嘘に、親身になってくれる。
ゾエの優しさと、嘘の負い目に心痛むが、本当の事は言えない。
その二人を遠くから見ていたジュリアは、自分の思惑通りに事が運んでいると勘違いしていた。
「きっと、私の話を聞いたエミリエンヌは教科書を隠したのはレベッカだと伝えているのだろう。そしたら、レベッカが犯人だと一気にクラスに広まるわ。これで、レベッカはシナリオ通り悪役令嬢になるの。私は噂が広まるのを待つだけね」
フフフと笑うジュリアは、まさに悪役だ。これで自分がヒロインだと言い張る彼女。その頭の中では、都合の良い想像で溢れていた。
自分が助けた攻略対象に愛されるムフフな展開。
それを実現可能にしようとする度に、頭の中で次の悪事が計画される。
計画といっても、ザルのような大雑把な計画だ。成功するわけがない。
今回も、彼女のお陰でエミリエンヌとルーカスの距離が縮まりそうだ。
ゾエに指摘されたエミリエンヌは、レベッカに沈んだ顔を見られないように、背筋を伸ばして元気に見せかけた。
そのお陰で登校したレベッカからは、何も言われず普通にお喋りして過ごす。
しかし、悩みが解消された訳ではないので、昼食時に気を抜くとため息が出てしまった。
このため息を聞き付けたのは、丁度通り掛かったルーカスだった。
「どうしたの? 今大きなため息をついたね」
公爵令息なのに、自分にも気軽に声をかけてくれるルーカス。
しかも、気品に溢れているが物腰は柔らかで、思いやりに満ちた仕草で接してくれる。
しかもイケメン。
女性で好きにならない人はいるのだろうか?とエミリエンヌは聞きたくなる。
「私のような者のため息をお聞かせしてしまい、申し訳ございません」
「ため息は誰がついてもいいんだよ。それよりも悩みがあるなら、聞かせてくれないか?」
そう言われたが、学年の違うルーカス様に聞かせてもいいのだろうかと戸惑う。
だが、彼が眉尻を下げて心配してくれる様子に、つい今朝の事を話してしまった。
「・・・なるほど、入学当初そのような辛い事があったんだね」
ルーカスが自分のことの様に憤慨しているので、慌てて現状を話す。
「でも、もうレベッカ様のお陰でクラスの皆さんとはすっかり打ち解けて、今ではゾエ様も気軽に話し掛けて下さっています」
「それにしても、そのジュリアという生徒は実に怪しい。レベッカは君を崇拝・・・いや、とても大事な友達だと思っている。だから、そのような悪どい事をするわけがない」
ルーカスは、レベッカがエミリエンヌを見て、『萌えが2倍、今日も天使』と謎の呪文を唱えているのを知っている。
エミリエンヌには言えないけれど。
「ええ、清廉潔白なレベッカ様が、そのようなことをなさるなんて、絶対にあり得ないと思ってます」
「清廉潔白・・・・?」
私欲の固まりのレベッカに、一番相応しくない言葉だと思ったが、敢えて何も言わず、スルーした。
「そうです。なので、ジュリアさんが何故そのような嘘をついたのかが知りたいのです」
「確かに、その生徒が怪しいね。こちらで、調査してみるから、君は危ない事をしないでね。でないと、君が怪我をしたとなったら、レベッカが学校を破壊する・・」
えー・・と、今ルーカス様から、レベッカ様が学校を破壊すると聞こえたのですが・・・?
妙な言葉に、聞き違えたのだと判断する。
エミリエンヌにとって、レベッカは女神なのだ。
しかし、実態を知るルーカスにとって、レベッカは破壊神。
「いいかい? 絶対に一人では動かないでね」
破壊神が、目からビームを出して学校を・・、いや、街中を破壊する光景を思い浮かべたルーカスは、エミリエンヌに強く、強く約束させる。
エミリエンヌが頷いたのを見届けて、一先ず安心した。
ルーカスは屋敷に帰ると、父に公爵家で雇っている密偵を一人、貸してもらえないかと相談に行った。
「我が公爵家で雇っている密偵が、数人いると知っています。是非そのうちの一人でもよいので、私に貸して頂けませんか?」
ルーカスの申し出に、父であるイーサンは深くため息をつく。
「うーむ・・・。とうとう、お前に話す時がきたのやも知れぬな」
重々しく話す父に、ルーカスは戸惑うが、「ついてこい」と席を立つ父の後を追った。
屋敷の5階まで階段で上がる。
その5階には美術品管理室とかかれた部屋があり、そこに入る。
イーサンは、美しい女性が描かれた絵画の掛かっている壁を押した。
するとその横に扉が開き階段が現れ、慣れた様子で上がっていく。
ルーカスも続くが、疑問で頭が一杯になっていた。
それもそのはず。公爵家は5階までしかなかったはずなのに、いつの間に6階になったのだろう?
ここで、階段の先にしっかりとした鉄の扉が出てきた。
その頑丈そうな扉はイーサンが扉に顔を近付けただけで、勝手に開く。
そして、その扉の先に現れた空間は、異様な光景だった。