5.青慈の宣言
眠れないまま夜が明けるかと思っていたが、青慈に抱き締められて朱雀はいつの間にか眠っていた。小さな頃の青慈が朱雀の上衣の裾を一生懸命握っている。
「おとーたん、あれはなぁに?」
「マンドラゴラだよ」
「せー、あれ、ほちい」
なぜか夢の中では紫音は16歳の姿で歌っていて、その周囲を大根や人参や蕪や南瓜頭犬や西瓜猫が踊っている。青いお目目をきらきらさせて演目に見入っていた青慈は、大根や人参や蕪や南瓜頭犬や西瓜猫が欲しいという。青慈の大根もいたはずなのだが、夢の中ではいなくて、青慈は一人で朱雀の上衣の裾を握り締めている。
「青慈は大根が欲しいのかな? 人参かな? 蕪かな?」
天使のように可愛い青慈のさらさらの黒髪に触れて撫でていると、青慈の姿が大きくなった。朱雀よりも大きくなって青慈が真剣な顔で朱雀を覗き込んでいる。
「朱雀が欲しいよ」
「それならなんで私を拒む?」
「それは、朱雀の気持ちが伴っていないからだよ」
言い争いになりそうになったところで目が覚めた。青慈は朱雀を抱きしめたままで健やかに眠っている。
「青慈……」
「ん、お父さん? もう朝?」
青慈もなかなか寝付けなかったのか目を赤くしている。そろそろ起きなければいけない時間だったので寝台の上から朱雀が下りると青慈も寝台から降りた。寝間着から服に着替えていると、青慈がぽつりと呟く。
「俺、しばらく自分の部屋で寝るよ」
「青慈、なんで!?」
「お父さんと寝ると、理性がもたないんだよ!」
穏やかな青慈が珍しく強く言うのを聞いて朱雀は衝撃を受けていた。朱雀は青慈を受け入れるつもりでいたし、青慈も朱雀を抱きたいと言っていた。それならば何がいけないのだろう。
「私は青慈を受け入れるし、青慈は私を抱きたいんだろう? なんで別々に寝ないといけないんだ?」
「お父さんの気持ちが伴ってないからだよ」
夢と同じことを青慈は言っている。朱雀としては恋愛感情がよく分からないが、青慈のことは可愛いので青慈がしたいということならなんでもさせてあげたい。夢の中でマンドラゴラを欲しがったときも、青慈が欲しがるだけマンドラゴラを持たせてあげたいと考えていた。
それなのに、青慈はそれでは不満だと言うのだ。差し出されたものを受け取るだけでは不満だという青慈に、朱雀は理解が及ばない。どうすれば青慈を理解できるのかすらよく分からない。
「青慈は私を抱きたくないのか?」
「抱きたいよ! すごく我慢してる。お父さんには分からないかもしれないけど、俺、大変なんだからね?」
「た、大変!? 何が!?」
「そんなの言えるわけないでしょう! お父さんが寝た後に、俺がどれだけ苦労してるかとか」
具体的な内容は分からないが、朱雀と青慈が抱かれるの、抱くのと言い合った後で眠るときに青慈は色々と大変なようだ。朱雀には理解できない苦しみを青慈に与えていたことを知って朱雀は俯く。
「とにかく、しばらくは別々に寝るよ!」
宣言して部屋を出て行った青慈に、朱雀は途中だった着替えを終えてしまって一階に降りた。一階では紫音と藍が靴を履いて外に出ようとしている。
「お父さん、身体きつくない? 畑仕事は休んでもいいのよ?」
「体がきつい?」
「あ……青慈、可哀想に」
朱雀の答えで何かを察した紫音が手を合わせているが、それがどういう意味なのか朱雀にはよく分からない。
10歳で別々の部屋で眠ると言ったときには涙を流していた青慈が、結婚して堂々と同じ部屋で眠れるようになったのに別々の部屋で眠ると宣言してしまった。宣言させるだけの無理を朱雀は青慈に強いてしまっていたのだろう。
欲望自体がほとんどない朱雀にとっては、青慈が何に苦しんでいるのかが全く理解できていない。
着替えた青慈も降りてきて深靴を履いて庭に出ていた。朱雀も飲み物を用意して庭に出る。
まだ薄暗い空の下、朱雀と青慈と紫音と藍は畑の世話をした。
「今日から公演に出かけるんだろう。無理はしなくていいんだぞ、紫音、藍さん」
「畑仕事は準備運動みたいなものよ!」
「私たちが出かけてる間は、朱雀さんと青慈でやらなきゃいけないんだから、いる間くらいはさせてよね」
青慈を拾う前から続けている畑仕事は、青慈が来てからも、藍が来てからも、紫音が来てからも、規模が大きくなったくらいであまり変わっていない。一人だった畑仕事を、今は青慈と紫音と藍をやっている。その事実が朱雀には嬉しかった。
畑仕事を終えて紫音と藍が離れの棟で、青慈が母屋で湯あみをしている間に、朱雀が朝ご飯を作る。湯あみを終えて上半身裸の青慈が台所に入って来ようとするのは阻んだ。
「火傷や怪我をするから、ちゃんと服を着なさい」
「はぁい」
可愛い返事をして青慈は上半身に裾の長い上衣を着る。湯上りに暑がって上半身裸でいたがるのはずっと変わっていないが、注意すれば着るようになっただけ成長したのだろう。
青慈と並んで朝ご飯を作っていると湯あみを終えた紫音と藍が食卓に着いてお茶を飲んでいる。青慈にも茶杯を渡して、朱雀は水分補給を促す。
「お父さんはいつまで経っても俺を子ども扱いする」
「可愛いんだから仕方がないだろう?」
朱雀の物言いに青慈は怒るかと思ったが、頬を染めて何となく嬉しそうにしているようだった。
「お父さん、お昼ご飯のお弁当も作って」
「紫音ちゃん、そういうことは先に言ってっていつも言っているでしょう?」
「だって、お父さんのお弁当がいいんだもの」
台所に顔を出す紫音のおねだりに、青慈が窘めている。炊いたご飯の量が足りるかを確かめて、朱雀はおにぎりを握って、おかずと一緒に紫音と藍の二人分準備した。
朝ご飯は簡単にご飯と味噌汁と焼き魚。魚の干物は海沿いの街の漁師が送って来てくれたもので作った。
「いただきます!」
「紫音ちゃん、一番大きいお魚取ったでしょう?」
「青慈が欲しかったの?」
「そうじゃないけど、紫音ちゃんはこれから偉いひととの会食に招かれたりすることもあるかもしれないんだから、食い気に走るばかりじゃなくて、遠慮を覚えないといけないよ?」
「青慈は口うるさいわねぇ。私の母親だったかしら?」
「俺は紫音ちゃんの兄だよ!」
朝食の魚の大きさで言い争いになっている青慈と紫音に、朱雀と藍は自分の分を分けてやりたい気持ちを必死で我慢していた。分けてやるのは簡単なのだが、青慈も紫音ももう大きくなって、朱雀と藍がちゃんと食べることを望んでいる。
朝食を食べ終わると、歯磨きと身支度を終えて、お弁当を受け取った紫音と藍が元気よく家を出て行く。
「お父さん、青慈、行って来るわねー」
「麓の街で今日は公演をするから、晩ご飯には戻ってくるわ」
「二人でイチャイチャするならその間にしておいてねー!」
「紫音ちゃん!」
明るく言われて青慈が真っ赤になっている。日中からそういうことをするという考えは朱雀にはなかったが、新婚ならばそういうこともあるのかもしれない。
赤くなっているのが目立たない濃い肌の色なので露見しないが朱雀もまた赤面していた。扉が閉まって青慈と二人きりになって朱雀が咳ばらいをする。
「青慈、今日の予定は?」
「途中になってる脚本を纏めてしまうかな。舞台の立ち位置も決めてしまいたいし」
「私はその間に調合をしようかな。杏さんと緑さんに足りない薬があるって言われてた」
「そういえば、兎の赤ちゃんの名前も決まってないよね」
「紫音が帰ったら決めようって言ってるうちに時間が経っちゃったな」
穏やかに話す青慈と朱雀はいつも通りだった。安心して台所で調合していると、青慈が台所に顔を出す。
「お父さん、お茶のお代わり、もらってもいい?」
「うん、すぐに淹れるよ」
お茶を淹れながら朝に青慈に言われたことを朱雀は考えないように考えないようにと脳の隅に押しやっていた。




