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8.緑と杏の夢

 青慈が勇者の可能性が高いことが分かってから、それまで全く周囲に関心のなかった朱雀は国の情勢などを調べたり、情報を集めたりするようになった。

 勇者は儀式によって三年ほど前に生まれたが、魔族がその命を狙って刺客を送ってくるようになって、逃げ出したまま行方が分かっていない。国では勇者はその能力を開花させる前に殺されたものと思って、次は聖女をこの国に生まれさせる儀式を行った。聖女は勇者と血が近いことがほとんどだという。守り切れなかった勇者の分も聖女を守ろうと国は騎士団を用意しているらしいが、聖女もどこで生まれたか全く分かっていない状況だという。

 聖女も魔王に狙われるに決まっているので、早く名乗り出るように国王は御触れを出しているようだが、幼すぎてまだ聖女の片鱗がなく見つけ出せていないのではないかというのが聞き出した情報だった。

 青慈は勇者が生まれた時期とぴったりと合うし、ひと蹴りで大黒熊の顎を砕くような力を持っているから、勇者に違いないだろう。紫音は魔力の宿った歌をこの年で歌うし、勇者の近くに生まれるというから、勇者である青慈のいる山に捨てられていたので聖女の可能性が高い。

 勇者と聖女であったとしても、青慈はまだ3歳で幼く、紫音に至ってはまだ1歳になったばかりだ。こんな二人を戦わせるわけにはいかない。

 幸い、魔王も形だけの和平をまだ守っていて、いつ攻め込むか様子を伺っているような状態だが、魔族の領域とこの国に戦争は起きていない。

 青慈のためにも、紫音のためにも、このまま戦争が起こらなければいいのだが、魔王が魔族の使い魔の大鴉を放っているところから、聖女を探しているのは間違いない。

 聖女の命を奪った後で、自分を倒せるものはいないとして、魔王は堂々とこの国に攻め入るつもりなのだろう。

 強大な力を持つ魔王を退治できるのは勇者と聖女しかいない。


「3歳の勇者と、1歳の聖女か……」

「色々仕込んではいるけど、まだ魔王は倒せないわよね」

「仕込んでいる!? 藍さん、あなた、3歳児と1歳児になにをしてる!?」


 大黒熊に襲われそうになったときに、「朱雀さんに手を出す奴がいたらアレを蹴りなさい」と教え込まれていた青慈は、大黒熊の顎に飛び蹴りを見舞った。そのおかげで青慈は大黒熊に食べられずに済んだのだが、まだ2歳だった青慈になんてことを教えているのだと朱雀は頭を抱えたくなった。


「金的とか、色々?」

「まだ早すぎる!」


 いずれは魔王を倒せるようにならなければいけないのかもしれないが、3歳と1歳に身を守るすべを教えるのは早すぎると朱雀が言えば、藍は真剣な表情になった。


「青慈は両親を殺されているのよ? 青慈の身に何かあってからでは遅いわ」

「それはそうだが」

「紫音だって、どこで狙われているか分からないし。特に紫音は女の子よ。小さな女の子にいやらしいことをしたがる変質者はどれだけでもいるの」


 山奥の家で朱雀と藍と杏と緑に守られて育つ青慈と紫音に、変質者が近付くことはなかったが、二人が学校に通い出す頃にはそういうこともあるかもしれない。学校に行く年齢になって朱雀が学校と同じような教育を青慈と紫音にできるかといえば、それは不可能だ。

 文字や計算は教えられても、朱雀だけでは教えられないことがたくさんある。人間社会で大人になった青慈と紫音が暮らすのだとすれば、尚更学校には行っておいた方がいい。

 まだまだ先だが、そのときには朱雀はずっとそばにいられるわけではないし、学校を卒業して働き出したら青慈も紫音も朱雀のそばを離れていってしまう可能性が高い。その日が来るのが怖くて現実を見ないようにしているが、青慈が来てからの約三年間があっという間だったので、そこから先も飛ぶように月日は流れていくのだろう。

 妖精種の朱雀は人間と同じ時間を生きることができない。青慈や紫音が老いて死んでも、朱雀は若い姿のままで生き続ける。

 その頃には藍も杏も緑もいなくて、朱雀はまた一人になるのだ。

 置いていかれたくない思いと、青慈と紫音を責任もって大人にしなければいけない思いが複雑に絡み合って朱雀は深い苦悩の中にいた。

 麓の街の雑貨屋には青慈と紫音のための絵本が届いていた。絵本を受け取るときに、雑貨屋の店主の母親はおらず、妹が店を預かっていた。


「朱雀さんのおかげで安産だったって姉さん言ってたよ。お礼にこれを渡すように言われてる」

「ありがとうございます。無事に生まれてよかった。私の方がお祝いをしないといけないのに」

「お祝いは、ずっとこの雑貨屋を贔屓にしてくれることでいいと思うよ」


 店主の母親とよく似た妹は同じ表情で笑っていた。

 絵本と共に受け取ったのはお菓子の作り方の本だった。異国のお菓子の作り方も書いてあって、朱雀は青慈にそれを見せる。


「ドーナッツだって」

「どーなっつ?」

「揚げパンのことかな? 真ん中に穴が開いて面白いね」

「たべたい!」

「帰ったら作ろうか」

「あい!」


 片手で大根を抱いて元気よく手を上げる青慈に微笑みかけて、街を満喫してきた藍と杏と緑と合流して山の中の家に戻った。燻製肉と山菜で晩ご飯用のおこわを蒸して、その間にドーナッツの生地を作る。油で揚げると、甘くいい匂いが部屋中にしてきた。

 いい匂いは外にも漏れ出していたようで、扉を開けた青慈が靴を脱ぎ捨てて、手を洗いに走っている。紫音も靴を脱ごうとして奮闘しているが一人では脱げずに、藍に脱がせてもらって、手とついでに人参も洗って自分で子ども用の椅子によじ登って既に手を合わせていた。


「まつっ!」

「いたらきまつ!」

「二人とも、もうちょっと待って」

「まつっ!」

「いたらきまつっ!」


 食べる気満々の二人を待たせて、最後まで揚げてしまってから、朱雀はお茶を淹れて杏と緑も呼んでおやつの休憩にした。もりもりとドーナッツを食べる青慈はほっぺたを膨らませていて、何も言わなくても美味しいと思っているのが必死な表情で分かる。千切ってもらったドーナッツを紫音も小さな指で摘まんで食べていた。


「異国のお菓子も美味しいねぇ」

「花茶とよく合うわ」

「その茶器、杏が前に買ったのじゃない?」

「そうよ、せっかくだから使わないと」


 白地に薄紅で睡蓮の描かれた茶器を使って花茶を飲んでいる杏は幸せそうだ。藍は一度結婚して夫と別れて来ているが、杏と緑はまだ若く、未婚だった。


「杏さんと緑さんは、結婚したいとか思わないのかな?」

「私は自分の働いたお金で自分で生きていきたいの。ここでの暮らしはとても楽しいし、青慈と紫音も可愛いし、最高だわ」

「結婚なんて人生の墓場よ。家に閉じ込められてこき使われるだけ。それよりもここで働いてる方がずっと楽しいわ」

「自分の好きな茶器を自分の稼いだお金で買って使えるもの」

「ねー」


 杏と緑はここの暮らしが気に入っているようだった。結婚に夢を持っていないのは、藍のような家庭がこの国には多いからかもしれない。子どもを産ませるために女性と結婚して、子どもを産んだ後は子どもを育てさせるために家でずっと家事をさせる。そんな暮らしをよしとするひともいるのかもしれないが、杏と緑は違うようだった。


「世間からすれば私たちは幸せじゃないように見えるかもしれないけど、私は幸せよ」

「私も毎日とても楽しいわ。朱雀さんの調合を習えたらいいなって思っているの」


 緑から漏れた要望に、朱雀はそんなことを考えていたのかと緑と杏を見る。魔法を使ってしかできない魔法薬も作っているが、単純に手順さえ守れば薬草を調合するだけで魔法を使わなくても作れる薬はたくさんある。


「空いている時間に、杏さんと緑さんに調合を教えようか?」

「本当?」

「嬉しい! 手に職がつくわ!」


 言われなければ気付かなかったが、緑も杏も調合の仕事に興味津々だったようだ。いつかこの家を離れる日が来ても、調合をある程度覚えていれば、薬草を育てて一人で暮らしていくことができる。

 自分たちで自立して暮らしたいという緑と杏の願いを叶えるべく、朱雀は二人に調合を教えることにした。

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