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9.長雨の中二人きり

 口付けをしたからといって、朱雀と青慈の関係が変わるわけがない。朱雀にとって青慈は可愛い天使であることは確かだったし、それが変わることは決してない。そう思っていたのに、口付けをした夜から朱雀は青慈のことが妙に気になっていた。

 季節が夏に移り変わる前の長雨が続いて、猟師たちもあまり猟に出られず、青慈も雨除けの上着を着て山の中を見回ることはあるが、それも短時間で済ませていた。

 最近は藍は紫音が王都に行くときにはついていくことが多い。王都で紫音が藍と逢い引きをしたがるのだ。


「銀先生のお屋敷から帰る前に、ここのお茶屋さんに寄って行きましょう?」

「私、太っちゃうわ」

「藍さんは太っても可愛いから平気よ」


 嬉しそうに藍を誘う紫音に、藍の方もまんざらではない表情をしている。小物を買いに出かけたり、マンドラゴラ歌劇団の団員が揃ったら旅に出られるように旅道具を買ったりしているようだ。


「マンドラゴラ歌劇団には、ときどき銀先生も顔を出してくれるって言っているの。そのときにはお願いして、転移の魔法でお父さんと青慈のいる家に連れて帰ってもらうわ」

「ここが私たちの家だものね」

「お父さんも青慈も私たちがいないと寂しいだろうからね」


 劇団の公演のために家を空けることになっても、銀鼠の転移の魔法ですぐに帰ってくるという紫音と藍に、朱雀は少し安心してもいた。

 長雨が明ける頃にはマンドラゴラも早いものは収穫できるまで成長していることだろう。特に勇者の青慈と聖女の紫音の力を受けたマンドラゴラは成長が早かった。

 大根を何匹、人参を何匹、蕪を何匹、南瓜頭犬を何匹、西瓜猫を何匹、マンドラゴラ歌劇団に必要かは朱雀は記した紙を見ないでも言えるくらいしっかりと覚えていた。

 紫音と藍が銀鼠のところに行った後、山の見回りを終えた青慈が帰って来た。雨除けの丈の長い上着を着ていても、濡れるところはびっしょりと濡れてしまうので、風呂場で湯あみをしている。温かなお湯で身体を流して、湿った髪を拭きながら出て来た青慈は長椅子に寝転んだ。

 青慈が赤ん坊の頃に揃えたこの長椅子は、寝台にもできる大きさのもので、成長した青慈が横になっても足がはみ出ることはない。深靴を脱いだ裸足の足を長椅子の上に乗せて倒れているうちに、青慈の呼吸が深くなっていく。

 眠っているのだというのは、朱雀は長く青慈と暮らしているのでよく分かっていた。近寄って見下ろすと、湿った髪が乱れて顔にかかっている。

 髪を整えるつもりで伸ばした手が青慈の滑らかな白い肌に触れて、朱雀は胸が高鳴るのを感じた。髪を整えると露わになる顔の中で、唇が僅かに艶を持って淡く色づいている。

 唇に指を触れそうになって、朱雀は弾かれたように手を引いた。

 この唇が朱雀の唇に触れた。

 一瞬で、目を瞑っていたので確証はないが、恐らく青慈は朱雀に口付けをした。


「青慈……」


 驚いたのは、口付けをされたことが嫌ではなかったということだ。

 青慈との関係を迷っている時期から、青慈が無理やりにでも口付けて、自分を抱いてしまったら、狡い大人の朱雀はそのまま流されて青慈のものになってしまうのにと考えていた。それが青慈が不老長寿の妙薬を飲んでから、少し落ち着いて、青慈との未来をゆっくりと考えるようになった。

 あの晩の口付けは何だったのだろう。

 青慈の方はあの日から態度を変えていないのに、朱雀ばかりが意識してしまっている気がする。


「お父さん?」

「あ、青慈。濡れた髪のまま寝ると、風邪を引くよ」

「あぁ、そうだった。ついうとうとしちゃった」


 雨の日でも水やりはないが畑の世話はある程度しなければいけない。早朝に目を覚ます青慈はその後に山の見回りにも行って、疲れていたのだろう。伸びをして起きる青慈の上衣の組み紐が外れていて、白い胸が見えていて朱雀は手を伸ばして青慈の組み紐を留めてやった。さらさらと湿って重くなった真っすぐな黒髪が青慈の肩から零れて落ちる。


「隙だらけだって、言ってるでしょう?」

「え?」


 組み紐を留めていた朱雀が顔を上げると、青慈の顔が間近にあった。唇に目が行ってしまって朱雀は狼狽える。


「せ、青慈は、私に無理やり変なことをしたり、しない……」

「その信頼感、崩してしまいたくなる」

「せい……じ……」


 顔が近付いて来て、低く僅かに掠れた声が切羽詰まっている雰囲気がして、朱雀はぎゅっと目を閉じた。怖いような、期待するような、複雑な気持ちが胸に渦巻いている。

 口付けをされるかと思ったが、青慈はあっさりと朱雀を開放した。離れていく青慈の体温に朱雀は一抹の寂しさを覚える。


「青慈も、逢い引きしたりしたいのか?」

「え? したいよ」

「王都に行って、買い物をしたり、お茶をしたりしたいのか?」

「もちろん、お父さんと一緒にしたいよ」


 紫音と藍が逢い引きをしているのならば、青慈と朱雀がしていけないはずはない。

 次に銀鼠が来たときに頼んでみようかと考える朱雀に、青慈が朱雀の手を引いた。すっぽりと朱雀は青慈の腕の中に捕らわれてしまう。


「どこにも行かなくても、お父さんと……朱雀と一緒にいるだけで、俺は嬉しいんだけどね」


 耳元で囁かれる声に朱雀は慌ててしまった。どういう顔をすればいいのか分からない。戸惑っている間に、ふっと腕が緩んで朱雀は解放される。

 口付けられるかと思えば解放されて、抱き締められては解放されて、朱雀は完全に青慈に翻弄されていた。


「青慈は、私のどこがいいんだ?」


 俯きがちになりながら問いかける朱雀は、自分がもう青慈よりも背が低くなっていることに気付いていた。僅かずつだが青慈は背が伸びて朱雀を越して、朱雀よりも視点が高くなっている。


「朱雀は自分が色っぽいって、自覚がある?」

「ふぇ? 私が色っぽい?」


 唐突にそんなことを言われて朱雀は戸惑ってしまう。自分のことを色っぽいなどと朱雀は考えたことがなかった。


「すごく色気がある。濃い色の肌も滑らかで触れたくなるし、唇も肉厚だし、赤い目は白い睫毛に覆われて綺麗だし、白い髪は肌の色を際立たせているし」

「私の外見が好きなのか?」

「外見だけの訳がないでしょう! 俺が朱雀とどれだけ長く暮らしてると思っているの? 生まれてからずっとだよ」

「でも、色っぽいって」

「仕草も隙だらけで色っぽいよ。それだけじゃないよ。俺のこと誰よりも大事にしてくれるし、俺のこと愛してくれる。朱雀は俺のことを大好きだって、俺はよく知っている」


 家族として愛してきたつもりだが、朱雀はいつの間にか青慈のことをそれ以上に想っていたのかもしれない。天使のように愛しい青慈にならば何をされても許してしまう自信が朱雀にはあった。


「青慈なら、私は……」

「朱雀の大好きは、まだ俺の愛してると釣り合わない」

「え?」


 青慈にならば捧げても構わないという朱雀の言葉を、青慈は遮る。


「俺がどれだけ朱雀を愛してるかもっと思い知ってもらわないといけない。朱雀も俺が欲しくて欲しくて堪らなくなるまで、俺は朱雀のことは抱かない」

「だ、抱く!? 青慈が、私を?」

「うん、抱きたい。俺は男だよ。好きな相手は抱きたいと思う」


 自然と自分が抱かれる方と考えていたが、青慈の口からはっきりとそれを示されると、朱雀は慌てて青慈から一歩下がって逃げてしまった。青慈は無理に追って来たりせずに、朱雀の自由にさせている。


「口付けも、我慢する。朱雀が、俺を欲しがるまでは」


 青い澄んだ双眸が朱雀を映す。幼い頃と同じ色なのに、宿る熱量の違いに朱雀はその目を直視できないでいる。


「私は……」


 答えを出せない朱雀に青慈が苦笑する。


「時間がかかるのは分かってる。そのために俺は不老長寿の妙薬を飲んだんだからね」


 時間はどれだけでもある。その中で青慈は朱雀に選ばれたい。

 小さな頃から青慈の望みは全部叶えてやりたかったが、これを叶えるためには朱雀にもかなりの覚悟がいることは確かなようだ。

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