3.37回目の藍のお誕生日
冬の間に藍のお誕生日は来る。
しみじみと藍が自分の年齢を数えていた。
「嘘っ! 私、37歳……」
「藍さんは私が3歳のときから年をとってないから!」
人間の年齢がいまいち分からない朱雀だが、藍よりも若かった杏や緑より、居間の藍はずっと若く見えた。それは杏と緑が結婚して妊娠と出産という経験をしたからだと思い込んでいたが、やはり全く違うようだ。
「こうして年々、自分の実年齢と肉体の年齢が離れていくのね」
「それを望んだのは私よ。藍さん、責任は取るわ!」
「紫音……そうね、紫音に責任を取ってもらわなきゃ」
見つめ合う藍と紫音はいい雰囲気に包まれている。青慈が朱雀の服の裾を引っ張った。小さな頃から青慈は朱雀に用事があるときには服の裾を引っ張ることが多かった。
「お父さん、藍さんのためにケーキを作ろう?」
「そうだな。何のケーキがいいだろう?」
「覚えてる? 南瓜のケーキを藍さんのためにお父さんが作ってくれたことがあったでしょう? あれ、美味しかったなぁ」
秋に杏と緑のために栗のケーキを作ったら、藍は南瓜のケーキが食べてみたいと言った。あれはもう十一年前のことだろうか。懐かしく思いながら、腰の鞄から出した南瓜頭犬の皮を剥いて、一匹蒸した。
蒸した南瓜頭犬を潰して濾して青慈がクリームを作っている間に、朱雀はケーキの生地を焼く。窯で焼いたケーキの生地と南瓜頭犬のクリームを合わせて作った南瓜のケーキはとても美味しそうな橙色をしていた。
氷室に入れておいて、台所から出ると、紫音は居間で本を読んでいた。青慈も紫音の隣りに座って、紫音が卓の上に積んでいる本を手に取る。
「銀先生から借りたの?」
「銀先生は王都の本屋さんからたくさん本を買っているのよ。曲の発想を得るためには、たくさんの芸術に触れなきゃいけないって銀先生は言ってた」
「俺も、脚本を書くために勉強しなきゃダメかな?」
「青慈、それなら私の本を貸してあげる!」
いそいそと部屋に戻った紫音が部屋から大量の本を持って居間に戻ってくる。物語や歴史や音楽の本など、様々な本が卓に積み重なっていく。
「これはこの前見た歌劇の原作よ」
「王都で見た歌劇の?」
「そうよ。こっちがその題材となった時代の歴史書。こっちが、銀先生が曲を作るときに参考にした、古典音楽の本」
次々と渡されて青慈は受け取って長椅子に座って読み始めた。寝台にもなるような長椅子なので、青慈も紫音もひじ掛けを背もたれのようにして、長く脚を伸ばして読んでいる。
卓を挟んで向かい合った長椅子で青慈と紫音がそれぞれ本を読んでいるのを見て、別の部屋に洗濯物を干して来た藍が微笑ましく二人を見守っていた。
「仲良しね。兄妹って、大きくなってもこんなに仲がいいのね」
「青慈の性格が優しいからじゃないかな」
「紫音の猪突猛進なところを支えているものね」
春になれば青慈と紫音はマンドラゴラ歌劇団を作って公演に出かけてしまうのだろうか。それが嬉しいような、寂しいような、朱雀は複雑な気持ちになる。
「私、紫音が赤ちゃんの頃、ぽよぽよのお腹を吸ったことがあるのよね……」
「藍さん、何を急に!?」
「匂いを吸い込んだんだけど、ミルクの香りがしてすごくいい匂いだった。紫音可愛かったわ」
突然の白状に朱雀は驚いて戸惑ってしまう。
しかし、朱雀にもそういう経験は心当たりがあった。
「青慈が赤ちゃんの頃、お腹に顔を埋めて匂いを嗅いでた……」
「そうよね? 誰でもやっちゃうわよね? ほっぺたが可愛すぎてはむはむと甘噛みしたり!」
「そこまではしてない!」
藍と二人で話していると、気が付けば青慈と紫音の視線が朱雀と藍の方に向いていた。
「藍さん、そんなことしてたの!?」
「可愛かったんだもの!」
「お父さん、俺の匂い嗅いでたの?」
「そ、それは……すごく小さい頃だよ?」
言い訳をするのだが、「そういえば」と紫音が言い出す。
「たくさん汗をかいて家に帰ってきたら、藍さんに髪の毛を嗅がれたことがあったわ!」
「俺も、お父さんに湯上りの髪がちゃんと洗えてるか嗅がれたことがある」
それもかなり小さい頃の話だが、紫音と青慈はしっかりと覚えていたようだ。
「その話は置いといて、お昼ご飯にしようか」
「えー! 藍さんが私を可愛がってた話が聞きたい」
「お父さんは俺のこと匂ってどんな気持ちだったの?」
「その話はやめましょう」
「藍さんー!」
「終わり終わり」
「お父さんー?」
紫音と青慈にどれだけ強請られても、朱雀も藍も恥ずかしいのでその話はもうしたくなかった。話をずらすと青慈が台所でお昼ご飯の準備を手伝ってくれる。朝ご飯の残りの炊き込みご飯をおにぎりにして、味噌汁と漬物を用意して卓に並べる。
手を洗ってきた紫音は素早くおにぎりをお皿の上に確保していた。青慈は朱雀の分を取り分けてくれる。
みんなで手を合わせて「いただきます」をして、朱雀は青慈に問いかけていた。
「いつ頃からマンドラゴラ歌劇団を始動させるつもりなんだ?」
「マンドラゴラ歌劇団には、もっとマンドラゴラが必要だと思うんだ。マンドラゴラがある程度育って数が増えてからかな」
「青慈と紫音がこの集落を出て行くなんて寂しいわ」
お茶を飲みながらため息を吐く藍に、青慈が青い目を丸くする。
「俺、どこにも行かないよ?」
「え? 藍さんは一緒に来てくれるでしょう?」
青慈の言葉に朱雀が、紫音の言葉に藍が驚く。
「俺はこの集落にいて、書き上がった脚本を銀先生に送ってもらって、紫音ちゃんに曲を教えてもらうようにするよ」
「受け取った脚本から銀先生が作った曲を私が習って、藍さんと二人で公演の旅に出かけるの」
細かな相談はしていなかったが青慈と紫音の間では、マンドラゴラ歌劇団はそのように運営していくことに決まっていたようだ。
「青慈はどこにも行かない……」
「私は紫音と一緒に旅に出る……」
朱雀も藍もすぐには飲み込めなかったが、青慈と紫音がそれを望むのならばそれでいい気分になって来る。
「俺はお父さんと一緒で、紫音ちゃんは藍さんと一緒で、安心じゃない?」
紫音と藍だけを旅に出すのは朱雀は一抹の不安を覚えていたが、紫音は聖女としての力があるのできっと大丈夫だろう。出演するマンドラゴラも、紫音の言うことを聞いて紫音と藍を守ってくれるはずだ。
「お父さん、もしかして俺が行っちゃうのかもしれないと思って、寂しくなってた?」
「そ、そんなこと……」
「俺はずっとお父さんのそばにいるよ」
青慈が柔らかく微笑んでいるのに、朱雀は落ち着かない気持ちになって来る。銀鼠がいるのならば遠い街に公演に行っても転移の魔法ですぐに帰って来られる。それでも日中は青慈と朱雀の二人きりになる。
藍と紫音のいない空間で過ごしたことのない朱雀が、青慈と二人きりになってしまうと、どうなるのだろう。
不安なような、少し期待してしまうような、朱雀は複雑な気持ちだった。
午後は朱雀は調合をして、青慈は本をずっと読んでいて、紫音は迎えに来た銀鼠に連れられて、藍と一緒に歌の練習に行っていた。
全員が帰ってくる晩ご飯に、朱雀は鮭の塩焼きとキノコの炊き込みご飯と豚汁を作って、紫音と藍の帰りを待っていた。帰って来た紫音と藍は、銀鼠に挨拶をしている。
「銀先生、今日もありがとうございました」
「またよろしくお願いします」
「三日後にまた迎えに来る」
「待ってるわ!」
銀鼠に手を振る紫音は、銀鼠の姿が見えなくなるとくるりと朱雀の方を見た。
「お父さん、お腹ペコペコよ。晩ご飯は?」
「今日は豚汁と鮭の塩焼きと炊き込みご飯だよ。藍さんのお誕生日の南瓜のケーキもある」
「南瓜のケーキにしてくれたのね! 嬉しいわ」
喜んでいる藍に朱雀の表情も柔らかくなる。
手を洗った紫音と藍が食卓に着いて、藍のお誕生日が祝われた。




