16.青慈の作った物語
銀鼠のところから帰った朱雀は畑を見てみた。マンドラゴラの畝は青々と葉っぱが茂っている。蕪の様子を見ようとしたところで、青慈が横から覗き込んでくる。
「俺の蕪さん、どの子がいいかな?」
「蕪はどんな役なんだ?」
「お姫様だよ。衣装もあったら嬉しいな」
魔法具の店で買った青慈の大根の鎧と紫音の人参のドレスは、買ってから十年以上も経っているが全く汚れや劣化が見られない。魔法がかかっているのだろうが、蕪にもそういう魔法のかかった衣装が必要なのかもしれない。
「大根が勇者で、人参が聖女で、蕪がお姫様か」
「西瓜猫は馬だよ」
「青慈の発想力はすごいな」
子ども向けの絵本を自分で考えて書いてしまえる青慈はすごいと朱雀は純粋に感心していた。絵本が必要ならば買うことしか頭になかった朱雀にとっては、手作りするだなんて考えたこともない。
「お父さん、俺の絵本……っていうか、紙芝居、見てくれる?」
「見させてもらうよ」
蕪を選んだら見せてもらう気でいる朱雀の視界の端を、白いものがころころと走って行った。
「あ、蕪!」
「本当だ。蕪、逃げるな」
朱雀と青慈が追いかけると、蕪はころころと転がるようにして走って逃げていく。捕まえられずにいると、青慈の腰の鞄の中から鎧を着た大根が飛び出して来た。
「びょまびぇ!」
「びょわ! びゃー!」
大根の姿を見ると、蕪が飛び付いていく。抱き付かれて大根は戸惑っているようだ。
「お姫様は大根勇者に惚れるんだ。台本の通りだ」
逃げるのをやめて大根に抱き付いている蕪を青慈が捕まえて、綺麗に洗う。まだ服のない蕪はもじもじと恥じらっているようだった。近いうちに魔法具の店に行って衣装を揃えなければいけないかもしれない。人参は細身で小さかったので人形の衣装がぴったりだったが、蕪は丸いので衣装があるのか分からない。
蕪を乾かしている間に、濡れ縁に座って青慈がお手製の紙芝居を読み始めた。
「それほど昔でもない少し前、お山の賢者の元で大根と人参が育てられていました」
紙芝居を青慈が読み出すと、近所の子どもたちが寄ってくる。土の上に座ったり、立って紙芝居を覗き込んだりしている。
「大根と人参は兄と妹として育てられていました。あるとき、襲ってきた大黒熊を倒した大根に、お山の賢者は大根が勇者だということに気付きました」
それは朱雀が青慈と紫音を育てた物語だった。大好きな育ての親と乳母を攫われて、勇者大根と聖女人参は西瓜猫に乗って二人を助ける旅に出る。四天王を倒し、魔王を倒した勇者大根と聖女人参は、無事に育ての親の賢者と乳母を助けて、一緒に暮らすところで一つ目の紙芝居は終わっていた。
紙芝居が終わると子どもたちが拍手をする。照れ臭そうに笑っている青慈も嬉しそうだ。
「こんな感じなんだけど」
「すごくよかったと思うよ。子どもたちにも人気じゃないか」
「お父さんに褒められると嬉しいな」
白い頬を赤く染めている青慈の可愛さに朱雀は胸が高鳴る。濃い色の肌なので朱雀は赤面しても目立つことがなかった。朱雀の兄弟たちも同じく濃い色の肌だったので、こんな風に顔を赤らめるのは青慈と紫音を育て始めてから、はっきりと他人の顔色まで確認するようになって気付いたことだった。
「二部は、勇者大根を狙うお姫様の蕪が出て来るんだ。勇者大根は、お姫様の蕪に迫られても、育ての親の賢者が好きだから絶対にお姫様の蕪のものにならなくて、お姫様の蕪は怒って軍隊を差し向けてくる」
「賢者は人間じゃないのか?」
「大根が人間に恋をしたらいけないの?」
人間が妖精種に恋をしたらいけないの?
青慈の言葉がそう言っているように聞こえて朱雀は言葉に詰まってしまった。人間が妖精種に恋をするのは、大根が人間に恋をするようなものなのかもしれない。それでも青慈は朱雀のことが好きだとはっきり言っている。朱雀だけが種族の違いを気にして青慈に答えを上げられていなかった。
「俺はお父さんが好き。お父さんは?」
「私は……青慈を可愛いと思っているよ」
「俺の好きは、お父さんとどうにかなりたい好きなんだよ?」
怒鳴ることも焦れることもなく、切々と語り掛ける青慈に、朱雀は戸惑ってしまう。周囲にはまだ子どもたちがたむろしていた。
「あれって、しゅらばってやつ?」
「『わたしのことあいしてないんでしょ?』って、おかあさんがおとうさんにいってた」
「せいじにいちゃんと、すざくさんは……」
子どもたちの視線に耐えかねて、朱雀は濡れ縁から立ち上がった。
「お、おやつを作らないと! 紫音もお腹を空かせている」
「そうだね、俺もお腹空いちゃった」
追い詰めることなく、青慈はこういうときにあっさりと朱雀を逃がしてくれる。無理やりにでも迫られて唇を奪われたら、きっと朱雀は抵抗できない。青慈がすることならば全て許してしまう気がする。
これから寝室に連れ込まれて抱かれても、多分朱雀は逃げることができない。強引に来てくれれば抵抗せずに流されることができるのに、青慈は絶対にそんなことをしない。小さな頃から力が強いのに年下の紫音に泣かされていたくらいに、青慈は心が優しかった。育った今はそれに紳士さも加わっている。
もっと強く求めてくれれば朱雀は流されることができるのにと考えてから、自分が狡い大人で、青慈の情熱を利用して、それにかこつけて青慈のものになってしまおうとしていることに気付いて、朱雀は自分のことを深く恥じた。
家に入ると紫音と藍が部屋の掃除をしてくれていた。杏と緑が別の家で暮らすようになってから、藍は仕事が増えた。その分青慈と紫音が育っていたので、子守の仕事は少なくなっていたが、代わりに掃除や洗濯が増えてしまった。
学校を卒業してからも家に残っている青慈も紫音も、家事をよく手伝っている。
「お父さん、おやつに何を作る?」
「今日はパンケーキにしようかな」
「やった。パンケーキ大好き」
台所にやってきた青慈が手を洗って朱雀に並んだ。青慈は料理をよく手伝う。餃子を作るときなど、何十個も包んでくれるのでとても助かっている。
紫音の方は料理は苦手なようで、掃除や洗濯をよく手伝っている。二人とも山を守るための猟師たちとの見回りもしていて、そのときに鹿や山鳥や猪を取ってくるので、それだけでもかなり助かっている。
山の中で生活するためには、集落を守って行かなければいけない。青慈と紫音は猟師たちに信頼されて、山を守る仕事をしていた。
「卵の卵白を俺が泡立てるね」
「助かるよ」
ふわふわのパンケーキを作るために青慈が卵白を泡立ててくれる。力加減が絶妙なのか、青慈は卵白を泡立てるのも早くて上手だし、料理全般がとても上手だった。
「青慈は料理上手だな」
「お父さんが教えてくれたからだよ」
褒めると青慈は嬉しそうに頬を染めて笑う。
青慈のその表情に朱雀は落ち着かない気分になる。
「お父さん、小麦粉入れ過ぎてない?」
「あ! ちょっと多かったかも」
「まぁ、これくらいなら大丈夫か」
青慈に見惚れてしまって手元が狂ったなどと言えずに、朱雀は料理に集中することにした。焼き上がったふわふわの分厚いパンケーキに生クリームと蜂蜜を添えて卓に持って行く。
洗濯物を畳み終えた紫音と藍が楽しみに待っていた。
「もうお腹ペコペコ」
「毎日おやつまで食べて、私、太らないかしら」
「藍さんは太っても可愛いわ」
「紫音ったら」
笑いながら話す紫音と藍だが、食べ終わると真顔になっていた。
「あの男は寺で応急処置を受けて命は取り留めたわ。お屋敷には帰れないだろうから、寺で下男として働くでしょう」
紫音の父親の話をされて、朱雀はぞっとしてしまう。もはや男でもなくなったその男は、使用人に手を出していたのを妻に知られて、もう戻って来なくていいと三下り半を渡されたようだった。戻る場所がなくなったその男は、寺で下男としてこき使われているという。
年端も行かない使用人だった紫音の母親に手を出した末路といえば仕方がないのだが、男性の大事な場所をもがれたという事実には、朱雀もついている身として恐怖を感じる。
「紫音ちゃんのやったことは間違ってない」
「ありがとう、青慈」
真剣な顔で告げる青慈に、紫音が微笑む。
もう二度とあの男が紫音の人生に関わることはないだろう。




