6.青慈、3歳
春が来て青慈は推定3歳になった。推定なのは生まれた月が分からないからだ。雑貨屋の母親に拾った頃に何か月くらいかを聞いて、何となく計算して、朱雀は青慈の誕生した季節は春だと決めていた。決めなければ青慈の誕生を祝うこともできない。同じ要領で、紫音の誕生した季節も同じ春にした。
紫音は掴まり立ちから数歩歩けるようになって、朱雀は紫音のための小さな小さな靴を求めて雑貨屋の母親に取り寄せてもらった。
冬の間中会わなかった雑貨屋の母親はお腹が大きくなっていた。
「少し年が離れたけど、二人目ができたんだよ。上の娘も学校に入学するし、ちょうどいい」
「おめでとう。お祝いは何がいいですか?」
「あなたの魔法薬の効果はすごいんだってね。お産が楽になる薬とか作れるの?」
「お産は楽になるか分かりませんが、痛みが和らぐ魔法薬なら作れます」
「それはお願いしたいね」
雑貨屋の母親にはとても世話になっているので朱雀は特別な魔法薬を作ることを決めた。
毎年春には山の中の家の庭を開墾して、薬草の種を植える。育った薬草を調合して朱雀は魔法薬を作っている。去年までは一人で青慈をおんぶ紐で背負って開墾をしていたが、今年は藍と杏と緑がいてくれる。
藍が紫音の面倒を見てくれている間に、杏と緑と朱雀は土を掘り返して畝を作った。青慈も参戦して、畝に小さな種を植えていく。
「おまめ?」
「お豆じゃないから、食べないでね」
「はなくちょ?」
「鼻くそでもないよ。それは種」
「たね?」
「それが薬草に育つんだよ」
青慈が勇者であることも、人間であることも、朱雀には関係なかった。青慈が大きくなってから生活していく上で役に立つことがどこにあるか分からないから、何でも教えておきたい。
「たね、おおちくなぁれ」
「大きくなったら、私が魔法薬を作るよ」
「おくつり! じゃっかやたんの」
「そうだよ。お産のときに痛みが和らぐ魔法薬を作るって約束したのを、青慈は聞いていたんだね」
朱雀と行動を共にする青慈はよく話を聞いている。まだ3歳になったばかりとは思えないくらいに賢かった。喋り方はまだ拙さが抜けないが、青慈は勇者として賢さも備えているのかもしれない。
「いたいいたいのはっぱ!」
「そう、それは痛み止めを作るときの薬草だね」
「あちちのはっぱ!」
「火傷の薬を作るときの薬草だ」
「ねんねのはっぱ!」
「不眠症の改善のための薬を作る薬草だね」
薬草を植えたときに教えたことはきっちりと覚えていて、何度も朱雀に教えてくれる。
「どのはっぱ、いくつ?」
「今日は不眠症の改善のための魔法薬を頼まれているんだ」
「いくつ?」
「十枚くらいは必要かな」
朱雀が庭の畑に収穫に行くと、青慈が手伝ってくれる。
「いーち、にー、さーん、ろーく、はーち、ごー、にー……あれ?」
「もう一度、ゆっくり一緒に数えようか?」
「うん……」
数を数えるのも、少しずつ覚えては来ているが、まだ3歳なので間違えやすい。数の数え方や、文字もそろそろ教えるときが来ているのかもしれないと、朱雀は思っていた。
青慈の教育を考えなければいけないと思い立った朱雀は、次の日には麓の街に降りて雑貨屋に向かっていた。麓の街には本屋がないので、欲しいものがあるときには雑貨屋に行くしかないのだ。
雑貨屋で子どものための本を探すが、印刷技術はこの国でも発達していたが、まだ本自体が高価で手に入りにくいので、棚に並んでいる本も数が少ない。
「子どものための本を取り寄せてもらえますか?」
「どんな本がいいのかしら」
「絵の多い……いわゆる、絵本というものですね」
「絵が多い本は高いよ?」
「いくらかかっても構いません」
魔法薬を売って稼いでいるし、時折遠くの街から金持ちらしい客がお忍びで魔法薬を求めてやってくるので、朱雀はお金には困っていなかった。それどころか使い切れないほどのお金を持っている。
青慈のために買う絵本は、いずれ紫音も読むようになるだろうから、朱雀は全く惜しいとは思わなかった。
「とーた、おくつり」
つんつんとズボンを引っ張られて、朱雀は思い出して魔法薬の入った瓶を雑貨屋のお腹の大きな母親に渡した。
「陣痛が来たら飲むといいでしょう。痛みが和らぐ」
「うちの母親は、陣痛の痛みに薬を使うなんて、甘えてるって言うんだけどね」
「男が経験したら死ぬような痛みなのでしょう? 少しでも楽になれるなら、使えるものは使った方がいい」
朱雀の魔法薬を求める客が隠れるようにして来るのは、この国の風潮として薬に頼るのは精神が弱いからだとかいう馬鹿らしい考えがまかり通っているからだった。魔法薬で楽になるのならば使えばいいのに、それを使うことを軟弱と考えて、我慢して最悪命を落としてしまう場合すらあるのに、それを理解していない。
惚れ薬の類を求められたときには断っているが、眠れないという悩みや、月のもので腹痛が酷いという悩みなどは、魔法薬で何とかなるのならば使った方が賢いと朱雀は思うのだが、頭の固い連中はそうは思わないようだ。
それでも朱雀の魔法薬は医者や薬屋に卸すと高く買い取ってもらえるのだから、求めているひとたちがいるのは確かだった。
「あなたがいいひとでよかったわ。出産の前後は私の妹にこの店をお願いするから、絵本は妹から受け取ってね」
お腹の大きな雑貨屋の母親は、出産間近のようだった。
街を満喫してきた藍と杏と緑と合流して、朱雀は山の中の家に帰った。
青慈はすっかり行き帰り歩けるようになっていたし、紫音はおんぶ紐で括りつけられて大人しくしている。
2歳になったころから青慈が山から下りる道を自分で歩いて行けたこと自体、すごいことだったのだと今更ながらに朱雀は思い至る。あの頃から青慈は並外れた体力を持っていたが、子育てが初めてで、他に比べる相手もいない朱雀はそれに気付いていなかった。
「おなか、ちーたね。ごはん、なぁに?」
「何にしようか? 青慈は何が食べたい?」
「わわんむち!」
「茶わん蒸しか」
「おたかなも!」
「お魚も焼こうね」
今日の晩ご飯は茶わん蒸しと魚の干物と炊き込みご飯にしよう。晩ご飯を決めながら歩いていると、青慈はお尻を振り振り脇道で花を摘んでいる。日中はお漏らしをすることがほとんどなくなったので、青慈のお尻はオムツが取れてすっきりとしていた。
「やー! めっ!」
ばちんっという音がして、朱雀は脇道に入った青慈を追い駆けて木の間に入って行く。木に遮られて見えなかったが、青慈を大鴉が襲おうとしていたようだ。青慈の小さな手で叩かれて、大鴉は血泡を吹いて地面に落ちている。
この山に大鴉はあまり見ないのにと訝しく思いながら、血泡を吹いた大鴉を拾うと、胸に丸い親指の爪くらいの石が埋め込まれているのが分かった。
「使い魔!?」
魔王が勇者が生きているかもしれないと考えて探しに来たのかもしれない。青慈が倒してしまったので情報は流れなかったかもしれないが、胸に埋め込まれた禍々しい瘴気を放つ石が、この使い魔の主人に居場所を知らせてしまうかもしれない。
その石に手を翳して朱雀は浄化の魔法を唱えた。魔法は得意ではないのでうまく発動したか分からなくて、それだけでは不安で朱雀は大鴉の死体を持ち帰って、浄化の薬草と一緒に埋めることにした。
「魔王の使い魔が、青慈を狙っているのね」
「青慈、よくやっつけたわ」
「これからも気を付けないといけないわよ」
「あい! やっつけう!」
魔王の気配を感じても藍と杏と緑は怯えることなく、青慈を褒めて、言い聞かせている。魔王にこの場所が知られる日も遠くないのかもしれない。そのときまでに青慈をしっかりと育てなければいけない。
最悪朱雀が犠牲になっても、青慈と紫音は逃す覚悟で、朱雀は青慈と紫音を守る決意をしていた。