4.王都への旅
紫音の歌の練習のために、銀鼠は三日に一度通ってくる。それは十年間ずっと変わらず続いていた。歌の練習を終えて、竪琴を鞄に仕舞って帰り支度をしようとしている銀鼠を、朱雀がお茶に誘った。銀鼠の方も何か話したいことがあるようで、いつもならば断わって素っ気なく帰るのだが、今日はお茶の誘いに乗ってくれた。
向かい合う長椅子に座った銀鼠と朱雀に、青慈と紫音は一人用の椅子に座って話を聞いている。
「王都に行こうと思っている。数日間かかるから、次の練習の日をずらして欲しい」
「王都に来るのか? 私も紫音ちゃんを王都に誘おうと思っていたんだ」
銀鼠は紫音に王都の話をしただけでなく、王都に来るように誘おうと考えていたようだ。
「今、王都に歌劇団が来ていて、歌劇の演目を上演しているんだ。紫音ちゃんにはぜひそれを見て欲しいと思っていた。全員で行くなら、日付を合わせて全員分の券を確保するが」
「いいのか?」
「移動も私が魔法で補助してもいい」
銀鼠の申し出に朱雀は少しだけ迷った。
王都には列車の駅のある大きな街まで馬車で半日かけて行って、そこから数時間かけて列車で行かなければいけない。それを短縮できるのはありがたいが、青慈と紫音にも意見は聞いてみたかった。
「銀さんが魔法で連れて行ってくれると言っているが、青慈と紫音はどうしたい?」
転移の魔法に関しては、白虎で青慈と紫音は経験済みのはずである。どれだけ便利なものかは分かっているだろう。
「俺、列車に乗ったことがないんだよな」
「私もない」
「行きだけでも、列車に乗ったらダメかな?」
青慈は大きな街から出る列車に乗ったことがなかった。図鑑では見たことのある列車という乗り物がどんなものか、16歳といってもまだまだ子どもだ、興味津々なのだろう。
「紫音は?」
「私も列車に乗ってみたいわ」
それで行きは馬車と列車で王都に行くことに決まった。
「帰りは送ってくれるとありがたいかな」
「それは構わないよ。宿はあてがあるのかな?」
「いや、特には」
宿に関しても王都は全く行ったことがないので、朱雀には分からなかった。青慈と紫音の祖父母は王都に住んでいるのだろうか。それすらもよく分かっていない。
「私の家でよければ、泊まるか? 一応、客用の部屋が二部屋ある」
朱雀と青慈、紫音と藍の男女で分かれて泊ればいいと言われて、妙に意識してしまいそうになる自分を、朱雀は必死になかったことにしようとした。
「お世話になれるなら助かるな」
「王都の案内もできる限りしよう」
「ありがとう、銀さん」
協力的な銀鼠に朱雀がお礼を言うと、青慈と紫音も「ありがとうございます」とお礼を言っていた。銀鼠が帰ってから、洗濯物を片付けたり、部屋の掃除をしてくれたりしていた藍に紫音が駆け寄って行く。
「藍さん、王都に行くことになったのよ」
「王都に? 行きたがっていたものね。よかったわね」
「藍さんも一緒よ。国立図書館にも行けるし、歌劇団の公演も見られるのよ」
「歌劇団!?」
紫音の言葉に藍が驚いている。
「歌劇団って、歌ったり踊ったりして、お芝居をするところでしょう? 私、小さい頃に大きな街に歌劇団が来たときに、見に行きたいって駄々を捏ねたことがあるわ」
両親にお願いしても歌劇団の券は高くて手に入らなかった。せっかく歌劇団が来てくれたのに見に行くことができなくて、藍はとても残念な思いをしたようだった。
「藍さんも一緒に見ましょうね」
「嬉しいわ」
王都行きに関して、藍もとても楽しみにしているようだった。
王都に行く前に、朱雀は用心のために魔力を上げる魔法薬を調合した。マンドラゴラと南瓜頭犬と西瓜猫の汁を混ぜて、煮詰めて煮詰めて、魔力を込めていく。作り上げるまでに半日以上かかった魔法薬を瓶に詰めて、朱雀は鞄の中に入れておいた。
これを使うのは最後の手段だ。
使ってしまうと朱雀が動けなくなるほど消耗するのは、青慈と紫音が幼い頃に使ったときに経験していた。意識がなくなって倒れてしまっては、青慈と紫音を守ることができない。
例え勇者と聖女で青慈と紫音がものすごく強いとしても、朱雀にとっては可愛い息子と娘だった。できることならば朱雀が守ってあげたい。
万全の準備をして、朱雀は青慈と紫音と藍と、王都に出かけた。留守の間のことは、杏と緑に頼んでおいた。
列車の駅のある大きな街までは、馬車に揺られて半日。お弁当を用意していたが、青慈も紫音も小さな頃と違って馬車の中で眠るようなことがなくなって、時間を持て余しているようだった。
大きな街には何度も来ているが、駅には行ったことがない。
駅に行って青慈は青い目を煌めかせて周囲を見回していた。
個室席の切符を買って、乗車口に並ぶと、真っ黒な蒸気機関車が煙を上げながら駅に入ってくる。
「お父さん、列車だよ! 本物の列車!」
「今からこれに乗るんだよ」
「つくのはいつ頃になるんだろうね」
列車が王都につくのは夜に近くなっているはずだ。列車の駅には銀鼠が迎えに来てくれる約束だった。
列車に乗り込むと、六人掛けの個室席に入る。向かい合わせの三人掛けの椅子が二つ並んでいる。進行方向側に紫音と藍、逆側に青慈と朱雀が座った。藍は紫音を窓側にしてやっているし、朱雀も青慈を窓側に座らせた。
窓の外は春の景色で、川沿いに黄色い菜の花が群生して揺れている。汽笛を上げて列車が動き出すと、青慈は窓の外をじっと見ていた。
「私も実は列車に乗るのは初めてなんだ」
「お父さんも?」
「私も初めてよ」
「藍さんもそうなの?」
朱雀が告白すると青慈が驚いた声を上げて、藍の告白には紫音が目を丸くしている。妖精種の村にいた頃は転移の魔法で色んな場所に連れて行ってもらっていたので、馬車も列車も必要なかった。王都へは行ったことがなかったが、行く必要もないと考えていた。
「妖精種は魔法が使えるから重用されるけど、私は魔法がほとんど使えない出来損ないだったからなぁ」
魔法が使えていれば、列車になど乗ることなく転移の魔法で青慈と紫音と藍を連れて一瞬で王都まで飛べていたのに。
そんなことを考える朱雀に、青慈がむっとした顔になった。
「お父さんは出来損ないなんかじゃないよ。お父さんの魔法薬がすごいことはみんな認めてる。転移の魔法なんて使えなくてもいいよ。俺、列車に乗ってみたかったんだ」
転移の魔法が使えていたら青慈が列車に乗ることもなかった。そういって朱雀を慰めてくれる青慈の優しさに、朱雀はなんとなく落ち着かなくなってくる。青慈は朱雀のことを大事に思ってくれている。
「お父さんを出来損ないなんて言う奴がいたら、私が、えい! するわ!」
「紫音、それはやめてあげて」
「だって許せないもの!」
紫音も青慈と一緒に怒ってくれていた。
えい! と軽く言っているが、紫音の拳は魔物の巨大猪の頭蓋骨を割るような威力があるのだ。人間を殴ればどうなるか、朱雀は考えたくもない。殴られた相手がどうなろうと知ったことではないが、朱雀は単純に紫音が人殺しになるようなことは避けたかった。
「俺も、そんな奴はやっつけてやる」
「やっつけないで、青慈」
「お父さんは優しすぎるんだよ」
青慈にも言われたが、朱雀は絶対に紫音と青慈の手を汚させるようなことはしたくないと考えていた。
列車が揺れながら大きな川を超える橋の上を走る。夕日に赤く染まりながら煌めく水面に、青慈と紫音の視線が窓の外に向いた。流れていく景色は、田んぼと畑を抜けて、大きな川を超えて、少しずつ街並みが見えてくる。城壁に囲まれた王都が見えてくると、青慈と紫音は黙って外を見ていた。
これから先の王都の旅で、勇者と聖女である青慈と紫音は狙われるかもしれない。警戒を解かないようにして行動することを心掛ける朱雀だった。




