2.青慈に迫られて
晩ご飯はご馳走にしてケーキも食べた。お茶を飲んで寛ぐ晩ご飯の後、青慈が真剣な眼差しで朱雀を口説いてくる。紫音は離れの藍の部屋に行っていた。
「俺ももう16歳になったんだよ。もういいんじゃないかな?」
「いいって、何がだ?」
「お父さんと、口付けくらいしても」
少年から青年の顔に変化しつつある青慈の顔を見て、朱雀の心臓が跳ねる。頬を節のある手で撫でられて、顔が近付いて来そうになって、朱雀は青慈の胸を押していた。
抵抗というには弱弱しいそれに、青慈の動きが止まる。
「お父さんの嫌なことはしたくない。どうしても、ダメ?」
「青慈のことは可愛いよ。でも、そういう意味で好きなのかは分からない」
蚊の鳴くような声で返事をすると、青慈はため息を吐いて長椅子に身を預ける。解いた長めの黒髪がさらさらと青慈の肩を滑り落ちる。
顔立ちは整っていて間違いなく美青年の青慈。幼い頃から何度も女の子と間違われたような顔立ちだったが、育ってからは凛々しく美しい青年に育っていた。悲し気な横顔を見ていると、口付けくらい許してやった方がよかったのではないかと、朱雀の胸を過る。
朱雀にとっては青慈が生きている時間など一瞬の間で、青慈を失った後の方がずっとずっと長く生きていかなければいけない。愛すれば愛するだけ、別れがつらくなることを朱雀は気付いていた。
「青慈は私のどこが好きなんだ。普通のおじさんだよ?」
「お父さんはおじさんなんかじゃない! すごく綺麗だよ」
外見だけは青年のようでも、朱雀はもう三百年近く生きている。この山に来て二百年以上経っているのだから、麓の街が小さな集落から栄えて行った様子を全て見て来た。住んでいるひとたちも、店もすっかりと様変わりしてしまった。
朱雀の家の周囲だって同じだ。最初は朱雀の家だけだったのに、藍と杏と緑が来て離れの棟を作って、杏と緑のために薬屋を作って、そのうちに山に移住してくるひとたちがいて、気が付けば集落が出来上がっていた。まだまだ完全に自給自足ができるほどではないが、山に集落ができたおかげで朱雀たちの生活もかなり便利になった。
麓の街の移り変わり、山の様変わり、それら全てが飛ぶように過ぎ去ったときの中で行われていた。十年がこんなにあっという間に過ぎていくのだから、百年もまたすぐなのかもしれない。
百年先には藍と紫音は不老長寿の妙薬で生きているかもしれないが、青慈は何も飲んでいないので失われている可能性が高い。
「青慈はここを出て行く気はないのかな?」
「あるわけないよ! 俺はお父さんと結婚して、ずっとここで暮らしていくんだから。あ、でも、お父さんがここを出るなら、俺もついていくよ」
自分よりもずっと短い時間しか生きない青慈はひたむきに朱雀を愛してくれている。朱雀はその気持ちをどう受け取るべきなのか悩んでいた。
「お父さんと結婚したいな。妖精種の村に挨拶に行こう」
「結婚はまだ早いし……私は青慈をそんな風には……」
「俺が魔王を倒したときに、妖精種の長老さんたちは、俺とお父さんの結婚を許してくれたよ?」
確かに青慈の言う通りだった。長老たちは魔王を倒した褒美に青慈が朱雀を欲しがっていると判断した。青慈が大きくなっても気持ちが変わらなければ結婚してもいいという許しを青慈は得ていた。
「それは、私の気持ちがあってのことだろう?」
「お父さんは、俺が嫌い?」
十年前と同じ潤んだ青い目で見つめられて朱雀は言葉に詰まってしまった。嫌いなわけがない。朱雀は青慈を今も天使と思って可愛がっている。
「青慈はまだ16歳だから……」
「何歳になればいい? 杏さんと緑さんが言ったみたいに、18歳になればいい?」
残り二年。
十年が一瞬で過ぎ去るのならば、二年など朱雀にとっては呼吸を一つするくらいの感覚かもしれない。それでも、今結婚すると口に出せないのは、朱雀が心に恐怖を抱えているからだった。
青慈が先に死んでしまえば、朱雀は愛した分だけ体の半分をもぎ取られたかのように苦しみ悲しむだろう。
「青慈とは寿命の長さが違うからな」
「俺の寿命を伸ばせって、国王からまた手紙が届いたんでしょう?」
隠していたつもりなのに、青慈に知られていて、朱雀は心臓がどくりと跳ねる。国王からは魔王への抑止力となる勇者と聖女の寿命を、不老長寿の妙薬で伸ばすように再三要請が来ていた。青慈と紫音の人生を捻じ曲げて、自然の理から外すようなことはしたくなかったので、朱雀はその手紙をずっと握り潰し続けていた。
「お父さん、俺はいいんだよ? お父さんと同じだけの時間を生きたい。俺はお父さんを孤独にしたくない」
藍が不老長寿の妙薬を飲まされていて、紫音も飲む気でいるとすると、紫音と藍は二人で暮らしていくのだろう。そうなると、青慈を失った場合には朱雀は一人きりになってしまう。
「私は、一人で生きて来た。これからだって生きていける」
「そんな寂しいことは言わないで。俺はお父さんのそばにずっといたいんだ」
引き寄せられて抱き締められて、朱雀は青慈の薄い胸に顔を埋める。体はまだ成長途中で細いが、背丈は朱雀を越すようになった青慈は、朱雀をすっぽりと抱き締められるようになっていた。
抱き締められて、泣きたいような、逃げ出したいような、不思議な気分に朱雀は陥る。もっと強く抱き締めて強引に唇を奪って欲しいという気持ちと、親子としての一線を超えてはいけないという気持ちが複雑に絡み合う。
「愛してるんだ、お父さん……いや、朱雀」
耳元で名前を囁かれて、朱雀はぞくりと震えてしまう。
「青慈、やめて……」
「どうしても、俺のことを愛してくれないの?」
子どものように縋る目で見つめてくる青慈に朱雀は震えながらその胸を押した。心地のいい場所から抜け出したくない気持ちが、青慈が朱雀を簡単に放してしまうので、寂しさに変わる。
もっと強引に奪われれば、朱雀はきっと抵抗できない。幼い頃から可愛がってきた青慈に求められれば、許してしまう。それだけ朱雀の中で青慈という存在が大きくなっていることは否定できなかった。
それなのに、青慈は壊れ物のように朱雀を優しく扱う。
「お休み、お父さん」
立ち上がった青慈は拒まれたことに傷付いていた。
そうではなくて朱雀はどうすればよかったのかと考え込んでしまう。
青慈を受け入れるのは怖いけれど、口付けでもすれば箍が外れて朱雀は青慈を自分の元に縛り付けてしまうかもしれない。青慈が望んでいるからだと自分を納得させて、青慈に不老長寿の妙薬を飲ませてしまうかもしれない。
朱雀の胸にはどろどろとした思いが渦巻いていることを青慈は知らないのだ。
「お父さん、青慈の誕生日に、口付けしてあげた?」
離れの棟から戻って来た紫音に聞かれて、朱雀は間抜けな顔をしてしまった。
「へ? な、なんで?」
「16歳の誕生日お祝いは、お父さんからの口付けがいいって、青慈言ってたのよ」
紫音の言葉に、朱雀は長椅子から立ち上がったが、青慈を追い駆けて部屋まで行く勇気はなかった。
青慈は強引に朱雀の唇を奪ったりしなかった。それは自分の誕生日に朱雀から口付けを受けたいという可愛い望みがあったからなのだ。朱雀はそれを拒んで、青慈の夢を壊してしまった。
「私は妖精種で、青慈は人間……青慈は後悔しないのだろうか」
不老長寿の妙薬を飲んでしまったら、後から後悔してもそれを取り消すことはできない。飲んだ薬を中和するような薬は、不老長寿の妙薬に関しては呪いや邪法に近いものなので、存在しないのだ。
飲んだ後に朱雀が事故や病気で早く死んでしまったら、青慈はどうするのだろう。責任の取れないようなことを朱雀は青慈にしたくなかった。
「そんなこと、青慈は拾われたときから分かってると思うけどね」
紫音の言葉に、朱雀は長椅子から立ち上がったまま俯いた。




