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14.赤いお目目の兎

 冬の雪が降り始める時期に、森に仕掛けた罠に兎がかかっていた。まだ小さな子兎で罠の柵に閉じ込められてぷるぷると震えている。

 暖かな緑が編んだ藤色の毛糸の外套を着た紫音が、白い息を吐きながら駆け寄って罠を覗き込む。


「ゆきたん!」

「え? もう名前を決めてしまったのかな?」

「ゆきたんよ! しろたんのおよめたんなの」


 ものすごく嬉しそうな紫音に、朱雀は罠から兎を出すまでは油断できなかった。

 山の兎はとても警戒心が強く、なかなか捕まえられないことはここ数か月で朱雀にもよく分かっていた。この兎を放してしまうと、もう次の兎はずっと先まで捕まらないかもしれない。

 白が捕まえられたのは奇跡だったかのように、兎は罠に入らなくなっていた。

 罠の柵の中から掴み出した兎が雄であることを悟って、朱雀は紫音にこのことをどう話そうか考えていた。


「ゆきたん、しろたんとなかよくしてね」


 もう紫音は兎に名前を付けて、飼う気満々である。


「紫音、この兎は雄なんだ」

「おす?」

「男の子ってことよ」


 朱雀の言葉に紫音が首を傾げ、藍が説明してくれる。


「おとこのこじゃ、およめさんにはなれないの?」

「え? 青慈?」

「おとうさんはおとこのひとだけど、おれのおよめさんになるんだよ?」

「え!? えぇ!?」


 青慈が何を言っているか分からなくて混乱する朱雀に、紫音も納得したように頷く。


「おとこのこでも、およめたん! いいよ」

「いいの? 紫音!?」

「およめたんにしてあげる、ゆきたん!」


 これはもう何を言っても無駄な気がした。紫音は納得しているし、青慈もすっかりと紫音の味方だ。名前を付けるという行為が魔法を使う朱雀にとってはとても重要で、聖女の紫音が名前を付けた時点で、この子兎は自然に還れない。そんな気もしていた。

 痩せて震えている子兎を放っても冬を越せる気はしない。


「白と小屋を放しておくか」

「紫音がこれだけ気に入ったのならば仕方がないわね」


 白の小屋と放しておくことで解決しようとする朱雀と、紫音の気持ちを考えて子兎を放すことのできない藍は甘すぎるのかもしれない。

 連れ帰られた子兎のために、小屋を作ろうとして朱雀は気付いた。こんなに痩せて震えていたら、外に置いていたら寒さで死んでしまうのではないだろうか。白はもう中型犬くらいの大きさになっているし、部屋の中では飼えないが、まだこの子兎の雪は部屋の中で飼える範囲内だ。


「冬を越すまでは雪は部屋の中で飼おうか」

「ゆきたん、にんじんたんのはっぱをあげるからね」

「おれもだいこんさんのはっぱをあげるよ」

「おおきくなってね」


 紫音の人参と青慈の大根の葉っぱを与えられて、子兎の雪もすぐに大きくなりそうだった。白が夏毛では薄茶色になっていたので紫音にも分かっているが、今は冬毛で白いだけで、雪も夏には薄茶色になる。

 朱雀はそう思っていたが、紫音が妙なことに気付いた。


「とーたん、ゆきたん、おめめがあかい」

「え? 白は目が黒いのに」

「ゆきたん、しろたんとちょっとちがう?」


 よく見てみると雪は目が赤かった。

 こういうものを朱雀は知っている。


先天性色素欠乏症(アルビノ)?」

「あるびのって、なぁに?」

「色素のないもののことを、先天性色素欠乏症って言うんだよ。痩せている理由も、弱っている理由も分かった。雪は色素がないんだ」


 色素がある野兎は夏毛で薄茶色になって春から秋までの間は地面に色をまぎれさせて生きるのだが、雪には色素がないのでずっと白かった。白い体は目立つので天敵に狙われやすい。逃げ回っているうちに餌も碌に食べられず、雪はやせ細って、飢えて罠にかかったのだろう。


「ゆきちゃんは、ずっとしろいの?」

「夏になっても、白みたいに薄茶色にはならないと思う」

「しろいから、こんなにやせてるの?」


 雪は来るべくして朱雀の家に来たのかもしれない。飼われていれば、天敵に狙われることもないし、餌もたっぷり食べられる。自然界にこのまま残しておいては、雪は冬も越えられずに死んでいただろう。


「雪を放さなくてよかった」

「うちのこになったから、いっぱいたべておおきくなってね」

「しろたんのおよめたんになるのよ」

「そこ、お婿さんじゃないんだ」

「およめたんよ?」


 白が雌で、雪が雄なのだが、雪がお嫁さんなのは紫音にとっては譲れないところのようだった。男性がお嫁さんになるということに関して、いけないわけではないので、朱雀も強くは言えない。


「雪は紫音の子になれて幸せね」

「ゆきたん、いーこ」


 撫でられて、人参の葉っぱをしゃくしゃくと食べている雪は目を細めて幸せそうにしていた。

 朱雀の家に雪が仲間入りしてから、白が濡れ縁の小屋で落ち着かない様子を見せていた。うろうろと小屋の柵の中を歩き回り、ひくひくと鼻を動かしている。新しい子兎が来たことに気付いているのだろう。

 兎は意外と縄張り意識が強く、闘争心も強いので、相性が悪ければ噛み殺されてしまうかもしれない。白は中型犬くらいある巨大な兎で、雪は大人の手の平に乗るような痩せた子兎なのだ。


「顔合わせをしましょう」


 藍の提案で、檻の中にいる白と、紫音に抱っこされた雪の顔合わせが実現された。雪を見ても白は警戒している様子はない。じっと見つめて、ふんふんと匂いを嗅いでいる。雪の方は巨大な白に怯え切ってふるふると震えている。


「しろたんのおよめたんよ!」

「あ! 紫音、まだ小屋に入れちゃダメ!」


 柵を開けて中に入り込んだ紫音が雪を白に差し出した瞬間、白が大きな口を開けた。噛まれたと朱雀が覚悟をして紫音を引きずり出そうと手を差し込んだが、白は雪を噛まずにぺろぺろと舐めて毛づくろいをしていた。


「ゆきたんのことがすきなの?」


 紫音が雪を下に降ろすと、白は雪を温めるように体を寄せている。舐められて、温められて、雪はすっかりと震えが止まっていた。


「相性はよさそうね」

「どう見ても親子だけど」


 今のところは親子にしか見えない白と雪だが、雪が大きくなってくれば関係も変わるのかもしれない。それを期待して朱雀は気長に雪を育てることにした。

 白と雪を会わせるのは大人がいるときに限って、それ以外は白は濡れ縁の小屋で、雪はこの冬を越すまでは家の中で育てられることに決まった。

 杏と緑も紫音に雪を紹介されて驚いていた。


「この子、お目目が赤いのね」

「あるびのなんだって」

「あるびの? どういうことなの?」

「えーっと、むつかしいから、とーたんにきいて」


 先天性色素欠乏症という言葉は覚えたが、説明はできない紫音のために、朱雀が説明する。


「生まれながらに色素を持っていないもののことをそう言うんだ。夏になっても薄茶色の毛が生えてこなかったから、目立つ白い毛皮で天敵に狙われて、碌に餌も食べられなかったんだと思う。それでこんなに痩せて小さいんだよ」


 子兎といっても、冬を越す時期にはもうほとんどが大人に近付いている。それがまだ大人の手の平に乗るような大きさしかないのだから、雪は相当自然界では苦労してきたのだろう。

 その話をすると、杏も緑も雪に同情的になっているようだった。


「マンドラゴラの葉っぱが余ってるのがあるわ」

「ちょっと、食べさせてあげましょう」


 餌用のお皿の上にマンドラゴラの葉っぱを置かれて、雪は大喜びでしゃくしゃくと食べていた。これまで食べられなかった分を食べるように、雪はたっぷりと食べている。

 先天性色素欠乏症の動物は体が弱いことも多いのだが、雪がどうなのか分からない。ただ、紫音が飼い始めて数日で痩せて肋骨の浮き出ていた体はふっくらとしてきて、大きさも一回り大きくなった気がする。

 マンドラゴラの葉っぱや薬草の余りを食べさせていれば、自然界では淘汰されていたかもしれない雪も、朱雀の家では長生きできるかもしれない。

 野生の兎の寿命は二年ほどで、飼われている兎も七年ほどしか生きないと言われているが、白と雪はマンドラゴラの葉っぱや薬草の余りを食べているので、寿命が長いかもしれない。そうであることを朱雀は望んでいた。

 白虎が自分よりもずっと寿命の短い猫を飼って、その猫が亡くなるたびに千切れるほどに泣くのだと言っていたが、紫音や青慈には飼い兎を失うような経験はして欲しくなかった。


「寿命の違う生き物か……」


 青慈と紫音と、朱雀は寿命が全く違う。青慈と紫音が白と雪を飼っているように、朱雀もいつか青慈と紫音が自分より先に死んでいくのを見守らなければいけないのかもしれない。

 その日のことを考えるだけで、朱雀は身を引き千切られるような気持になるのだった。

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