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4.二回目の冬

 赤ん坊用の籠の中には、白い肌に黒髪、紫の目の赤ん坊が入っていた。眠っていたのか、目を開けてきょろきょろと周囲を見回している。


「あかたん! とーた、あかたん!」


 赤ん坊には手紙が添えてあった。


「『この子の父親は妻子のある方でした。山の賢者様は優しく子どもを育ててくださるとお聞きしました。どうかこの子にもお慈悲を』だって。なんて虫のいい話」

「麓の街で父親の分からない子どもを産んだって話は聞かないから、遠くから連れてきたのかもしれない」

「こんなに可愛いのに、捨てられてしまうなんて可哀そうに」


 緑は母親に批判的で、杏は麓の街の情報を別行動していたときに集めていたのだろう。藍は赤ん坊を見詰めて愛おし気な顔をしている。

 青慈のことは譲れないが、藍にこの子を育てさせるのは彼女の心の傷を癒すのではないかと朱雀は考えていた。藍を母親にするわけにはいかないが、乳母にならできる。


「藍さんは、青慈とこの子の乳母になってみる?」

「いいの?」

「青慈も大きくなって兄弟が欲しかったと思うかもしれないし、青慈にとってもいいような気がするんだ」


 奇妙な縁だが、朱雀は両親を失った青慈を山で拾った。同じように山に捨てられているこの子を拾わない理由がない。

 赤ん坊用の服や哺乳瓶は青慈が使ったものが揃っているし、街に戻ってミルクも買って来ればいい。


「この子を育てたい……私、青慈とこの子の乳母になりたい」


 藍が抱き上げると、赤ん坊はにっこりと微笑んで藍に手を伸ばした。

 街に一旦戻って赤ん坊の用品を買って再び山を登っていく。途中で会った大黒熊は、朱雀の顔を見ると怯えたように逃げていった。疲れ切っていた青慈は朱雀に抱っこされてぐっすりと眠り込んでいた。

 赤ん坊は女の子で朱雀はその子に紫音(しおん)という名前を付けた。

 紫音はくるくるの癖毛だったが、青慈と同じく色が白くてほっぺたが薔薇色で二人はとてもよく雰囲気が似ていた。青慈の方が髪が真っすぐなのが少しだけ違う。

 さらさらの青慈の髪を梳るときと、くるくるの紫音の髪を梳るときでは、全く勝手が違ったが、それもまた愛しい。

 朱雀にとっては青慈が一番可愛かったが、ミルクを飲んで日々大きくなっていく紫音もまた、青慈に負けず劣らず可愛いと思うようになっていた。


「しおたん、いこいこ」

「うー! ぶー!」

「にーたよ?」

「あう!」


 まだはいはいはできなかったが、紫音の寝かされている長椅子の周りをうろうろとして、青慈が話しかけている。丸いほっぺたを突いては、「ちゅっちゅちた!」と指を吸われて青慈は喜んでいた。

 そんな青慈の姿を見ているのは幸せなのだが、朱雀には最近気になることがあった。


「青慈は紫音が好きなの?」

「すち! かーいー!」

「大きくなったら、青慈は紫音と結婚するのかしら」


 あまりに青慈が紫音を可愛がっているので、藍がそんなことを言い出したのだ。兄妹として育てているが、青慈と紫音は血の繋がりがない。結婚しようと思えばできてしまうのを朱雀は知っていた。


「けこん、なぁに?」

「好きなひととずっと一緒にいるって約束をすることよ。私はずっと一緒にいなかったけど」

「けこん……とーたとすゆ!」


 宣言した青慈の声が大きかったので、近くで掃除をしていた杏と、洗い物をしていた緑にまで聞こえてしまう。


「青慈は朱雀さんが好きなの?」

「とーた、だいすち!」

「それは大変。朱雀さんはモテるから天敵が多いわよ?」

「てんてち?」

「倒さないといけない相手よ」


 普通ならば妖精種で同性の朱雀のことを青慈が好きで結婚すると言っても、まだ2歳程度の子どもの言うことであるし、相手にしないものだ。それなのに藍も杏も緑も身を乗り出して話に加わっている。


「2歳の子どもの言うことだから……」

「愛は尊いものよ! 2歳だからって馬鹿にしちゃダメ!」

「そうね……他の相手に朱雀さんを取られそうになったら、相手のアレをもぐのよ?」

「もぎもぎ?」

「そう、もぐの!」

「何、物騒なことを2歳児に教えてるんだ!?」


 真剣に聞いている青慈に、藍が物騒なことを教えている。女性だから想像できないのかもしれないが、男性にしかついていないものをもがれたら、そこは正しく急所なので、死んでしまうこともあり得るのだ。

 止めようとしても藍と杏と緑は既に盛り上がっている。


「朱雀さんを落とすのは簡単じゃないわよ」

「私たちがしっかり教えてあげる」

「朱雀さんはものすごい魔法薬の作り手でもあるから、この山にいてもらわないと麓の街も困るものね」


 ずっと朱雀がこの山で暮らしていけるように、藍と杏と緑は青慈と朱雀を結婚させようとしている。朱雀と青慈との間には寿命という大きな壁があるのだが、それも藍と杏と緑にしてみれば小さなことなのだろう。


「結婚したら、きっと朱雀さんは自分と同じくらいの長さを生きる魔法薬を開発するだろうし」

「そうなったら、青慈と朱雀さんがずっとずっとこの山で愛し合って暮らすのね」

「素敵だわ」


 藍の言葉に朱雀は心臓が跳ねたような気がした。青慈が自分と同じくらいの長さを生きるようにする魔法薬のことを考えたことがないと言えば嘘になる。そんなものを青慈に飲ませてしまって、青慈が人間として生きられなくなることを思うと、踏み切れないだけなのだ。

 邪法とも言われるその魔法薬を作ってしまっていいものか悩んで、朱雀は作らないことに心を決めていた。青慈には人間としての生を全うして欲しい。朱雀がその後でどれだけ千切れるほどに泣こうとも、青慈には人間として生きて欲しい。

 自分の我が儘で青慈の運命を歪めるようなことだけはしたくなかった。

 考えている間に、紫音が泣き出す。

 藍と杏と緑の話もそこで中断された。

 オムツを替えてもらって、ミルクを飲ませてもらった紫音は、泣き止んでご機嫌でおもちゃを握って齧っている。まだ歯は生えていないが、歯が生える前で痒いようだ。油断すると青慈も指を嚙まれたりするので、藍はよく言い聞かせていた。


「紫音のお口に指を持って行ってはダメよ?」

「ちゅっちゅ、すゆ」

「青慈のお手手が綺麗じゃなくて、紫音がお腹を壊すこともあるし、今、紫音は噛みたい盛りだから指を噛まれることもあるわ」

「あいちゃ?」

「そうよ、痛いのよ」


 言い聞かされて青慈はこくこくと頷いていた。

 その冬はかなり厳しい寒波が訪れたが、家の壁を外の温度が入って来ないように調整して、部屋の中で暖炉で火を焚いて温めていた朱雀の家は、無事に冬を越すことができた。

 雪解けの頃にはずっと外で遊んでいなかった青慈が、そわそわとしていて、藍は青慈と紫音を連れて庭に出ることを決めたようだった。


「少しだけお散歩して来るわ」

「大黒熊が冬眠から覚める時期だから気を付けて」


 朱雀は気にしながらも、流石に家の庭までは大黒熊は入って来ないだろうと完全に油断して藍と青慈と紫音を送り出した。

 悲鳴が聞こえたのはそのすぐ後だった。

 途中だった調合も全て投げ捨てて、杏と緑に外に出ないように言って、朱雀は玄関から走り出た。庭の入口に大黒熊がいて、紫音を抱いた藍が、庭の入口の方に行ってしまっている小さな青慈を連れ戻そうと走っている。


「藍さん、紫音を連れて家に入って!」

「青慈が! 青慈がー!」


 巨大な大黒熊は乱食いの牙を見せながら、小さな青慈に食らい付こうとしている。

 バキバキと骨を砕いて肉を食む音。朱雀の中では青慈を拾ったときの光景が浮かび上がっていた。青慈の両親は大黒熊に食われて命を落とした。青慈もまた同じように命を落としてしまうのか。


「やー! めっ!」


 ぼごっと聞こえた音はなんだったのだろう。

 朱雀は自分の目が信じられなかった。

 青慈が飛び上がって大黒熊の顎を蹴り上げて、大黒熊の小山のような体が吹っ飛んでいく。


「しおたん、えんえんすゆ! めっよ!」


 大黒熊が怖いから紫音が泣いてしまう。それはいけないと大黒熊に言い聞かせているが、小さな青慈に蹴り飛ばされて転がった大黒熊は白目を剥いて血泡を吐いていた。

 近寄って確認すると、顎の骨が折れている。


「青慈……君は……」

「とーた! くまたん、めっ、ちたの」

「めっ、したのか……」


 普通の2歳児は「めっ!」したくらいで大黒熊を退けないし、小さな足が蹴り上げたくらいで大黒熊の顎の骨は折れない。何より、大黒熊の顎まで脚を蹴り上げること自体が難しい。


「もしかして、この子は、普通の子じゃないんじゃないだろうか」


 青慈は普通の子どもではなかった。

 そのことに、朱雀は出会って二年目にしてようやく気付いていた。

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