8.土砂降りの雨と風邪
青慈の両親のお墓参りに時々行くのは、朱雀には罪悪感があるからかもしれない。青慈の祖父母は、紫音の祖父母でもあり、紫音には母親もいることが分かっているのに、朱雀は青慈と紫音を本当の血縁の元に帰すことができない。二人とも朱雀にとっては可愛すぎて手放すことなどできないのだ。
青慈は将来は朱雀と結婚すると言っているし、紫音は将来は藍と結婚すると言っている。5歳児と3歳児の言うことだから信用はできないのだが、青慈と紫音と藍と杏と緑、全員が朱雀のそばにずっと暮らしてくれればいいと朱雀が思わない日はない。
妖精種の朱雀は人間の青慈や紫音や藍や杏や緑たちよりもずっとずっと長いときを生きていくのだろうが、千切れるほどに喪失感に襲われて嘆き悲しむ日が来るとしても、朱雀は青慈と紫音を手放す選択肢だけはなかった。
「ほんとうのおとうさん、おかあさん、まちでいっぱいちゅうしゃされたよ」
「青慈、報告することはそれでいいのかな?」
「おじたん、おばたん、ちっくん、いたかったの」
青慈と紫音は予防接種で注射を受けさせられていることが非常に不満なようだった。青慈の両親のお墓にまで報告している。
「あ……山の賢者様、紫音、青慈」
お墓の前で手を合わせていると、山を登ってやってきたのは紫音の母親だった。紫音を見て目を潤ませているが、無理に抱っこしたり、近寄ろうとしたりはしない。紫音が望まないことはしないと決めているようだ。
「私、結婚することになったんです」
「けっこん?」
「奉公に出る前から私を好きでいてくれた人がいて、旦那様との間に子どもを産んだと聞いても、気持ちは変わらないと言ってくれて……」
「おめでと」
紫音に祝福されて、紫音の母親は目頭を押さえている。
「いつかここにも連れてきます。紫音も抱っこされなくていいから、会ってあげてね」
「あうだけなら、いーよ」
紫音は恐らく母親を自分の母親と認識していないが、血縁だとは思っているのかもしれない。結婚相手を連れて兄夫婦の墓参りに来るという紫音の母親に、紫音は彼女の夫となる人物に会ってもいいと答えていた。
紫音の母親は麓の街で買ったであろう花束をお墓に供えて、手を合わせていた。紫音の母親が山を降りて行くのを見送って、藍が紫音を抱っこして、朱雀が青慈と手を繋いで家に帰る。
「あのひとには申し訳ないけど、紫音を渡すことはできないわ」
「紫音はもううちの娘だからね」
「私にとって、紫音のいない人生なんて考えられない」
藍と話していると、木々の間からぽつりと雨粒が降って来た。紫音の日除けの上着を頭から被せて守る藍と、走り出す朱雀と青慈。雨粒はあっという間に土砂降りの雨になって、朱雀と青慈と藍と紫音をびしょ濡れにした。
濡れて帰って来た青慈と紫音はすぐにお風呂に連れていかれて、朱雀と藍も順番にお風呂に入る。夏の雨なので油断していたが、身体の芯まで冷えてしまったようだ。温かなお茶を飲んで体を温めるが、青慈も紫音も洟を垂らしている。
垂れた洟を朱雀と藍で拭いているが、「くちゅん!」とくしゃみをして、また洟を垂らす青慈と紫音は風邪を引いてしまったようだ。
「風邪にすぐ効く薬っていうのはないんだよな」
「そうなの?」
「鼻水を止める、熱を下げる、喉の痛みを取るとか、それぞれの薬はあるけれど、風邪自体の薬はないんだ」
風邪というのは治すのが一番難しい病気なのだと朱雀が説明すると、青慈が青いお目目をうるうると潤ませる。
「おれ、しぬの……?」
「死なない! 青慈を私が死なせるわけがないだろう?」
「わたち、ちぬ!?」
「死なないよ、紫音」
衝撃を受けて震えている青慈と紫音を抱き締めると、体が熱いのが分かる。
「おとうさん、おれ、さむい……」
「あたまがいちゃいの」
薬を飲ませようとして調合した朱雀だが、青慈も紫音も飲んだはいいが、咳き込んで吐き出してしまう。本格的に調子の悪い二人を朱雀は寝台に寝かせた。寝室を出て行こうとすると、青慈が泣き声をあげる。
「いかないで、おとうさん……そばにいて」
夜も一人で寝ることが難しい青慈にとっては熱を出して風邪を引いている状態で紫音と二人きりというのは寂しいようだった。
「水筒にお茶を入れてくる。すぐに戻るからね」
「おとうさん、いっちゃやだ!」
ぐずぐずと泣きだした青慈の汗ばんだ黒い前髪を掻き上げて、朱雀は額に口付けを落とした。
「少しだけ待っていて。すぐに戻ってくるから」
「おとうさん……」
涙を堪えて薄い夏用の掛布団に包まって青慈が震えている。紫音は熱のせいが目が虚ろで、ぐったりとしていた。
水筒にお茶を入れて持って行くと、藍が部屋に来て紫音を抱き上げてお茶を飲ませている。お茶でも飲むと気分が悪くなるのか、紫音は咳き込んでいた。青慈には朱雀がお茶を飲ませる。
水分補給をしてしばらくは吐かないように体を起こしていたが、そのうちに二人とも寝台の上に倒れ込んで眠ってしまう。立ち上がろうとした朱雀は、上衣の裾を青慈が握っていることに気付いた。
「おとうさん……ふぇ……」
手が外れそうになると寝ていても泣いてしまう青慈に、諦めて朱雀はその場に残ることにする。
「藍さん、移転の箱の中身を確認して、魚が来ていたら代金を払って、下処理しておいて」
「分かったわ。青慈が早く治るといいんだけれどね」
藍に魚の下処理は任せて、朱雀は青慈を抱き上げて机から本を持って来て、積み上げて、青慈の寝ている寝台に腰かけて読むことにした。
静かな部屋の中で、雨が屋根を打つ音が響いている。青慈はずるずると洟を啜りながら寝ているし、紫音は鼻が詰まっているのか「ぴすー」と音を立てて眠っていた。薬が飲めていないのは心配だが、小さいので容体が変わるのも急だが、治るのも早いだろう。
病人食など作ったことがなかったので朱雀は本で料理を調べた。
夕方には目を覚ました青慈と紫音はまだ洟を垂らしていたが、熱は下がったようだった。
「何かお腹に入れてからお薬を飲まないといけないね」
「おとうさん、おなかがすいた!」
「おとーたん、ぺこぺこ」
お昼ご飯もおやつも食べていない青慈と紫音はお腹を空かせていた。
「魚は指示通りにお刺身にするものはしてみたし、干物も挑戦してみたわ。お刺身は切るのが下手でも許してね」
今日は鯛が入っていたようで、藍はそれを三枚おろしにしてお刺身にしてくれたようだ。
「鯛茶漬けにしよう」
「たいちゃづけ、なぁに?」
「鯛のお刺身の上に、お出汁で味を付けたお茶をかけるんだよ」
「おいしそう!」
鯛茶漬けの分からない紫音と、美味しそうだと目を輝かせる青慈に、朱雀は鯛茶漬けの準備をした。鯛の刺身は摺りごまと醤油で漬けておく。お出汁でお茶を入れて、少しの塩で味を調える。
熱々のお出汁で入れたお茶が摺りごまと醤油で漬けた鯛のお刺身を乗せたご飯の上に注がれる。透き通っていた鯛のお刺身が、煮えて白くなって反りかえるのがいかにも美味しそうだ。
「いただきます!」
「いたらきまつ!」
手を合わせた青慈と紫音は、ふうふうとほっぺたを真っ赤にしながら吹き冷まして鯛茶漬けを食べていた。吐き気ももう治っているようで、食べ終わったら薬も飲むことができた。
食後に着替えさせて寝台に青慈と紫音を戻してから、藍と杏と緑と自分の分も朱雀は鯛茶漬けを作った。刺身にできる鯛を摺りごまと醤油で漬けたものが、お出汁で入れたお茶によく合ってとても美味しい。
「藍さんは魚も捌けたんだな」
「朱雀さんのを見様見真似よ」
「私にも魚の捌き方を教えて」
「私も知りたい」
何でもできるとは思っていたが、藍は魚も捌けたようだ。杏と緑もやり方を知りたがっているので、そのうち教えなければいけないだろう。
お腹いっぱい食べて、薬も飲んでぐっすり眠った青慈と紫音は、次の日にはすっかりと元気になっていた。




