4.摘まみ細工の少女
杏と緑の家が整った初夏に、一人の客が二人の元を訪れた。その客の要望に応えることができなくて、杏と緑は朱雀を呼びに来たのだ。
青慈と紫音も興味津々で客が通された部屋を覗いている。
真剣な表情で椅子に座っているのは、年の頃は12歳くらいの学校を卒業したばかりの少女だった。裾の長い上衣の膝の上で拳を握り締めて、俯いて思い詰めた表情をしている。
薬を売るのは完全に杏と緑に任せていたから、朱雀が出る幕もないだろうと思っていたが、その少女は特別な魔法薬を求めているようだった。
「大人になりたいんです」
少女の言葉に、青慈が覗いていた扉から身を乗り出して、転んで部屋の中に入ってしまう。紫音が青慈に手を貸して立ち上がらせていた。
「おとなになりたい! おれとおなじ!」
「青慈、お客様だから、違う部屋で遊んでいて」
「おれも、そうだんききたい!」
「わたちも!」
話が聞きたくてたまらない興味津々の青慈と紫音に、少女はふっと笑みを零した。緊張していたのが解けたようだ。
「好きなひとがいるんです。ずっと年上のひとで……そのひとを振り向かせたい」
まだ幼すぎて年上のひとの恋愛対象になっていないことを気にしている少女は、外見だけでも大人の姿になって、好きなひとを振り向かせたいと願っていた。
「急いで大人になることはないんじゃないかな」
「私以外の相手に取られちゃうかもしれないんです……あのひと、花街の用心棒をしているから」
花街の用心棒をしているひとに少女は惚れたのだと話してくれた。大きな街の花街の近くに少女は住んでいて、花街の遊女たちに飾り物を届けることがある。そのときに用心棒だった彼は少女を助けてくれたのだという。
「女性みたいな着物を着て、女性みたいな喋り方をしているけれど、それは花街の雰囲気を壊さないためで、あのひとがすごく強くて格好いいのを私は知っています」
「あなたは何をして暮らしているのかな?」
「代々飾り物の職人の家系で、花街の遊女さんや、お客さんは、みんなご贔屓にしてくださってます」
摘まみ細工やガラス玉で髪飾りや帯飾りを作っているという少女は、持っていた大きな鞄の中からお金の入った袋と、細長い箱を取り出した。箱の中には見事な摘まみ細工の紫の花の髪飾りが入っている。
「私が作った中で一番よくできた摘まみ細工です。これと、今まで働いたお金を全部持ってきました。これで、魔法薬を作ってください」
魔法薬を作って欲しいと真剣に言う少女に、朱雀は困り顔になる。
「魔法で外見だけ年齢を上げたところで、中身は同じなんだよ? 相手が気付いたら魔法は解けるけど、気付くまでは解けない。つまり、ずっと魔法が解けない可能性もある」
「それでも構いません」
「おはな! きれーね! わたち、これほちい!」
「紫音は落ち着いて。まだ交渉が終わってないから」
「あおいおはなもつくれる?」
「青いお花も作れます」
朱雀と交渉しているはずなのに、器用に椅子の上に登って来た紫音が少女と話している。このままではなし崩しに作ることになりそうだと朱雀が身構えたときに、玄関の方が騒がしくなった。
玄関から女物の着物を羽織った、長身の男性が入ってきている。
「アナタ、何考えてるの?」
「嘘っ!? どうしてここに!?」
「思い詰めた表情で娘が出て行ったから、探してくれって、ご両親にたのまれたのよ。足取りを追ったら、大黒熊除けの匂い袋を買ったって聞いたから、山の賢者のところにいこうとしてるんだとすぐに分かったわ」
「私は大事な話をしてるんです! 外に出ていてください」
「どんな魔法薬を買おうとしてたの? 魔法で解決することなの?」
男性に問いかけられて、少女は黙って俯いてしまう。そこへ紫音が椅子から飛び降りた。
「わたちとちょーぶちて!」
「え? アタシが?」
「わたちがかったら、おねたんとけっこんちるの! わたちはおはなをもらうの!」
「紫音!?」
自分の太ももくらいの背丈しかない3歳児に勝負を挑まれて、男性は戸惑っているようだった。青慈がそこに割って入る。
「ようじんぼうだったなら、しおんちゃんのことなんて、たおせちゃうはずでしょう?」
「危ないから勝負なんておやめなさい。なんで、アタシとお嬢さんの結婚の話になってるのかしら? お嬢さんもアタシとなんか、ご迷惑よ」
「迷惑じゃないです! 好きなんです!」
「え!?」
意を決した様子で顔を上げた少女の告白に、男性は戸惑っている。
「ちょーぶちて! おもてにでなたい!」
「いや、勝負なんて危ないから……」
「しおんちゃんがかったら、あのおねえさんのこくはくをしんけんにうけいれて!」
紫音と青慈に引き摺られるようにして男性が外に連れ出される。朱雀は止めようと杏と緑の家から出たが、庭では既に紫音と男性が見合っていた。
「てやー!」
「え? え? うわー!?」
突進してきた紫音に足に突撃されて、男性が地面の上に倒れている。倒れた男性に馬乗りになって、紫音が拳を振り上げる。
振り上げた拳を走り込んだ青慈が掴んで止めた。
「しおんちゃん、やりすぎはよくないよ」
「あ、ごめちゃい」
拳を振り下ろしていたら男性の骨がどこか折れていたのではないかと心配する朱雀は、大人しく青慈に手を引かれて男性の上から降りた紫音の姿に胸を撫で下ろしていた。誇らし気な顔で紫音は少女に手を出している。
「おはな、くだたい」
「お花はあげるけど……」
これが本当に勝負として成り立っていたのか。それを案ずる少女に、立ち上がった男性は土を払って苦笑していた。
「お嬢さんに好かれるなんて光栄だわ。私でよければ、お嬢さんが18歳になるまで気持ちが変わらなければ、また申し込みに来て。それまでは私は独り身でいるわ」
「本当ですか?」
「負けちゃったもの、仕方がない……っていうのは言い訳ね。こんなにもはっきりひとから好きって言われたのは初めてよ。私も愛されることがあるんだと嬉しかった。だから、お嬢さんが大きくなるまで待つわ」
男性の言葉に少女は涙を目にいっぱい溜めていた。
魔法薬の必要はなく、解決したのは紫音だったので、朱雀は少女にお金を返した。少女は摘まみ細工の紫色の花の髪飾りを紫音に渡していた。
「青いお花も出来上がったら持ってくるわ。ありがとう、小さな聖女様」
「あい、わたち、せいじょたま!」
紫音が聖女で青慈が勇者だということは知れ渡っているのだろう。山の賢者の元には勇者と聖女がいる。まだ小さな二人だが、魔王を降伏させてこの国を救ったことは国中に知れ渡っていた。
仲良く手を繋いで帰って行く男性と少女を見送って、朱雀は青慈と紫音におやつの用意を始めた。
卵を卵白と卵黄に分けて、卵白を泡立てて、卵黄と砂糖と小麦粉を混ぜたものにさっくりと泡を潰さないように入れていく。混ぜ終わると焼いて、異国のお菓子の書いてある本のふわふわパンケーキとやらを作り上げた。
ふわふわに焼けたパンケーキをそれぞれのお皿に乗せて、蜂蜜と生クリームをかけていただく。紫音は牛乳、青慈は牛乳の入ったお茶を飲んでいた。
「ふわふわでおいしい!」
「こえ、なぁに?」
「パンケーキっていうんだって」
「ぱんけーちおいちい」
箸で簡単に切れるパンケーキを青慈は器用に食べている。いつの間にか青慈の箸使いも上手になっていた。紫音は匙で掬って食べていた。
藍も杏も緑も美味しそうにお茶と一緒に食べている。最近は藍が紅茶に凝っているので、みんなで紅茶を淹れてミルクを入れて飲んでいた。
「今日は紫音が大活躍だったわね」
「あいたんのあおいおはなも、もらえるよ」
「青いお花は、私にだったの?」
「あいたんと、おとろいにちたかったの」
藍とお揃いの摘まみ細工の花を手に入れるために、紫音は花街の用心棒の男性に勝負を挑んだ。紫音にはそういう手段を選ばないところがあるのだと、朱雀は理解しておかなければいけなかった。
「あいたん、おとろいちよーね」
「嬉しいわ、紫音」
口の周りを真っ白にして牛乳を飲む紫音の口の周りを拭きながら、藍は微笑んでいた。




