3.盗まれた牛乳
朱雀の家の氷室は台所の隣りに設置してある。小さな倉庫のようなそこに、冷蔵するものや冷凍するものを入れておいて傷まないようにしているのだ。
氷室の扉は鉄製で頑丈で重い。子どもが間違えて氷室に入ってしまわないように、青慈と紫音の手の届かない位置に簡単な閂もかけてあった。
台所で杏と緑と調合をしていると、氷室の方でぱたんという音がして嫌な予感がして朱雀は氷室の方に向かった。氷室の上の方につけている閂が外れて壊れている。扉を開けると、氷室の中で紫音がカタカタと寒さに震えながら口の周りを真っ白にしていた。足元に牛乳の入っていた瓶が空になって転がっている。
「紫音、勝手に入っちゃいけないよ。こんなに冷え切って」
慌てて紫音を抱き締めた朱雀は、風呂場に紫音を連れて行って暖かなお湯で紫音を温める。季節は春といっても、山の奥の家はまだ涼しい。風が吹くとひんやりするくらいなのだ。
しっかりと温まって、口の周りの白いのも洗った紫音は新しい服を着せられて、しょんぼりとしていた。氷室を点検している杏と緑が大声を上げている。
「牛乳がもうないわ!?」
「まだたくさんあると思ったのに」
牛乳を盗み飲みした犯人は朱雀には分かっていた。紫音の口の周りについていたのは牛乳に違いなかったのだ。
「紫音、牛乳が飲みたいなら、私や藍さんや杏さんや緑さんに言いなさい。自分一人で氷室に入ってはいけないよ」
「にゅーにゅー、のみたかったの」
「料理に使う場合もあるから、全部飲んではいけないよ」
「おいちいから……あ、おなかいちゃい!」
牛乳を飲み過ぎたのか紫音はお腹を押さえている。話を聞きつけた藍が、紫音を小脇に抱えてお手洗いに連れて行っていた。
「牛乳は飲み過ぎるとお腹を壊すからねぇ」
「紫音もお腹を壊しちゃったかしら」
牛乳を大量に飲んだことがなかったので朱雀は知らなかったが、牛乳は飲み過ぎるとお腹を壊してしまう飲み物のようだった。紫音は牛乳を飲み過ぎてしまったようだ。お手洗いで藍に縋って泣いている声が聞こえる。
「おなか、いちゃいの」
「なんでも食べ過ぎ、飲み過ぎはよくないのよ。紫音、もう牛乳を盗み飲みしちゃダメよ?」
「あい、ちない」
泣きながら紫音は反省したようだ。これではお昼のおやつの時間にお茶に牛乳が入れられないと朱雀は居間に設置した箱に手紙を入れて酪農農家の家族に牛乳を送ってもらうように手配した。
大好物の牛乳だが、飲み過ぎるとお腹を壊すのだと紫音はしばらくお手洗いから出ることができず、学習したようだった。
大人が四人いても、紫音が本気になれば氷室に入ることを止めることはできない。氷室は中から開けることが難しく、閉じ込められると真っ暗で寒くて、小さい子どもには非常に危険だ。閂をかけていたので平気だと思っていたが、それを壊してしまうだけの腕力が紫音にはあった。
「紫音と、青慈、大事なお話がある」
「おとうさん、なぁに?」
「ごめんなたい……」
無邪気に青慈は問いかけているが、お手洗いからやっと出て来ることができた紫音は涙目でぷるぷる震えて反省していた。
「氷室はとても危険な場所だから、大人と一緒のときしか入っちゃいけないよ」
「うん、わかってるよ」
「青慈はいい子だね。紫音、もう入っちゃダメだよ?」
「あい、はいらない……にゅーにゅーのみたかったの……」
入らないとは言っているが、紫音は牛乳を飲みたくてたまらなかったようだ。喉が渇いても紫音は飲み物を誰かからもらわないと飲むことができない。それは小さな子どもにとってはかなりの困りごとなのではないだろうか。
小さいとしても喉が乾く瞬間はいつ来るか分からない。藍は小まめに喉が渇いていないか気を付けてはいるが、それ以外の瞬間にも、紫音が飲み物を飲みたい気分のときはあるだろう。
「どうすればいいのかな……」
「私、学校に行っていた時期は水筒を持たされていたわ」
「水筒?」
「小さな子どもでも自分で飲めるようにお茶やお水を中に入れておくものよ」
水筒の存在を知らなかった朱雀は、麓の街に雑貨屋に行ってみた。水筒の話をすると、雑貨屋の母親は色々な水筒を取り出してくれる。
「魔法具は基本的に売ってないんだけど、これだけは別よ。冷たさを保持する魔法がかかっているの」
「どうして水筒だけ?」
「子どものお茶や飲み物が悪くならないように、要望がくるのよ。それで、水筒は魔法がかかっているものを仕入れているの」
小さい子どもは飲んだお茶や水が傷んでいても自分で言うことができない。気付かない場合もある。乳幼児は些細なことでもすぐに死んでしまうので、母親たちも敏感になっているのだ。
「ミルクを作るときのお湯も入れられて便利なんだよ」
「熱いのも保持できるのか」
説明を聞いて、朱雀は青慈と紫音の分の水筒を買った。藍と杏と緑も、それぞれ自分の分の水筒を買っている。
「大きな街に行くときなんか、飲み物を自由に飲みたかったのよね」
「あると助かるわよね」
「うちは魔法のかかった水筒なんて買ってもらえなかったけど、やっぱりお役立ちだわ」
藍と杏と緑も自分たちで自由な時間にお茶を淹れられるが、すぐに飲めない状況に不便を感じていたようだった。
青慈と紫音のがま口に水筒を入れてやると、二人ともお目目を輝かせている。
「これ、おとうさんのいれてくれたおちゃをいれられるの?」
「冷やして入れようか」
「にゅーにゅー、いれられる?」
「紫音は牛乳が好きだな。入れられるよ」
朱雀の淹れたお茶を水筒に入れたいと願う青慈と、牛乳を水筒に入れてもらいたい紫音。青慈と紫音が自分の飲みたいときに水分補給ができるのは悪くないと朱雀も考えていた。
水筒を買ってから、朝ご飯が終わると藍と杏と緑は自分の水筒に入れるお茶を用意して、青慈と紫音は水筒にお茶と牛乳を入れてもらうように台所の朱雀の前に並んだ。朱雀は青慈には牛乳の入った甘い香りの冷たいお茶を、紫音には牛乳を水筒に入れてあげる。
水筒をがま口に入れると、青慈と紫音は朱雀にお礼を言って、藍と一緒に庭に遊びに出る。藍も自分の小さな鞄に水筒を入れていた。
朱雀が薬草の収穫のために庭に出ると、濡れ縁で青慈と紫音が水筒から牛乳の入ったお茶と牛乳を飲んでいて、その隣りで鎧を着た大根とドレスを着た人参が優雅に栄養剤の瓶の蓋を開けて飲んでいる。
杏と緑の家兼店の前の庭では、二人が畑を耕していた。種まきには少し遅い時期にはなるが、まだ間に合う。
「あんたん、みろりたん、おてつだい、すゆ」
「おれもてつだうー!」
牛乳の入ったお茶と牛乳を飲み終えた青慈と紫音がそちらに走って行く前に、藍に捕まえられた。二人とも口の周りが牛乳で白くなっていたので、藍が丁寧にそれを拭く。
「とってもいい男と、可愛い女の子だわ」
「ありがとう、あいさん!」
「あいがちょ、あいたん。すちよ!」
お礼を言って青慈も紫音も杏と緑の畑の世話を手伝う。
杏と緑の家は内装だけで、外装はすっかりと出来上がっていた。
「種を撒いた畝に水をかけてくれる?」
「おみじゅ! かけう!」
杏にお願いされて紫音が金魚の柄の如雨露を持ってくる。青慈は手桶にたっぷりと水を汲んで、自分の下半身くらいの高さはある手桶を軽々と持ち運んでいた。
「朱雀さん、今回は基本の薬草を植えようと思うんだけど、それ以外に植えておいた方がいいものはある?」
隣りの敷地の畑から緑が大きな声で聞いてくるのに、朱雀は収穫を終えて杏と緑の元へ行った。二人が植える薬草を確認して、他にどれを植えればいいか助言する。
「こっちの薬草は怪我によく効くから、売れるよ。こっちは解熱鎮痛薬になる。どっちも、手軽でよく買われてる」
「それだと、麓の街の薬屋さんでも売ってるんじゃない」
「確かにそうだな。マンドラゴラを植えてみるか?」
「種を分けてくれるの?」
杏と緑のためならば、希少なマンドラゴラの種を分けることも朱雀は全く気にならなかった。
「これが蕪で、これが大根で、これが人参」
「ありがとう、植えてみるわ」
「マンドラゴラの収穫のときには助けてね、青慈、紫音」
「うん、たすけるよ!」
「まかてて!」
声をかけられて誇らし気に青慈と紫音が胸を張っている。
秋には賑やかに収穫が行われそうだった。




