28.紫音の母親と国王の命令
青慈の両親のお墓に魔王を退治したことを報告に行ったのは、雨が上がってからだった。お昼ご飯の後のお昼寝からすっきり目覚めた青慈と紫音は、お手洗いに行って外で遊ぶために靴を履いていた。雨が上がったので庭はぬかるんでいるが、外で遊ばせないと青慈と紫音が体力を持て余すことは育てて来た藍ならば分かっている。
どうせならば青慈の両親のお墓参りに行こうと提案したのは朱雀だった。
「青慈が無事に魔王を倒せて、この国も平和になりましたって報告に行こう」
「ほんとうのおとうさんと、おかあさん、まぞくにころされた」
「もうそんなひとがでないように、青慈と紫音が頑張ったことを伝えよう」
「うん、つたえる」
「とーたん、かーたん」
「しおんちゃんのおとうさんとおかあさんじゃないよ」
「なぁに?」
「えっと、なんだろ?」
青慈は自分の両親が紫音の両親と違うことは分かっているが詳しくどう違うのかまでは説明できない。
「青慈のお父さんは紫音のお母さんのお兄さんなんだ。だから、青慈のお父さんとお母さんは、紫音には伯父さんと伯母さんだね」
「おじたん、おばたん」
細かく朱雀が教えると、紫音は納得したのかしてないのか、小さく呟いて頷いていた。お墓のある場所までの道を歩いて行くときに、青慈と紫音が野に咲いている花を摘むのはすっかり習慣になっていた。摘んだ花はお墓に供えるのだ。
山の中腹の方でほとんど人が来ることはない場所だが、その日は先客がいた。
黒髪に紫の目の若い女性だ。髪の毛がふわふわくるくると癖毛で、紫音とどこか似ている。その女性は紫音を見て息を飲んだ。
「その子は紫音ですか? 私は紫音の母親です」
青慈と紫音の祖父母にこの墓の場所は知らせていたので、いつか来るだろうとは思っていたが、平和になったとたんに現れた紫音の母親に、朱雀は警戒心を胸に潜める。藍も身を固くして紫音を抱き締めている。
「この子は紫音ですが、何か?」
「兄と兄の奥さんの墓参りに来ていました。この山に置いておけば優しい賢者様が育ててくださると思っていたけれど、こんなに大きくなって……」
紫音の母親の紫音とよく似た紫色の目からほろほろと涙が零れる。近付こうとする母親を、紫音は拳を握って威嚇している。
「奉公先で旦那様との間に子どもができてしまって、兄は奥さんと子どもと一緒に行方不明になって、両親に助けを求めることもできず、どうしようもなかったのです。紫音という名前を付けてもらって、可愛がってもらっているのは、聞いていました」
紫音の母親が涙ながらに言うのを、紫音は恐らくは理解していない。
「あいたん、どうちて、あのひと、ないてるの?」
「紫音に会えて嬉しいからよ」
「わたち、うれちくないよ?」
素直な3歳の感想を聞いても、紫音の母親は衝撃を受けたりしなかった。
「一度だけ、紫音を抱っこさせてくれますか?」
「紫音、あのひとに抱っこされる?」
「やーの! ちらないひと、やーの!」
「ごめんなさい、紫音が嫌がっているようですから、抱っこは諦めてください」
藍が丁寧に対応すると、寂しそうにしながらも紫音の母親が微笑む。
「母親であろうとも、紫音の嫌なことはちゃんと尊重してくださるのですね」
「それは、紫音はお人形でもなんでもない、一人の人格ですから」
「よかったです。これならば、国王陛下が勇者と聖女を利用しようとしても、あなた方が応じることはないのでしょう。紫音は青慈と一緒に幸せに暮らしていける。それを見られただけでも幸せです」
頭を下げる紫音の母親に、紫音が藍の抱っこから飛び降りてぽてぽてと歩み寄る。じっと紫音の母親を見て、紫音は小さな右手を差し出した。
「だっこ、やーの。でも、あくちゅ、いーよ?」
「握手してくれるの? ありがとう」
小さな手を握って母親は涙を流していた。無理やりに紫音を抱っこしようとしなかったことで、紫音も警戒が解けて握手くらいは許してもいい気持ちになったのだろう。
「また墓参りに来てもいいですか?」
「紫音にも会いに来てください」
朱雀が言えば、紫音の母親は涙を拭きながら頷いて山を降りて行っていた。
青慈と紫音の祖父母も無理やりに二人を取り返そうとするようなこともなかったし、二人に言い聞かせられているのか、紫音の母親も紫音を無理やりに取り返すことも、抱っこすることもしなかった。
奉公先の主人と関係を持ってしまったという紫音の母親だが、使用人と主人という立場で断れないことがあったのかもしれない。自分の意思を無視して孕まされた子どもだとすれば、あの母親も被害者に違いなかった。
「紫音を堕胎しようと考えなくてよかったわ」
「だたい、なぁに?」
「紫音が生まれてなかったかもしれないってことよ。大事な紫音が生まれていてよかった」
「あいたん、わたち、あいたん、だいすち」
「私も紫音が大好きよ」
抱き締め合っている藍と紫音の姿に、母親と子ども以上の繋がりを感じる。紫音はすっかりと藍のことが大好きになっていて、藍以外の乳母は受け入れないだろう。藍の方も結婚はもうこりごりだと思っているだろうから、紫音だけを可愛がるに違いない。
「とーたん、あのねぇ、おくつり、ほちーの」
「紫音、何のお薬が欲しいんだ?」
居間で藍が青慈とお絵描きをしている間に、抜け出してきた紫音に晩ご飯を作っていた朱雀は足元にすり寄られて話を聞くために腰を曲げて視線を合わせていた。兎の白の成長が心配なのか、それとも何か怪我をしたのか。
真剣に聞いていると、紫音が身振り手振りを合わせて説明する。
「あいたんが、おばあたんにならないようにする、おくつり」
「え? そんなものを、誰が教えたんだ?」
「あんたんと、みろりたん」
不老不死の魔法薬は開発に成功したものはまだいない。ただし、不老長寿の魔法薬に関しては様々な調合師が開発しようとしている。それだけひとの生き死にに関わる出来事というのは市場が大きいのだ。
多少寿命の伸びる薬は今のところ開発されているようだが、もっと強い百年以上も若い姿で生きるような不老長寿の薬については、調合師の中でも邪法として禁じられていて、作ることは許されていない。
聖女と勇者ならば使うことを許されるのかもしれないが、朱雀は紫音と青慈に普通の人間よりも長いときを生きることを求めていなかった。長く生きることが必ずしも幸せだとは限らないと、朱雀は妖精種という種族として知っている。
この山に住み始めてから二百年以上経つが、麓の街の人々も入れ替わった。こういう経験をずっとして、移り行く命を見守らなければいけないというのは、幸せなことだけではない。大切なひとができたときに、自分より先にそのひとが死んでしまうのを見届けなければいけない場面もあるのだ。
「紫音、そのお薬は作れない」
「どうちて?」
「紫音がもう少し大きくなったら分かるよ。死なないことだけが幸せなわけじゃないんだって」
「わたち、あいたんとけっこんちたいの!」
必死に言う紫音に、青慈も朱雀と結婚したいと言っていたことを思い出す。青慈もいつか朱雀よりも先に死んでしまう。勇者と言えども青慈もそれは人間と同じだ。天使のように可愛く、愛しい青慈の死を見届けることに関して、朱雀は心が壊れてしまわない自信はなかったが、それでも、青慈に不老長寿の妙薬を使う気にはなれなかった。不老長寿の妙薬を使い続けて、朱雀と同じだけの時間を青慈に生きさせるのは、ただの朱雀の我が儘でしかない。
「国王陛下から、命令書が届いていたんだよな……」
届いたのを確認した瞬間に握り潰してしまったが、国王陛下からは魔王を抑制できる勇者と聖女を山の賢者と共に暮らすことを許す代わりに、不老長寿を与えるようにという命令書が届いていた。冗談ではないと握り潰したが、それだけ国王陛下も青慈と紫音の価値を認めているのだろう。
魔族も妖精種と同じくらい寿命の長い種族だと聞いている。勇者である青慈と聖女である紫音が年老いて亡くなった後もこの国に有意な条件で結んだ和平を続けるためには、勇者と聖女の存在がどうしても必要になる。
今いる勇者と聖女が優秀ならばその命を長らえさせるのが一番だと国王は判断したようだ。
「お薬は作れない」
「ぶえええ……びえええええ」
断ると足元に縋り付いて紫音が泣き出す。泣き出した紫音に気付いて、藍が駆け寄って紫音を抱き上げる。
「紫音、どうしたの?」
「私が紫音のお願いを断ってしまったんだ」
「朱雀さんが断るんだから、無理なことを言ったのね。兎がもう一匹欲しかったの?」
「ぢがうー! おぐづりー!」
「お薬?」
泣いている紫音を宥める藍は不思議そうな顔をしているが、自分が不老長寿の魔法薬を紫音に飲まされようとしているとは気付いていないだろう。伝えない方がいいかと理解して、朱雀はそれ以上説明はしなかった。
宥められて紫音は椅子に座ってお絵描きを始める。
紫音がどれだけ泣いても、朱雀は不老長寿の妙薬を作るつもりはなかった。




