11.青慈の成長
朝起きたら青慈のオムツが濡れていなかった。
大喜びで飛び跳ねて青慈が朱雀に抱き付く。
「せー、おおちくなった! けこんちよ!」
オムツが取れたら結婚できると信じ込んでいる青慈に否定をしなかったのはよくなかったが、流石に3歳児と結婚することはできない。寝ている間に偶然漏らさなかっただけで、また漏らしてしまったら青慈は落ち込むのではないだろうか。
「青慈、3歳で結婚はできないよ」
「けこん、でちない!?」
衝撃を受けている青慈に優しく諭す。
「青慈の世界はまだ狭い。青慈が6歳になったら青慈は麓の街の学校に行く。そうすれば青慈の世界も広くなるだろう」
「がっこーいかない」
「学校には行かないといけないよ」
「おとーたんとべつべつ、いや!」
ずっとこの家にいると主張する青慈に、朱雀は困ってしまう。
「がっこー、なにすゆ?」
「字を教えてもらったり、計算を教えてもらったり、運動を……運動を!?」
そこで朱雀は気付いてしまった。青慈は勇者である。2歳の時点で大黒熊の顎を蹴り上げて砕くほどの腕力があった。6歳で麓の街の学校に通うとすれば、それまでに力の制御を覚えなければいけない。そうでないと同年代の子どもと一緒には過ごせない。
たった6歳の子どもが力の制御などできるものだろうか。麓の街の学校に行かせない方がいいのではないだろうか。
真剣に考えている朱雀に、青慈も言う。
「がっこー、いかないよ! おとーたんといっとにいゆ!」
「行かせない方がいいのだろうか……」
6歳といえば同級生と一緒に過ごす中で喧嘩をすることもあるだろう。喧嘩で相手に大怪我を負わせてしまったら、朱雀も責任を取ることができない。保護者としてできる限り青慈にそんなことをさせないように教育しないといけないのだろうが、勇者の力というのは計り知れない。年々力を増していくのならば、制御も難しくなってくるのではないか。
「しおたんもいかない、ね?」
「うー」
赤ん坊用の柵付きの寝台の中で目を覚ました紫音に、背伸びをして寝台の中を覗き込んで話しかける青慈に、紫音がもぞもぞと気持ち悪そうに手足を動かしている。オムツが濡れているのだろうと中を見ると、おしっこだけでなくウンチもしていた。
風呂場に連れて行ってお尻を洗って、着替えを終えると、藍が居間に来ていた。着替えさせた青慈と紫音を藍に預けて、朱雀は自分も着替えて来た。前掛けを腰に巻いて台所に入って朝ご飯を作る。土鍋でお米を炊いて、味噌汁を作って、卵を焼いていると足元にやってきた青慈と紫音がおままごと道具で料理のまねごとを始める。
「紫音、青慈、喉が渇いてない? 麦茶を飲みましょうか?」
「のむー!」
「あい!」
麦茶がもらえるとなると、おままごと道具を投げ捨てて青慈と紫音は居間の藍のところに駆け寄って行った。青慈はもう自分で子ども用の小さな湯呑を持って飲めるようになっているし、紫音も藍が湯呑に手を添えると哺乳瓶でなくても零しながらだが飲めるようになっていた。
「おなかちーたねー」
「ねー」
「しおたんの、じんじんたんをかじっちゃうぞー!」
「めっ! やー!」
両手を持ち上げてふざけて紫音の人参を取ろうとする青慈に、紫音が一生懸命自分の後ろに人参を隠す。
「あむ!」
「あ! だいこんたんたべちゃめっ! じんじんたんたべないから!」
紫音の方も負けずと歯をむき出して青慈の大根に噛み付こうとする姿に、青慈が白旗を上げた。仲良くじゃれ合っている兄妹を藍は暖かく見守っている。
「あいたん、せー、おとーたんとけこん、でちないって」
「朱雀さんが断ったの?」
「せー、おむつにちっち、してなかったの」
今朝はオムツにお漏らしをしていなかったことを報告すると、藍が青慈を抱き上げる。
「すごいじゃない! 青慈、成長したわね!」
「あいがちょ。おとーたん、けこんちないって。せー、がっこー、いきたくないの」
学校に行ってから世界を広げろと言ったことを青慈なりに藍に伝えているつもりなのだろうが、青慈の言葉が足りていないので、藍に伝わっているか分からない。青慈はもじもじとして膝を擦り合わせて、お尻を振っている。
「せー……おとーたんとべつべつ、いやなの」
「そうよね。その前に、青慈はお手洗いに行きましょうか」
「え?」
「お話は後で聞くから」
膝を擦り合わせてお尻を振っているのはお手洗いに行きたいからだと、藍は青慈のことをよく分かっているので気付いていた。お手洗いに行って用を足してから藍と青慈の話は再開される。
「がっこー、いや」
「青慈、学校には行った方がいいわよ」
「あいたん、どうちて?」
「朱雀さんと結婚するためには、ちゃんと勉強した賢い大人にならなければいけないわ。そのために、学校に行くの。学校でたくさんのことを学んだら、朱雀さんとの結婚に近付くわ」
「がっこー、いったら、けこんできゆ?」
「学校を卒業してから、もっと勉強しなければいけないけれど、結婚への第一歩になると思うわ」
藍の説明に青慈は真剣に考えていたようだ。「がっこー」と呟きながらこくこくと自分で頷いて納得している。
「せー、おとーたんとけこんちるために、がっこーいく」
朱雀では説得できなかったことを藍が説得で来てしまった現場を台所から見ていて、朱雀は首を傾げていた。どうして自分と青慈が結婚する前提で話が進んでいるのか分からない。
青慈は朱雀と結婚するために学校に行くと言っているし、藍も学校に行かなければ朱雀と結婚できないと青慈を説得していた。何かがおかしいと思うが、出来上がったご飯とお味噌汁と卵焼きを卓上に並べていると、杏と緑も離れの棟から母屋の今にやってきていた。
離れの棟とは繋がっているので雨が降っていても濡れることなく移動できるのだが、今日は幸い晴れていた。晴れていても最近は暑いのであまり青慈と紫音を外で遊ばせない。外で遊ばせるときには濡れ縁で日差しを受けないように気を付けている。
「おはようございます。お腹空いたー」
「卵焼き綺麗に巻けてる」
「昨日食べたお漬物、まだ残ってる?」
「あれ、私も食べたい」
杏と緑に頼まれて朱雀は漬物も出して切った。
朝ご飯を全員で揃って食べていると、青慈が杏と緑に宣言している。
「せー、おとーたんとけこんちるために、がっこーいくの」
「学校に行くのはいいことよ」
「私も学校では色んなことを教えてもらったわ」
「字が読めるようになったのも、計算ができるようになったのも、学校のおかげよ」
杏と緑にも言われて青慈は小さな頭をこくこくと頷かせて聞いている。ほっぺたに米粒が付いていて、朱雀はそれを摘まんで口に入れた。もぐもぐと食べていると、青慈がじっと朱雀を見詰めている。
「おとーたん、けこんちようね」
「え? それは……青慈が大きくなってから……」
「おおちくなったら、けこんちようね」
無邪気な笑顔で言われてしまって朱雀は拒絶できなくなってしまう。
朝ご飯を食べ終わると、杏は食器を片付けてくれて、緑は庭の畑に水やりに行ってくれる。朱雀も庭に出ようとすると、青慈が靴を持って待っている。
「はかてて」
「う!」
紫音も靴を握り締めてぐいぐいと押し付けて来るので、紫音は藍に任せて、朱雀は青慈に靴を履かせた。靴を履いた青慈と紫音は元気よく庭に出て行く。濡れ縁で遊ぶように言っているのだが、畑の世話を手伝いたがる青慈と紫音は緑が水を上げているところに突進していっている。
「みどりたーん! せーもすゆー!」
「みー!」
手伝いたがる青慈と紫音のために可愛い小さな金魚の如雨露を用意しているのだが、それに水を汲んで二人ともしっかりと持って畑に水をやっている。遅れて来た藍が、びしょ濡れになった紫音を見て、苦笑していた。




