1.天使を拾った日
褐色の肌に銀色の髪、燃えるような赤い目の朱雀は、人間ではなかった。人間よりもはるかに長い年月を生きる妖精種と呼ばれる種族で、そのほとんどが美しく整った容姿とほっそりとした妖精らしい体付きをしているのに対して、朱雀は少しばかり背が高くて、体付きも細いだけではなくしっかりと筋肉がついていた。
魔法も苦手で、肉体強化の魔法がなんとか使える程度で、朱雀のことを周囲の妖精種たちは馬鹿にして妖精種の村から一人出たのは成人を直前にした頃。それからずっと朱雀は人里離れた山奥で一人で暮らしていた。
時折降りて行く麓の街では、朱雀に興味を持った男性や女性が朱雀に声をかけて来ることがあったけれど、朱雀は一人の暮らしが好きだったので全てお断りしていた。隠居暮らしが続いて二百年ほど経ったある日、朱雀は山の中で天使に出会った。
赤子用の寝かせるための籠の中に入っている黒髪に青い目に白い肌の赤ん坊は、天使と見紛うばかりに愛らしくて、朱雀はその子に夢中になってしまった。そばではこの山に住む巨大な大黒熊がその子の両親らしき亡骸を食い荒らしている。
大黒熊の首をひねって仕留めて、朱雀は食い荒らされた躯を弔って、その墓に誓った。
この子は自分が責任を持って育てると。
指をしゃぶって泣いていた赤ん坊は、朱雀が抱き上げると泣き止んでにぱっと笑った。両親を亡くしたその子が、勇者として生を受け、魔物に追われて両親と共に逃げ回っていたことなど、朱雀は知らない。名前もどこにも書いていなかったので朱雀はその子に名前を付けることにした。
「青慈……この子の名前は青慈にしよう」
子育てなどしたことのなかった朱雀は、青慈を育てるためにまず街に降りた。青慈は首は据わっているようだが、まだ自分で動くことはできないようだ。この月齢の赤ん坊に何を食べさせればいいのか、どんな世話をすればいいのか、朱雀には全く分からない。
「この子をどうやって育てればいいか教えてもらえませんか?」
幼い子どものいる母親の営む雑貨屋を訪ねれば、そこでよく買い物をしている常連の朱雀に母親は丁寧に教えてくれた。
「哺乳瓶とミルクを買わないといけないね。哺乳瓶は一回飲ませたら、煮沸消毒するんだよ」
「煮沸消毒ですね」
「もう少し大きくなってきたら離乳食を食べさせないといけないね。初めは歯が生えてないからほとんど噛まずに飲み込めるスープとかから、少しずつ硬いものに変えていくんだよ」
「スープから硬いものに」
「オムツの替え方は分かる?」
「いいえ、全然」
店を一度閉めて母親は朱雀の前で青慈のオムツを替えてみせてくれた。
買うものは哺乳瓶とミルクとオムツや着替えなど大量にあったが、朱雀は雑貨屋で買えるものは買って、それ以外のものも調達して山の家に戻った。
赤ん坊用の寝台は持っていなかったので、自分の寝台に青慈を寝かせると、びゃあびゃあと大声で泣き出す。
お腹が空いているのかとミルクを作って飲ませると、哺乳瓶を咥えて静かになった。んくんくと一生懸命飲んでいる姿が可愛い。
黒い癖のある髪に青い大きなお目目、白い肌に薔薇色の頬の青慈は、朱雀には天使のように思えていた。可愛くて可愛くてたまらない。
夜泣きで起こされても、お風呂に入れているときにウンチを漏らされても、朱雀は青慈が可愛くてたまらなかった。
妖精種の村には子どもがほとんどいなかった。長命な妖精種はその代わりに生殖能力が極めて低い。朱雀の後に生まれた子どもはほとんどおらず、赤ん坊に触れ合うのも初めてだった。
麓の街の人間の親たちが赤ん坊を大事に育てているのを見てはいたが、他人の赤ん坊に触れるわけにもいかないし、これまで朱雀は赤ん坊を可愛いとも特に思ったことはなかった。可愛くないわけではないし、小さい子どもがよちよちと拙く歩いているのは微笑ましいのだが、青慈を拾ったときのような感情はわいてこなかった。
「青慈、泣いてどうしたのかな? お腹が空いたかな? オムツかな?」
「びゃああああああ!」
「もう私が来たから大丈夫だよ、青慈」
抱き上げてあやすと青慈はよく笑う。
オムツを替えてミルクを上げると、青慈は朱雀の腕の中で眠ってしまう。寝台に降ろすと泣いてしまうので、困って朱雀はまた雑貨屋の若い母親に聞きに行った。
雑貨屋には買い物に来ていた若い女性がたくさんいて、青慈を抱いた朱雀は囲まれてしまう。
「お山の綺麗なお兄さん、赤ちゃんを育て始めたって本当だったんだ」
「赤ちゃん可愛い。名前は?」
「この子は青慈です」
「青慈ちゃんか」
「いいえ、男の子です」
「男の子?」
あまりに可愛い顔立ちなので勘違いしてしまいそうになるが、青慈は男の子だった。オムツを替えるとちゃんと男の子だと分かる。
「天使みたいに可愛いでしょう」
「朱雀さんは青慈くんに夢中なのね」
笑われてしまうが、女性たちは朱雀に色々なことを教えてくれた。
離乳食の作り方、抱っこから降ろすと泣いてしまうときには布で巻くと少しは改善されること、それでもどうしようもなかったら抱っこ紐を使うこと。
朱雀は雑貨屋のお勧めの抱っこ紐を買って青慈を体に固定した。朱雀の胸に顔を擦り付けて、青慈は満足そうにしている。
「また来ます。ありがとうございました」
お礼を言って朱雀は青慈を抱っこ紐で抱っこしながら山奥の家に戻った。
朱雀は青慈を育てる前から、山で薬草を育て、薬を調合して麓の街の薬屋に卸して生活していた。妖精種の作る薬は魔法薬として珍重されていて、とてもいい値で売れる。魔法薬を調合して売っている朱雀は一度も金銭には困ったことがなかった。それどころか山奥で質素に暮らすには余るほどの金がある。
金があっても特に使わないので取ってはおいたが、朱雀は青慈を拾ってから青慈にお金をかけるようになった。
青慈には可愛い服を着て欲しいし、美味しいものを食べて欲しい。食にもあまり関心のなかった朱雀は、青慈の離乳食を作るために、新鮮な野菜や魚を手に入れるようになった。
麓の街で手に入れた新鮮な野菜や魚で作った離乳食を、青慈はもりもりと食べて大きくなる。ミルクもまだ飲んでいたが、離乳食もしっかり食べるので、オムツの大きさも最初に来た頃のものは入らなくなっていた。
「青慈がこんなに大きくなって」
青慈のオムツを買い替えるのも、朱雀には成長を感じる喜びでしかない。
オムツも新しくして、服も買い替えて、活発に動くようになってきた青慈のために寝台も広くした。
同じ寝台の壁に面した方で青慈を寝かせて、朱雀は床に落ちないように気を付けていた。一人で寝かせるときにはできるだけ壁際に寝かせる。
それでも、調合で寝ている青慈のそばを離れるときには心配でならなかった。
「やっぱり、赤子用の寝台を買った方がいいでしょうか?」
「ずっと一緒に寝てたんだったら、赤子用の寝台に変えると、慣れなくて泣くかもしれないよ」
「どうすればいいんでしょう」
「これはどうかしら」
雑貨屋の若い母親が提案してくれたのは、おんぶ紐だった。おんぶ紐で背中に括りつけておけば、目が届くので危なくない。寝ている間も青慈を拘束しておくのは申し訳ない気もしたが、朱雀は安全のためには仕方なく、青慈を背負って調合をするようになった。
「んまっ! んまっ!」
「青慈、起きたの? ご飯かな?」
「んまっ!」
拾った月齢がどのくらいか分からないけれど、青慈は順調に成長して歩くようになっていたし、意味のあることを喋るようになっていた。
妖精種にとっては一瞬でしかない時間の一日一日が、青慈と出会ってからはかけがえのない尊いもののように思える。
朱雀は青慈をおんぶ紐から降ろして、子ども用の椅子に座らせて離乳食の準備を始めていた。