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さする、おくる。

作者: ハシモトシン

地元の文学賞に応募した短編小説です。

 身内事ながら、この光景はレアだと思った。

 祖母、母、叔母二人。私のひとつ上の階層に属する家族を目の当たりにしたのは、三年ぶりだろうか。祖母の米寿祝いに道後温泉へこの面子が出かける際、港まで送った時が最後だったと思い出す。

 無機質な病室で、電子音のリズムがメトロノームのように、祖母の鼓動を刻んでいる。

 その傍らで、各々の家族では祖母になった娘たちが母を見つめている。

 今朝、横浜から駆け付けた長女は、光るものをうっすら目に湛えている。隣の呉原市で暮らす次女は、正と負の感情が相殺されたような乾いた視線を送っている。そして、私の母である三女は、疲れと安堵が入り交じったような目で“その時”を迎えようとしているかに見える。

 私は三人から目を離して、ベッドの上の祖母を見た。横たわる寝顔から苦しみが見て取れないことは、ささやかな救いだ。

 窓ガラスを揺らす風の音に、私たちは目を向けた。暦の上ではとっくに春だというのに、朝晩の冷え込みは今朝も変わらず続いていた。

「こう寒くちゃ、桜なんてまだまだ先だね」

 すっかり方言を忘れてしまった口調で、上の伯母、椿が呟く。

「これだけ冷たい風が吹きよるのにから。咲くわけなかろう」

 下の伯母、菫が呆れた声を漏らす。

「あんたも、もう長いことこっちの桜見てないじゃろ」

 取りなすように二人の間に入った母、皐月に向けて、椿伯母さんは「結婚してからは、一度もないわね」と相槌を打つ。

 目の前の三姉妹を改めて並列視しながら、よくもここまで極端に性格の異なる姉妹がいたものだと思う。そして、樹形図的に彼女たちの上位にいるのが祖母だという事実に頭が下がる。こんな濃い性格の娘たちを育て上げた祖母は、やはり偉大というべきなのだろう、と。

 離婚して実家に戻った私に最も近い身内は、間違いなく祖母だった。

 狭い町である。理髪店を営む両親の元には、客の体裁を繕った近所のゴシップ好きたちが出戻った娘のことを根掘り葉掘り訊いてきた。結果、父と母との間には自然としこりができてしまった。

 顔を合わすことも遠慮がちになってしまった私たち親子にとって、祖母の入院は渡りに船だったことは言わずもがなである。

 社会に出て一旦は疎遠になった祖母だったが、顔を合わせるようになっても、不思議とブランクは感じなかった。意外にも、祖母は両親よりも現代的なマインドを持っており、私の離婚に関しても「ようあることじゃろ」「卑屈になることはありゃあせん」とドライに切り捨てられたことは、私には救いだった。

 祖母と会う時間は、二時間と決めていた。祖母から言い出した訳でも、私が切り出したことでもない。何となく、二人の空気感で自然と決まったように思う。

 つかず離れず。これくらいの時間尺が、私たち二人には最も心地良かったのだろう。そんな私たちを見て、母は「あんな癖のある婆さんと気が合うあんたも、相当変わっとるわ」と苦笑いしたものだ。

 半年程前から、祖母は体調を崩して入院した。年齢的にもいわゆる老衰というものだろうが、ドラスティックに悪化するのではなく、段階的に弱っていった。

 段々とベッドに寝たまま話すことが多くなり、食事は点滴へと変わり、最後に会話をした時には口元に呼吸器が付けられていた。

 昨夕から意識を失い、母と菫伯母さんが病室にやってきた。そして、今朝方、椿伯母さんが駆け付けた時には、担当医から今晩が山と告げられた。

「そういやぁ、あんたらお腹空かん?」

 久しぶりの勢揃いに慣れないからか、唐突に母が私たちを見回しながら言った。

「もうこんな時間なんだね。あやめちゃん、コンビニで適当に買ってきてくれる?」

 椿伯母さんがバッグに手を掛けると、菫伯母さんが首を横に振りながら止める。

「コンビニの物なら要らんわ。こないだ久しぶりに弁当食べたら、胸が悪うなったけぇ」

 市境の山間に暮らす菫伯母さんは畑を持っており、子供たちが独立し、夫婦二人になった後は、ほぼ自給自足の暮らしをしている。新鮮な食材を日常的に食べている人に、都会のケミカルな食事は合わないのだろう。

「そんなん言うたって、百貨店も遠いし。売店に売っとる物も変わりゃせんわいね」

 こんな場に来ても失われることがない拘りに、母は辟易した顔になった。それでも、菫伯母さんは頑として断り、椿伯母さんは財布を出したまま二人のやり取りをオロオロと見ているしかなかった。

「ちょっと、病室で騒がんで!私が見とくけぇ、三人で食堂でも行ってきたら?」

 仲裁がてら私が留守番を申し出ると、三人は顔を見合わせた後、「行っとる間に何かあったらいけんけぇ」と言って諍いを止め、パイプ椅子に座り直した。

「それにモタモタ食べよったら、またお母ちゃんに怒られるけぇね」

 そう菫伯母さんが皮肉ると、母が噴き出した。椿伯母さんの顔がしかめっ面に変わる。

「あんたたち、陽介のお見舞いに行った時のこと言ってるんでしょう?本当、うどんひとつゆっくり食べさせてもらえないんだから」

 伯母さんの恨み節に、二人の笑い声は更に大きくなった。ひとしきり笑って落ち着いた

後、母がようやくその時の様子を話し始めた。

「陽介伯父さん覚えとるじゃろ?伯父さんが入院しとる時、椿伯母さんが横浜から来て、四人でお見舞いに行ったんよ」

 母方の伯父である陽介伯父さんは椿伯母さんの二歳下、菫伯母さんの四歳上にあたる。

「ちょうどお昼前じゃったけぇ、病院の近くのうどん屋に四人で入ったんよ。そしたら、一人だけ食べるの遅いけぇ、えらいお祖母ちゃんが怒ってから…」

 菫伯母さんは話しながらその時のシーンを思い出したのか、また噴き出した。

「他のお客さんに迷惑じゃろうが!うどんくらい、とっとと食べてしまえ!って」

 母も便乗して祖母のセリフを真似、二人は更に盛り上がった。

「本当、歳取っても細かいったらありゃしない」

「そりゃ、あんたがトロトロ食べるけぇよ」

 ふて腐れたように吐き捨てる椿伯母さんに母が突っ込む。

「子供の頃からそうじゃったじゃないね。雑じゃし、学校の成績も悪かったけぇ、いっつも怒られよったし」

 歳が近い分、母より菫伯母さんの方がエピソードが豊富なようで、「そんな昔のこといいでしょ」と椿伯母さんもバツが悪そうな顔になる。

「そういやぁ、お義兄さんとも最後まで合わんかったんよね?」

 椿伯母さんはお見合いで銀行員の伯父さんと結婚し、横浜へ移り住んだ。私が会ったのは、幼稚園に入ったくらいの頃だったため記憶は薄いが、祖母曰く、ぶすっとして面白うない男、らしい。

「結局、横浜に来たのは孫が産まれた時の三回だけだったしね。来たって、挨拶くらいで殆ど話さなかったわ」

「お母ちゃんじゃないけど、私もお義兄さんは苦手じゃったわ」

 菫伯母さんもおしゃべりの類に属するため、無口な伯父さんは苦手だったらしい。

「あんたらそう言うけどね、入院する時に私らも言ったんよ。こっちで一緒に住まんか、いうて」

 私だけじゃなく、伯母も母も初めて聞く話だったらしく声を上げた。そして、いつの間にか椿伯母さんも二人にほだされて、方言に戻っていた。

「それなのに、今更知らん街なんか行かん、って、あっさり断ったんじゃけぇ」

 今眠っているベッドを含め、この病室の入院費は、祖母の貯金から支払われている。誰にも頼ることなく、一人ですべてを決めてきた祖母は逞しく、誇らしくもあるのだが、娘たちには可愛げなく映るのだろうか。

「それでも、最後は家がええいうて言いよったんじゃけどね。さすがにそれは叶えてあげられんかったわ」

 僅かにずれた掛布団を直しながら、母が呟いた。

 椿伯母さんは徐に立ち上がり、パイプ椅子を祖母の傍らに移動させた。布団から皺だらけの祖母の手を取って、強く握った。

「色々あったけどね。私はやっぱり、お母ちゃんに感謝しかないわ」

 右手は握ったまま、左手で手の甲をさする。さすりながら、椿伯母さんの目が潤み始めた。

「菫は知っとるんじゃけどね。私、最初の子供が死産じゃったんよ」

 母と私の視線が祖母の手から椿伯母さんに移る。

「やっとできた子じゃったけぇ、私もパパも喜んだんじゃけどダメでね。お母ちゃんが病院に来てくれて慰めてくれるんかと思うたら、えらい怒られてから」

―――起こったことはしょうがない。グズグズ泣いたところで、何も変わらない。

 子供の頃、兄に大切にしていた人形の腕をもがれて泣いていた私を叱った祖母を思い出した。酷い人だとその時は思った。けれど、椿伯母さんの話から聞こえる同じ台詞は、母として、人としての強さを含んだ響きを持っていた。

「お母ちゃんね、その子を抱いて一晩中病院におってくれたんよ。その姿をパパが見とって、一生頭が上がらんって言いよった」

 長女の第一子ということは、祖母にとっても初孫だったはずだ。ショックが無い筈はない。伯母を叱咤した後、最初で最後の抱擁を交わした祖母の心境はどんなものだったのか。笑うことも、泣くこともない孫を抱いた祖母の姿を浮かべて、私の瞼は熱を持ち始めた。

「それにしても死産した母親を怒るなんて。どこまで厳しいんかね、お母ちゃんは」

 空気を変えたかったからか、母がとりなすように言った。私も熱くなり始めた瞼に「まだ早い」と言い聞かせながら目を拭った。

「菫姉ちゃんもよぅ怒られよったもんね。裁縫とか料理とか」

 立ったまま窓の外に目を向けていた菫伯母さんが、話を振られてこちらを向いた。ゆっくり私たちを見回すように動く目元は、乾いたままだ。

「お姉ちゃんが何もできん人じゃったけぇね。お陰で私に全部回ってきたわ」

 母から聞く菫伯母さんはとにかく手先が器用で、自分と妹の洋服は全て伯母さんが縫っていたという。料理の腕も申し分なく、親戚が集まる場で振る舞われるちらし寿司や煮しめ、おはぎといった料理は殆ど伯母さんが作っていた。親戚の中でもその味は折り紙付きで、子供心に私の密かな楽しみでもあった。

「皐月、あんた覚えとらん?子供の頃、あんたにも服縫ってあげよったけど、私のは真夏でも長袖じゃったの」

 母は記憶が薄いからか、「ほうじゃったかいね」と首を傾げる。菫伯母さんは溜息を一つ挟んで続けた。

「縫い上がりが少しでもずれとると、物差しで腕叩かれて全部解けさせられてね。できるまで、何時になっても寝させてもらえんかったわ」

 現代なら完全にパワハラとみなされるスパルタぶりに、私は軽く引いた。

「一着できる頃には、腕が痣だらけになってね。人に見られたら恥ずかしいけぇ、自分の服は長袖しか縫わんかったんよ」

 聞けば、祖母も手先が器用だったらしく、内職で仕立ても請け負っていたという。そういえば、私が今でも冬に愛用している綿入れは、祖母が縫ってくれたものだと思い出す。

「そうやって厳しゅうしたんも、菫に上手になってもらいたかったけぇじゃないん?」

 そう言って椿伯母さんがたしなめようとしたが、菫伯母さんは「私のことが気に入らんかっただけよ」と撥ね退けた。

「お母ちゃんは、私の結婚にもあれこれ難癖付けたしね」

 時代的に恋愛結婚がまだ少なかったこともあったからか、祖母は菫伯母さんの当時の交際にいたく反対していたようだ。相手は、陽介伯父さんの友達で、生活雑貨等を扱う家業(現在で言うスーパーのようなもの)を手伝っていた。

 聞けば、明るい人で気前も良く、妹である母も可愛がってもらったらしい。しかし、祖母の反対に遭い破談。結局、親戚が奨めた見合いで現在の夫である伯父さんに嫁ぐこととなった。

 根が深い。伯母も母も私も、迂闊なことが言えずにいた。

「私がやることなすこと、お母ちゃんはどこまでも気に入らんかったんよ」

 菫伯母さんは、ゆっくりと椿伯母さんの向かい側まで歩き、祖母の傍らで閉じたままの眼を見下ろしている。

 子供たちに注ぐ愛の量は均等だとしても、受け側の性格によって愛は、様々な形にカスタマイズされていくのだろうか。それとも、誰もが持つ性格の多面性がそうさせるのか、私には分からない。

 けれど、私はそれだけとは思わない。祖母の厳しさには、温度があった。

「あんたらは、私から見てもそっくりじゃけぇ、お母ちゃんも自分を見よるようで、厳しく当たったところもあったんじゃと思うよ」

 椿伯母さんが二人のこれまでを諭すように、その声は、年長者だけが知る答えのような響きを持っていた。

「妹の私から見てもそうじゃわ。二人共細かいし、口うるさいし」

 小意地悪く言った母の一言に、菫伯母さんも鼻を鳴らした。

「それに、結婚のことだって結局良かったじゃないね。お義父さんが亡くなって、あんな大きい家もろうたくせに」

 椿伯母さんと母のやり取りが進むうち、菫伯母さんの眉間の皺もだんだん緩み始めた。

「私はね、お兄ちゃんとお母ちゃんが最後に会った時のことが忘れられんわ」

 病室の空気がようやくほだされた後、殿である母が話し始めた。

「あの頃はもう何も食べれんかったのに、お兄ちゃんの好きな最中買っていってね。病室に入るなり、二人共顔を見ただけで涙流して。結局、それが最後じゃった」

 一目で、息子が長くないことが分かったのか。息子も、母に会うことが最後だということを直感的に悟ったのか。

 幾つになっても、母と息子の特別な間柄は変わらないのだろう。

 母と娘たちにおいてさえ、それは、きっと。

 母は椿伯母さんの傍らに立ち、布団をめくって祖母の右足を寝間着の上からさすり始めた。

「難儀な人じゃけど、私らと孫には優しかったんじゃないかね。そういう意味じゃ、私も感謝しかないわ」

 さすりながら、母は祖母に顔を向けた。

 しばらくの間、視線を外していた菫伯母さんも、ようやく解けたような目を祖母に向け、祖母の左手を出してさすりはじめた。

 娘たちに身体をさすられながら、祖母が送られようとしている。

 慈しみ、感謝、尊敬。長い間横たわっていたしこりでさえも。

 さする、という行為が優しく解いていく。

 同時に、祖母の人生を労い、湛えた痛みを和らげているようにも私には映った。

―――人は、生きたように死んでいく。

 目の前のひとつの別れを見守りながら、生前の祖母の口癖が浮かび、その言葉が、嘘ではないことを私に教えてくれた。

 祖母は間違いなく、私たちから愛されていた。


 遅咲きの椿が、庭先を鮮やかに染めている。

 如雨露で水を撒きながら、急な風に吹かれて私は一瞬、目を瞑る。開くと、裏の山から風に乗って運ばれてきたピンクの花弁が、如雨露を持つ手に舞い落ちてきた。

 美しく儚い。桜の時期は、驚くほど短い。

「あやめ!庭の手入れなんか後でいいんじゃけぇ、こっち手伝いんさい」

 やれやれ。感傷に浸ることすら許されず、縁側でつっかけを脱いで声の方向へ向かった。

 祖母の葬儀から、十日が経っていた。

 椿伯母さんは初七日まで滞在した後で横浜へ戻り、菫伯母さんと母と私は、昨日から遺品整理を始めていた。

 祖母の家には、日用的な物は必要最低限しかなく、作業は思いのほか早く進んだ。古びた家財道具や家電品の殆どは粗大ごみとして、父と兄とで運び出されることになっている。私の荷物は、それらがひと段落した後で、少しずつ運ぶ予定だ。

「皐月、あやめちゃん。ちょっとこっち来てみんさい」

 菫伯母さんの声は、襖の向こう側から聞こえてきた。元は母が使っていたその部屋は、祖父が亡くなってひとり暮らしになった後、祖母の鏡台と箪笥が置かれ、子供の私は『きれいになる部屋』と呼んでいた。

 久しぶりに入るその部屋は若干の埃っぽさはあるものの、綺麗好きな祖母の性格を最も色濃く映した趣が残っていた。

 壁際に置かれた桐の箪笥は、祖母の嫁入り道具としてやってきたらしく、半世紀以上が経過した佇まいは古い、というより、アンティークと呼ぶ方が相応しい空気を纏っている。

 箪笥の抽斗から、菫伯母さんは真新しい三本の帯を取り出していた。いずれも白地に花が描かれている。

 一本は凛とした赤を携えた椿、一本は可憐な濃淡の紫が映える菫、そして、賑やかに咲く桃色の皐月。

「抽斗の一番上にしまってあったんよ。三本重ねて」

 伯母さんは菫の帯を、母は皐月の帯を手に取って眺めている。

 私はここにいない主の代わりに、椿の帯を手に取ってみた。赤、紫、桃色。帯には、いずれも花が三輪ずつ描かれている。

 娘の名を描いた帯。それが、祖母三枝子が娘たちに残したものだった。

「三人共、お祖母ちゃんの一周忌には、この帯を巻かんとね」

 そう言うと、母と伯母は、顔を見合わせて照れたように微笑んだ。

 椿伯母さんに届ける帯を抽斗に仕舞い、私は『きれいになる部屋』の窓を開けた。穏やかな春の空気と一緒に、鼻をくすぐる花の匂いが部屋に立ち込めた。

 祖母の庭を見る。

 遅咲きの椿が咲いている。一ヵ月もすれば、隣に植えられた菫と皐月、そして、あやめが花を開き賑やかになる。

 祖母の愛した花たちが、庭を色づける。

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