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王太子エルンストの婚約者であるシェイラ=マティアスの第一印象としては、よく氷のような、冷たいといった言葉で表現される。
代々優秀な軍人・文官を出すことで有力貴族の1つとして名をはせるマティアス侯爵家の令嬢である。現侯爵である宰相フェルディナンド=マティアスその人が内政、外交を仕込み、片や15の年の頃にはセドナ、ライドゥル等周辺国の言語を総ざらいにしてしまった、フェルディナンドをして次期王妃より宰相にしてしまった方が国のためになるのではないかと頭を抱えさせた、実にマティアス出身らしい才媛である。
というのを差し置いても第一印象がそうなってしまうのは、彼女が持つ雰囲気からだろう。
冷たいというのは暗いとか、陰気という言葉で表現されることもある。
レノ公爵家出身の侯爵夫人は、当時王太后カテリーナと人気を二分した美貌の持ち主である。その夫人の血を受け継いている令嬢は、元の造形が悪いというわけではない。
しかしながら、右と左の瞳の色が異なっているのを気にしてか、右の方の瞳の色を隠すように前髪をのばしている。風などが吹いたのをきっかけに、隠れた右の瞳を知る者は少なからずいたが、普段周囲が見ることができる彼女の左目のアンバーは、十代の令嬢とは思えぬ理知的で落ち着いた印象を与える。
国王アーデルベルトが同様にアンバーの瞳をしていることで、決して民衆に人気がない色ではないものの、やはり地味な色彩である。
そして髪の色はダークブラウン。視力的な理由もあるのだろうが、片目を前髪で隠しているというのも陰鬱な印象を与える。
そんな令嬢が、年頃らしいあどけなさを取り去り切れ味ばかりが全面に押し出された視線と言葉遣いで、王や宰相の通訳として隣国と渡り合うことさえあるのだから、大人達も閉口するするしかない。
しかしながら、将来の宰相というなら有望とも言えるが、王太子の婚約者としては欠点の方が先に目に付く。
という声をシェイラ自身はさして気にとめていなかった。
欠点と言っても、お茶会の手配や作法は、王妃以上の気遣いをもって完璧にこなしているのだ。
シィエラの方からすればこれ以上は無理だというのが実際のところだった。
シェイラは12歳でエルンストの婚約者となった。
婚約者となる時、王命を受けた。
12歳の少女にとっては震えるような恐怖と苦痛を耐え、幼い頃から抱いてきた小さな恋心を封じ、エルンストに拝謁した日、彼の第一声は気持ち悪い、だった。
エルンストは右と左で異なるシェイラの瞳の色を嫌い、片方を隠すよう命じた。言われた通りに右側を髪で隠せば、今度は陰気臭い女だと言い放ち、以来、ほとんど会話をする機会もない。エルンストから1年遅れて学術院に入ったシェイラが見たのは、かわいらしい女性陣に囲まれた婚約者の姿で、成人したら側妃として上げるつもりだから覚えておけと言い放たれた。
遊んでばかりで王太子とも思えない生活態度と成績の息子の様子に、マルグリッドはため息をつきつつ、お前の態度がなっていないからですとシェイラを責めた。
マルグリッドからすれば自身より名家の出、更にはジークヴァルトを推していたリッカ公爵家に近いシェイラはただでさえ煙たい存在だった。ユーリエ派のエルンストの立太子には調和を取るためにリッカ派の王太子妃、更には貴族社会を納得させることが出来る高位貴族の令嬢が必要ということを言い聞かせられてなければ、表立って拒否をした可能性さえあった。
それでだけではない。本来王妃になる予定になかったマルグリッドにはシェイラに王妃教育を施すことが出来なかった。大部分をカテリーナが受け持ち、程なくしてマルグリッド以上に国王に重宝がられるようになった義理の娘候補を彼女もまた、疎んじた。
言い返したいこともあったが、シェイラは口を閉ざした。
が、年若いシェイラの心は突きつけられた現実にまったく追いついていなかった。
将来の王妃となるべく学ぶことはできるが、エルンストの婚約者になることを望んでいたわけではない。エルンストがシェイラを嫌うように、シェイラもまた、エルンストに対して心を閉ざしていた。
エルンストの態度が異なっていれば違っていたかもしれないし、シェイラの態度が違っていたらもう少しエルンストも軟化したのかもしれない。
シェイラだって最初は、エルンストとうまくやって行きたいと思っていた。なんとかしていい関係を築かなければとあせってもいたのだ。
が、目の前のものに忙殺されるされる日々に神経が擦り切れていく中、エルンストの婚約者となって1年がたった頃、彼女を心を砕く再会があった。
13歳になり学術院に入ったシェイラは、週に3回は授業の後王宮を訪れるようになっていた。3日のうちの2日はフェルディナンド率いる宰相府、1日はカテリーナによる王妃教育を受けるためだった。
その日は、カテリーナの用意した教授に、貴族間の礼儀作法を学んでいた。講義は学術院の後とは言え、4時間ほど続き、すっかり遅くなってしまった。
宰相府に連絡をすると、そろそろ帰り支度をしようとしていた兄のイザクから一緒に帰ろうとの連絡が届き、シェイラはしばらく王宮内で待っていることになった。
王太后宮の中庭でしばらくぼんやりとしていると、のっそりとした足取りでリオンがやってくる。リオンは2年ほど前に亡くなったリューネの産んだ仔犬のうちの一匹で、カテリーナが側に置き、シェイラにもよくなついていた。
「あら、リオン」
近づいてきた柔らかな感触に制服に毛がついてしまうのも気にせず、抱きつく。手が触れた場所から伝わる鼓動の音の心地よさに目を閉じると、ずっと張り詰めっぱなしの神経が少し緩むの感じる。
「少しだけ、こうしていてもいい?」
リオンが動かないでいていくれるのをいいことに、短い休息を取る。
少しうとうととしていたのかもしれない。
そんなシェイラを引き戻したのは、ためらいがちな声だった。
「シェイラ?」
ぱちりと目を開ける。
どくどくと鳴り出す心臓の音にリオンが驚き、シェイラの側から離れてしまう。
何故、どうして。
目まぐるしく頭は動くのに、言葉がなかなか発せられない。
「やはり、シェイラか!」
「 」
「報告があって王都戻ってきていたんだが、偶然だね」
庭の暗がりの中でも分かる深い青の双眸がゆっくり細められるのを見上げ、泣きそうになる。
けれど、ぎりぎりのところでこらえたシェイラは、1年という期間で嫌というほど認識していた。
自身の婚約者という立場も。
エルンストの王太子の地位が、貴族の大多数に認められたものではないことも。
そのエルンストの地位を脅かすのが、ジークヴァルトだということも。
「王弟殿下にご挨拶申し上げます」
膝を折り、完璧な跪礼をする。視線は下に落とし、合わせない。
完璧な距離を引きながらも、胸の内で会えたことを喜ぶ。
ジークヴァルトとの1年ぶりの再会だった。




